特別支援学級の担任になりました。

 知的障害児の特別支援学級です。
 特別支援学級の担任になるのは初めてです。
 
 こう……
「おれ、何も知らなかったんだな……」
 という感覚。
 
 今まで、小学校にはまあそれなりに長いこと勤務してきました。
 過去勤務した学校にも特別支援学級はありました。
 特別支援関連の仕事に関わったこともあります。
 
 にもかかわらず、特別支援学級が具体的にどのような活動をしているのか、通常学級とどう違うのか、そして知的の支援学級と自閉・情緒の支援学級でどう違うのか……具体的なことは何一つ知らなかったことを思い知らされています。
 
 それでも、4・5月に比べると少し心にゆとりが出てきたような気もするのでここに書くことにしました。
(特別支援の主任が、初任者の私でも担当できそうな子をクラスに集めてくれた、という配慮は間違いなくあります)
 
 しかし、この2ヶ月ちょっと、子どもたちのいろんなエピソードがありますけど、それをここに書くのは色々悩みますね……。
 ここのブログタイトルは「小学校笑いぐさ日記」だけど(そしてタイトルに即したことをあんまり書いてないけど)、通常級ならともかく、特別支援の子の「おもしろい行動」を笑いぐさにしていいのか……というのはちょっとどうなのかしら。
 

 でも、先日の初任者研修で言われたことを思い出します。
 
「例えば、雨の日にアサガオに水やりしている1年生がいたとします。
 通常だと、
『自分のアサガオを大事にしてるんだな』
『雨の日は水やりしなくてもいい、って判断はまだできないんだな』
 とか、微笑ましく見てられますよね。
 ところが、その子が自閉症の診断を受けていると聞いた途端、
『こだわりが強いのかしら』
 とか、『そういう目線』で見るようになってしまうことがあります。
 ですが、あくまで障害はその子の一側面にすぎない、ということを忘れないでください」
 
 ……してみると、たとえ知的障害のある子でも、微笑ましい出来事はあくまで微笑ましい出来事としてここに書いていいのか……?
 



(追記)
「雨の日に水やりをする小学生」の話について。
 
 この記事ではAI生成画像を使っていますが、研修レジュメでは写真でした。
 
 また、私がそういう小学生の話を聞いたのはこれが初めてではなく、最初はたぶん教育雑誌の投稿欄でした(「教育技術 小1」じゃないかと思ったんだけど手元のバックナンバーでは発見できなかった)。
 
 クラス全員が朝傘を差して水やりに行ってしまっていて、戻ってきた子どもたちが
「たんけんみたいで楽しかったよ!」
 と言う……というエピソードだった気がします。
 
 そのほか、今年6月のブログ記事
雨の日なのに水やり | 松が丘小学校
 19年前のブログ記事(コメント欄)
教育の窓・ある退職校長の想い:マニュアル
 などにも似たような話があり、後者では
>雨の日にかさをさして、
>朝顔に水遣りする子
うちは、毎年いますよ。
 ……と言われているので、たぶん、日本全国で繰り返されていることなのだと思います。
 
 ……障害がなくても、ですね。

AIは、「人間が教えていないもの」も描ける。 ~名前のない概念クイズ~

 世間には、画像AI生成を憎む人がいます。
 それは仕方ないと思うのですが、中には誤解に基づく非難もあります。
 
 そのひとつが、
「AIは、学習していない画像は出力できない」
 というものです。
 
 先日、以下のようなコメントを目にしました。
(これ以前にも同じ趣旨のコメントを見ました) 

AIで生成の子どもの性的虐待画像サイト運営か 19か国25人逮捕 | NHK

現時点では画像の学習なしに無からAIで画像を作ることは不可能。AIで性的虐待画像を作ったということは、元ネタになるリアルの画像を学習させたものだろう。なら逮捕されて然るべき

