なぜ我々の論敵はバカばかりなのか。

 アメリカ合衆国第34代大統領、ドワイト・D・アイゼンハワーは、
アメリカ人の半数は平均以下の知能しか持たない」
 という事実を聞かされ、驚きと警戒の念を表明した。

 
 そのうち書こうかと思っていた記事を書かないことに決定。
 
 その記事は以下のような内容になる予定でした。
 

書かないことにした記事:「なぜネット世論は右方向へ偏るのか」

 
 ネット上……特に2ch等では、愛国的で排外的、かつ、障害者福祉の拡充や男女共同参画社会の実現などにも否定的で、非常に保守的な言論*1が溢れています。
 
 ……私がこれを書いてる「はてな」ユーザーは割とそうでもないようですが。
はてな内の保守層からは“はてサ”……「はてなサヨク」と罵られます)
 
 しかし、選挙結果等を見ると、これらの言説は、必ずしも日本国民一般を代表してはいないようです。
 要するに、ネット世論は明らかに右に偏っている。
 
 これはなぜか。
 
 ネット世論が偏っている、ということは、インターネットユーザーそのものが、日本人全体から見て偏っているということを意味します。
 
 では、ネットを趣味でいっぱい使ってるのはどんな人々か。
 
 ちょっと古い本になりますが、三浦展の「下流社会」から引用。
(「あなたの趣味は何ですか」という質問への回答についてのまとめ)

 階層間の差を見ると、「上」ほど多いのは、旅行・レジャー、スキー、サイクリング、数字は小さいがゴルフであり、外に出てて行う活動的な趣味が挙がる。
 他方、「下」で多いのは、パソコン・インターネット、AV機器、テレビゲームなど、ややオタク・ひきこもり的な傾向が目立つ。外に出るのは音楽コンサート鑑賞とスポーツ観戦であり、おそらくはロックなどのコンサートやJリーグなどに出かけるのであろう。
 パソコンというと「デジタルディヴァイド」と言われて、お金のある人は持てるが、お金のない人は持てず、よって所得によってパソコンを使えるかどうかに差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念があった。
 しかし今やパソコンは接続料さえ払えば何でも手に入る最も安い娯楽となっており、低階層の男性の最も好むものになっているようである。

こうしたことから、私は団塊ジュニアの「下」のキーワードを「3つのP」と表現する。
すなわち、
・パソコン(Personal Computer)
ページャー(Pager)=携帯電話
プレイステーション(Play Station)=テレビゲーム
以上3つが団塊ジュニアの特に「下」における三種の神器であろう。
ついでに悪のりしていえば、
・ペットボトル(PET bottle)
・ポテトチップス(Potato chips)
も加えて5Pでもよい。
パソコンの前に座って、ペットボトルの飲料を飲み、ポテトチップスを食べながら、インターネットをしたり、ゲームをしたり、携帯でメールを打ったりしているという姿が浮かび上がってくるのだ。

(いずれも強調引用者)
 
 ちなみにこの本で言う「下流」というのは、簡単に言うと「自分を下流だと思っている人」のこと。
 傾向としては、収入も貯蓄も少なくて未婚で人見知りで「自分らしさを大切にしたい」とか思ってる人が多い……というのがこの本の指摘なんですけど。
 
 ともあれ。
 
 上の指摘からすると、「ネット世論」の核になっているのは、「下流」層であることになります。
 収入も貯蓄も少なくて未婚で人見知りで「自分らしさを大切にしたい」とか思ってる人たちですね。
 
 そういう層がなぜ保守的になるのでしょうか。
 かつては、貧乏人は左派……共産主義シンパになる、というのが常識でしたから。
 
 そこでまた他所様の記事を引用。
 
「プロレタリア型右翼」(永井俊哉ドットコム)

 なぜ低学歴で低所得の人ほど移民の増加に否定的なのかに関しても《失業からの逃走》という観点から説明ができる。日本のような先進国の場合、移民制限を緩和すると、発展途上国から安価な労働力が流入するが、それによって真っ先に仕事を奪われるのは、単純肉体労働に従事している低学歴・低所得の人たちである。彼らが、外国人労働者に対して排他的になるのは、経済的な利害関係による。

http://www.nagaitosiya.com/a/right_wing.html

 「愛国的」人士に対しては、
「彼らは己のアイデンティティ・自尊心を、“日本は立派な国だ!だから俺も価値のある人間なんだ!”という形で代理的に満たそうとしている」
 という批判がなされることも多いんですが、これはかなり中傷っぽいし、私は精神分析は信用しないので脇に置きます。
 
 ともあれ、政府が外国人を保護すれば自分たちが割を食う、という人々が排外的になるわけです。
 
 同じように、政府が障害者を保護すれば自分たちが割を食うし、女性の社会進出が推進されても自分たちが割を食う……。
 ネット右翼とはそんな人々なのではないでしょうか。
 
 かつて左派を支持したのは、体制側の既得権益を批判し、弱者を救済することを叫ぶ人々でした。
 
 しかしながら、いかなる法的保護・社会保障も、獲得された瞬間から「既得」権益となります。
 
 そして今度は、経済的に苦しい立場にある人々が、
「あんな奴らの福祉を充実する余裕があるならまず俺たちを救えよ」
 と主張し始める……ということなのではないでしょうか。
*2
 
