PTAに3000円の寄付を強要されたという話について私見。

 結論から言うと、前半はあり得ないとは言えないが、後半はほぼフィクションなんじゃないかなあ、と。
 
近所の小学校PTAから、突然寄付金の強要が来る→詐欺かと学校に確認したら、ガチで学校とPTAが関わってた案件だった - Togetter
【続報】小学校PTAから寄付金を強要された方が、小学校・PTA・市の教育委員会と話し合った結果を報告 - Togetter
 
(まとめも発端のツイートも消えてるので、連ツイの2番目にリンクしておきます。
 前半https://twitter.com/vKpjIheSE5X0tXy/status/1535919100974989312
 後半https://twitter.com/vKpjIheSE5X0tXy/status/1536543835047985152

 

なくもない話。

 
・そもそもPTA会費って何?
 学校教育活動に使うお金を職員・保護者から集めるもの。
 備品とか消耗品とかを買います。
 
 例えば、うちの地元には「PTA奉仕作業」というのがあって、夏休みとかに職員と保護者が校庭の草むしりをします。
 参加者にスポーツドリンクを渡します。
 そのスポドリはPTA会費で買います。
 
 全部公費でやれって? ごもっともです。
 校庭の除草を業者に委託する費用が自治体から(=税金から)出れば、奉仕作業もスポドリも必要ないのでありがたいです。
 ぜひ地元の議員さんにそう働きかけてください。(学校職員は大体地元の有権者ではない)
 
 このように、PTA会費は自治体の予算に比べて使途に融通が利く利点がありますが、もちろん浪費できるものではありません。
 今まで見た学校だと、年度末にPTA会長と会計(どっちも保護者)が帳簿と通帳をチェックし、次年度当初のPTA総会で会計監査報告をします。
 
・賛助会員費なんてあるの?
 あるところにはある。
 
 今の勤務校にはないですが、もっと田舎の学校にいた時にはありました。
 そこでは、卒業生の保護者に年間数百円の納入をお願いする、という仕組みでした。
 つまり、在籍している6年間は「会費(数千円)」を払うのに加え、卒業後は恒久的に「賛助会員費」の納入を要請されるという……。
 正直どうなの、と思わぬではなかったです。
 
 また、集める方も、地区のPTAの担当者(保護者)が数百円のために戸別訪問するのですげえ大変らしいです。
 ベルマーク的な昭和の遺風感がある。
 
 だから、都会地のPTAでは、正会員費だけで活動を賄えるようにして、賛助会員費はかつてあったとしても廃止したんだと思います。
 
 ただ、僻地では在校生が減少傾向なので、卒業生保護者にも頼らねばならないという事情はありました。
 
 また、会費をもらう一方、一応の対価として、PTA広報部が作成した広報誌を賛助会員にもお配りしていました。
 担当者が戸別訪問で。(昭和!)
(そもそも学校が日々ブログを更新してる時代、紙の広報誌にどれほどの存在意義が……?)
 
・強制なの?
 PTAが強制でないのと同じように強制でないです。
 
 断じて払わない、という家もあったとか。
 そもそも支払いを強制する権限なんてないので。
 
 ただ、前述の通り田舎にしか存在しない仕組みなので、「そういうものだ」と思っている人が多いのは確か。
 
 似たような話として、学区内でお葬式があるとご遺族が学校に何万円か寄付するのが慣例になっている地域もありました。(もちろん学校から要求とかではないです)
 

あんまりなさそうな話。

 
・10年分取られたりするの?
 ないんじゃないの……?
 そもそも「PTA(保護者と教職員の団体)」という位置づけからして、子どもがいない家から取る、というのは筋が通らないと思うのですが。
 
 ただ、募金集めに回っている保護者が
「あの家はヨソモノの上に賛助会員費も払ってないから気にくわない。10年分請求してやる」
 くらいの私怨で行動する可能性がないとはいえない。
 
・「空調設備投資優先した為、教材の備品費が足らない」
 空調設備は市の予算でつくんじゃないの……?
 
 自前の予算で空調整備して、後から市が「空調整備するよ」って言い出したらどうするんだろ……?
(続報がまさにそういう話になってるけど)
 
 まあ、
「各教室の扇風機は昔~~さんが寄付してくれたものだ」
 って学校を見たことはあるので、耐久消費財を寄付で買うことがないとは言えない。
 
 なお、togetterのコメントにある「PTA会費で空調整備して、市の空調予算は学校が丸儲け」とかいう話はあり得ないです。
 工事業者は市が入札で決定して工事を手配するので、学校が着服する余地がない。
 
・市の教育委員会責任者の方がいらっしゃいました。
 誰それ?
 
教育委員会」と「教育委員会事務局」は似て非なる集団で。
 この場合だと教育長なのか学校教育課長なのか、はたまた(最初に電話したという)生涯学習課長なのか、と思うんですけど。
 
 ただ、この後の言動が、どうもそんなまともな経験を積んだ責任者っぽくないんだよな……。
 

なさそうな話。

・「集合時間まで時間があったのもあり、校内の現状を確認させていただきましたが、私から見て特に修繕が必要な設備、補充が必要な備品等がみあたらない」
 何その他人事感。
  
「責任者」氏も自分で言っていますが、学校の予算は基本的に教育委員会から出ます。
 
 大勢の子どもと職員が毎日利用する施設ですから、補修が必要な部分は常にあります。*1
 時代の変化で新たに望まれる設備もあります。*2
 
 このため、教育委員会は毎年、学校に対し、施設・設備等の要望調査を行っています。
 つまり教育委員会は、各学校に必要な修繕・設備を知っているはずなのです。(もちろん内容を暗記はしていないでしょうが)
 
 その調査をした立場なのに、「ちょっと見たけど修繕が必要な設備は見あたらないですね」とか言ってしまうの、「教育委員会の責任者」として無能すぎでは。
 
 それに、PTA会費で購入するものって、現実的には「テプラの調子が悪いから新しいのを」「奉仕作業で使う草刈り機の混合油を」「封筒と切手の補充を」みたいなこまごましたものです。
 その必要性の有無は、2時間や3時間施設内を見回ったところで把握できるわけがない……というのは、少しでも事務的な仕事をしたことがある方なら学校関係者でなくともわかるのではないでしょうか。
 
 ……正直に白状すると、この台詞があまりに部外者めいているので、私はてっきりこれを言ったのはツイ主なのだと理解していました。
 
 それで当初、
「部外者が早めに来て校内の現状確認なんかしたら通報されるぞ」
 と書いていたのですが、ブコメid:inet_malic氏、コメントのid:kitajun氏から指摘を受けて自分の勘違いに気づき、この項を追加しました。ありがとうございました。
 
 ともあれ、この台詞は、教育委員会が学校とどんな仕事をしているかをよく知らない人が言ったのか、書いたのか、ということだと思います。
 
教育委員会が賛助会費の存在を知らない。
 そんなわけないだろ。
 具体的にいくら集金してるかは知らない、といったことはあり得る。
 
 でも、市の予算だけでなく、PTA会費等で備品類を補ってるのは知っているはずで、
「公立のため保護者から寄付を集めること自体おかしい行為ですが」
 だの、
「市で予算出してますよね」
 って言って予算書ちらつかせるとかあり得ない話だと思います。
 
 教育委員会の人(肩書き不明)は予算書いつも持ち歩いてるんでしょうか?
 
