「違国日記」はいいぞ。

 「違国日記」はいいぞ~。
 ……実はアニメはまだ途中なのですが、原作は全巻持っています。
違国日記(1) (FEEL COMICS swing)
 最初は、漫画喫茶でなんとなく手に取って読み始めたのですが、すぐに衝撃を受けて夢中になりました。
 
 確かその時点で7巻くらいまで出ていたと思いますが、その後も単行本を追い、結局、自分で全巻揃えました。
(単行本の出るのを待つ間、
「同じ作者の別の作品を……」
 と思って「さんかく窓の外側は夜」を読み、それはそれで衝撃を受けたり……。
 でもあれも名作だと思う)
さんかく窓の外側は夜 1 (クロフネコミックス)
 ちなみに奥さんに1巻を勧めたら「BL臭がすごい!」と言われてそれ以上読んでもらえなかった。

「違国日記」は、
 
・交通事故で両親を失った中学3年生の少女、田汲朝
・それを引き取った小説家、高代槙生(朝は彼女の姪)
 
 の2人の同居生活と、その周辺の人々の様子を描いた作品です。(最終11巻で朝が高校を卒業する)
 
 作中、これといって大きな事件が起きるわけではありません。
 しかし、登場人物が魅力的なうえ、2人の心情の変化や、一つ一つの台詞回しがとても巧みに、自然に描かれており、引き込まれます。
 
 ……とても好きな作品なんですが……作中の言葉が選び抜かれているだけに、なかなか紹介するのに勇気がいります。
 
 なんか、
「安直な褒め方をすると、槙生さんに電灯の虫を見るような目で見られそう」
 という気がする。

 添削してもらえるならむしろ光栄ですけども……。
 
 好きなシーンとか挙げたいところですが、正直どこをとっても名場面だし、しかしそのコマだけ切り取っても、知らない人には何がいいのかわからないと思います。
(ていうか、この記事で引用するにあたって名台詞、名場面をキャプチャしようと読み返したら、やっぱり名台詞ばっかりだったし土日が溶けてしまった)
 
 うまく紹介できないので、「私が好きな違国日記キャラベスト3」とか書くことにしました(安直!)。
 それを通して本作の魅力をご紹介できたらと思います。
 
 先に書いておくと、
 
1位:槙生さん
2位:朝
3位:えみり
同率3位:塔野弁護士
 
 という、とても普通の順位です。
 
1位:高代 槙生
 ダブル主人公の歳上の方。
 両親を失って身寄りのない朝を引き取った人です。
 
 葬儀の後、朝を押しつけ合う(それも本人の前で!)親族らの姿が許せず、義憤に駆られて朝を引き取ったのですが。
 しかし、よく考えたら槙生自身は知らない人と接するのが苦手な人見知りで、自分で招いた同居生活にひどく戸惑う……という人。
 
 部屋の片付けとか事務手続きとか自炊とか電話とか苦手で生活力が低い。
 
 同居を始めてすぐの様子。*1

そうじ が すき…?
 

 
 朝の母親……つまり自分の姉との関係が極めて険悪で、許せない思い出、軽蔑すべき理由をたくさん抱えていました。
 しかし、朝と出会ったことで、朝を通して、これまでとは違った角度で姉と向き合わざるを得なくなります。
 



 姉を思い出すたびにすげえ顔する序盤の槙生さん。
 

 姉の言葉に触れただけで呼吸が乱れる槙生さん。
 
 朝の……そしてその両親の家の整理に行くエピソードは、序盤の山場です。

 本作は、彼女が、死んだ姉への凝り固まった思い、姉と自分にかかった呪いを少しずつ解きほぐす物語でもあります。

 
 また、小説家の槙生さんは、言葉をとても大切にする人です。
  
 特に、重要な話題では、決して曖昧な言い方をしません。
 あたう限り的確な言葉を使わずにはいられない人です。
 彼女が朝を引き取ったときの

「わたしは大体不機嫌だし、あなたを愛せるかどうかはわからない。
 でも、わたしは決してあなたを踏みにじらない。
 それでよければ、明日も明後日も、ずっとうちに帰ってきなさい。
 たらいまわしはなしだ」*2

 ……で終わる一連の台詞(本来はもっと長い)は、序盤の山場です。
 この態度が、笠町くん(元彼)が彼女を「苛烈な人」と評する一つの理由だとも思います。
 
 そして嘘がつけない。
 
 朝から「なんでお母さんのこと嫌いなの?」と聞かれた時の反応。
 


 こんなの、
「どうしてもウマが合わない人っているでしょ~大人でもおんなじだよ~」
 とでも言っておけば無難にやり過ごせたのでしょうが、それができないのが槙生さん。
 
 ちなみに、ずっと後にほぼ同じ質問をされたときの反応はこう。

 丸くなってる!
 
 また、槙生さんは、自分が「ふつうの」生き方ができないだけに、他人に何かを押しつけたり、決めつけたりするのを徹底して避けようと常に自省する人でもあります。
(友人にも変わった人多いし)


 あたりまえってことは何もない。
 
 ともあれ、本作は、彼女が朝のことを日に日に大切に思いながらも、ついに「愛している」とは言わない――もうそんなありきたりな言葉で表現できる思いではない――物語でもあります。
 
2位:田汲 朝
 ダブル主人公の歳下の方。
 名前は「あさ」でいいのか? 「あした」とか「とも」とか読むのでは……? と思っていたが、2巻でついに「あさ」であることが判明する。

 槙生さんの言葉を借りれば「愛されることに屈託がない」人。
 
 素直で前向きで、そりゃあみんなに愛されますわよな。
 
 さりとて脳天気なわけではなく、怒ったり泣いたりする場面も度々あります。

 その傷付き方、拗ね方がまたリアルで。
 朝と槙生は、2人とも、それを乗り越えながら互いを理解し、成長していきます。

  
 中学の卒業式直前、「朝の両親が死んだ」ということをクラスメートに周知されてしまい激昂する場面は序盤の山場です。

 この学校の対応ね……どうかな……家庭の事情を他の子に知らせるのはもっと慎重じゃないかな、って気もするけど……でもこういう対応もあり得るのかな……。
 
 一方で、高校デビューと同時に
「親が死んで一緒に暮らしてるおばさんが小説家で~」
 とかぺらぺらしゃべって、そのことを一人で恥じたりする。

 
 そして槙生さんは、憎むべき姉の子が素直で快活なことに戸惑い、その一方で、朝の中に一瞬姉の姿を見てしまったりもする。


 
 朝にとっても、槙生やその知人たちは、想像もしなかった未知の世界との出会いになります。

 

 本作は、朝が槙生という「違国」の人と出会うことで、自分が「当たり前」だと思っていた全てを見つめ直す物語でもあります。
 
 両親を失った直後だけれど、めそめそすることはありません。

 しかし、
「お父さんとお母さんが事故で死んだので…」
 と、日記の文面を考えた途端に手が滑って箸を取り落とすシーンとか。
 突然寝てしまうとか。
 本人も気がついていないだけで、実は無意識にとても衝撃を受けていることは、何度も形を変えて暗示されます。

 本作は、朝が両親の死と向き合い、「死んだ両親は何者だったのか?」を問う物語でもあります。
 
 また、普通の中高生なので、槙生さんと違って言葉に対してそこまで意識的ではない。
 
 朝の何気ない一言について話題にする、槙生さんと友人の作家たちのシーンが印象的です。



 この辺の、語彙、言葉遣いの話も、全編に通底するサブテーマだと思います。



「むげん」。
 
3位:楢 えみり
 朝の親友。
 
 周囲の環境が一夜にして激変してしまった朝ですが、友人のえみりは朝と同じ高校に進学し、良き理解者としてともに歩みます。
(朝はえみりのことを……以前より理解するようになります)
 
