いっぱいあるよ、参加が面倒なコンクール!

 パパ教員(id:justsize)氏のブログ記事、超同意ですよー。
blog.edunote.jp
 
 しかしですね。ブクマを見て、言いたいことがあるんです……。

郵貯の「アイデア貯金箱」コンクールへの応募が面倒な件 - パパ教員の戯れ言日記

ゆうちょ、かんぽ、郵便局の本業が今どんな有様かを見れば、彼らの人を人とも思わない姿勢が一貫したものだと納得できるだろう。

2019/08/31 12:08
b.hatena.ne.jp
 
 違うんだ! クソなのは郵貯だけじゃないんだ!
 
 毎年夏休み前になると、
「子どもたちの夏休みの課題として取り組ませてください」
 みたいな発想で、学校に募集要項を送ってくる団体が山ほどあるんです。(あと冬休み前も)*1
 
 学校で文書を保管するのに使ってるファイルは基本的にフラットファイルですけど、「コンクール要項」だけはキングジムの分厚いやつ。 しかも「国語関係」と「図工関係」で2冊あって、これが1年で一杯になるんです。
 
 で、応募がめんどくさいコンクールが多い。
 
 ちょっと、「教員の多忙感」ってやつの原因の一端をお話ししたい。
 

字をていねいに書こう!(職員が) JA共済道コンクール

 正式名称は
JA共済小・中学生書道・交通安全ポスターコンクール」
 で、交通安全ポスターコンクールも一緒にやっています。
 
 トップページはここ。
JA共済小・中学生書道・交通安全ポスターコンクール
 
 まず注意事項のページ

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注意事項
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悪い例
 
 学年は「一年」と書くのだけが正しい。
「一年三組」とか「鱶沢小一年」とか「一年生」とか書いたらその時点で審査対象外。
 学校に持ってきた時点で間違ってたらもうどうしようもないので、夏休み前に注意しておかねばならない。
 
 ……これくらい大したことない、と思ってますね?

 でも、世間には書道コンクールはいっぱいあります。
 そしてこのへんはコンクールごとにそれぞれ規定が違って、
鱶沢小一年と書け」
鱶沢小学校一年と略さず書かねばならぬ」
「いや、学年を書いてはならぬ
 とか色々。
 
「Papars,Please」か。
 
 そしてこのコンクールのめんどくさいところは名札。
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JA名札
 この名札を切り取ってのり付けして出品しなきゃならないの。一点一点全部。
 
 氏名も学年も作品に書いてあるだろ!
 
 いやまあ、子どもの字は下手だから読めないかも、ってことなのかも知れませんが、だったら逆に作品への学年の書き方とかを厳格にする意味がわからない。
 
 JA宮城はpdfで様式を配ってますけど、pdfが編集できる学校はたぶん少数派なので、ほとんど全部手書き。
「先生へ」って書いてあるとおり、子どもや保護者が記入することは想定されてなくて、全部学校での作業。
 
 そしてこれで終わりではない。
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目録
 出品目録……つまり、出品する作品全てのリストを作らなければならないのです。pdf。
 
 しかし実のところこのコンクールの一番謎なところは運営の方法です。
 
 さっきのサイトで「応募方法」をクリックするとこんなページに飛ばされます。
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応募方法
「応募の方法は都道府県によって異なります」……?
 
 都道府県をクリックすると以下のような感じ。
 
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 募集要項・名札・出品目録がダウンロードできる千葉。
 
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 共済連へのリンクと「お近くのJA」検索へのリンクがある福島。
 
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 電話番号しかない東京。
 
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 そしてもう終了している愛知。
 
 そう……「全国コンクール」と銘打っているにもかかわらず、運営方法が地域ごとにバラバラなのです。
 子どもたちが書いてきた作品を全て送付してよかったり、校内で審査して学年2点に絞れとか、目録のエクセル版が用意してあるとか(目録の様式も県によって違う)。
 