・都内や府内への視察と出張がほかの市内の小学校と比べても多い
 ちょっと意味がわからない。
 
 ツイ主としては
「校長教頭が、地域住民から集めた金を私的に流用し、視察・出張と称して東京大阪で遊んでいる!」
 という印象を持たせたいのだと推察します。
 
 しかし、職員が勤務日に勤務地を離れるならそれは公務としての出張になります。
 申請書を書かねばならず、公簿に残ります。
(というか、記録がなければ「教育委員会の責任者」が確認できない)
 
 そして毎月末に勤務記録が教育委員会に提出され、
「なんで東京だの大阪だのにそんな頻繁に行くの? 出張後の報告は?」
 って話になるはずです。
(出張なら旅費は公費になるし、職員の出張は教育委員会にとって他人事ではない)
 
 つまり、問題になるならずっと前からなっているはずで、今ここで「教育委員会の責任者の方」が持ち出すのはおかしい。
 
 もちろん、校長教頭が有給休暇取って東京に行ってたら把握できないけど、それだと「視察が多い」って知る手段が謎になるからなあ……。
 
・っていうか
 いちいち教育委員会と校長が対立するのが一番おかしい。
 
 この局面で教育委員会が出てくるとしたら、ヒートアップしている地域の人をなだめて、校長と一緒に頭を下げて「今後気をつけますのでどうぞ鎮まりたまえ」って言うためだと思うのですよね。
 
 その上で、学校側に問題があるな、と思ったら、地域住民の前では言わず、後で校長に伝えて是正を図るのが、教育委員会の……というか、普通の社会人の行動なんじゃないでしょうか。
 
 ツイ主と一緒に校長を激詰めして火に油を注ぐのが「教育委員会の責任者」というのはちょっと理解しがたいです。
 

実際どうだったのか?

 
 以下まったくの憶測なんですが。
 
 PTAの人から募金を要求されたのはおそらく事実なんだと思います。
 そしてツイ主が断ったのも事実。
 
 たぶんその時、「PTAは任意団体であり云々」とか、PTA活動を熱心にやっている保護者にはカチンとくるようなことをカチンとくるような調子で言ったんじゃないでしょうか。
(その内容が間違っていたとは言わない)
 
 それで売り言葉に買い言葉になり、怒ったツイ主は学校と教育委員会電凸
 
 それを受けて学校と教育委員会の間でやりとりがあり、
「ツイ主氏と話し合いの場を設けましょう」
 という話になったのかも知れない。
 
 ただ、そうすると当然学校と教育委員会の間ではツイ主をどうなだめるかの相談ができていたわけで、実際にはツイ主は
「今後気をつけます、もうお宅には集金に伺いませんのでご安心を、集めた寄付金は今後とも児童の教育活動のため有効に活用させていただきます」
 くらいのことを言われて丸め込まれて帰って来たのではないでしょうか。
 
 だから、空調設備とか東京出張とかいうのは創作。
 
「校内の現状を確認した」とかいうのも創作。校長室まで行く間にキョロキョロ周囲を見ていた可能性は高いと思いますが。
 
 それで、丸め込まれてモヤモヤするし、以前のツイートがバズってしまったこともあって振り上げた拳の行き先が見つからず、創作8割の連ツイをした……といったところではないでしょうか。
 
 ……これだけ書いておいて、
「賛助金と称して集めた金で校長教頭が東京で贅沢三昧(栃木)」
 みたいな報道が近日中にあったらどうする、って話ですが。
 
 こういうネット創作実話が創作臭くなる原因は、
「お話としてはスカッとするけど、登場人物一人一人の行動をその立場に即して考えると不合理」
 ということがあると思います。
 
 だから、自分の立場をわきまえず不合理な行動を取る校長とPTA会長と教育委員会の責任者がいた場合には、全て実話ということもあり得るかも知れないですね。

*1:コンクリの劣化とか、プールの塗装の剥げとか、雨樋の詰まりとか、雨もりとか。

*2:無線LANとか、コンセントの増設とか、水洗トイレの洋式化とか。

救急車ふたたび

「救急車編」「入退院編」と続いてもう終わる予定だったのに続いてしまいました。
 つまりまた奧さんが倒れたわけです。
奧さんが入退院しました。(救急車編) - 小学校笑いぐさ日記
奧さんが入退院しました。(入院~退院編) - 小学校笑いぐさ日記
 
 結論から言うと、てんかんの診断が出ました。
 
 ある日の夜中のこと。
 奧さんは寝ていて、私は夜更かししてネットを見ていました。
 
 すると、寝室の方から妙な音が。
 奧さんはわりとよくいびきをかくのですが、それとはまた違う、「ぶーっ! ぶーっ!」という感じの音。
 
 何か変だぞ、と思って様子を見に行くと、ベッドに寝ていた奧さんが、白目を剥いて、後ろに海老反りのようにのけぞっていました。
 唇をぎゅっとすぼめて、霧吹きみたいに唾を吹いています。私が聞いたのはその音だったのです。
 腕は体の前にぴんと伸びていて、口の端からはよだれが垂れていて、それが血の混ざったピンク色でした。
 
「ちょ、ちょっとちょっと? 起きて起きて!」
 声を掛けて肩をゆすりましたが応答がありません。*1
 
 脳内に、職場で見た緊急対応フローチャートがおぼろげに浮かび上がります。
 
・意識なし
・呼吸あり
 
「これは救急車呼ばねば」
 
 人生で2度目の119番通報。
「火事ですか救急ですか」
「救急です」
「どうされましたか」
「寝ていた妻が……」
 
 ……と、一通り状況を伝えると、司令室の人(女性でした)が、
「それでは、寝室でうなり声がするので様子を見に行くと、奧さんが痙攣して倒れていた、ということですね?」
 
 うなり声? なのかあれは? 痙攣? 確かに腕がぶるぶるしていたかも知れない……?
 