 今さらですがネタバレなので畳みます。



 人は、生まれや性別、社会的身分などとは別に
「その人自身である」
 ということ。
「なりたい自分になる」
 ということ。
「どこへでも行けるし何にでもなれる」
 ということ(現実のこの社会はそうではないかも知れないが、本来はそうあるべきなのだ、ということ)。
 
 それが、本作の根幹にあるテーマだと思います。
 


 

 


 


 
3位:塔野和成
 弁護士の人。
 槙生さんが朝の未成年後見人になった時に担当になった、らしい。
 だいぶ脇役だけど、個人的にはえみりと同率3位です。
 
 以前(って3年前!? マジで!?)話題になった「違国日記」批判の記事があって。
anond.hatelabo.jp
 そこでは
「不思議ちゃんのガリ勉弁護士。コイツはまともに人間として描写されてない」
 とか言われていたのですが、私はこの人すごい好きだし共感するんですよね……。*3
 
 この人、悪い人ではないのです。
 むしろ、仕事に熱心で、朝の幸福を願っていて、頭もよくて勉強ができる。
 でも残念なことに共感能力が低くて、他人の気持ちを推測できない人なのです。
 
 そして、何か口に出した後から
「あっ、私、また何か失言を……!」
 とか慌てる。

 
 終盤、大学受験を控えた朝に、
「すみません、私は勉強で苦労しなかったので受験生の苦労に共感できないんです」
 とかバカ正直に謝ってしまう。
 その上で
「がんばってください」
 とか、いかにも定型文の励ましをして大笑いされてしまう。

 
 そういう自分の欠点はよく自覚していて、悩んでもいます。


 同じ事務所の上司(だと思う)から言われるって相当だぞ。
 
 この人は、他人の気持ちがわからない、という社会性の欠陥を、「人権」「子どもの権利」「虐待防止」みたいな外部の倫理指針を内面化することで補い、あとは「勉強ができる」という特技でどうにか人生を乗り切っているのです。
 この点、槙生さんの、やっぱり社会性に欠けるところを「文才」という武器で一点突破して生きている姿によく似ていると思います。
 
 私は勉強も文才もからっきしだけど、非コミュなところだけは同じなので、こういう人たちに憧れるのかも知れません。
 
 脇役は脇役ですが、最終話で、槙生さんやえみりとともに登場する人なので、やっぱり重要な役回りなんじゃないかな、と思います。
 
*まとめ。「違国日記」はいいぞ。
 
 そんなわけで、「違国日記」は本当に名作だと思います。
 
 ちなみに、前掲の批判記事を引用して再び本作を批判してる記事が最近あったんですが。
note.com
 おおよそ、どちらも「男らしさの去勢がうんぬん」「男性社会批判がうんぬん」という批判です。
 
 しかし、ここまで見て明らかなように、本作は、男性にせよ女性にせよ、「普通の」生き方から外れてしまった人、そう生きざるを得なかった人々の物語です。
 
 だって本作、主要な登場人物には「女性らしい女性」もいませんよ?
(えみりの母くらいか?)
 
 槙生さんの友人、醍醐奈々も、こんな述懐をします。

 親の期待に添った「普通の」人生を歩んではいない(しかしそれを後悔してもいない)、という。
 
 一方で、朝の母親は、「普通に生きる」ことへのこだわりが強かったために苦しんでいた、という描写があります。
(朝の両親は内縁関係で……朝の母は、そのことを周囲に伏せていたのです)

 決して、男性だけに「男性社会から降りろ」と要求する物語ではありません。
 男女問わず、多様な生き方があって良いのだ、という話です。
 
 ……いや……実は、それでも私も不自然だと思うところがちょっとあるのですが……(笠町くんが自分語りするところ)、それは別の機会にしたいと思います。
 
 ともかく、「違国日記」はいいぞ。
 

*1:以下、特に断りがない限り、画像は「違国日記」より。

*2:句読点は筆者が補い、改行位置も改めた。

*3: ところで、こういう
「ネット上の他人の言説に異議を唱えたくなった時に記事を書く」
 という姿勢でブログを運営してるから、定期的に「炎上」するのでは……?
 と、最近思い至りました。
 まあ……でも、たぶん今後も、声を上げたくなったら声を上げたい、というのは変わらないと思うのですが。

実家の庭が、渡り鳥の餌場になりました。

 このところ、週末ごとに実家の庭の片付けをしています。
 今日はスコップを持って行きました。
高儀 M&M パイプ柄ホームショベル 剣型
(スコップとシャベルの呼び分けには地域差があるそうです)
 
 片付けているのは、父が育てていた(?)植物の鉢植えです。
 
 父の状況については、また記事を書くつもりでいますが、
「おそらく、もう家に戻ることはない……だろう」
 という状態です。*1
 
 戻ってこないだろうと思っているから、処分を始めているのですが……。
 
 私の実家は、地方の分譲住宅地にある一戸建てです。
 庭が100坪ある……と言うと、すごい豪邸のように聞こえるかも知れません。
 
 さてこの写真を見てください。

 どこの河川敷か耕作放棄地か、と思われるでしょうが、これが「100坪の庭」…の一部です。
 
 よく見ると、枯れ野のように見えるのは園芸店のカゴトレーの集合体で、その中に、朽ち果てたプラ鉢やビニールポットが累々としているのがわかります。

 
 以前の記事で、父の趣味を「多肉植物」と書きました。
父の介護が始まったと思ったら終わった。 - 小学校笑いぐさ日記
 
 しかし、あれは若干事実を単純化した表現で。
 確かに、主に買っていたのは多肉やサボテンなのですが、それ以外にも、蘭だのバラだの果樹の苗だのを買っていました。

(年末に私と出かけた時に買った植物。サボテンが多い。買ってすぐ縁側に入れたのでまだ割と元気)
 
 広い庭のある家にしたのも、父が、趣味の園芸を思う存分楽しめるようにだそうです。
(だから、家の建築面積は庭よりだいぶ狭い)
 
 ……ところが父、植物を買ってはいたのですが、このところ、その多くを、園芸店から買った状態のまま、地べたにおいて放置していたのです。
 その結果としての枯れ野なので、ある意味ではやはり「耕作放棄地」かも知れません。
 
 ビニールポットから出してプランターに植え替えたらしい苗もこんな状態です。

 こういう砂漠化したプランター、空き家の軒先とかにはよく見かけますが。
 中で枯れているのが父が植えた植物なのか、それとも侵入してきた雑草なのか、もうよくわからない状態です。
 
 こう書くと、
「お父さんが入院して家族が放置したから枯れたんじゃないの?」
 と思われるかも知れませんが、父が入院したのは昨年12月末です。
「年末までは元気に育っていた」という状態でないのは、見ればわかるかと思います。
(そもそも「家族が放置した」といっても、冬は水やりもあまりしない方が良い季節ですし)
 
 母曰く、
「それでも、いつもの年なら、秋になると父さんが枯れた草をずいぶん刈り込んだりしてたんだけど、今年は全然手が回らなかったみたいで……」
 とのことなのですが。
 
 しかし、プランターとかビニールポットって、いくら屋外に置いても、1年や2年でボロボロになるものではないと思います。

(プランターがあるのわかりますか……?)
 