 しかし「作品に『一年生』って書いたら失格」というのは一致している。
 
 まあ、どうせ地元のJAに送るんだからバラバラでも困らないんですけど、例えば東京のコンクールの締め切りとか、ネット上で知る方法がない。
 
 要項がダウンロードできる場合でも、「締め切りは地域のJAによって異なります」とか書いてあって、つまり都道府県内でもバラバラ。
 じゃあどうするのかっていうと、「県本部より学校へご案内します」って書いてあるとおり、紙ベースで分厚い文書が郵送されてきて、そこに締め切りが載っているのです。
 
 ……でもね、地域差があるのかも知れないですけど、JAからの文書ってすげえ送られてくるの遅いんですよね……。
 
 ちなみによく事情がわからないんですけど、北海道の要項とか見ると「埼玉県のJA共済コンクール事務局に直接送れ」って書いてありますね。
 
 埼玉県のJAは「個人および書道教室等からの出品は受付けておりません」って言ってるのに、北海道の人は個人で埼玉に送っていいのか……? 謎。
 
 まあとにかく、注意事項をマンガにしたり凝ったサイトを作ったりする前に、まず運営方法を統一して、必要な情報や書類をサイト上で得られるようにして欲しい。
 

今年までの我慢だ(たぶん)! オリンピックポスターコンクール

東京2020オリンピック・パラリンピックに向けたポスター募集企画 」。
 
 サイトは以下。
tokyo2020.org

東京2020組織委員会では、今年度も全国の小・中学校、特別支援学校、海外の日本人学校等に在籍する児童・生徒を対象にオリンピック・パラリンピックをテーマとしたポスター募集企画を開催いたします。
また、ポスター制作をした方には、全員に御礼状と参加賞を贈呈いたします。

 「今年も」ってことは毎年やってるんですよ。知ってました?
 
 例によって……
 

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作品用紙
 作品に貼る名札と……(なおこれは「裏面左下」に貼らなければならない)
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目録
 目録を作る。
 
 ちなみに、この名札と目録は、五輪のサイトからはダウンロードできない模様。
 
 どうせ作業するのは学校だからね! サイトからダウンロードできる必要はありませんね? 学校には紙ベースで送ってあるし!(手書き前提)
岐阜県教委がpdfでアップロードしてた)
 
 しかしこのコンクールの何がアレかってこれですよ。
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参加数
「各学校から組織委員会に送付いただく作品(代表作品)は、各学校で、1枚程度とします」
 
 たった……たった一枚のために、目録書いて梱包して郵送せねばならないのか……。
 
 justsize氏は
「校内審査ではコンクールの意味がないのでは」
 と言ってましたが、たった1点しか選べないのではその弊害が大きい。
 
 昨年度の入賞作品を見ると……その……いわゆる「教師が見ていい作品だと思う作品」とは、入賞作品の傾向がだいぶ違う気がします。
 つまりオリンピック組織委員会の審査基準と、学校の校内審査基準に齟齬がある。
 
 この状況で「学校で1点だけ選んで下さい」となると、教師が落とした作品の中に、組織委員会にとっての「傑作」がある可能性が高くなってしまうのでは。

 まあ……校内審査を要求するコンクールって、実はとても多いんですけどね……。
 
 ともあれ、
「全員に記念品をあげるよ!」
 って書いてあるけど、実際に校外に出品して審査されてるのは1人だけ、というのはどうにも子どもを騙してる感があります。
 
 ……しかしこれ、
「本校では応募総数が2451点だったので50点出品します。あと記念品を2451個ください」
 って言ったらいけるんだろうか。
 
 余談ながら、ポスターもアレなんですけど、オリンピックのマスコット、小学生による投票で決まったの知ってます?
 
 いかにして「投票」したのかというと、これまた学校が窓口でですね……。
 
 クラスごとに「どれがいいですか?」って聞いて、「各クラス1票」で投票するという謎システム。
 すごい死票が多そう。
 で、それを組織委員会に報告するという……。
 
 なぜそれを学校がやらねばならないのか。
 
 なんか、「オリンピック教育」とかで、開催や投票に先立って五輪についての授業をやって欲しいらしく、それ専用の指導案まで作ってあるんだけどね……。
tokyo2020.org
 学校がそんなにヒマだと思ってるのか君たち……。
 