「ええ……まあ」
「気が付いてすぐ通報されたのであれば、今から2・3分前ですね?」
「はい」
「意識がないということでしたが、本当に意識がないか、もう一度確認していただけますか?」
「はい」
 
 いや、絶対なかったぞあれは……と思いながらもう一度寝室に行くと、奧さんは白目ではなくなっていました。
 なんだか呆然とした顔でベッドに座っています。
 
「気が付いたの? 今、救急車を呼ぶからね」
「なんで!? なんで!?」
 ひどく動揺した……というか、「ここはどこ? 私はだれ?」みたいな様子。
「今、奧さんの様子がおかしかったから、119番したんだよ」
「なんで!? なんで!?」
 
 意識はあるけどどうも様子がおかしい。
 再び電話口に戻って、
 
「意識は戻ったみたいなんですが、どうも受け答えの様子がおかしくて……」
「わかりました。それでは救急車を手配します」
 
 そうして、再び奧さんに声を掛けたり、救急隊から電話が掛かってきて「近くで誘導していただけますか」と言われたり、前回みたいに吐いたら大変なので風呂場から手桶を持ってきたりしていたら救急車が到着しました。(到着があっという間で、誘導に出る暇がなかった)
 
 ベッドの回りに3・4人の救急隊員が集まって、羽毛布団の上でよくわからんオシログラフ(心電図?)がぴかぴかして、いまだ呆然とした表情の奧さんと救急隊員が
「K村さーん、この間もここから救急車に乗りましたけど、覚えてますか?」
「いえ……」
「今日が何月何日か、わかりますか?」
「わかりません……」
「季節はわかりますか?」
「……冬?」(掛け布団を見て答えてた。この時は冬でした)
 みたいな会話をしていたり、私は私で
「それではこちらの書類に奧さんの氏名と年齢と……」
「すいませーん、ティッシュお借りしてもいいですか?」
 とか呼ばれて、心配する間もなく奧さんはストレッチャーに乗せられて階段を降りていきました。
 結局、今回は嘔吐はなかったのですが、救急隊員の一人が、ティッシュを敷いた白いプラスチックの容器(料理用のボウルみたいな)をずっと奧さんの口元にあてがっていました。
 
 しばらくすると、救急隊員から、
「搬送先ですが、前回入院された脳神経外科が、診察だけならしてくれるそうですがどうしますか」
「え……それは、入院はできないということ?」
「そうですね」
「入院が必要な場合は他の病院に転院になる?」
「まあ、そういうことになりますね」
「それなら、他の病院を探してもらえませんか? 別に、前の病院にこだわらないので」
「わかりました、それじゃしばらくお待ちください。雨だし、救急車の中でどうぞ」
 
 そりゃあ前の病院にはカルテとかあるから状況は分かってるだろうけど、入院できないのでは困る。コロナのせいなんでしょうか。(と、この時は思った)
 ストレッチャーで寝ている奧さんの顔を見ながらしばらく待った後、ようやく搬送先が決まり、今回も私は車で向かいました。
 
 病院に着くと、先に待っていた救急隊員が、
「奧さんはもう診察室にいらっしゃいますので」
「お世話になりました」
「それから、こちらはお返しします」
 と、白いポリ袋に入った何かを渡してくれました。
 何だろう? と開けてみると、キッチンにあったボウルでした。
 
 いやあれウチのボウルだったんかい。
 
 前回の「奧さんの保険証は黒いトートバッグの中に入ってましたよ」でも思ったけど、救急隊の方のこういう遠慮のなさは頼もしいと思います。その場にあるものは何でも遠慮なく使って欲しい。命より大切なものはないですから。
 
 ……で、奧さんを診察した医師曰く、
「じゃあ、紹介状書くので、朝になったら(もう明け方近かった)脳神経外科を受診してもらえますか」
「えっ」
 
 入院しなくていいのか。
 前回の経験を生かして、もう入院用の衣類とか手提げ袋にまとめて持ってきていたというのに。(なおお守り袋は今回も忘れた)
 
 そして受診が終わった奥さんはめちゃくちゃ眠そうで、会計で呼ばれるまでの間に、待合室のソファに横になって寝てしまう始末。
 
「あのさ、車、表の来院者用駐車場に停めちゃったからちょっと遠いんだけど、歩ける?」
「……ねむくてあるけない」
「じゃあ、ここで待っててくれる?」
「ねむい」
 
 仕方がないので、受付の人に「あそこのソファでうちの妻が寝ちゃったので、車を回してくるまで様子を見ててください」とお願いして車を取りに行きました。
 
 いくら徹夜だからってそこまで眠いのは普通じゃない。
 徹夜なのは私も同じ(むしろ私の方が寝てない)なのに。
 後で調べると、てんかんの発作は脳が非常に興奮する状態なので、発作の後は強い眠気が出たりするそうです。
 
 帰宅した時にはもう夜明け。
 なんだか足がふらついて階段をうまく昇れない奧さんをどうにかベッドに寝かせ、私も仮眠を取りました。
 
 平日だったので、7時過ぎに学校に電話して教頭に事情を説明し、その日は休みをもらいました。
 
脳神経外科へ紹介状をもらったので、今日はそちらで診察を受ける予定です」
「わかった、お大事にね。何時頃病院に行くの?」
「ええと……9時受け付け開始です」
「わかった」
 
 それで再びうとうとしていると学校から電話が。
 
「あのねえ、校長先生にお伝えしたら、脳のことは急いだ方がいいし、いい病院があるからそっちを紹介するって……今替わるね」
 
 校長曰く、紹介状がなくても受診できる病院があって、早朝でもやっているのでそっちにかかった方がいい、という……。
 
 お話はありがたく聞いたのですが、
 
・私がもう限界まで眠くてそんな遠くまで運転できない。
・超眠そうだった奧さんもぐっすり寝ていて起こすにしのびない。
・病院で「明朝受診を」って言って帰されたのにそんなに緊急を要するとは思えない。
 
