渡る世間に鬼はない?

(狩猟について)
森のへりを無垢で無防備で、なんの疑いも抱いていない哀れな動物が駆け抜けようとする。
これを狙い撃ちで射殺する。
それがそんなに楽しいのかね?
人殺しそのものではないか!
ハインリヒ・ヒムラーナチス親衛隊長官)
 
(1933年、政権を握ったナチスは、動物保護法をはじめ、違反者に対する罰則を定めた動物愛護関連法を次々と成立させた)

「人殺しそのものではないか」って……。
この人が言うと黒いジョークにしか聞こえないんですがどうですか。
 
英会話を習いに行っている教会の礼拝堂、後ろにクリスチャン的論説が掲示してあるんですが。
以前、イラク情勢についての論説がありまして。
イラクでは、スンニ派が長年にわたってシーア派を弾圧してきたこと、フセイン政権が打倒されて以来、両派の対立が激しくなり、流血の事態となっていることなどを指摘。
 
で、最後に、「イラクの人々の魂が救済されるよう祈りましょう」
 
いや、祈ってどうにかなるもんじゃないだろうそれは。
 
……と思ったんですが、だからと言ってクリスチャンが現地入りすれば、ますます事態は悪くなるんですよね、この場合……。
 
直接関係はありませんが、アフガニスタンで拉致された韓国人の方々の無事を祈っております。
 
さて、やっぱり直接関係はありませんが、先日、ペットショップで、小鳥を入れるためのボール紙の箱に、
「ことりをあいするひとは こころのやさしいひと」
……って書いてあるのを発見しました。
 
そう……かな?
 
なんとなく納得してしまいそうな勢いですが、本当かな?
 
ちなみに、ヒトラーカナリアを飼っていて、カナリアが死んだ時には涙を流したとか。

 
こういう、
「〜〜する人に悪い人はいない」
という意見はよく耳にするんですが。
 
曰く、
・猫に好かれる人に悪い人はいない
鬱病患者に悪い人はいない
・子ども好きの人に悪い人はいない
ガーデニング趣味の人に悪い人はいない
TRPG好きに悪い人はいない
・釣り愛好者に悪い人はいない
・陶芸をやる人に悪い人はいない
・本をたくさん読む人に悪い人はいない
 
おおむね、趣味について、「悪い人はいない」と言われることが多いように思います。
……どうも、大概どの趣味であっても、「これをやっている人に悪い人はいない」らしいです。
 
……じゃあ、悪い人ってのは、無趣味の人なのかな?
 
もちろん、そんなはずはないと思います。
 
なんであれ、同好の士が集まる場というのは、とても親和的な雰囲気になるのが普通でしょう。
お互い同じ趣味を持っているのがわかっているし、普通は利害対立もないし。
そんな穏やかな雰囲気のおかげで、
「いやあ、〜〜が趣味の人は、みんないい人ばっかりだなあ」
……と、勘違いしてしまうのだと思います。
 
仮にその同好の士と同じアパートに住んだら、ゴミ出しとか夜うるさいとかで親和的じゃなくなるかも知れないですよ。
 
っていうか、そういう話よく聞く気もします。
ほら、スキー場で男女が出会って意気投合してー……ってやつ。
 
スキー場にいる間は仲がいい。
 
……と、そんなわけで、同好の士の集まりでは、周りが「いい人ばかり」に見えるのは当然です。
そこで、
「〜〜をしているのはいい人ばかりだ」
と考えてしまうのは、勘違いです。
 
そして、
「だから、みんなが〜〜をやれば、世の中はもっと良くなる」
……とかいうのは、悲劇的勘違いです。
 
いや。
昔、エホバの証人の人と議論をした時、
「なぜあなたは証人になったのか? なぜ、世界に伝道すれば世界が平和になると思うのか?」
と聞いたら、
「私は子どもの頃から、親と一緒に会衆の集まりに行くことがあったが、そこではみんな親切で平和な雰囲気だった。だからこれを世界に広めたいと思った」
……という返事でした。
 
それは悲劇的勘違いなのです。
 
「世界が〜〜で統一されれば世界が平和になる」
……という思想こそが、世界に争いをもたらしてきたわけで。
 
悲しいことに、子ども好きでもTRPG好きでも、きっと悪い人はいます。
 
「〜〜の人はみな善人だ」
という誤った信頼は、裏を返すと
 
「〜〜でない人は(〜〜である人に比べて)信用できない」
という偏見でもあります。
そしてまた、
「あなたも〜〜をすべきだ(でなければ信用できない)」
という強要にもつながるのです。
 
これは愚かなことだと思います。
 
結局、本当に世界に平和をもたらすつもりなら、お互いに共通する点が見いだせなくても、その違いを認め合うことが大切なのだろうと思います。
はなはだ陳腐ではありますが。
 
そして、自分の身内に悪人がいるであろうことを認めることも。