 あと、メダルの原料にする金・銀を集めるための「不要スマホ回収箱」が市内全部の学校に送られてきたりですね……(もちろん1個も回収されなかった)
 
 オリンピック組織委員会、学校をタダ働きさせる前提で事業を進める一方で、無駄なところにカネを使うよな……。
 

貯金箱コンクール

 justsize氏が批判して大臣にも捕捉されたゆうちょ銀行の貯金箱ですけど、あれ、以前よりマシになったんですよ。
 以前はPCやスマホからの応募ができなくて、必ず現物を梱包して郵便局に持っていく必要があったんです。
(その前は校内審査がなくて全部郵便局に送っていたという話ですが、その頃のことは知りません)
 
 justsize氏の学校はネット環境的に厳しい、という話ですけど。
 
 あと、以前あのコンクールで一番めんどくさかったのは「エントリーシート」ってやつで、出品作品の優れた点、工夫されている点を200字くらいの文章で専用の用紙に書いて同封しなければならなかったんですが、要項を見る限りそれは今年は必要なくなった……のかな……?(昨年はあった)
 
 ちなみに出品できるのは学年1点だけですが、「30名が作ってきました!」って報告すると30名分の記念品をくれます。
(代表者には記念品に加えてノートか何かをくれる)
 
 実は、色々な応募方法を工夫しているだけマシな部類とも言える気がします。まだ。
 

そのほか

 
 あと、青少年読書感想文全国コンクールもクソコンクールだなあ……。
 出品票がめんどくさい(読んだ本が何ページあるかとか、読んだのは第何版で初版発行が何年とか本のサイズは縦が何cmかとか書かなきゃならない)のに加えて、「全国」と言いつつ地域審査は各学校の教員が集まって審査員をやるから、出品以外に審査にも教員の労力が必要という……。
 
 というか、しつこいようですけど、コンクールごとに微妙に仕様が違うのほんと嫌。
 
絵画だと
「画用紙のサイズはA2です」
「四つ切り画用紙です」
「このコンクール専用の用紙があるのでそれを使って」
「ポスターだからスローガン等を入れて」
「スローガンはこっちで入れるから文字は書かないで」
 
(交通安全ポスターだと、
「ドライバーはシートベルトを締めていなければならない」
「信号機の色は正しい順番でなければならない」
 とか規定があるけど、これは仕方ないかな……)

読書感想文だと、
「一行目は題名、二行目に学校名・学年・氏名を書いてください」
「一行目は題名、二行目に学年と氏名。学校名は書かないで」
「一行目から本文。題名は欄外、学年と氏名は出品票だけに書いて」(全国青少年がこれ)
「作品と出品票は重ねて右上をクリップ止めして提出」
「作品と出品票は3枚複写して、左上をホチキスで閉じて3部とも提出」
 
 唯一共通しているのは、
「「「応募規定を守らない作品は、審査対象といたしません!」」」
 
 アルストツカに栄光あれー。
 

まだマシなやつ。

 
 うらみつらみを書いてきましたが、いいコンクールもあります。
 
 例えば、「WE LOVE トンボ」絵画コンクール。
 トンボの絵を描くやつ。
応募規定
 なんでトンボかというとトンボ鉛筆が主催だから。(あと朝日新聞
 
 これは学校などの団体で応募してもいいけど、個人で直接応募してもいい。
 つまり、学校が目録を書いたり発送作業をしたりしなくていい。
 
 そして全員に記念品(上位入賞者の作品写真を印刷した下敷きだと思う。たぶん)をくれる。
 
 ……ただ、作品を返却しないのに、出品者の住所と電話番号書かせるのちょっと怖い。
 まあ、受賞した時に連絡先がわからないと困るんだろうけど……。
 
 公的機関だと、内閣府・防災推進協議会主催の「防災ポスターコンクール」。
www.bousai.go.jp
 これも、学校で応募してもいいけど、個人で直接応募してもいい。
 