 そう考えると、父の易怒性が高まって、母が限界に達したのは確かに昨年12月でしたが、認知症自体は、それよりずいぶん前から徐々に進んでいたのかも知れません。
 
 私も、実家の庭の植物が伸び放題で、特に夏場は見通しが悪くなるほどなのは以前から承知していたのですが、
「まあ、庭いじりは父さんが好きにやってることだし……」
 と諦めて、あまり細かい状況を確認していませんでした。
(見たくなかったとも言う)
 
 しかし、昨年12月26日、父が入院した日の夜、母が、
「霜が当たらないように、動かせる分だけでも縁側に入れてあげよう」
 というので、外に出してあった多肉植物などの鉢を、母と一緒に屋内に運びました。
 
 その時、
「これも運ぶの?」
「いや、いいわよ。何も生えてないから」
「こっちは?」
「それも動かせないから」
 というようなやりとりがあって。
 
 それでようやく、庭にひしめいている鉢の8割ほどが、実際には何も生えていないか、雑草が生えているかの状態だと気付きました。
 元気なのは、数日前に買ったものばかり。(3枚目の写真のサボテンなどがそれ)
 
 もしも前からちゃんと見ていれば、もっと早く父の異状に気付くことができたのかもしれない……と思う一方、「じゃあ一体いつから認知症だったんだ」という思いもあります。
 
 ともあれ、この「耕作放棄地」を放っておくと、夏には雑草が伸び放題になり、ヤブ蚊などの巣窟になってしまいます。
 実家も不快ですが、ご近所にも迷惑です。
 
 さりとて、カゴトレーとビニールポットが敷き詰められた状態では、草刈り機を掛けることもできないし、それどころか足を踏み入れることもままなりません。
 
 そこで、母の意向で、今のうちから少しずつ庭を片付けることにしたのです。
(私としても、実家にこまめに帰って、母の様子を見ておいた方がいい、という考えもあります)
 
 父が買って世話していた鉢植えを、父の入院中に処分してしまうのは、正直なところ罪悪感もあります。
「鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい」みたいですよね。
 
 しかし、前述の通り、このまま、父がいないまま夏になったら管理不能になりますし。
 それに、主治医に、もう自宅に戻るのは難しい、と(その時は)言われましたし……そもそも父自身、全然世話できておらず、ほとんどの鉢はすでに枯れ果てているわけですし……。
 
 まあ……どう書いても言い訳がましく聞こえますね。
 葛藤があるが、やるべきだろうと思っている、というのが正直なところです。
 
 ともあれ、庭の隅を土捨て場に決め、私がそこまでカゴトレーを運び、母が土を空けて、残ったビニールポットを燃えるゴミの袋にまとめる、という分担になりました。
 
 ……と、言うは易し。
 
 つい先日までは、日中になっても土が凍っていて、ビニールポットを逆さに振っても土が出てこない日が続きました。
 
 しかし何より困ったのは、カゴトレーの多くが地面から持ち上がらないことです。
「8割が何も生えていない」
 と書きましたが、問題は残りの2割です。
 
 わかりづらい写真で申し訳ないですが。

 何の木の苗なのかわからないのですが、ビニールポットから地面に根付いてしまったものや、逆に、庭木の根が外からカゴトレーの中に侵入しているものが少なからずあります。
 先週はうっかり持ち上げようとして腰を痛めました。
 
 いや……本当にどれだけ放置したらこうなるのか……?
 
 それで今週はスコップを持って行ったのですが、「トレーの下に差し込んで少し力を入れたら地面からはがせるだろう」などという見通しは甘く、写真の通り、地上部より地下の方がはるかに大きく育っているものが何本もありました。
 
 せっかくここまで育った木を引き抜いて捨てるのはかわいそうにも思えます。
 
 しかし、そもそもこんなトレー越しで根付いたのでは、この先まともに育つはずもありません。
 逆に、こんなにしっかり根を張る苗を何本も買って、正しく地面に植えてのびのび育てていたら、実家の庭は雑木林になってしまったはずです。
 
 いずれにしても、実家の庭はこれらの木を育てられる環境ではなく、買ったのが間違いだったのではないかと思います。
 かわいそうですが。
 
 トレーが大変だった一方、プランターは思いのほか楽に持ち上げることができました。
(持ち上げようとして崩壊するのは除く)
 
 やはり、プランターは地面に置くことが前提なので、根付きにくくなっている……というか、話が逆で、むしろビニールポットやカゴトレーの方が、本来は長期間地面に置くことを想定していないのだ、と思いました。
 

地面から引き剥がして積み重ねたトレー。私が来ない日の間に、母が少しずつ土を空けるとのこと。
 

 それで庭はこんな感じになりました。
 まだ「荒れ地」という感じですが、それでも人間が立ち入ることのできる領域になってきたと思います。
 
 2時間ほど作業して、居間で母とお茶を飲みながら、父のことについてあれこれ話していたら、外で、「チッ、チッ」という鳥の鳴き声がしました。
 
「あれはジョウビタキね」
 オレンジ色の小鳥が、鉢を片付けた後の地面で飛び跳ねています。
youtu.be
「地面を掘り返すと、それがわかって来るのよ。私たちには全然見えないけど、出てきた虫を食べてるみたい」
 確かに、プランターをひっくり返した時に何かの幼虫が出てきたりはしました。
「もう、ここは自分の縄張りだと思ってるのね」
 
 ジョウビタキは、明るく開けた林や公園にやってくる鳥だそうです。
 言い換えると、これまでの実家の庭は、開けた土地ではなかったのかも知れません。
 



 
 ところで、庭の隅に、父が園芸の道具をしまっている物置があります。
 先週、その中にスコップとかクワとか、使える道具が入っているのでは? と思って開けてみたのですが。

 段ボール箱だのスチロール箱だの肥料の袋(中身は空)だのが手当たり次第に押し込まれ、奥に何があるのか全然わからない……というか、そもそも何かが引っかかって戸もこれ以上開かない状態でした。
 
 ……いつから認知症だったんでしょう……。
 

 トラブルの種だった焼却炉。
 父が、隣家の庭先に積んであった木の枝を勝手に持ってきて燃やしたのもこれです。
 1枚目の写真の隅(右上)にもちょっと写っていますが、あの枯れ野のそばで火を焚くとか、実に正気の沙汰ではないと思います。

*1: 細かく書くと、2月に主治医・ソーシャルワーカーと面談して
「自宅退院は困難なので、他の帰住先を探しましょう」
「受け入れてくれるグループホームをこちらで探します」
 と言われていたのだが(それで庭も片付け始めた)、その後、主治医も担当するソーシャルワーカーも交代し、
「3月に面談して今後の方針を話し合いましょう」
 と言われ、
「また方針を話し合うの? まさか『やっぱり自宅退院を目指しましょう』とか言われないよね?」
 という状態になっている。

「モアクト」のアイドルマスターコラボスイッチの引き換え期間が延長されていますよ、というお知らせ。

 同僚プロデューサーの皆さんこんにちは。
 
 以前、「社会貢献」「ソーシャルグッド」を掲げるポイ活アプリ、「モアクト」について書きました。
「社会貢献アプリ」は、ウェブ広告の理想型なのかも知れない。 - 小学校笑いぐさ日記
 
 で、このモアクトが、2025年10月27日から2026年1月30日まで、アイドルマスターとコラボしていたわけです。
(限定コラボグッズなどは、今でもポイントと引き換えることができます)
 