2025/03/01 11:59

 このコメントにたくさんの☆がついているところを見ると、大勢の人が同様の理解をしているのだと思います。
 
 私も、仕事柄、児童虐待は絶対に許せないと思っていますし、実在児童ポルノの製造・流通・販売に関わった連中は厳罰に処されるべきだと思います。
 
 しかし、
児童ポルノを生成できるAIは児童ポルノを学習したのだろう」
 というのは誤りです。
 
 上のコメントに、私は以下のように書きました。
『AIで生成の子どもの性的虐待画像サイト運営か 19か国25人逮捕 | NHK』へのコメント

リアル性犯罪には厳罰で臨むべきですが、生成AIは「幼児期のフリーレン」「ねんどろいどドナルドトランプ」等の画像も生成できます。従って「元になった実在児童ポルノがあるはず」という推測は妥当性を欠きます。

2025/03/01 19:53

 画像生成AIは、過去に存在したことのないカテゴリの絵も生成することができるのです。
 
 言うだけでは信憑性に乏しいので、実際にやってみましょう。
(以下の画像は、Stable Diffusionを使用して生成しています。SD1.5)
 
 幼少期のフリーレン。



 フリーレン様にも幸せな子ども時代があったのでしょうか。
 
 これまでのところ、同作のフリーレンは、1000年前、フランメの弟子だった頃のシーンでも今とあんまり変わらない頭身で、こういう「幼少期のフリーレン」は存在しません。
 しかし、AIはその絵を描くことができます。
 
 ねんどろトランプ。


 もちろんこのような商品は発売されていませんが、AIはそれっぽいものを出力することができます。
 
 つまるところ、「ねんどろいど」という概念と「ドナルドトランプ」という概念を学習すれば、その双方を組み合わせた画像を出力できてしまうのですね。
 
 だから、
「AIは学習していないものは描けない」
 というのは必ずしも正しくないなのです。
 

「知らない概念当てクイズ」

 
 もう少し別な観点から。
 
 クイズをします。
  
 まず、サンプル画像として、Stable Diffusion(モデルはbluepencil)に4種類の無作為文字列をプロンプトとして渡し、それぞれ4枚ずつ絵を描いてもらいます。
 
 文字列は、パスワード生成ツールを使って作りました。
 
 人間には、それぞれの無作為文字列画像の違いが見分けられるでしょうか。
 
 1つめ。これは「fXSCL8VV」の絵です。

 なるほど、fXSCがL8でVVしている感じですね。
 
 続いて「UsgUedZw」の絵。

 これは……ちょっと難しい概念ですが、UsgとUedがZwだということなのでしょうか。
 
 そして「e8uz1PTC」。

 これはe8のuz1が…ってもういいですか。
 
 最後に「6gmh85yl」。

 
 それでは問題です。
 
 下の4枚の絵は、上と同じお題で追加で1枚ずつAI生成したものです。
 それぞれ、どれがfXSCL8VV、UsgUedZw、e8uz1PTC、6gmh85ylだかおわかりでしょうか。
 

 
 正解はこちら。
 

 
 ……簡単だったかも知れません。
 
 無作為文字列でありながら、それぞれ特有の個性、共通した雰囲気を持った絵になるのがおわかりと思います。
 
 同じプロンプトから似たような絵が出てくるのは当然と言えば当然なのかも知れませんが、それでは、最初の「fXSCL8VV」、あれは何の絵なのか? というと、的確に言い表す言葉がなく、「fXSCL8VVの絵」としか形容できないように思えます。
 
 2枚目のUsgUedZwには、かなり具体的な物体も描かれています。
 人間の作った画像を学習したAIから、ある程度見知った物体が出てくるのは当然のことではあります。
 しかし、ではあの4+1枚の絵に共通する要素は何なのか……と考えると、それは「UsgUedZwである」としか言えないでしょう。

 なんか知らんが妙にかわいい。
 
 人間がAIに
「こういう絵をfXSCL8VVというんだよ」
「これはUsgUedZwだよ」
 と教えたわけではもちろんないけれど、AIの中ではそれが一定の(人間にも識別可能な)カテゴリとして存在しているわけです。*1
 
 言い換えると、人間がまだ名付けていない概念(ベクトル、と言うべきなんですか?)が、AIの中には生まれている、と言えるかも知れません。
 そう考えると、「幼少期のフリーレン」や「ねんどろトランプ」以上に奇妙な、まだ誰も思いついていない絵のカテゴリを指し示すプロンプトも、AIの中に無数に存在していることになります。
 
 画像生成AIは、確かに、過去に人間が作った画像を学習しています。
 しかし、にもかかわらず、AIは、人間が学習させたことのない画像、人間が名付けていないカテゴリの画像を生成することが可能なのです。
 