 だから、一見して「愛国」的に見えるネット右翼層ですが、彼らが現実に愛国的に振る舞いうるか……ジョン・F・ケネディの言葉を借りれば
「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問」うような人々か、と言えば、それは疑問だ、と言えます。
 
 ともあれ、このように考えてくれば、ネット上において保守派が優勢な理由も見えてくるのではないでしょうか。
 

誰が揶揄されているのか気づかない人々。

 
 ……と、いったことを、いつか書こうと思っていて今日やめました。*3
 
 理由はこれを見たから。
 
「ここ最近、政治関連スレで出回っている“ネトウヨの実態”の画像」
(閲覧注意。ムサい兄ちゃんのイラスト。脇毛とか描いてあるので食事中の方は避けた方が)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52008766.html
 
 これはひどい
 
 ブックマーク見ると、
サヨクプロパガンダだ!ヘイトだ!ラベリングだ!カリカチュアライズだ!」
 とかお怒りの方がいるようなんですが、いや、これ描いたのサヨクじゃないだろ。ウヨクでもないだろうけど。
 
 ブックマークにも書いたんですが、「愛國戰隊大日本」は右翼的なのか、というのと同じ。
 
 「愛國戰隊」は、1982年、まだまだソ連が元気だった時代に作られたアマチュア特撮作品です。
 
 タイトル通り、特撮戦隊もののパロディで、「正義の」愛國戰隊が、日本侵略を企む悪の組織「レッドベアー(首領は“デスマルクス書記長”)」と戦う……というお話。
 26話ある、という設定で実際は第三話しか作られてませんが、そのサブタイトルは「びっくり 君の教科書もまっ赤っか!」
 
 日教組のことか−!
 
 一見して反共的作品に見えますが、これ見て喜んでる右翼がいたらダメダメなのもまた事実。*4
 
 左を笑いつつも、それを熱狂的に批判する右のことも揶揄している……というのが妥当な解釈でしょう。
 ……Wikipediaにもそう書いてあるし。*5
 
 ともあれ、どう考えても右と左の対立そのものをおちょくってる「愛國戰隊」ですが、本気で右翼的だと思って問題視する人もいたんだそうです。
 そういう、冗談の通じない人は今も昔もいるわけですね。
 
 そう考えると、“ネトウヨの実態”も、民主支持者を美化して自民支持者=ネット右翼を愚弄している、というより、双方を揶揄している……
 
 ……あれ?
 

お前だお前。

 
 つまり、“ネトウヨの実態”で揶揄されてるのは、貧乏で情報源は2chでオタクで愛国主義的なネット右翼……ばかりではなくて、
ネット右翼というのはそういう連中だよ」
 と言ってはばからぬ連中でもあるわけです。
 
 なんかついさっきそんな文章を読んだ気がしますが。
 
 ……とまあ、それが、件の記事を書くのをやめた理由なのでした。
 
 いや、書いちゃいましたが。
 
 つまり、ああいうヘイトスピーチを、自覚なく大まじめに書こうとしていた、ということを晒して自己批判しておきたいと思うわけです。
 
 引用した記事とか、一見して筋が通ってるようには見えます。
 
 ただ、それらを切り貼りして
ネット右翼の主流は、低学歴・低収入でネット依存でオタクな人々だよ! そんな奴らの話なんか聞く必要はないよ!」
 とか主張するのは、論理的意見に偽装した明らかな中傷なわけです。
 
 一見論理的に見えますけど。
 
 でも、ヘイトスピーカーの中で特に厄介なのは、論理的めかした人々なのもまた事実。
 
 黄禍論にもホロコーストにもレッドパージにも、一見筋の通った、「論理的めいた」主張はあった……というか、そういう人々こそが政治的愚策の主導者となったのです。
 
 自分が知的な人間だと自負してる差別主義者ほど手に負えぬものはないわけで、自分がそうならぬように、という自戒はしてもしすぎることはありません。
 
 ……と、こういうことを書いていると、「自発的検閲」とか、ヘイトスピーチ表現の自由、とかいう恐ろしく面倒な議論の泥沼に足を踏み入れることになりそうですが。
 
 ただまあ、右翼にせよ左翼にせよ、論敵は敵ではあっても差別する対象ではないわけです。
 
 賛成できない意見だ、と思っても、相手を見下したくなった時にはぐっとこらえるべきだろう、と思います。
 
 まあそもそも、仮に相手が低所得でオタクだったとしても、その言い分が間違っている、ということにはなりません。
 相手の属性によって、信用できるかどうかを判断するのは、意識して避けるべきことだと思います。
 
 ……それでもなお、相手の方が馬鹿ばっかりのような気がする……ということはあるかも知れません。
 
 でも、それは錯覚なのです。
 
 どうしてそんな錯覚が起きるのか?
 

「バカばっか」。

 
 まず、人間の知的能力というのは正規分布をとると仮定します。
 
 なに?
「世の中バカの方が多いような気がする」?
 