 また、アプリのホーム画面にも、期間中はアイドルマスターのアイドルがランダムで表示されていました。
 癒やされる。

 このホーム画面の表示は、コラボ期間中に提示される、各アイドルごとの「スタンプラリーミッション」をクリアすることで、期間後もそのままにできます。
 
 ……と理解していたのですが。
 
 1月31日、モアクトを起動したら、スタンプラリーは全部クリアしたはずなのに、ホーム画面がコラボ前のものに戻っていて愕然。

 誰だお前!?
(公式マスコットの「タネクト」です)
 
 そこで改めて確認したら、

※着せ替えアニメーションの交換は、コラボ期間中(2025/10/27~2026/1/30)のみになります。
※交換した着せ替えアニメーションはコラボ期間終了後も使用することが出来ます。

 ……とあって、コラボ期間後もホーム画面を維持するためには、ミッションをクリアするだけではなく、クリア後にアプリ内でポイントと引き換えを行う必要があったのでした。*1
 
 なんてこった……。
 
 たかがホーム画面、と思われるかも知れませんが、コラボミッションをコンプリートするの結構大変だったので……。
(一番大変だったのは、相葉夕美さんの4つ目のミッション
「生花をドライフラワーにして楽しもう」。
 周防桃子さんの2つ目
エコレールマークを見つけよう」
 も地味に大変だった)
 
 ともあれ、ちゃんと注意書きを読まない私が悪い。
 大変がっかりしたのですが、どうにも諦めきれず、「お問い合わせフォーム」から、
「今からでもなんとか引き換えられませんか」
 というメールを送りました。
 
 まあ無理だろ、とは思ったのですが、とりあえず問い合わせて断られれば諦めもつくので……。
 
 すると4日後、メールに返信があり、

こちらモアクト運営事務局です。
 
モアクトをご利用いただき、ありがとうございます。
また、お問い合わせありがとうございます。
いただきましたお問い合わせについて、以下ご回答いたします。
 
ご案内までお時間を要してしまい、恐れ入ります。
 
本日、方針が決定し、
コラボ限定スイッチの交換期間を下記のとおり延長することとなりました。
 
【コラボ限定スイッチ交換期間】
~ 2月10日(火)23:59まで
 
交換がお済みでない場合は、上記期間内にお手続きいただきますようお願いいたします。
 
ご不明な点等がございましたら、引き続きお問い合わせください。
今後ともモアクトをよろしくお願いいたします。

 わあ神対応
 
 なんでも問い合わせてみるものですね……。
 
 いや、「私の問い合わせで運営が動いた」などと言うつもりはなく。
 たぶん、同様の問い合わせをしたプロデューサーさんが多かったのだろうと思います。
(注意書きをちゃんと読まない間抜けが私だけだとは思いたくない)
 
 そんなわけで、無事、限定スイッチ(ホーム画面のアニメーションのこと)と引き換えることができました。

 正直、SideMの方とかよく存じ上げないのですが、同じアイドルマスターの一員として応援しています。(みんマス穏健派)
 
 ともあれ、延長された期限である2月10日まで残りわずかです。
 ご存じなかった方はどうぞお急ぎください。
 
 ……というわけで、モアクト公式の対応には本当に感謝しているんですけれども……。(お礼のメールも送りました)


 でも、公式Xッターがこうして呟いてはいるものの、公式サイトには依然として
「着せ替えアニメーションの交換は、コラボ期間中(2025/10/27~2026/1/30)のみになります」
 って書いてあるんだよな……。
service.moact.jp
 やっぱり、そもそもの周知が足りなかったんじゃないかと思ってしまったり。
(自己弁護)

*1: ホーム画面の変更に必要なポイント「トク」は、Amazonギフトなどと引き換えられる「NORM」ポイントとは別。コラボグッズとの引き換えには「NORM」の方が必要。

ビギナーモード。

 知的障害特別支援学級では、その子の実態に合わせて授業を行います。
 そのため、必ずしも当該学年の教科書を使わなくてもいいことになっています。
 
 3年生のA君は、4月の時点では、足し算と引き算の違いがわからない状態でした。
 
「3+1」
 という問題を見ると、しばらく指をあれこれした末に
「4!」
 と答えるのですが、その後
「3-2」
 など見ると、やっぱり指をあれこれした末に
「5!」
「残念、そうじゃない」
「なんでだよ!(怒)」
「怒られてもなあ……」
 
 しかし今では、足し算と引き算を見分けられるのはもとより、「12-5」のような、くり下がりの引き算もできるようになりました。
 
 そんなA君にプリントを渡すと、
「先生、これ何年生の問題?」
「何年生だろうなあ……」
 
 もちろん、彼がやってるのは全部1年生の問題なんですが、それをはっきり言うとプライドを傷つけるのではないか。
 
「これ何年生の問題?」
「3年生かなあ……」
 
「これ何年生の問題?」
「これは2年生の復習かなあ……」
 
 そんなやりとりを続けたある日、
「ねえねえ先生、これは1年生の問題?」
「そうねえ……。それは1年生くらいかもなあ……」
 
 するとA君、
「やった! マジで? マジで1年生の問題!?」
 と大喜び。
 
 ……どういうことなの……。
 
 なんでしょうか、自分の学年より下の問題……簡単な問題をやっていることに、ある種の「お得感」があるんでしょうか。
 
 そんなわけで、彼に「これ何年生の問題?」と聞かれた時は、いつも正直に「1年生だよ」と答えることにしました。
 
 しかし問題発生。
 
 今度はA君、同じ教室の他の子がやっているプリントを覗いて
「先生、これは何年生の問題?」
 
 それは教えられない……。

父の介護が始まったと思ったら終わった。

 結論から書くと以下の通りです。
 
・親の様子がおかしいと思ったら、早めに地域包括支援センターに相談しよう。
・市の福祉課、高齢課などにも相談しよう。必要なら警察にも躊躇無く相談しよう。
・「一人で抱え込んではいけない」とわかっている人も、いざその立場になると相談を後回しにしがちなので気をつけよう。(徐々におかしくなるので相談のタイミングを逸する。ゆでガエル理論)
・親の様子はなるべく頻繁に確認しよう。
 

あらすじ。

2025年12月上旬
 この頃から父の易怒性が高まり、同居する母に怒鳴り散らしたり、近隣の家とトラブルを起こしたりする。警察を呼ばれる、自分から警察に苦情を言いに行くなどする。
 
12月20日(土)
 母からSOSのLINEが来て状況を知る。地域包括支援センターへの相談を勧める。
 
12月22日(月)
 母、地域包括支援センターに相談に行く。その間、私が有給休暇を取って父と出かけ、時間を稼ぐ。対応した私、やはりこれは認知症では、と感じる。
 
12月23~25
 この3日の間、私が時間休(1時間、2時間、4時間)を取得して実家に戻り、その隙に母が市役所や病院などで相談したり、各種手続きを進めたりする。
 
12月26日(金)
 地域包括支援センターより、当日の午前、県立精神衛生病院の受診予約に空き時間がある旨連絡を受ける。
 父と母と私の3人で県立病院を受診。その日のうちに入院(医療保護入院)が決まる。
 

くわしく。

 なぜ詳しく書くかというと、色々衝撃的な経験だったので、文章の形で吐き出したいからです。その細部が誰かの役に立てばいいと思いますが確信はない。
 
 2025年の12月20日(土)朝、母からLINEがありました。
 
「電話してください。ちょっと父さんのことでそうだあがあります。決していい話ではありません」
 
「そうだあ」は原文ママ
 以降も、母が送ってくるLINEはいつになく誤字が多く、わずかな時間に急いで送っている様子が感じられました。
 
 慌てて母に電話したところ、以下のような状況だとのこと。
 
・最近、父がひどく怒りっぽく、突然興奮して怒鳴り出すことがある。
・夜中に何度も目を覚まし、「お前のいびきがうるさくて眠れない!」と怒る。
・早朝から近所の家の玄関で騒ぐなどし、警察を呼ばれたこともある。
 
 母の要望としては、
「ドラッグストアで、いびき防止グッズと、眠れる薬を買ってきて欲しい」
 ということでした。
 
……いや……それは……。
 
 いびきの問題ではないのでは?
 