わかるものもわからない。

 余談ながら。
 
 普通に見慣れたものが出てくる無作為文字列もあります。
 
 bluepencilは女の子の絵が得意なモデルなので、女の子が出てくることが多いですが、全然そうではないこともあり、これが本当によくわからない。
 
 黄色いレーシングカーが出てくる「rCZ2psiu」とか、デフォルメ調の鳥が出てくる「cOQvJFsc」とか、髪が紫のネコミミ娘(SF風)が出てくる「HCHvAU2n」とか、なんでそれがその文字列に紐付いてるのか全然わからない。
 
 思えば、Googleディープラーニングが「猫の概念」を自力で発見した、と言われたのが2012年のことです。
 一方で、その「Googleの猫」は、我々が知っている「猫」と同じものなのか? という疑問を呈する人もいました。
 
 もし、「Googleの猫」が、私たちの知る「猫」とは似て非なる、AI独自の概念だとするならば、「cOQvJFscの鳥」もまた、私たちの知る鳥とは似て非なる存在なのかも知れません。

cOQvJFscの例。試すたびに色々な種類の鳥が出てくるが、飛んでいることはない。

*1:なお、この記事中の画像は全てStable Diffusion Web UI(AUTOMATIC1111版)で作成しています。checkpointはbluepencilです。異なるcheckpointでも似通った方向性になるようですが、逆に、同じcheckpointでも、ComfyUIでは若干ニュアンスが異なる結果になるようです。SDXLモデルは全く異なります。

(ランダム)系女子

 AI生成したイラストを晒すだけの記事。
 
 StableDiffusionには、Dynamic Promptという機能があります。
 事前に用意した語群からランダムに単語を選んでプロンプトに挿入してくれる機能です。
 
 例えば、
{ red | blue | green }{ car | fish | fruit }
 というプロンプトでイラストを9枚出力するとこんな感じになります。

 あくまでランダムなので同じ組み合わせが何度も出たりします。*1
 
 さて、それで、適当な英単語をずらーっと並べて、
「(ランダム単語) girl」
 というプロンプトにすると、なんかそれっぽい、それでいて意外性のある、いわゆる「擬人化」っぽい絵が続々と出てくるので、すっかりハマってしまいました。*2
 
 以下の絵を見て、何ガールなのか当ててみてください。
 

Broccoli girl。
 

Owl girl。「けものフレンズ」にいた気がする。
 

Shark girl。ちゃんとギザ歯になるの、AIの理解度が高い。
 

Goblin girl。モンスター系はそっちに寄って、いわゆる「モンスター娘」度合いが高くなる感じ。
 

Bonsai girl。
 なんか宗教画っぽさがあるのは、
「(minor goddess:0.1)」
 とかが入ってるから。
 

Dragonfly girl。絵柄が色々なのは、プロンプトを試行錯誤してるから。
 これは
「(colorful:0.4),(Eerie:0),(mysterious:0)」とかが入っています。
 重み付けを0に設定しても影響するのよくわからない。
 

Cloud girl。上のと同じ雰囲気。
 

Blender girl。
blender」は、本来は調理器具のミキサーのことなのですが、なんか絵がCGっぽくなります。
 

Soil girl。ニコニコしてるけど、SCP-2392(猿の樽詰め)を連想してしまった。
SCP-2392 - SCP財団
 

Yeti girl。モンスター娘。
 

Fossil girl。化石。
 

Maze girl。
 
「ほにゃららgirl」に他の形容詞を付け足すことで色々雰囲気が変わったり、ネガティブプロンプトがあれこれだったりするのですが詳細には立ち入りません。
 
 ただ、こういうのやってると、自分は「kawaii」系じゃなくてちょっと影がある不穏な絵が好きなんだなー、みたいな気づきが発生し、期せずして自分の「性癖(誤用)」と向き合ってしまったりします。


Swamp girl。スワンプマンは哲学だけど、これは妖怪ぽい。
 

Sunflower girl。
 

Cauliflower girl。
 

Mist girl。
 

Whale girl。ラッセンぽい。クジラがおかしいけど。
「mysterious」と「mystic」の違いがわかりました。(これはmysticの方)
 