 もうね、コンクールをやるのは勝手だけど、学校を窓口にしようとするな、と強く言いたいです。
 学校はお前らの出先機関じゃないんだぞ。
 

働き方改革

 ……と、色々書いてきましたが。

郵貯の「アイデア貯金箱」コンクールへの応募が面倒な件 - パパ教員の戯れ言日記

これ、まともなコンクールを「先生たちのオススメ」として生徒に紹介したらあかんのかな。素朴な疑問。

2019/08/31 10:58
b.hatena.ne.jp
 うん、やってます。
 
 夏休み前に何十個も送られてくるコンクールに全部出品してたら出品担当者が死んでしまうので、何らかの形で精選が必要です。
 
 本校では
「学校として参加して欲しいコンクール」
 をリスト化して、夏休み前に子どもたちに配っています。
(だから、要項を送ってくるのが遅い団体は超困る。
 名前の書き方とか画用紙のサイズとかコンクールによって色々だから、そのリストに書かなきゃならないんだよ…)
 
 ……で、ここまで書いてきてアレなんですが、JA共済とかオリンピックとかゆうちょ銀行みたいなクソコンクールは、本校では「参加して欲しいリスト」から外しました。
 もちろん担当者の独断ではなく、管理職と相談し、職員会議で提案した上でですが。
 
 それでも10個くらい残ってるけど(図工だけで)。
 
「参加してないのかよ!」
 って言われそうですけど、世の中、本校みたいに教育委員会が寛容で校長も業務改善に熱心な学校ばかりではありません。
「五輪ポスターコンクールは必ず出品しろ」って言われてる地域とか絶対あると思います。
 そういう学校で苦しんでいる先生は必ずいるので、その負担を減らしてあげて欲しい。
 
 また、逆に、
「おたくのコンクールの募集チラシは配布せず捨てました」
 っていうのは、運営団体にとっても残念なことだろうと思います。
 捨てられたくなければ運営方法を変えていただきたいと思います。
 
 個人参加が可能なら、とりあえずもらったチラシは配布するしポスターも掲示しますから。
 
 で、そんな本校でとりまとめをやってるコンクールって何? って話ですけど。
 
・地元の警察署が主催する交通安全ポスターコンクール
・地元の商工会が主催する風景画コンクール
・地元の福祉事務所が主催する福祉ポスターコンクール
 
 ……みたいな。
 
 地元の団体が主催しているものに参加する、という方針なので、「オススメコンクール」を具体的に挙げるのは難しいです。
 
 全国コンクールに参加するのが無意味だとは言わないんですけど(個人参加が可能なやつはチラシを配布して「やりたい人はやってね」って言ってる)。
 
 しかし、地域のコンクールなら、とりあえず参加すると商工まつりの会場で飾ってもらえて、地域の人に見てもらえたりするので。
 商工まつりに行くと、両親と祖父母と一緒に展示作品を見に来て、「あったー!」とか言って自分の作品の前でピースして記念写真、みたいな姿を目にします。
 
 そう考えると、あえて大きなコンクールに出すより、地元のコンクールで見てもらった方が、子どもにとっても満足感が大きいかも知れない、と思っています。
 

*1: 中には8月中に送ってくる団体もある。  夏休み中だから! 子どもたちいないから!    ……と思ってよく消印を見ると、向こうが発送したのは7月中なんだけど、県教委→市教委→学校と回ってくるのに3週間くらいかかっていたりする。  お役所だからしかたないね!

「天気の子」も「オメラスから歩み去る人々」も名作だ、という話。

 見てきました天気の子。
 事前にあらすじは知っていて、あまり期待はしていませんでした。
 なんか、セカイ系エロゲー文脈だとか言われてて、
togetter.com
 正直そっち方面の教養はないし、「万人受けを捨てた賛否両論映画」とか言われていたので。
 
 そしたらすごく良かった。
 見ながら2回くらい涙してしまった。
 
 ……なお、一緒に見た奧さんは
「マジで? 私は途中から『うわー駄作映画を見てしまった……』って思いながら見てた」
 だそうです。*1
 
 賛否両論ですね!
 