私「それは地域包括支援センターに相談した方がいいよ。LINEで、そっちの支援センターの連絡先と住所を送るから。
 薬とかは今から買っていくけど、ドラッグストアで売ってる睡眠改善薬はすぐに耐性ができちゃうから、精神科を受診しないといけないと思うよ」
母「父さん、医者嫌いなのよね……。もらった薬も飲まないし……。
 あと、ネットで調べたら、市役所が月に一回『お困りごと相談室』をやってるらしいから、そこに相談しようかと思って……」
私「もちろんそこにも相談したらいいけど、先に支援センターにも行った方がいいと思うよ」
 
 地域包括支援センターのことを知っていたのは、この本を読んでいたからです。
知っトク介護 弱った親と自分を守る お金とおトクなサービス超入門
 この本は役に立ちますが、しかしとにかく覚えておくことは「センターに相談しろ」だと思います。
 
 そんなわけで、母は2日後の月曜日に支援センターに相談に行くことになりました。
 
 とはいえ、母は父と2人暮らしです。
 その父は、目を離すとどこで何をするかわかりません。
 だから1人にはしておけません。
  
 実際、この後も、
 
・突然激昂して「出て行け!」などと怒鳴る。家から押し出そうとする。(刺激しないようにしていても、過去の嫌な記憶がフラッシュバックして、何の前触れもなく怒り出したりする)
・近隣の家に意味不明な文句を言いに行く。
・隣家の庭に剪定した枝が積んであったのを勝手に持ち去って、自宅庭先の焼却炉で燃やす(条例違反。……っていうか普通に窃盗では……?)*1
・ノコギリを持ちだして他人の家の木を切る。
 
 といった行動が見られました。
 
 だから父を家において出かけると危険なのですが、かといって、支援センターへの相談に父を連れて行くわけにもいきません。
(本人の目の前で「この人がこんなことをするので困っている」とは言えない)
 
 そこで、私が年次有給休暇を取得して父の面倒を見、その間に母があちこち(支援センターや市役所、病院など)へ相談に出かける、という態勢になりました。*2
 
 年齢を考えると、私が動く方が体力的には楽なのですが、実際に父の普段の様子を見ているのは母です。
 私が窓口に行っても、
「これこれこんな問題行動がある……と、母が言っています」
 という伝言ゲームになってしまうので、申し訳ないながら、母に動いてもらう形になりました。
 
 すでに年末であり、病院も関係機関も年末年始の休暇に入ろうとする時期でした。
 
 支援センターからは、
「隣市のN沢精神科がこういうケースではお勧めです」
 と教えてもらったものの、そこを受診するにはかかりつけ医の紹介状が必要。
 
 紹介状は取ったものの、年内の受診はもう無理、年始の診察は1月5日(月)から始まるが、順番待ちになる……といった話でした。
 
 これは長丁場になる。
 そう思っていました。*3
 
 気丈な母ですが、この頃は父が「いびきがうるさい」というのでまともに布団で寝ることもできず、毎晩こたつで仮眠していました。
 食欲も失せて、甘いものしか食べられないとか。
「私はやらないけど、介護殺人とかする人の気持ちもわかるわね……。私はやらないけど」
 と漏らす有様。
 
 このまま、もし母まで倒れたら一体どうすればいいのか。
 
 ところが、12月26日(金)のこと。
 
 学校が冬休みに入って、朝から実家にいた私が、
「父さん、今日もどこかに出かけようか」
 などと話していたところ、支援センターから電話が。
 
 曰く、
 
・N沢精神科は、1月6日(火)に受診できることになった。
・それとは別に、本日11:30に、県立精神衛生病院の予約が空いており、希望があればそこで診察を受けることができる。
 
 N沢精神科を年始2日目に受診できるのも予想外に早く、ありがたいのですが、その前に県立病院の受診ができることになったのは願ってもないことでした。
 とりあえず、そこで精神安定剤でももらえば、N沢精神科を受診するまで乗り切れるかも知れません。
 
 とはいえ、空いている時間はそこだけ。
 道のりを考えると、あと30分以内に出発しなければなりません。
「まだ飯食ってねえんだよ」とか「なかなか小便が出ないんだよ」とか「多肉を外に出してから」とか言う父をなだめすかして車に乗せ、どうにか時間ギリギリに病院に着きました。
 
 初診相談医は、佐藤先生(仮名)という若い男の先生。
 父・母・私の3人が診察室にいるのに
「それで、お困りのことは何ですか?」
「怒りっぽくなったのはいつからですか?」
 などと大声で聞くのでハラハラしましたが、父はそういう質問はスルー。
 診察中だというのに
「小便行ってくる」
 と何度も中座しました。
 
 本人がいない間に、母と私は最近の父の様子について急いで説明しました。
 
 こちらとしては、6日にN沢精神科を受診する予定であることも含め、支援センターからある程度こちらの状況は伝わっているものだと思っていました。
 しかし、実際には、受付で問診票に書いた以上の情報は伝わっていないことがわかりました。
 
医師「お家で見ることは難しい感じですか?」
母「はい」
医師「それで、ご家族のご希望としては…」
私「6日にN沢精神科を受診するので、とにかくそれまで、預かっていただけるとか、気持ちが落ち着く薬を処方していただけるとかすると助かるのです。そして、今日、先生が診断してくださった結果を、N沢精神科の方にもお伝えいただけると…」
 
 ところが、そんなこんなで3・4回目くらいのトイレから戻った父、何やら興奮して、
「佐藤さんね、あなたのぉ、名前が、ないんだけど! どういうことなのか、説明してもらえますか!」
 と、医者に詰め寄りました。
  
 どうも、待合室脇に掲示してある「曜日別 診療担当医一覧」に、佐藤先生の名前がない、と言っているようです。
 
 佐藤先生は、
「今日は診療担当ではなくて、たまたま初診担当でここにいるだけなので、名前がないのは当然です」
 と答えるのですが、父は
「なんだかわかんないよ! わかるようにね! 説明してください!」
 そこからどんどん興奮して、
「私はねえ! 30年間、国のために勤めて!」
「この国はどうなるんだって言ってるんですよ! わかりますか!」
 などと、大声で関係ない話を始めました。
 
 佐藤先生はそっとこちらを向いて、
「家でもこんな感じなんですか」
 母と私はこくこくとうなずきました。
 
 実のところ、父が荒れている様子は、家にいる時、スマホで何分か撮影していました。
 高齢者が、病院の受診や介護保険の認定調査の時だけ「いい子」になってしまう、という話はよく聞くので、その時に見せようと思っていたのですが、まあそれは必要なくなったわけです。
 
 佐藤先生としては、内科的・外科的な病気の可能性もあるので、血液検査や尿検査、レントゲン、脳CTなどの検査をして、それから考えましょう、とのこと。
 ここは精神科が専門で、内科・外科などには対応できないので、そういう病気が見つかった場合は、別な病院を受診してもらう必要がある、と言われました。
 
 検査技師が父を連れて行った後、母と相談。
 
母「……この後、内科とか脳神経外科とか予約取って、父さんを連れていけると思う?」
私「無理じゃないかなあ……。もう一つ病院に行こうなんて言っても父さん聞かないだろうし、そもそも午後の診療がもう終わっちゃうし……」
 