 でも知能検査の結果とか見ると間違いなく釣り鐘型曲線を描くので。
 いや、知能検査が直ちにバカと利口を分けるものだ、と言い切ってしまうとアレなんですが……(むにゃむにゃ)
 
 ともあれ仮定します。(下グラフ)
 

 
 単位とか聞くな。
 
 さて、それで、右派も左派も*6基本的に均等に支持者が分かれると仮定しましょう。
 
 さっきのグラフを90°回転して、下のようなグラフになります。
 

 
 この場合、右の方がバカとか左の方がバカとかいうことはありません。
 
 仮にどっちかが少ないとしても、各知的水準で均等に少なくなるので、「少数派」ではあっても、相変わらずどちらの陣営にも知的な人からそうでない人までそろっているはずです。
 これは何も右派と左派に限った話ではなく、世の中の大概の議論でそうなるんじゃないかな、と推測しています。
 
 なのに、相手の方がバカなような気がするとすればそれはなぜか。
 
 それは単に、
「バカの方が理解しやすい」
 という理由によります。
 
 ……というか、
「自分より頭のいい人間は理解できない」
 というか。
 
 特に、自分と対立する意見については。
 
 自分の考えと対立する論説に触れたとき、それが自分の知的水準を充分上回っていると、単に理解できません。
(がんばって理解しようという意欲もわきがたいものですしね……)
 
 で、下回っていれば、
「バカだなあコイツ」
 と感じます。
 
 近い水準であれば対等の論客と見なされるでしょうが、対等の相手よりも格下の相手の合計の方が普通は多いわけです。
 
 この結果、
「向こうの陣営はバカばかり」
 という錯覚が発生するのです。
 どちらの陣営においても。
 
 
 
 これは「陣営」という不特定多数のみならず、個人相手においても似たような現象は発生します。
 
 ……例えば、とある学者がいるとします。
 
 彼の専門分野(仮に経済学とします)における論説を理解し、これを真っ向から批判するのは、凡庸な人間には難しいことです。
 彼を見下すなどもってのほかです。
 
 しかし、彼がしばしば専門分野以外にも口を出したがる人物で、専門外の分野(例えば地球温暖化問題とか)でとんちんかんな主張を繰り返していたとすると、これを嘲笑うのは容易いことです。
 
 そして、その部分だけを取り上げて「こいつはバカなんだ」と思い込むことが、実際には彼よりも遙かに知的に劣る私みたいな人間であっても可能になってしまうわけです。
 
 というわけで、我々の主観とは関わりなく、世の中には常に、自分よりずっと頭が良くて、しかも自分と対立する意見の人がいます。
(そしてきっと、互角の相手もいます)
 
 相手方の一部を見て、
「こいつはバカだ」
「奴らはバカばっかりだ」
 と思いたくなることは誰しもあるでしょう。
 
 しかし、敵の長所を認めるよりも、あらを探す方が常に容易いもの。
 
 経済における「中流幻想」とは、所得にかかわらず「自分は中の下」だ、とみんなが思い込んでいる状態を指したわけですが。
 知的水準にも似たような現象があるそうです。
 それは、ほとんどの人間が、自分が知的水準において「中の上」だと思い込んでいる、という幻想です。
(そして、そっちの幻想は今なお崩壊していないわけで)
 
 実際には、自分の目に入っていない部分、無意識に無視している、遙かに知的な相手の存在があるはずだ、ということを、私たちは忘れてはならないのだと思います。
 
*追記
 
 ぜひお返事したいブックマークコメントを頂いたので追記。
 
id:welldefined
>この文に腹を立てる奴は勘違いバカ。たしかにその通りですが。ムキー!/ そういうなら頭のいいレイシストを挙げて欲しいなあ。というと「レイシストはまともな右派ではない」というトートロジーで返されそうだが。
 
 いえ……。
 私も、レイシストなんてバカばっかりだと思います。ええ、もちろん。
 
 ……本文中では偉そうなこと書きましたが、私も主観的には自分は知的に「中の上」だろうと信じているし、論敵はバカばっかりだと感じています。
 客観的に俯瞰したようなことを書きつつ、俯瞰した構図の中から自分自身も全然抜け出せてはいないのです。残念ながら。

*1:“言論”というか“コメント”レベルだったりしますが

*2:特に、比較的若い、物心ついたときにはある程度の福祉政策が実行されていた世代においてはなおさら「既得権益」という認識が強いわけで。

*3: どう見てもやめてないだろ、という指摘は全力でスルーします。
 ええ全力で!

*4: ほんとに愛国的作品なら、オープニングテーマの
カミカゼ スキヤキ ゲイシャ♪ ハラキリ テンプラ フジヤマ♪」
 とかあり得ないわけで……。

*5: でも、「軍歌サイト」で、日本軍の軍歌に混じってこれの音源も並んでたことがありますけどね。
 ……高田渡の「自衛隊に入ろう」に、防衛庁(当時)からPRソングのオファーがあった、という話を思い出します。

*6:っていうか、自民支持者が右派で民主支持者が左派だとは必ずしも思わないんですが。