 そんなわけで、個人的な感想を、とある古いSF(……なのか?)と絡めて書いておきます。
(どっちも全力でネタバレします)
 

「オメラスから歩み去る人々」

 「オメラスから歩み去る人々」は、アメリカのSF作家、アーシュラ・クローバー・ル=グウィンが書いた短編小説です。(ヒューゴー賞受賞作品)
 
(ここから作品紹介をするので同作を読んだことがある人は読み飛ばしてください)
 
**ここから**
 
 ル・グィンは、SFとしては「闇の左手」が有名ですが、たぶん作品としてはファンタジーである「ゲド戦記」が一番有名かも知れない。……ジブリ映画にもなったし。*2
 
 「オメラスから歩み去る人々」も、どっちかというとファンタジー作品です。
 
 あらすじを説明しますけど、文庫本で16ページしかない短編だからみんな読んで!*3

風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)

風の十二方位 (ハヤカワ文庫 SF 399)

 作品は、「オメラス」という架空の都市の情景を描きます。
 
 オメラスはある種の牧歌的理想郷です。
 古く美しい街並みに、穏やかな気候、明るく、そして思慮深い人々。
 身分の上下はなく、芸術や学問も高みに達しています。
 
 さりとて、オメラスはいわゆる反テクノロジー的な、あるいは禁欲的な「天国」ではありません。
 高速鉄道や、あるいは洗濯機の類もあるかも知れないし(そこは読者の想像に任せる、と作者は語ります)、読者が望むなら、性宴(オージー)や、習慣性のないドラッグ「ドルーズ」を付け加えても良い、とされています。
 
 ともあれ、<夏の祝祭>を前に、郊外の草原で草競馬の騎手になる子どもたちの緊張と高揚、大樹の下で横笛を吹くことに熱中している少年、そしてそれをあたたかく見つめる大人たちの姿が描かれます。
 
 それで?
 
 かくも完璧な理想郷であるオメラスですが、実はこれは、ある契約にもとづいたものなのです。(このへんがややファンタジー要素)
 
 それが何者との契約なのかは語られませんが、人々の幸福の代償に、オメラスのとある建物の地下室には、がりがりにやせた一人の子どもが閉じ込められています。
 
 部屋には窓もなければトイレもなく、子どもはしょっちゅう排泄物の上に座るので、尻やふとももは腫れて膿みただれています。
 子どもは大体ぼんやりと座って、鼻をほじったり、陰部をいじったりしていますが、自分の両親や、外の生活のことも知っているので、時には
「おとなしくするから、ここから出してちょうだい!」
 と叫ぶのですが、誰もそれに答える者はいません……この子どもに優しい言葉一つかけてはならない、さもないと、オメラスの幸福は全て失われる、というのが「契約」だからです。
 
 オメラスの住人は、物事が理解できる頃になると皆このことを知らされます。
 最初は誰もがショックを受けるのですが、やがて、その現実を受け入れるようになります。
 
「あの子は長い地下生活で知的に遅れているから、助け出してやったところで、与えられた自由や文化の幸福を大して理解できないだろう」
「外に出たところで、やはりみじめな気持ちでいることは変わらないに違いない」
「あの子一人の幸福と、この街の何万人もの幸福を引き替えにすることはできない」
 
 このようにして、オメラスの人々は自分を納得させるのです。
 
 ……しかし、時には、そうでない人もいます。
 
 若者が、あるいは、もう何十年もオメラスで過ごした大人が、黙って思い悩んだ後、ふっと姿を消すのです。
 彼らは夜明け前に街を出て、どこかへと歩み去ります。
 その行き先がどこであるかはわからない、と作者は言います。「しかし、彼らは自らの行先を心得ているらしいのだ。彼ら―オメラスから歩み去る人びとは」
 
**ここまで**
 

オメラスに住む私たち。

 ……もちろん、ル・グィンが描きたかったのは、架空の理想郷ではありません。
 私たちの住むこの世界なのです。
 
「天気の子」で、圭介社長は言います。(小説版)
 
「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。
 俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?
 ていうか皆そうなんだよ。誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。
 損な役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。普段は見えてないだけでさ」
 