 という理由で、聞くだけ聞いてまた寝ました。
(これがアドバイス罪か……)
 と思いながら。
 
 で、ひと眠りして脳神経外科で診察を受けると、
 
「うちの病院、てんかんの専門医は週に一度しか来ないので、また明日来てもらえますか。とりあえず今日の分の薬は出しておきますね」
 
 学校に電話して翌日も休みをもらい、また折り返し電話が掛かってきて校長から別な病院を勧められました。
 アドバイス罪。
 
 とはいえ、校長は身内を脳溢血で亡くされたそうなので、気持ちもわかるのですが。 
 
 翌日、脳波検査をして、てんかん専門医の診断を受けると、
 
てんかんですね」
「そうですか……」
てんかんは子どもの時に発症する病気、と思われがちですが、K村さんのように成人してから初めての発作が起きることも珍しくはないんですよ」
「前回の脳波検査では、少し気になるところがあるけどてんかん特有の脳波とはいえない、とのことでしたが」
てんかん特有の波形があればの時点で診断が確定するんですが、発作の時にしか波形が出ない患者さんもいます。『てんかん特有の波形がないからてんかんでない』というわけではないんですね」
「なるほど……」
「K村さんはこれで2回目の発作ですからね。発作が2回あったらてんかん、という診断基準になっています。それに、お話だと、発作が起きる直前、ベッドでスマホを見ていたら、顔の半分がしびれるような感覚があった、とのことですが、そういう前兆を感じるのもてんかんに典型的といえます」
「これからどうすればいいんでしょう」
「ともかく、てんかんそのものを治療する方法はありません。薬を飲んで、発作を抑えていくことになります。色々なお薬があるので、体に合ったものを探していきましょう」
「何が原因なんでしょう」
「はっきりと『これが原因です』と言うことはできません。MRIでも、目に見えるような病変とか血栓とかはありませんでした。検査では確認できないような小さな病変が起きて、それが発作を引き起こしているんだと考えられます。ただ、ストレスや睡眠不足は発作の引き金になるので、今後は避けてください」
「車は……?」
「現在の法律では、最後の発作から2年間は車の運転ができないことになっています。2年経てば基本的に試験なしで運転免許を再取得できるのですが、途中で発作があるとそこから2年待つことになります。諸外国に比べて厳しい規制だと思うのですが……まあ、我々にどうこうできることではないので」
 
 奧さんは、自分がてんかんだという診断に納得していない様子でした。
 まあ、MRIで異常もなく、脳波にてんかん特有の波形もなく、ただ2回倒れたから自動的にてんかん扱いで一生薬を飲め、と言われたのでは納得できない気持ちもわかります。
 
 ただ、奧さんにとっては「ベッドで寝ていて気が付いたら病院だった」という状態ですが、私は発作の様子を見ているので……。
(奧さんは、救急隊員に「今日は何月何日ですか?」と聞かれたことも、病院の待合室で寝てしまったことも覚えていないのだそうです)
 私は、前回の発作の後、てんかんについて少し調べたこともあって、正直「やっぱりてんかんだったのか……」という気持ちでした。
 
 ネットでもちょっと調べました。
てんかんについて | てんかんとは | てんかんinfo
 てんかんの発作は見た目は派手なことも多いですが、それ自体に命の危険はないので、安全なところで横にして回復を待てばよいのだそうです。救急車はいらない。
 いやでもびっくりするけどな。
 
 上のサイトには、
「患者さん自身に発作の記憶や意識がないことも多いので、周囲の人から得られる情報も重要です。発作時の状況を詳しくメモしたり、発作の様子を携帯電話などで録画しておくことも役立ちます」
 とか書いてあるけど、「これはてんかんの発作だから危険はない」ってわかっていればともかく、そうと知らない状態であれを落ち着いて録画してる人がいたらちょっとおかしいと思う。
 
 とはいえ、思えば、てんかんでないと思っていたのは私と本人だけで、周辺の医療関係者はみんな最初からそう考えていたのだと思います。
 
 紹介状を持って行った脳神経外科で「てんかん専門医は明日にならないと来ないので」と言われたこと。
 その前、救急車で運ばれた病院で、紹介状をもらってその晩のうちに帰されたこと。
 さらには、救急隊が「入院はできないけど脳神経外科に運びますか?」と尋ねたこと。
 もっと前、119番をした時、「本当に意識がないかもう一度確認してください」と言われたこと。
 そもそも、最初の入院の時に「同じ発作があったらまた受診してください」と妙に念を押されたこと。
 
 あれは全部、内心で「これはてんかんじゃないかな……」と思っていたからこその対応だったのですね。
 
 最初の入院で謎だった、腕と顔のあざも、ただ意識を失って倒れただけでなく、けいれん発作でテーブルなどにぶつけたのだと考えれば筋が通ります。
 
 ……と、ここまで書いたのが、もうしばらく前(まだ冬だった頃)の話。
 
 現在は、奧さんは運転免許は返納、車も処分してしまいました。
 私が奧さんの勤務先まで車で送り、そこから自分の勤務先に向かうような生活。
 私が以前より少し早く家を出るのは仕方ないのですが、奧さんは少しどころでないです。
 というのも、そもそもの勤務開始時刻が美術館より学校の方が早いので、奧さんの出勤は以前よりやたら早くなってしまいました。 
 
 また、休日はあちこち飛び回っていた奧さんですが、今はそれも難しくなっています。
 田舎暮らしなので車がないと外出が厳しい上、勤務先が市営美術館で、学校勤務の私と休日が合わないのです。
 あと、私は引きこもりで車の運転が好きでない。(ひどい)
 
 ひどい……けど、でもほんと、奧さんは何時間も車を運転しても平気だったけど、その奧さんの要望に添って2時間ほどあちこち運転したら私はめちゃくちゃストレスがたまって手が震えてきたので危ない。
 一日だけならともかく、今後当分は続くことを思うと、私自身にとっても持続可能な支援でないといけないと思います。SDGs
 
 ちょっと前までは夫婦そろってまあ元気だったのに、ある日突然生活が一変してしまうのだなあ、と、つくづく思います。
 まあ、とりあえず2年間経てば免許証が戻ってくる(はず)という区切りがあるし、運転できない以外はほとんど健康なので、介護としては軽い方……というか、「介護のチュートリアル」みたいなものかな、と思っています。
 
 てんかんの有病率は1%ほど。
 よくある病気ではないけれど、そこまで珍しい病気でもありません。
 
「一寸先は闇」と言いますが、皆様もどうか備えてください。

*1: てんかんの発作の時は声を掛けない方がいいらしいのですが、この時はそもそもてんかんだと知らないので。

奧さんが入退院しました。(入院~退院編)