ふたたびFossil girl。
 

Pencil girl。
 
 ……まあ正直、この記事読んでる人は前半1/3くらいでおなかいっぱいだと思います。
 多くの方からは、何が楽しいのかわからん、と思われる気がします。
 
 たぶん、それでいいんだと思います。
 画像生成AIは、ユーザーそれぞれが自分の好きな絵を生成して楽しめばいいと思うのです。
 
 AI絵がSNSに溢れてけしからん、AI絵はどれも没個性的だ、みたいな話をよく聞きます。
 
 しかし、それは、SNSに出てくるのはそういう
「不特定多数のウケを狙ったAI二次創作」
 だからで、本当に自分の性癖(誤用)に沿った、尖った絵を出力させて楽しんでいる人も大勢いて……しかしそれはSNS等には出てこないんじゃないかな、と思っています。
 



 ここから失敗作の話なので畳みます。

 
 皆様も是非、「自分だけが面白い」の世界を見つけてみてください(タコツボ化)。
 
「ほにゃららゴースト」とかも面白いですよ。

*1:設定によっては順番に出力したり確率に偏りを付けたりできるけどここでは立ち入りません。

*2:ランダム英単語群の作成にはChatGPTの力を借りています。

「特別なぬいぐるみ」ダッフィーはどう作られたか。「ディズニーは夢を売ってなんかいないよ! ハハッ! だって……」

 ずっと前、東京ディズニーシーに行ったとき、ストアの店頭で一冊の絵本を手に取り、衝撃を受けたのでご紹介します。
 
 タイトルは「ディズニーベアのダッフィー」。

 
 ディズニーキャラクターの一人、ダッフィーが誕生した由来を描いた絵本です。
 
 以下、引用の範囲で内容をご紹介します。*1
 
 ダッフィーは、航海に出るミッキーのために、ミニーが作ったぬいぐるみです。

(画像は前掲書から。以下、断りのない限り同じ) 
 
 で、ミッキーは、ダッフィーと名付けたそのテディベアを持って航海に出ます。
 すると、とある不思議な出来事が起きて、ダッフィーがミッキーを力づけてくれます。
 そうして、
「ダッフィーは特別なぬいぐるみなんだ」
 と評判になります。


 
 ここまでなら、 
「なーるほど、ダッフィーにはそんな設定……由来があったんだねえ」
 
 となるところですが、そこで終わらないのがこの絵本のすごいところです。
 
 その噂が広まると、人々が
「自分にもダッフィーが欲しい!」
 と言い出します。
 
 そして、ミニーもそれに応えて、次から次へと「特別なぬいぐるみ」ダッフィーを製造販売するようになります。
*2
 家内制手工業の始まりです!
 
 ディズニーの世界にもディズニーストアがあったんだ!
(並んでるお客さんが、ちゃんとディズニーデザインなのにいかにもモブキャラっぽくて趣深い)
 
 そう、ミニーが作った一点物だったはずのダッフィーを、店で買えるのにはそういう理由が……
 
 と考えるのはまだ早いのです。

『ボクにもダッフィーを作ってよ!』
たちまちダッフィーは大人気。
ミニーはいっしょうけんめい
ダッフィーを作りました。
でも、注文が多すぎて追いつきません。

 
 ミニーの手作りでは需要に応えきれません。これは困った。
 
 そして……。

 工業化社会の到来だ!
 
 私は店頭でこのページを見て購入を決意しました。

『ボクたちも手伝うよ。』
友だちのみんながミニーといっしょに
ダッフィーを作ります。

 いや、手伝うとか「一緒に作る」とかいうレベルじゃないだろ。
 申し訳程度にファンシーな飾りがついてるけど、どう見てもマイクラ工業化MOD並みの自動化量産ラインだろ。
 
 ……こうして、ダッフィーは世界中で愛されるようになりました。

 
 ミニーが、愛するミッキーのために作った「特別なぬいぐるみ」ダッフィー。
 それを世界中にお届けできるようになったのは、ディズニーの仲間たちが、今日も工場でダッフィーを作り続けているからなのです。(たぶん中国とかベトナムとかで)