 私たちの社会は、オメラスのように素晴らしい理想郷ではありません。
 
 しかしそれでも、その豊かさ、便利さを支えるために、どこかで多くの人が犠牲になっている。
 
 それを
「仕方ないんだよ。世の中そういうものだよ。どうしようもないんだよ」
「哀れな彼らを救うために、私たちみんなの幸福を犠牲にすることはできないよ」
 等々と受け入れるのか? ということを、ル・グィンは問うたのです。
(ほとんどの人は受け入れているよね、と言いたかったのかも知れない)
 
 そのことは、「オメラス」の作者解説や、その次に掲載されている「革命前夜」で明らかです。
 作者は、「革命前夜」の主人公である年老いた革命家、タヴィリを「オメラスから歩み去った人々のうちの一人」と述べていますが、両作品が同じ世界にないことはほとんど確実なので。
 

歩み去らない、ということ。

 ただ、ル・グィンの言わんとすることはわかるものの、昔、高校時代に「オメラス」を読んだ時から、どうしてもひっかかることがありました。
「あの子はどうするの?」ということです。
 
 オメラスから歩み去る人々の志は高潔かも知れないし、故郷を現状のままにしていくのはおそらく抑制的な態度なのかも知れない。
 あの子を助け出した結果オメラスに巻き起こるスペクタクルを描くのは、ル・グィンがやりたいことではなかったのでしょう。でも……あの子はどうなるの?
 
 そう考えた時、「天気の子」は、まさに「あの子」を救う物語だったと思います。
 
 みんなの幸せのために、犠牲になろうとする天気の巫女。
 それを救い出した結果、豊かで便利な東京は水の底に沈みます。
 
 でも、それで世界が滅びるわけではない。
 
 水没した山手線の上には水上バスが走り、テレビの天気予報は雨の止まない東京で「どれくらい強い雨が降るか」を語り続けます。
 世界の形は変わってしまったけれど、それでも、新しい世界に人々はなんとか適応して生きていくのです。
 
 だから、オメラスから歩み去った人々も、歩み去る前に、あの子を地下室から救い出しても良かったのです……おそらく。
 
 もちろん、「オメラス」と「天気の子」は全然違う作品です。
 オメラスから歩み去った人々が、(おそらく作者と同じように)より良い社会を築きたい、という思いを抱いているのに対して、「天気の子」の帆高は、別段社会に対する何の考えもなく、たぶん世界を変えてしまうことへの覚悟もなく、「ただもう一度あの人に会いたいだけ」です。
 でも、それでいいのだと思います。
 オメラスから歩み去った人、例えば革命家タヴィリの思いが高潔なものだったのは確かでしょうけれど、動機が「愛にできること」だってやっぱり尊い
 むしろ、個人の愛を否定してしまったら、社会改良に意味があるでしょうか?
 

以下余談。

私「……それで、どの辺りが気に入りませんでしたか」
妻「私は別に、子どもがチンピラに殴られたり、銃を撃ったりする映画を大画面で見たいわけではなかった」
私「ああ……」
妻「映像は綺麗だったけど……。私は前情報を全然知らないで見たけど、CMとかポスターで見せてる雰囲気と、映画の内容がだいぶ違うと思う」
 
妻「そもそも、あんな子どもが風俗に勧誘されるとか、暴力とか、よろしくないと思う。教育者としてどうですか」
私「ええ……。でも、実際『プチ家出』とかで繁華街に出てきた未成年が危険な目に遭ったり、そのまま悪い世界に引き込まれてしまう現実はあると聞くので。
 島からのこのこ出てきた主人公が、親切な人に出会ってそのままスムーズに東京暮らし……みたいな脳天気な展開になったら、それこそマズいのでは」
 
私「カップラーメンとか、実在の商品が大量に出てきてたけど、あれはみんなタイアップなのかなあ……。『ムー』は『書く方も読む方もウソだとわかってる』扱いだったし、Yahoo!知恵袋は『役に立つ回答が絶対に返ってこないサービス』扱いだったし、バニラトラックも『怖い世界の入り口』扱いだったし……」
妻「バニラトラック?」
私「なんでもないです」(ウチは田舎なので走っていません。私もYouTubeでしか見たことがない)
 