 前回のあらすじ:外出中に奧さんが自宅で倒れて緊急通報。脳神経外科に搬送されてひとまず無事だったのですが……。
奧さんが入退院しました。(救急車編) - 小学校笑いぐさ日記
 
 入院には連帯保証人が必要、と言われても、うちは2人暮らしで、その片方はまさに倒れているのですが。連帯とは。
 
 そうなると、思いつくのは隣市に住んでる実家の両親しかいない。
 
 すでに夜半過ぎでしたが、試しに母にLINEで「奧さんが倒れて入院することになったのですが云々。今から電話で話せますか?」と送ると、すぐにOKの返事が。
 以下電話での会話。
 
私「……という事情なんですが明日そちらに行ってもいいですか。連帯保証人とはいえ支払いが滞ってご迷惑をお掛けするようなことはないと思うので」
母「それは全然大丈夫だけど……それよりアンタ、奧さんのご実家には連絡したの?」
私「いや……まだ。もう深夜だし……」
母「した方がいいわよ」
私「確かに……」
母「急なことだけど、落ち着いてね」
私「落ち着いてるつもりだけど」
 
 いいや落ち着いてなかったね。
 
 話が前後しますが、これに先だって、検査をした医師から説明を受けていました。(当直っていうんでしょうか?)
 
医師「急に意識を失って吐いて、ということなので、一番怖いのは脳の異常なんですね。それで救急の方もこちらへ運んでくれたんだと思うんですが。あるいは心臓の可能性も考えられます」
私「なるほど」
医師「それで、MRIと心電図、それからこれは簡易的なものですが血液検査も行いました。その結果、異常は認められませんでした」
私「それはよかった!」
 
 しかし医師は浮かない表情。
 
医師「異常が見つからなかったということは、原因不明ということですからね。今のところ、吐き気がする以外の症状がないので、吐き気止めを点滴していますが……。明日以降入院してもらって、より精密な検査をして、場合によっては他に転院ということになります」
私「なるほど……」
 
 病室に運ばれる時にようやく奧さんの顔を見たのですが、看護師さんがてきぱきしていたこともあり、お互い特に言葉はありませんでした。
 表情がぼんやりしている上に、顎の左側が赤黒く腫れ上がっていて、ひどく痛々しい状態でした。
 
 後にわかるのですが……というかわからないのですが、倒れた時にどこかに顔をぶつけたらしいのです。相当痛かったはずなのですが、本人には全く記憶がないとか。
 この時は見えませんでしたが右腕にも同様のあざがあり、椅子に座ってテレビを見ている状態からどう倒れたら右腕と左顎を強打するのか、2人で色々考えたのですがいまだにわかりません。
 また、倒れた時に舌を強く噛んでおり、電話の声がくぐもった感じなのはそのためでした。
 幸い、舌が腫れる程度ですみ、そちらは数日で腫れも引いたのですが……。
 もし、立った状態から倒れていたら、倒れた先に何か尖ったものがあったら、火を使っているところだったら……などと考えると今もぞっとします。
 
 ともあれ、そんなこんなで帰宅しました。
 
 奧さんの救急車を追って(というか近道して追い越して)病院に来ていたので、私が自宅に上がるのは朝出勤して以来。
 
 電気がつけっぱなしの部屋、床がひどいことになっているであろうと覚悟していたのですが……。
 なっていませんでした。
 
 部屋中に吐瀉物の臭いが充満してはいましたが、床の汚れはぱっと見ほとんどなし。
 どうも、奧さんが朦朧としながらも一生懸命自分で拭いたようです。
 ……そんな無理しなくてよかったのに……。
(小学校に勤務してると年に1・2回は誰かが床にもどしたのを掃除・殺菌することになるので多少慣れます)
 
 被害が大きかったのはせいぜい洗濯カゴくらいでした。倒れた時に着ていて汚れたカーディガンを、意識が戻ってから脱いでカゴに放り込んだらしく、その下にあった洗濯物が全滅。
 深夜だけど洗濯機を回して、あとは多少壁に散っているのと、床も見た目はきれいだけどやっぱりべたべたするので水拭きしてアルコール製剤で拭いて*1から拭きして……。
 なんだかんだで一区切りついたのは午前3時頃。
 
 そこから仮眠を取って、実家に行って連帯保証人の印をもらい、入院時にもらった「入院の際に必要なもの一覧」に書いてあったこまごましたもの(タオルとか、歯磨きセットとか、清拭剤とか、下着とか……。大体全部、病院の売店で買える)を病院に届けました。
 コロナ対策ということで病室まで行くことはできず、受付で申し出ると看護師さんが取りに来てくれるシステム。
 
 奧さんはもう意識が戻っていて、病室でスマホを使えたので、そのほかに必要なもの(スマホの充電器とか、ペットボトルの飲み物とか。コロナ対策で入院患者は一階に降りられないので、売店に行けない)をLINEで伝えてもらって届けたりしました。
 
 この時点で午後になっており、奧さんに
「着替えの中にズボンがなかった」
「届けてって言ったお守り袋がなかった」
 とか言われて病院まで三往復する羽目になり、逆ギレしそうになったりしました。
 
 お守り袋(神社とかではなくなんか自作したもの)とかスピリチュアルなものいる!? ……でも、入院してるからこそそういうものが必要な人には必要なんだろうなあ……。
 
 実際奧さんに当たったわけではないですが、世の中には何年も何十年も在宅介護してる人がいるのに、一晩徹夜したくらいでイライラしてはいかん、と、己のメンタルの弱さを反省しました。
 
 ……それにしても、看護師さんは「救急だから書類の提出は明日でもいいですよ」と言ってくれたんですが、一人暮らしだったり親族が遠かったりする人は連帯保証人どうするんだ……。
 
 ところで、後で知ったのですが、奧さんは入院中、
「私が入院してるのに旦那さんはお見舞いに来てくれない。冷たい」
 と思っていたそうです。
 
 ……いや、コロナ対策で病室は立ち入り禁止だったので!
 