(画像:tinkerbell.comより)
 そして、その全てが、本物の、「特別なぬいぐるみ」なのです……。
 
 おもちゃ屋で売っている変身ベルトや変身ステッキが「本物でない」ことは、子どもでも知っています。
 設定上、それらは世界に1つしかなく、店で売っているはずがないからです。
 
 しかし、ダッフィーは違います。
 それが工場で量産されていることが、物語で明らかにされているからです。
 
 だから、店に並んでいる全てが、「本物のダッフィー」なのです。
 
 念の入ったことに、話はこれで終わりません。
 最後のページはこうです。
 

ところで、最近こんなうわさを耳|こします。
ダッフィーが海辺をお散歩してるって。

 そう、ディズニーシー内で見かける「人間サイズのダッフィー」。
 あれが何者なのかも、この絵本は説明しているのです……。
ダッフィー&フレンズ ファンブック 2023-2024 (My Tokyo Disney Resort)
 
 ……さて、ずーっと前に買った絵本について、今さら書く気になったのは、以下の記事を読んだからです。
note.com
 たいへん示唆的な記事でしたが、その中に、
「ファンタジー・スプリングスのグローバル資本主義経済への組み込み」
 という一節があります。
 
 公式解説文によれば、ファンタジー・スプリングスには、Duchess(公爵夫人)が、美しい泉を見つけ、その流れを辿るうちに、魔法の地に到達した……という背景ストーリーがあります。

(画像:「東京ディズニーシー植民地主義 ~地理学的に解き明かす~」より)
 
 桃源郷の説話を彷彿とさせますね。
 
 ただ、「桃花源記」は、
「外の世界に戻った漁師は、桃源郷の様子を太守に語り、自分がつけた目印を頼りに再び桃源郷に赴こうとした。しかし、道に迷ってしまい、決して再びたどり着くことはできなかった……」
 で終わります。
 
 一方、ファンタジースプリングスの物語は、
「彼女は、魔法の地に小さな別荘を建てた。そして、やがて大勢の友人たちが訪れるようになると、大きな宮殿を建てて、訪問者全てをもてなすようになった」
 と続きます。
 
 そして現在では、東京ディズニーシー・ファンタジースプリングスホテルには、ラグジュアリータイプの「グランドシャトー」と、デラックスタイプの「ファンタジーシャトー」の2つのシャトーが用意され、お客様の滞在スタイルに合わせてお選びいただけるのです。
www.tokyodisneyresort.jp
 こわ……。
 
 前掲記事で、筆者・やのゆー氏は

精霊の住むファンタジースプリングスは気づけば大量の"冒険者(ゲスト)"によって埋め尽くされ、精霊が作ったおとぎ話の世界はDPAやファンタジースプリングスが巨大な利益を生んでいるように、資本主義的生産・消費のメカニズムに組み込まれてしまったのである。

 と書いています。
 
 そう考えると、あのダッフィーの物語もまた、ディズニーが自作のファンタジーを、ストーリーごと資本主義に接続する手法であり、ファンタジースプリングスの先行事例なのだな、と思い至り、こうしてご紹介することにしました。*3
 
 お金を払わないと「夢の国」に入れないなんて、あまりに現実的で世知辛く、ファンタジーの雰囲気を壊してしまう……とお考えでしょうか?
 
 そんな心配はもう無用です。
 
 ディズニー世界のモブディズニーキャラたちが、ミニーからダッフィーを買ったように、Duchessの宮殿に泊まったように、ディズニーにお金を払うことそれ自体が、あなたがディズニー世界の一員になり、ディズニーファンタジーと一体化する行為なのですから。
 
 ディズニーは夢を売ってはいません。
 支払いもまた、夢の一部なのです。
 

*1:YouTubeには、内容を最初から最後まで「読み聞かせ」している動画もあるのですがリンクはしません。

*2:グーフィーの顔がちょん切れているのは、電子化するときに裁断されてしまったからです。ファンの方申し訳ない。

*3: なお、やのゆー氏の記事の主眼は、タイトル通り、東京ディズニーシーの背後にある植民地主義的な世界の捉え方を、TDSの空間から考える、という点にあります。一方でこの記事は植民地主義にも空間にも触れてないので、先方からするとあくまで脇道ではあります。