妻「『天気の巫女』というのはいわば神聖な存在なのであって、その力をお金もうけに使う、という発想はどうなのかなあ、と思った」
私「うーん…神話伝説的な存在が現代世界に登場したら、という仮定としてwebサービスの形にしたのは面白かったのでは……?
 ある意味では、より現代的になった『魔女の宅急便』なんじゃないかな。
 もちろん、あれは決して『いいこと』ではなくて、だからこそ代償を支払うことになる、という話だったのでは」
 
私「主人公は警察に捕まるし、社長も警察に捕まるし、センパイは補導されて夏美さんもたぶん警察に捕まってるんだけど、結局みんなめでたしめでたしで良かった。
 なんか会社は大きくなってるし、夏美さんはたぶん就職できたみたいだし。
 警察に捕まっても社会復帰することはできるんだよ、という希望があった。
 社長が警察を殴ったせいで娘さんに会えなくなったりしたらさすがに後味悪かった」
妻「この映画を『めでたしめでたし』と言っていいのかなあ……」
 
妻「なんか、前作『君の名は。』で万人受けする映画を作ってしまった監督が、
 『オレはそんなお行儀のいい映画ばかり作る人間じゃないぜ!』
 って、ことさらに露悪的な表現に走ってしまったように感じる。
 前作に怒った人の方ばかり向いて、前作を好きだった人を忘れているのでは」
私「私は『君の名は。』も『天気の子』もどっちも良かったと思うから、そう言われてもよくわからない。前作とジャンルが違うのは感じるけど」
 
私「そういえば、あのチンピラ、終盤の快晴になるシーンでちらっと出てたね」
妻「赤ちゃんだっこして、奥さんと一緒にいるカットね」
私「帆高を殴ったりするシーンでは、正直こんな奴車にでも轢かれたらいいのに、と思ってたんだけど、あれを見て、ああ、こんなクズ野郎でも妻と子がいて、車に轢かれたら困る人がいるんだなあ、と……」
妻「そんなに奧さんと子どもが大事ならもっとまともな職を探して欲しいです」
私「ごもっとも」
 
 ……まあ、「前作みたいなのを期待していたら違った」「CMやポスターのイメージと中身が違う」というのが、賛否両論の理由なのかなあ、と思いました。

*1:「でも気にはなってたし、話題作を一緒に見られて良かったにゃー」だそうです。 隙あらばのろけていくスタイル。

*2:ご存じの方も多いでしょうが、ル・グィンはあの映画に 「よくも登場人物を白人にしやがったな!」 「魔法の剣で悪い影を切ってめでたしめでたし、というのは作品のテーマが全然違うだろ!」 と激怒していた。

*3:短編集「風の十二方位」所収。作者解説を入れても19ページ、次の「革命前夜」を入れても42ページしかないよ!

スキュモーフィズム定規

 さて皆さん。
 突然ですが、下の写真の物差しは、本校の小学校2年生が使っているものです。*1
 

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 皆さんは見たことがありますか? あるはずですね?
 それで、この物差しが何でできているかわかりますか?
 
 木? 竹?
 
 ……いやだなあ、そんなものでできてるわけがないじゃありませんか。
 昭和じゃあるまいし。
 
 この物差しは、もちろん、プラスチックでできています。
 端のところを拡大するとわかりやすいですかね?
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 透明なプラスチックで、裏面……つまり机やノートに接する部分に、目盛りと、茶色い塗料が塗ってあるのです。
 
 竹の物差しなんて、使っているうちに反るし、手にトゲが刺さったりしますから、子ども向きではないですよね!
  
 ……プラスチックならどんなデザインにもできるのに、なんでこんな古風なデザインなのか?
 
 ……教科書を見てください。
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東京書籍「新しい算数」2年上
 
 これ、現役小学生が使ってる教科書ですからね?
 タイトルは「新しい算数」ですからね?
 
 ……つまりですね。
 
 その昔、物差しと言えば竹、というのが常識だった時代に、算数の教科書が作られました。
 その後、プラスチックが登場して、社会にも、子どもたちの文房具にも、便利なプラスチックが普及しました。
 そしてその間、教科書は何度も何度も改訂されました。 
 
 にもかかわらず、教科書に載っている「ものさし」は、このデザインのまま残っちゃったわけです。
 
 それで、今度は教材会社が、教科書に合わせて、わざわざ「竹の物差しそっくりなプラスチック物差し」を開発したわけですよ。
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教科書の拡大
 よく見ると、教科書には「竹のものさし」って書いてある。
 
 昭和じゃないんだから……!
 