 っていうか、絶対、入院の最初に説明があったはずだと思うんですけど。
 しかし、何しろ、採血されたことも記憶に残らないような状態だったので、翌日も記憶が怪しかったんじゃないかな、と思います。
 
 ともあれ、なんだかんだで入院期間は3泊4日。
 検査を経て、無事退院するはこびとなりました。
 
 退院にあたり、医師から検査結果について説明がありました。
 
医師「えー、脳波の検査を行ったのですが、少し変わった波形が見られますね」
 
 えっ。
 
医師「てんかんに特有の脳波ではないのですが、左右で出ているのでノイズとも考えられません(このへんの説明は私の記憶がやや曖昧)。
 ですので、ストレスとか疲労で体調が悪い時に、この波が全体に広がって、今回のような症状を引き起こした可能性がありますね」
 
 救急搬送時の検査と違って、心なしか先生がうれしそうなのが印象的でした。原因の見当がついたからなのか。
(別な先生だけど)
 
妻「それって、よくあることなんですか?」
医師「そうですねえ……。症状がない人は病院に来ないのでなんとも言えませんが、通りすがりの人を片っ端から検査したら、ある程度こういう人はいて、気づかずに生活している可能性はありますね」
妻「私、人の名前とかぱっと出てこないことよくあるんですけど、それもこの脳波のせいなんですか?」
 
 それが脳波の異常だったら私なんか脳波ぐちゃぐちゃだと思うんですが(実際そうでないとは言えないけど)。
 
医師「うーん、それを調べるとなると、ずっと脳波計をつけていただいて、名前を思い出せない時にこの波形が出ているかどうかを確かめないといけないんですよ。実際、大学病院なんかだと2週間くらい脳波計をつけて生活してもらったりしますからね」
私「これからどうすればいいんでしょう?」
医師「まあ、治療するとなると症状を抑える薬を飲むことになりますが……。こういう症状は初めてなんですよね? 今回はひとまず様子を見てもらって、あまり無理しないように生活することを心がけてください。もし何かあったらまた来ていただくということで」
私「薬を飲むというのは、ずっと?」
医師「そうですね。まあ、またこういうことがあったら受診してください」
 
 というわけで、入院時が大騒ぎだったわりに、入院中は検査のみ、特に治療らしい治療もなし、という、割とあっさりめの退院となりました。
 
 ……しかしちょっと意表を突かれたのは、私が「脳波かあ……」と思った一方、奧さんは頑としてそれを認めようとしないことです。
「カレーパンが悪かったのかも知れない。ジャガイモがいっぱい入ってたし、ジャガイモ中毒とかあるし。もうジャガイモは食べないように気をつける」
「入院した日、同僚がアケビを持ってきてくれてそれを食べたんだけどそのせいかも知れない。アケビなんて食べたの生まれて初めてだし、敷地内に生えてたアケビだって言ってたし。あの日食べた変わったものと言えばそれしかない」
 
 アケビ中毒なんて聞いたことないし(一応ググってはみた)、パン屋のカレーパンでジャガイモ中毒となったら被害者は一人じゃすまないので大騒ぎになってると思うんですが……。
 
 ……まあ、認めたくない心理ってあるのかも知れないな、と思いました。
 
 舌を噛んで腫れ上がっていたのは、わりと数日で治りました。舌って回復が早いのを初めて知りました。いろんなものが出入りするところだからなんでしょうか。
 むしろ長引いたのは青黒くなった奧さんの顔のアザで、しばらくの間、傍目にはDV被害者みたいだったという……。
 
 また続きを書く予定です(たぶん)

*1:ノロウイルスはアルコールじゃ死なないですがまあ消臭も兼ねて。

奧さんが入退院しました。(救急車編)

 生まれて初めて救急車を呼んだので、ある程度記憶が新しいうちに書いておきます。といっても数ヶ月前の話ですが。
 
 ある日、仕事を終えた私が漫画喫茶でだらだらしていると、携帯が鳴りました。
 奧さんからの着信でした。
 
私「もしもし?」
妻「あのね……私さっき……倒れて……吐いちゃって……気持ち悪い……」
 
 なんだか声がくぐもっています。
 
私「大丈夫なの!?」
妻「なんか……どうしたらいい……?」
私「今、家にいるの?」
妻「うん……」
私「すぐ帰る……救急車呼んだ方がいい?」
妻「……どうしたらいいかわかんない……」
 
 話し方も内容も全体にふわふわしている。
 これは尋常でない、と確信しました。
 
 後から本人に状況を聞くと、
「テレビを見ていたはずなんだけど、気が付くと床に倒れてげえげえ吐いていた。あわてて拭こうとしたらまた戻してしまうような状態だった」
 とのこと。
 
私「わかった、それじゃ救急車呼ぶから。ベッドに寝てて」
妻「うん……」
 
 救急車を呼ぶなんてやったことがありませんが119番です。ちゃんと番号を覚えています大丈夫。しかし私のMVNOでは確か緊急通報ができなかったはずなのもちゃんと覚えています大丈夫。
 漫画喫茶の受付で尋ねると快く電話を貸してくれました。
 
「火災ですか救急ですか」
「救急です」
「どうされましたか」
「私は今出先なんですけど、さきほど妻から、倒れて吐いてしまったという連絡がありまして」
「奧さんは何歳ですか」
「ええと…40歳です」
「四十代女性ですね。ご住所は」
 
 さすが緊急司令室はてきぱきとした対応。
 
 実は私は自分の住所を暗記していないのですが、電話する前にちゃんと手元に運転免許証を出しておきました。賢い。
 出す時に財布をひっくり返してしまったりなぜか保険証も手元に出していたりしましたが。
 電話しながらずっと足ががくがく震えていたのを覚えています。
 
「ははあ……~~市ですか。ウチは隣市の消防なんですよ。それでは、そちらにおつなぎしますのでしばらくお待ちください」
 
 ええー。
 
 119番は即繋がったけど、この電話の転送がけっこう待たされました。
(計ったわけではないので長く感じただけかも知れませんが)
 
「もしもし、火災ですか救急ですか」
 
 同じやりとりをもう一度。
 
「あっ、それと、今私は出先なんですけど、自宅は鍵が掛かってると思います。アパートの2階です」
「なるほど……ご主人がご自宅に着くまでどれくらいかかりますか?」
「30分……くらいかな」
「そうですか。では、場合によっては玄関を小破壊して入る可能性もありますが、なるべく早くお戻りください」
「はい」
 
 帰路を運転中、救急隊から何度か電話が入りました。(3回くらいだったかな)
 