「小学校~それは小さな社会~」を見て。「特活」と日本人。計画的に叱ることの意義。

 ドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」を見てきました。
「海外の目から見た、日本のありふれた小学校」という感じ。
 笑いあり涙ありでとても良かったです。2回劇場に足を運んでしまいました。DVDほしい。
 
 妻を始め、身近な何人かが見ているのですが、みな高評価でした。
(ネットでは批判的なレビューもある)
 
 とにかく、子ども達がちょろちょろしたりがんばったりしているのがめちゃくちゃかわいい。
 それだけでもおすすめです。
 
 予告編。
www.youtube.com
 まさにこんな雰囲気の映画です。
 
 さて、子どもがかわいいのは当然として。
 
 教員の端くれとしては、あらためて学校の……とりわけ「特別活動」の意味について考えさせられる映画でした。
 
 特別活動、略称「特活」とは、ざっくり言うと教科の授業以外の活動の総称です。*1
 清掃や、給食の配膳、委員会活動、そして運動会や入学式などの学校行事が含まれます。
 
 この映画で取り上げられている子ども達の活動は、ほぼ全て特活です。
 
 公式サイトにも、

 掃除や給食の配膳などを子どもたち自身が行う日本式教育「TOKKATSU(特活)」──いま、海外で注目が高まっている──の様子もふんだんに収められている。日本人である私たちが当たり前にやっていることも、海外から見ると驚きでいっぱいなのだ。

https://shogakko-film.com/

 という一文があり、そこが監督(と、海外の観客)にとって興味深いところだったのだとわかります。
 
 それで、監督のインタビューを読み、カメラという「他人の目」を通して眺めることで、
「ああそうか、特活の指導ってこういうことだよな」
 という形が改めて見えてきました。
 
 作中、先生たちは、運動会でも演奏会でも給食当番でも、子ども達にその「特別活動」の意義を子ども達に伝えます。
 内容や言い回しはその都度変わりますが、一般化するとそれは以下のようなメッセージです。
 

  • 活動の目的

「これは、お家の方/下級生/お世話になった上級生/クラスのみんな/地域の方(等々。とにかく「自分以外の誰か」)を喜ばせるためにやる活動です」

  • 目標の共有と協力

「これを成功させるためには、みんなが心を一つにし、互いに協力し合わなければなりません」

  • 役割分担と責任

「そのためには、あなたは与えられた役割を責任を持って果たさなければなりません」

  • 成長と教育的意義

「そして、この活動を通して、あなた自身も成長することができるのです」
 
 うわー学校だー!(学校だよ)
 
 あらためて言語化してみると、こういうの嫌いな人多そうですね……。特にネットでは。
 
 実際、作中でも、こういう考え方が全肯定されているわけではありません。
 
 途中で挟まれる職員研修の場面では、特別活動に詳しい國學院大學の先生が、これを「諸刃の剣」と評します。
(予告編の途中、後ろで流れる声がそれです)
 
 とはいえ、学校教育の立場からすると、上述のような視点を子ども達に意識させることで……
 
→子ども達のモチベーションが高く保たれる
→行事等が成功する
→子ども達の成功体験になる
→「やったー、がんばってよかった!」
→公共心や倫理観が身につく
 
 ……となるのが、特別活動の指導がうまくいった状態なのです。*2
 
 だから、映画で切り取られている先生達の指導は、特別活動の指導としてはきわめて「理想的」なものです。
 
 それが諸刃の剣だとか同調圧力だとか言われても……だって……だって……。
 
 だって、世の中ってそういうものなのでは?
 
 大人の社会でも、みんなが責任を持って己の役割を果たし、お互いが他人のために働くことで、組織や社会が機能しているのでは……?
 
 と、そう考えて、改めて気付きました。
 
 そう思っているのは、私が教員であり、日本で教育を受けたからなのかも知れない。
 
 つまり、私たち教師は(そしてたぶん、日本人の多くも)「特別活動」が前提としている、「みんなで協力してがんばろう」的な集団や社会のあり方、あるべき人間の姿を、自明のものとして内面化しているのですね。
(実践できているかどうかは別として)
 
 だから、それ以外の社会、それ以外のあるべき人間の姿を想像することができないのです。
(おそらく、國學院の先生は、問題提起の後でその辺を提示したんだろうと思いますが)
 