 しかし、明日には、どこの病院も年末年始休暇に入ってしまうのです。
 
 しばらくして、別な診察室に呼ばれました。
 
 まず、先ほどの佐藤先生から、検査結果の説明。
 
 脳が年齢相応に萎縮していること、やや血圧が高いことなどの他は異状がないとのことでした。
 
 そして、そこで別な女性の医師と交代。
 後でわかるのですが、これが精神保健指定医鈴木先生(仮名)でした。
 
 鈴木先生は、穏やかかつにこやかに、父の体調などを尋ねました。
 
 父は、
「体調が悪くなったのはいつ頃ですか?」
 に対して、
「やっぱりね、生育歴だと思うんですよね! 私は、厳父に育てられましてね! とにかく大きい声出せ、無駄話はするなって……」
「わけのわからない奴ばっかりなんですよ!」
「だからね、国を訴えてやろうかと思ってるんですよ!」
 などと、全然関係ない話をしたり興奮したりすることがしばしばありましたが、とりあえず、鈴木先生に対しては怒ることはありませんでした。
 
 その後、鈴木先生は、
「手足に痛みがあるということですよね。当院は精神科専門なので、内科的な治療は行えないんです。でも、神経の痛みに精神的なものが影響していることもあるので、入院していただいて、そういう方面から治療してみることはできます」
「お話を聞いていると、最近忘れっぽいとか……怒りっぽいといったことでお困りなんですよね。そういったことはこの病院は専門ですから、一度入院していただいて、しっかり治療を受けてはいかがですか」
 と、何度か入院を勧めるのですが、父はその都度、
「いやあ、今は無理ですね! もう少しあったかくなったら!」
 と言って断りました。*4
 
 聞いている母と私は、ここまできて
「ご本人に入院の意思がないので、残念ながら今日はお引き取りを」
 となってしまうのではないかとハラハラしました。
 
 傍から、
「入院中、植物は私と母さんで世話をするから」
 とか、
「あなたが実家に行く時は私が世話してるじゃない」*5
 などと声を掛けるのですが、父は、
「口先ばっかり!」
 だとか、急に鬼の形相になって
「個人情報を、漏らすな!」
 と怒鳴ったりで、承服しません。
 
 この前後から、診察室に妙に人が増えてきました。
 
 医者が2人いることに加え、寝台の上ではさきほどの検査技師が座ってずっとメモを取っているし、診察室の奥には女性看護師がいて、眉を寄せてじっと父を見ているし、戸口の向こうには、いつの間にか背の高い男性看護師が黙って立っているし……。
 
 そして、父が何度目かに入院を断ると、鈴木医師の声のトーンが一段階下がりました。
「……そうですか。それでは、入院に同意していただけなかったのは残念なのですが、本日、入院していただきます。こちら、告知の資料です。患者さんと、ご家族に一部ずつ」
 と、両面印刷の書類を一枚ずつ、父と母に手渡しました。
 
 父は途端に「なんだとぉ!?」と怒鳴って立ち上がり、受け取った紙をくしゃくしゃにして鈴木医師に詰め寄ろうとしたのですが、それと同時に、控えていた検査技師や男性看護師らがわらわらと集まってきて、
「ああ、お父さん、急にどうしたんですか」
「さ、先生の説明を聞きましょうね」
「まあ座って……横になった方がいいかな」
 などと父を囲んで立ち塞がりました。
 父は
「お前らみんな訴訟だ!」
 などと大声でわめきますが、その傍らで、鈴木医師は
「入院日は、本日から最大3ヶ月間、3月26日までです。入院理由は、精神運動興奮状態と、認知症状態にあって、外来では充分な治療が行えず、手厚い治療を行うためには入院が必要であると認められたためです。入院者は、入院中、人権を擁護する行政機関の職員や、入院者の代理人である弁護士との電話、面会は制限されませんが、それ以外の人との電話、面会は……」
 と、淡々と告知を続けました。
 
 書類の最後まで「告知」が終わると、寝台に仰向けにされて騒ぐ父をよそに、鈴木医師から
「それでは、入院の手続きなどについて別室でご説明がありますので、ご家族の方はいったん廊下に出てください。係の者がご案内します」
 と言われ、母と私は廊下に出されました。
 看護師が、別な看護師に「ストレッチャー持ってきて」と囁いているのが聞こえました。
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 今のところ、父の姿を見たのはそれが最後です。*6
 
 その後は、ソーシャルワーカーさん(「退院後生活環境相談員」。法令上、入院から7日以内に選任しなければならないことになっているが、我々が廊下に出たらもうそこにいた)や、医療事務の方からあれやこれや説明を受け、終わった頃にはもう日が暮れていました。
 
 最後に、病棟に案内されました。
 といっても、ほんの入口だけですが。
 
 入院に必要な生活用品について説明を受けて、
「ではこれ、洗濯物です」
 と言われて、ビニール袋を渡されました。父がついさっきまで着ていた服(下着も)でした。
 ポケットにくしゃくしゃに丸めた紙が入っていて、さっきの告知事項を書いた紙でした。
 
 父は今は保護室にいる、と言われました。
(たぶん、私がこれを書いている今もそこにいると思います)
 
 翌日(12月27日)、歯ブラシやら替えの下着やらを揃えて病棟に持って行ったところ、受け取った看護師さんから父の様子を聞くことができたのですが、
 
・本格的な治療はこれからだが、「合成の薬は飲まない」と言っているので、投薬治療をきちんと受けられるかがまず課題。
・ただ、昨日は処方された睡眠薬を飲んでいた。
・食事も残さず食べている。
・トイレに何度も出入りして「出ない」と言う様子が見られる。
・昨日は、ドアを蹴ることが2回あったが、他に暴力的な行動は見られない。
・大抵の患者さんは、入院直後、保護室に入ると「出してくれ」とか「家に帰る」とか言うのだが、それが全くないのがかえって不思議。
マットレスや、着ていた服を全部脱いできれいに畳んで、全裸で床に寝ている。
 
「おうちでもそんな感じでしたか?」
「いえ、全然そんなことはなかったです……」
 
 さらに翌日(28日)、病院から母に電話で色々と連絡がありました。
 主に、服用中の薬(血圧とか、白内障とか)に関することだったのですが、その中で父の様子について尋ねると、
 
・今日は、家から届いた服を着ている。
・トイレに何度も出入りしている。
・「毒が入っているかも知れない」と言って、出された食事に口を付けない。
 
 とのことでした。
 昨日は食べたんじゃなかったのか。
 

ふりかえりとこれから。

 
 結局のところ、「地域包括支援センター、グッジョブ」としか言いようがありません。
 
 世間では、長期にわたる認知症の介護で疲弊して悲惨なことになる家族も多いと聞きます。
 私自身、かなり長期の介護が必要になるであろうことを半ば覚悟して臨んでいたのですが、一週間足らずで入院が決まったので驚きました。
 これは、なんと言っても、あちこちの病院に連絡を取って、年末休業ギリギリに受診可能な病院を探してくれたセンターのおかげだと思います。
 
 とはいえ、受診して即日入院が決まったのは、父が
「誰がどう見ても自宅で面倒を見るのは不可能」
 な状態にあったからだと思います。
 
 どう見ても自宅で面倒を見るのが不可能な父を、一ヶ月近くにわたって自宅で面倒を見た母の心労は想像するにあまりあります。
「毎日、朝が来るのが怖かった」
 とのこと。
 