「先ほど、救急車と工作車が出動しました。それで、ご自宅のドアに窓はついてますか」
「小さい明かり取りの窓なら……」
「奥様がどこにおいでかわかりますか」
「寝室のベッドに寝ていると思います」
「場合によっては玄関など小破壊する可能性があるので、大家さんか管理会社に確認を取っていただけますか」
「はい……でも、もう夜なので管理会社は電話通じないと思います」(実際通じなかった)
「なるほど。奥様の携帯の番号を教えていただけますか」
「ええと……このスマホに登録してあるので、今見られません」
「ではまた後でお尋ねしますね。あと何分くらいでお戻りになりますか」
「道が混んでいて……あと20分くらいかな」
「では、事故に気をつけてお戻りください」
 
 奧さんのスマホの番号くらい覚えてれば良かった。
 
 スマホの電話帳を呼び出して、しかしメモ用紙が手元になくて、ボールペンで自分の腕に奧さんの電話番号を書き留めたりしました。
 だいぶ動揺していると思いますけど、でも今落ち着いて考えても他に方法が思いつかない。
 
 救急隊にスマホの番号を伝えると、
 「こちらから電話して、奥様と連絡がつかない場合は小破壊して入る可能性が」
 とのこと。
 
 こちらとしては、この際ベランダのガラスの一枚や二枚惜しくはないので、気にせず入ってください、という気持ちだったのですが、今にして思うと、世の中には後で苦情を言う人がいるから、しつこく「小破壊して入る場合が」と念押しするのかも知れないですね。
 
 ところでスマホで通話したりカバンからボールペンを出したりスマホ見て腕にメモとったりを運転しながらやるのはたいへん危険です。よい子のみんなは真似しないでください。
 いやほんとにやめましょうね。私はもうほんと頭がいっぱいだったけど。
 
「もしもし、こちらご自宅に到着したのですが、奥様がご自分でドアを開けてくださって、今、救急車に乗っていただいたところです」
「そうなんですか!」
「それで、今から病院に向かいますが、ご主人はあと何分くらいでお戻りになりますか」
 
 別に私を待っててくれなくてもいいんですが。
 でも、この時ちょっとほっとしました。
 奧さんが自分で歩けたこともそうですが、救急隊が「今すぐ病院に!」って様子ではないので。
 プロがそんな対応なら、一分一秒を争うような状況ではないのでしょう。きっと。
 
 自宅のすぐ近くに工作車とおぼしきクレーン車だかはしご車みたいな車両(暗くてよく見えなかった)、自宅の目の前には救急車が、回転灯をきらきらさせて停まっていました。
 
「遅れてすみません!」
「いえ、それでは、~~脳神経外科に向かいますが、ご主人はご自分の車で向かわれた方がいいですね?」
「ええ……はい?」
 
 この時はなんでかわからなかったけど、救急車に同乗すると帰りの足がなくなるのですね。
 
「それでは事故のないようにお気を付けて」
「はい、それじゃあ……」
「あ、お部屋の電気つけっぱなしです」
「この際それはいいです」
「玄関のドアも開けっぱなしです」
「……それは閉めていきます」
 
 そりゃあ……奧さんが自分で閉めてから救急車に乗るわけないよな。
 
 運転しながら頭の中でぐるぐる色々なことを考えました。
 
救急救命士さんがあんまり急いでるように見えないのできっと大丈夫。
・プロだからちょっとやそっとじゃ動揺を見せないのかも知れないけど。
・奧さんは普段から気分が悪くなって吐くことが時たまある(ジャンクフード食べた後とか)のできっと大丈夫。
・すると今日の弁当のおかずがちょっと日数の経った作り置きだったのでそのせいかも知れない。
・漫画喫茶なんか行かないでちゃんと夕食作れば良かった。
 
 しかし今にして思うと、電話越しでさえ動揺してこのありさまなのに、奧さんが発作を起こして意識を失ったり激しく嘔吐したりを現場で目の当たりにしたら、動転してどんな素っ頓狂なことをしていたか分かりません。
 現場にいなかったことはむしろ幸いだったのかも知れない。
 
 病院には救急車より早く着いたのですが、夜間入り口で右往左往した結果、私が診察室前の廊下に着いた時には奧さんはベッドに寝かされていました。
 ……といっても、私は診察室の前の廊下で座ってたので、奧さんの様子は見えなかったのですが、
 看護師さんが、奧さんの靴とバッグ、脱いだ服を入れたビニール袋(吐瀉物がだいぶついている)を渡してくれ、私は問診の様子を聞いていました。
 
「……今までにこういうことはありましたか?」
「いいえ……」
「夕食には何を食べましたか?」
「カレーパン……」
 
 カレーパンかー……。
 
 その後、血液検査をしたり脳波をとったりMRIを撮ったりの気配。
 
 ……後で聞くと、奧さん、自分がMRI撮られたり採血されたりした記憶は全くないそうです。
 その時はちゃんと意識があって、医者の問診にはもごもごいいながらも受け答えしていたのに。
 
 しばらくすると看護師さんが
「入院になりますので、こちらの書類に記入を」
「はい」
「奥様の保険証はお持ちですか?」
 
 持ってるわけないじゃん。
 
 すると救急隊の人が
「えー…先ほど、奥様のバッグの中を改めさせていただいたんですが、大きい方のトートバッグの中の黒いパスケースに入っていました」
 
 わーお。
 
「では、入院されるにあたってこちらの同意書にサインを」
「はい」
「それから、ご主人の他に連帯保証人のサインと捺印が必要なのですが……」
「えっ」
 
 たぶん続く。

ゲーム機をみんな「ファミコン」って呼ぶやつ。

 学校で使ってるChromebookを「タブレット」って呼ぶ先生がいるんですけど紛らわしいからほんとやめて欲しい……。
(キーボードがない「タブレット」も別に備品としてある)
 タッチパネルは全部「タブレット」なんだろうか。
 
「本日の全校集会は、コロナ対策のためリモートで行います。
 タブレットGoogle Meetを使用しますので、テレビの画面に映せるよう各教室で準備しておいてください」
 
 ……って言われて、実際に使用するのはChromebookGoogle Classroomなの、集会前にめちゃくちゃ大変だった……。

戦争を知らないひ孫たち。

 最近、学習が遅れ気味な子に個別指導をしていて、ちょっと衝撃を受けことがあるので書きます。
 
 小学校3年の国語教材に、「ちいちゃんのかげおくり」って話があるのをご存じでしょうか。
 
 知らない方のために紹介記事にリンク。
blog.goo.ne.jp
 短い話だから読んで。(元は絵本)
 
 ブログの方が
「涙なしには読むことのできない、ある意味衝撃的な…素晴らしい作品」
 と書いてるとおりで、私もこれを音読するともう泣けてしまって授業にならないんですが。
(なお「一つの花」でも泣いてる模様)
 