 この映画の原題は「The Making of a Japanese」
 集団性、協調性を基調とした日本の社会、それを構成する日本人を形作っているのは小学校である、という意味です。
 そして、その意味において、私もまさに「Japanese」だったのだ、と思わされたことでした。
 
 私としては、この映画で描かれたような学校の取り組みは、間違ったものだとは思いません。
(むしろ、メインで出てくる先生たちの力量すごいと思う。特に一年担任の渡辺先生には憧れる)
 
 しかし、「それ以外」の社会のあり方、人間のあり方が存在しうるのだ、ということは、頭の片隅に置いておくべきなのかも知れません。
 
 ……それがどんなものか、うまくイメージできないのですが。
 
(この映画中の1エピソードを編集した、約20分の短編版がYouTubeで公開されています。よければご覧ください)
www.youtube.com
 
(以降の話は脇道なので畳みます)
 

補足:あやめさんはどうして叱られたのか。

 ネットでレビューなど見ているのですが、どうも誤解されていると思うことがあります。



  
 まあ、長々と書きましたが、とにかく子どもたちがかわいい映画です。
 演技とかドラマ性とかではなく、生の子どもの姿が良い。
 
 自分の学校の子だと「指導しなければ」という目で見てしまうけど、よその学校の子は安心して笑って見ていられますしね!(無責任)
 
 静かに歩けって言われてるのに廊下でぴょんぴょんしたり、泣いてる子を心配したり、ペアで放送委員をやったり(そして男の子の方は原稿を読むのはうまいけど機械の操作はペアの女の子に任せきりで、コロナ分散登校の時にわからなくなって困ったり)、校門であいさつ運動をがんばったり……。
 

榎本先生「大太鼓を演奏する人は……」
あやめさん(ドキドキ……)
 

榎本先生「1年!」
あやめさん(えっ!)
 

榎本先生「1組!」
あやめさん「えっ!?」
 

榎本先生「井出さんにお願いしたいと思います」
あやめさん(ぱちぱちぱちぱち)
 
 一回目の(えっ!)でめちゃくちゃ笑った。
 1年生しかこの場にいないだろ。
 
 そして他の子が合格して拍手できるのすごいえらい。
 

 拍手はしたけど泣いちゃう。

 それを他の子が慰めてくれるのすごい温かい……。担任の渡辺先生の学級作りが素晴らしい。
 
 もう、学校で働いてる立場から見ると、この映画、最初から最後まで「学校あるある」の塊なんですよ……。
(渡辺先生には「あるある」というより尊敬しかないけど)
 
 最初から最後まで、劇場で大笑いしないようにするのに苦労しました。
 一緒に見た奥さんからは、「なんでそんなに笑ってるのかわからん」と言われてしまったけど。
 
 あと、
「学校の先生は、子ども達にはあんなに細やかな気配りができるのに、なんで出してくる書類があんな間違いだらけなの?」*5
 とも言われてしまったけど!
 
 短編版は、進級を控えた3月の1年生にスポットライトが当たっていますが、劇場版は、4月の入学式直前から翌年4月までの一年間、1年生と6年生を追っています。
 一年経つと子ども達の顔つきも少ししっかりしてきて(特に1年生のゆうたろう君)、子ども達の成長が見えるのも素敵でした。
 
 ともあれ、明日からもまた、子どもたちのよりよい成長のためにがんばっていこう、と思わされる映画でした。

*1:厳密には、他に「特別の教科」道徳と、総合的な学習の時間と外国語活動がある。

*2:学習指導要領では、特別活動の目標を、 「自主的,実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして,集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに,自己の生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う」 等々としている。https://www.mext.go.jp/content/20230120-mxt_kyoiku02-100002604_01.pdf

*3:劇場版の台詞は記憶に基づいて書いているので、実際の言い回しとは異なると思います。

*4: ただ、鍵盤ハーモニカは「弾いてるふり」ができるという強みはある。

*5: 妻は以前教育委員会事務局で働いてました。

飛び級。

 3年生の子から聞かれました。
「ねえ先生、ぼく、いつから4年生になるの?」
「うーん、4月からかな」
 
 法令上は4月1日に進級ですが、春休みの途中という中途半端な時期なので、子どもにとっては実感が乏しい。
 修了式か始業式のどちらかのような気がする。
 
「ぼく早く4年生になりたい!」
「どうして?」
「だって、お兄さんたち大きくてカッコいいから! 早く追い越したい!」
「お、おう、がんばれ!」
 
 上級生への憧れと、進級への期待を持って欲しい、というのは担任の目指すところだと思うので、それがうまくいってるんだなあとは思います。
 
 ……追い越せるようがんばれ。

(「ますだくんのランドセル」より。ロングセラー「となりのせきのますだくん」の続編。どちらも名作なのでぜひ)