 その母に、支援センターに連絡するよう勧めたのは私であり、まあ、それは私の「手柄」ではあります。
 しかし、そもそも私がもっと頻繁に実家に帰っていれば、もっと早く父の異変に気付くことができ、センターにも早々に連絡できたのではないかとも思います。
 
 母曰く、
「ニュースとかで、介護殺人なんかの話を聞くと、
『一人で抱え込まないで他の人に頼れば良かったのに』
 って思うけど、自分がその立場になるとダメね。
『私がもうちょっと頑張れば、そのうち元の生活に戻れる』
 って思っちゃうのよね。
 毎日怒鳴られても、段々慣れちゃったりして……」
 とのこと。
 
 実態としては「そのうち元に」どころか、
「気持ちが落ち着く時もあって、そうすると
『昨日はフラッシュバックしちゃったな』
 とか自分で言う時もあるんだけど……正気に返る時間が毎日段々短くなってるのよ」
 とのことだったのですが。
 
 危ういところでした。
 
「暴力だけは振るわない」
 ……と母は言うし、それは確かなのですが、私を家から押しだそうとしたことはあったし、脱いだ靴下を投げつけようとしてやめて下に置く、といった行動も見られたので、紙一重だったのではないかと感じます。
 興奮しているせいもあるのか、意外と力が強いので驚いたし、危険も感じました。
 近所で暴力沙汰など起こす前に入院できたのは、単なる幸運だったように思います。
 
 母は、我々の親世代に共通の特徴なのかも知れませんが、他人に頼るのを控えるところがあると思います。
 
 県立精神衛生病院を受診した際、問診票に
「Q:何がお困りで来院されましたか」
 という欄があり、母が記入しているのを覗いたところ、母は
「感情の起伏が激しい」
 と、一行だけ書いて提出しようとしたので、
「いや、困ってるのそれだけじゃないでしょ! ちょっと貸して!」
 と私が横から預かって、
「突然興奮して怒鳴り出す。早朝から近隣の家の玄関に押しかけて騒ぐなどしてトラブルになり、警察を呼ばれたことも複数回ある。隣家の木を無断で切るなどする」
 等々と書き足す、という一幕がありました。
 
 他人に窮状を訴えるのに控えめなのは、美徳かも知れません。
 しかし、それで本人が倒れては何にもなりません。
 その点、我々子ども世代がよく気をつけなければならないのかも知れません。
 
 また、まったく端折ってしまいましたが、妻(市役所勤務)からも、
「福祉課で介護保険の相談をした方がいいよ」
 と助言され、それを受けて母が相談に行きました。
 
 ところが、一通り話を聞いた母は、そのまま帰ってきてしまい、
「介護って言っても、父さんはトイレとか身の回りのことは自分でできるし、あんな怒りっぽくちゃデイサービスにも行けないだろうし、介護保険を使うイメージが湧かなくて」
 と言うのです。
 
 いやいや。
 認知症で怒りっぽい人の対応も介護保険の範囲ですし。
 審査するのは向こうなんだから、こっちが先に遠慮することはないと思うのですが。
 とにかく申請だけでもするよう母を説得して、改めて市役所に行ってもらいました。
 
 その時点で、妻の義母がせっかく窓口に来たのに、話だけ聞いてそのまま帰ってしまった……というのは、福祉課担当者と妻の間で話題になっていて。
 その母が、
「申し訳ないんですけど、息子の勧めでもう一度来ました」
 とやって来たことについて、私は妻から「GJ!」のLINEスタンプを送られました。
 
 ともあれ、そうやって、受けられるはずの支援を遠慮している老老介護世帯って、世の中には相当あるんじゃないかな、と思わされました。
 
 なお、要介護認定調査については、その後当人の入院もあって二転三転したのですが、今のところ、
「調査員が1月後半に病院に伺って調査を行いますね」
 ということになっています。
(本当は、母と私も同席するつもりだったのですが、「ご家族の立ち会いは難しい状況」らしい) 
 
 あと、これも妻の話ですが、市役所は警察からも情報提供を受けているので、警官が見て「あっこれはヤバいぞ」と思ったケースは市役所にもその状況が共有されている模様です。
 今回、福祉課の担当者は父の様子を実際に見たわけではありませんが、警察から
「どこそこのK村さんの旦那さん、最近近隣の住民から110番通報を受けたり直接交番に来たりしてるんですが、その様子を見ると……」
 といった話を受けて、ある程度客観的な状況を知っていて、その上で対応してくれたものと思われます。
 

これから。

 
 今後がどうなるのかはまだわかっておらず、心配しています。
 
 タイトルに「介護が終わった」とありますが、お気づきの通り、それはまあ釣りタイトルで、実際にはまだ終わっていません。
 父はまだ70代後半で、佐藤医師が検査結果について言ったとおり、身体的にはだいぶ元気です。
 
 一方、鈴木医師の告知にあったとおり、法令上、医療保護入院は3ヶ月が上限です。
 期間の終わりに「医療保護入院者退院支援委員会」が開かれ、必要と認められれば延長されることがあります。
 逆に、医師の判断でそれより早く退院することもあるとのことです。
 
 父が、ちゃんと元気になって……つまり、
「あの時は俺はちょっとおかしかったんだよ。母さんには迷惑掛けてすまなかったな」
 となって、病院から出された薬もちゃんと飲むようになって、近隣の方と穏やかに過ごせる状態になって退院するなら、それはとても素晴らしいことです。
 
 しかし、実のところ、父が病院の薬をちゃんと飲まないのはずっと前からです。
 
 またいつ爆発するかわからない状態なのに、
「だいぶ落ち着いたようなので、あとはお家で様子を見てください」
 とか言われて退院になったら大変なことになります。
 
 次に興奮状態になったら、何を言ってもたぶんもう絶対病院に行かないだろうし。
 
 ソーシャルワーカーさんからは、
「退院後は、デイサービスに通うとか、あるいは高齢者施設に入所することになりますね」
 といったお話を聞きました。
 
 しかし、高齢者施設は、刑務所ではないので(医療保護入院でもないので)、本人が自分の家に帰ると言ったら帰さざるを得ないのだとか。
 
 このあたりは、まだ予断を許さないところだなあ、と思います。
 
 ……ともあれ、医療保護入院については、少し前にニュースを読んだところでもありました。
digital.asahi.com
 医療保護入院は、本人の意思と無関係に入院させる制度です。*7
 万一悪用されると、非常に危険な仕組みなのは確かです。
  
 しかしながら、自傷他害のおそれがあり、なおかつ本人に入院の意思がない患者、というのは間違いなく存在します。
 適切な運用がなされているかの確認は必要だと思いますが、制度自体は必要なものだと痛感します。
 
 父が入院した後、母は、菓子折を持って、近所のお宅や警察署にご挨拶に伺ったのですが、「入院した」と聞いた人たちが一様に
「よかったですね!」
「お母さんも、これで少し心労が軽くなりますね」
 等々と喜んでくださったのが印象的でした。
 
 母は、
「みんなが良かったって言ってくれるのなら良かったのかしらね……正直、少し胸が痛むんだけど……」
 と言うのですが。
 

そのほか。

 
 母によれば、父の易怒性が高まったのは12月上旬頃からで、その進行は急激でした。
 
 それ以前から、少しずつ老化が進んでいるのは感じていたものの、ちょっと前には、自分でマイナンバーカードの更新に行ったりしていたのです。
 認知症って、少しずつ進行するイメージがあったのですが、こんなこともあるのか……と驚きました。
 