 で、よそのクラスの子を何人か個別指導してたんですが、本作の内容にさしかかったところ、この子らはもう全然内容を理解してないことが判明。
 
私「5の場面(『それから何十年』以降、最後の4行)の部分は、要約するとどういう内容?」
A男「うーん、急に町が復活してるから、燃えたのは幻だったのかも知れない
 
 いやいやいやいや。
 
私「……この、『ちいちゃんのかげおくり』って、いつの話かわかる?」
A男「?」
 
 こういう物語教材って、学習の最初に「いつの話か」「どこの話か」とか確認するんじゃないのか……。
 
 っていうか、そもそも小学3年生、「かつて日本で戦争があった」という事実を知らないのです。
 昔は、学校で教わらなくても、どこかで伝え聞いて知っていた(例えば、福島で原発が事故った話なんか、学校で教えなくてもみんな知ってる)わけですが、今はもうそういう時代ではないのだ……。
 
 もっと衝撃だったのはB女。
 
私「かげおくりをした次の日って、場所はどこ?」
B女「……列車?」
私「うん……列車に乗るんだから、駅だよね。(B女は電車は知っているが「列車」という言葉は知らなかった)お父さんはどこに行くの?」
B女「?」
私「教科書の下(脚注)に、『出征』って言葉の意味が書いてあるから読んでみようか」
B女「(読んでから)『いくさ』って何?」
私「戦争のことだよ」
B女「戦争って何?
 
 星新一の「白い服の男」か!
 
戦争を知らない子供たち」といえば、我々の両親世代のことでしたが、今の小学生に至っては「戦争」という言葉自体を知らなかったりするんですよ……!
 
 いやまあ、個別指導を受けてる子だから、これはかなり極端な例ではあるんですが。
 それにしても、もう作品読解とかそういうレベルではないので、かなり衝撃でした。
 

戦争を知らない孫による解釈。

 
 ……といっても、私も、あまんきみこ氏が本作を書いた時には「当然のこと」「常識」であったことを知らずに育っているわけで、あまり大きなことは言えません。
 おそらくかなり理解が抜けているだろうと思います。
 
 以下、作中に明記されてないけど「たぶんこういうことなんだろうなあ」と思っていることを書くので、「いやそれは違う」ということがあったらご教示願いたいです。
 
・出征する前の日……先祖のはかまいりに行きました。
 なぜみんなで出かけたかといえば、一家全員がそろうのはこの日が最後かも知れないから。(事実そうなる)
 
・「今日の記念写真だなあ」
 同様に、これが家族がそろう最後になるかも知れない、という意味の記念。
 
・「体の弱いお父さんまで、いくさに行かなけらばならないなんて」
 体が丈夫でない父が、妻と幼い子どもを置いて出征する、というのは、「一つの花」とも共通するテーマ。
 太平洋戦争初期は、健康で、できれば独身の若者が優先して召集されたが、戦況の悪化につれてそうも言っていられなくなった(いわゆる根こそぎ動員)。
 つまり、もうかなり戦況が悪化した時期だということを暗示している。
 あまんきみこの世代であれば、お母さんが「体の弱いお父さんまで……」と言った時点で読者は「ああ……」となったのだと思う。
 
・この町の空にも、しょういだんやばくだんをつんだひこうきが、とんでくるようになりました。
 本土空襲が本格化したのは1944年以降。
 本作の舞台は明記されていないので、どこの街だったかはわからない。(どこであってもおかしくはない)
 
・風の強い日でした。
 ほんの短い一文だけど、空襲の夜に「風が強い」という一言は、当時を知る人にとってどれほど恐ろしい意味を持っていたろうかと思う。
 
・「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ」
 お母さんは最初は子どもたちと一緒に走っている。
 しかし、
「風があつくなってきました。ほのおのうずが追いかけてきます」
 という、いよいよ逃げ切れない状況になって、ちいちゃんを抱き上げて走る。
 ところが、
「お兄ちゃんがころびました。足から血が出ています。ひどいけがです」
 それで、やむなくちいちゃんとお母さんが走ることになる。
 これは本文中にはっきり書いてある点だけど子どもは見落としがち。
 お母さんの台詞はかなり悲壮なものだと思う。
 
・「お母ちゃんは、後から来るよ」
 この知らないおじさんは言ってみれば嘘をついたわけだけど、もちろん決して悪い人ではない。
 火が迫ってくる中で、幼い子どもが「お母ちゃん」と叫びながら立っていたら、他に言えることがない。
 直後の「みつかったかい、よかった、よかった」の時、おじさんは心底ほっとしたはず。
 
・「じゃあ、だいじょうぶね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんのうちに行くからね」
 普通に考えたら、こんな焼け跡で母親とちいちゃんが別行動するわけがない。おばちゃんは、大丈夫かどうか本当はかなり疑っていたはずだと思う。
 ただ、おばちゃんが実家に戻ると言っていること、「はすむかい」であるちいちゃんの家が全焼していることを考えると、おそらくおばちゃんの家も無事ではない。
 おばちゃんが一人暮らしをしていたとは思えないから、こちらも夫は戦地にいるのかも知れない。
 そんな状況で近所の子どもの面倒をみるには限界があって、心配ではあるがちいちゃん本人の言葉を信じて置いていくしかなかった……ということだと思う。
 
・お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらいながら歩いてくるのが見えました。
 ちいちゃんが死んでしまった、ということは、大体の子は理解できる。(A男は「軽くなったから浮いたってこと?」とか言っていたが)
 ただ、ここにいるということは、父も母も兄もすでに死んでいたということ。
 おそらくは父が最初に戦死し、母と兄は、空襲の晩、ちいちゃんの知らないところで焼死していたことになる。
 
・ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は、小さな公園になっています。
 子どもたちに
「『ちいちゃんが一人でかげおくりをした所』ってどこ?」
 と尋ねると、大抵「こわれかかったぼうくうごうの中」と答える。
 防空壕の中で自分の影が見えるわけはないのだが、防空壕と聞いてイメージできるわけがないので写真とかを見せるしかない。
 ちいちゃんが眠った防空壕は、おそらく家の庭にあったはずである。(あまんきみこ氏の世代にはそんなの常識だったんだろうが)
 ということは、ちいちゃんの家の跡地は公園になってしまった、ということ。
 戦災地復興の詳細についてはよくわからないので自信がないが、これはあるいはちいちゃんの一家が戦災で全滅してしまったこととも関係があるのかも知れない。