魔法がずっと解けませんように。

 ウチの妻、小麦アレルギーになってしまいました。
 
 昨年の秋ごろ、急に体のあちこちに発疹が出て、「何だろうね?」「何かに刺されたのかな?」などと言っているうちにどんどんそれが広がって状態も悪化し。
 やがて腕にも背中にも顔にも全身に赤い発疹ができ、足の裏は膿んで歩くのも辛い状態に。
 
 その時点では原因がわからずただただおろおろするばかりだったのですが、2件目の病院で「アレルギー検査してみましょう」→「小麦の反応が出てるので、しばらく小麦を控えてみてください」の流れに。*1
 
 すると、まさに薄紙を剥ぐように症状が逆転しました。
 
 よかったよかった。
 
 ……いや……よくもない。
 
「急に病気になった」という認識だったので、最初は
「じゃあ症状がおさまるまでピザとか我慢だねえ」
 なんてのんきなことを言っていたのですが……そして、「急に出たものだしそのうち治るんでしょ」くらいに漠然と考えていたのですが、ググるとどうもこれは治らないものらしい。
 
「えっ。減感作療法とかでなんとかならないの?」
 と思ったのですがなんとかならないらしい。
 
 考えてみれば……学校にも卵アレルギーとかの子がちょくちょくいて、治るという話は一度も聞いたことがないわけで……。それはそうなんですが……。そんな急に……。
 
(正確に言うと、「治ります!」と謳っているクリニックはいくつか検索に出てくるんだけど……どうも……疑わしい気がする)
 
 というわけで、どうもウチの妻は、もうパンもうどんもピザもラーメンもケーキもクッキーも食べられないようです。
 これから一生。
 そんな急に……。
 
 正確に言うと、世の中には「グルテンフリー」を謳うメニュー、カフェ等があり、そこのピザやパスタは食べることができます。
 昨年のクリスマスも、そういうところのケーキを注文しました。
 
 それを2人で食べたのですが……。
 
 ……いや、決して不味くはないです。おいしかった。
 ただ、正直、見た目の華やかさも、味も、やっぱり、その前の年まで買っていた洋菓子店のケーキの方が数段上だと思いました。(値段はほぼ同じ)
 
 しかし妻は、それをおいしいおいしいと言って食べていました。
「久しぶりにケーキを食べた!」
 と言って。
 
 もうなんかそれが不憫で不憫で……。
 
 先日、「妻と食べると『何でもおいしくなる魔法』がかかる」という記事を書きました。
Googleマップのレビューなんてアテにならない。特に自分のは。 - 小学校笑いぐさ日記
 
 そして、その後こういうことになってしまいました。
(記事を書いたのは先日ですが、2人であの話をしたのは去年の夏頃の話です)
 
 だから、もちろん、これから不自由で大変な思いをするのは妻なのですが、私も、あの「魔法」のかかったピザやケーキを食べることはもう二度とできないのだな……と思います。
 
 いつの日か、アレルギーを治療する方法が見つかるといいのですが。
 
 今は、米粉パスタや米のお好み焼き粉、製菓用米粉などを買って、自宅で米粉メニューを作る練習をしているところです。*2
 
 それにしても、どうしてこう、妻ばかりが健康の問題に見舞われるのか……。
 
 どうか末永く健康でいて欲しいです。

*1:1件目の病院は、ただステロイド剤出してくれただけだった……。
 私も昔アトピーだったので、「ステロイド危険! ダメ絶対!」みたいなことを言うつもりはないけど、原因がわからないままどんどん強いステロイド剤が出てくるの怖い……。

*2:市販の「グルテンフリー」メニューって、ついでに卵も牛乳も不使用だったりするので、必要以上にあっさりしている気がする。
 件のクリスマスケーキも「豆乳クリームを使用しています」とかだった。