 その状態の父と私が接したのはほんの数日でしたが、その間、訳のわからない怒り方をするのももちろん困ったものの、それ以外で印象的だった話。

・田中さん(仮名)探し
 
 元同僚の「田中さん」を探して、あてもなく訪ねて回る活動です。
 
 急に車を停めさせて、「田中さんの家がこの辺のはずなんだよ」というので、てっきり知り合いのお宅なのかと思ったら、
「ここは古そうな屋敷だから知ってるんじゃないかと思うんだ」
「えっ、ここ知らない人の家なの?」
 
 勝手にお屋敷の庭に入って、インターホンを押す父。
 出てきたお家の方に尋ねようとするのですが、そもそも発音がもごもごしている上に、
 
「あのー、私の同僚なんですが。教えて欲しいんです。総務のね? フラメンコをやってて…」
 
 みたいな調子なので、先方は「なんか変な人が来た」感がありありとしています。
 後ろから私が
「ええと、急にすみません。これは私の父で、元同僚の、田中さんという方を探しているようなんですが、ご存じありませんよね。ありませんね? ありがとうございました。ほら父さん、知らないってさ。行こう。すみませんお邪魔しました」
 
 という感じで切り上げたのですが、父はなかなか納得せず、結局その後もお屋敷を3軒回る羽目になりました。
 完全に不審者扱いされて、身分証を出せとか言われたりしました。*8
 
「田中さん探し」を始める直前、父はスーパーの青果売り場に寄って、パック入りのパイナップルなど買っていたのですが、それは「田中さん」へのお土産にするつもりだったらしい、ということが後でわかりました。
 数十年ぶりに同僚を訪ねるなら、手土産はスーパーの見切り品じゃないほうがいいのでは……っていうか、そもそも突然訪ねないで欲しい。
 
・フレンドリー(?)
 
 父は昔から人付き合いが苦手でした。
 電話が鳴っても出ないくらいで、実家に固定電話しかなかった頃はたいへん困りました。
 
 それが、知らないお宅に飛び込み訪問するというのは、家族から見るとそれ自体異常行動です。
 
 加えて、私が父を警察署に迎えに行った時、今まで相手してくれていた警察官に向かって
「じゃあね、ショウちゃん!」
 と言って手を振ったりしていたのは、家族でなくても異様さを感じると思います。
 
 それでいて、後になると「警官のくせに何にも知らないんだからな」「3時間も缶詰にされた」「訴えてやる」とか怒っていたのでわけがわかりません。
 3時間も相手してくれた警察の方には本当にお世話になりました。
 
 そして特におかしかったのが、県立精神衛生病院に行った時で、やたら若い女性に声を掛けるのです。
 受付の女性に「ロングヘアですね」とか余計なことを言ってみたり、診察前の問診に来た女性看護師にも同様に声を掛けて軽くあしらわれたり。
 挙げ句の果てに、病院のスタッフでない待合室の患者さん(か、その家族かも知れない)にまで声を掛けたり。
 
 スタッフはまだしも患者さんはまずいと思ったので止めようとしたのですが、私が近づいていったらぱっとやめて、母の隣の席に戻って、
「妬いたか?」
 とか言ってる。
 そして、島倉千代子の「人生いろいろ」なんか歌い始める。
「〽人生いろいろ 男もいろいろ 女だっていろいろ 咲き乱れるの~」
 
 馬鹿じゃないの?
 
 ……いや、馬鹿っていうか認知症なんでしょうけれども……。
 
 元来、父は酒もたばこもパチンコ等もやらない、謹厳というか堅物だと思っていました。
 
 看護師にセクハラする入院患者がいる、という話は聞いたことがありますが、よもや父がその予備軍になろうとは、想像もしませんでした。
 
 怒鳴り散らされるのもけっこうメンタルに来ましたけど、むしろそういう姿の方が見たくなかったかも知れない……。

*1: 実家の焼却炉は、かつて市の補助金をもらって購入したものです。
 かつては、ゴミ排出削減のために、各戸でゴミを焼却することが奨励されていた時代があったのです。
 もちろんそれはずいぶん昔のことで、今は禁止されているのですが……。

*2:冬休み前の終業式の日も、午後は休暇を取らねばなりませんでした。快く了承してくれた、校長や主任、隣のクラスの担任、副担任の皆さんに感謝。すまん子どもたち。

*3: 認知症とはちょっと畑が違いますが、発達障害の疑いがある子が医療機関の診断を申し込んだ場合、受診は何ヶ月も先になるのが普通なので、そういうイメージでした。

*4:なぜ「あったかくなったら」なのかというと、趣味の多肉植物の世話が心配だから。……でも、春でも夏でも植物の世話はあるわけで、むしろ冬が一番暇な時期だと思う。

*5:今は空き家になっている父の実家。時折、父は泊まりがけでそこに行っている。

*6:病院には何度か訪れていますが、まだ保護室にいるので面会できないのです。父には「ご家族が何度も来ている」と伝わってはいるらしいのですが。

*7: 父の場合、何度か入院を勧められた時に本人が承諾していれば「任意入院」になっていたはず。

*8: それでも、
「じゃあ、寒くなってきたから、あと一軒だけ行ったら終わりにしようね。次で最後ね」
 という約束をする形で切り上げられたのは、特別支援教育の経験が役立っていると思います。

おハーブ生えますわ。

 3年生のS君は、廊下を走ったりテーブルに乗ったり落ち着かない子です。
 言葉も荒っぽく、ちょっとしたことで「うるせえよ!」だの「ふざけんな! 死ね! カス! ゴリラ!」だのいつも言っています。
 正直、担任もイラッとくることがあるほど。
 
 それにしても、ひらがなの読みもおぼつかない、「あさって」とか「妹」とかの基本的な語彙も身に付いてないS君なのに、なぜ罵倒語の語彙だけ豊富なのかほんと謎。*1
 
 そんな彼ですが、しかしなぜか椅子のことだけは「お椅子」と呼ぶのです。
 
 いや……と言っても、用例は
「おいY(同級生)! なんでおめえのおいすここにあんだよ!」
 みたいな、いたくちぐはぐな感じなのですが。
 
 本当は
「普通は椅子に『お』はつけません」
 とか教えた方がいいのかも知れないけど、聞いてるこっちの心が少しでも和むので放置。
 
 言葉が丁寧な分にはいいよね(よくない)。
 
 たぶん、保育園だか1年生だかの先生が
「はい皆さん、お椅子をしまいます」
 とか言ってたのを聞いて覚えたのがそのままなんだろうと思います。
 

*1:自分の妹のことを「赤ちゃん」と呼ぶ。生後何ヶ月の赤ちゃんなのかと思ったらもう3歳。落語の「代書」か…って本当に笑いごとでない。

俎上に載る子ども心。

 私が担当する特別支援教室の後方には、大きな作業用のテーブルがあります。
 お誕生席含めると8人くらいで食事ができるサイズ。
 
 さて、3年生のS君は落ち着きのない子で、しょっちゅう椅子を飛び越えたり、このテーブルの上に乗ったりします。
 上に立ったりごろごろしたり。
 
 そんなある日、またしてもテーブルの上に乗って仰向けになっているS君に
「ほら、下りなさい」
 と声をかけると、S君首だけでこちらを見て曰く、
 
「先生、絶対みんなが帰った後でここで寝てるよね」
 
 大人はやらねえよ!
 
 ……いや、ちょっと魅力的なのはわかるけど。
 
 ところで、そんなS君の姿を見ると、なぜか脳内で
「やめろーショッカー!」
 という台詞が思い浮かびます。

 実際はもっと大きい手術台テーブルだけど。