 私が10年くらい前に勤務していた学校では、2年生がこの「長さ」の勉強をするのに合わせて、まさに竹の物差しを購入していたんですけどね。
 便利な時代に……なってないだろ!
 
 何が変かって、子どもたち、普通の物差しはちゃんと持ってるんですよ。
 でも、教科書で扱う「ものさし」がこれなので、それに合わせて、別にこのヘンテコな物差しを買わねばならないのです。
 
 そして、この「竹みたいな物差し」が、2年生にとって使いやすいか、というと、全然そうではありません。
 何しろ、目盛りに数字が書いてないので。
 
 もちろん、大人であれば
「同心円のマークが書いてあるのが10cmごとで、その中間の黒丸が5cmの印」
 というのはすぐわかりますが、これが2年生には難しい。
 特に、学力が下位の子には。
 ただでさえ、cmとmmの2つの単位を扱わねばならず、頭がこんがらがる子が続出するのに。
 
 2年生を担任して、長さを測る問題がわからなくて答えがめちゃくちゃになっている子に、
「この茶色い物差しじゃなくて、筆箱に入ってる方の物差しではかってごらん」
 って言うと正確に測れる、みたいなことを何度も経験しました。
 
 もちろん、かつて、世の中でも竹の物差しが一般的で、それが使えなければ長さが測れない、という時代には、この教科書のように教えるのは非常に実践的だっただろうと思います。
 しかし現代では、こんな目盛りの振ってない物差しをわざわざ買ってまでやらせる意味がない。
 
 そりゃまあ、一部の業界とかでは今でもこういう物差しが使われているでしょうけれど、そんなのその時に読めればいいんですよ。
 
 時計だって、世の中には文字盤に数字のない時計もあるけど、初めて時計の読み方を教わる子どもにそんなの使って教えないでしょう。
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文字盤に数字がない、金色の懐中時計のイラストです。
 
 ムダなことをやっているなあ……というか。
 子どもたちに不必要な苦労を押しつけているなあ、と。
 
 文科省も教科書会社も、タブレットだとかプログラミング教育とか言う前にこういう地道なところを現代化して欲しいなあ、と思うことなのでした。
 

*1:私が今勤務している学校でも、異動する前にいた学校でも、その前の学校でもこれを使っていました。

「生い立ちの授業」の話。

 昨年度は2年生を担当していました。
 
 で、年度末ごろ、生活科で「生い立ちの授業」……つまり、生まれてから今までの自分の成長を、保護者に聞いて振り返る、という学習をしました。
 そして、その発表会を、年度末の授業参観でやるという計画。
 
 いや、これとか「1/2成人式」とかって、世間では
「センシティブな個人情報に必要以上に学校が立ち入りすぎではないか」
「被虐待児童や離婚家庭などへの配慮がない」
 といった批判があるのは承知しています。
 
 とりわけ、はてな界隈では
「学校は授業だけやってればいいのに余計なことするな」
 とか蛇蝎の如く忌み嫌われている授業です。
 
はてブの反応の例(どっちも主題は1/2成人式だけど)
[B! hatena-bookmark] 考え直してほしい「2分の1成人式」――家族の多様化、被虐待児のケアに逆行する学校行事が大流行(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
[B! hatena-bookmark] 「名前の由来」「昔の写真」必要か? 2分の1成人式(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
 
 でも、生活科の教科書に載ってるんだから担任の判断で勝手に省略できないじゃないですか……。
 
 で、保護者に、これまでのエピソードを子どもたちに教えてくれるようお願いしたり。
 入学以前の写真を用意してくれるようお願いしたり。
 子どもたちにエピソードをいくつか選ばせて原稿を書かせたり。
 原稿にあった写真をスキャンしたり。
 写真がない場面については絵を描かせてそれをスキャンしたり。
 
 正直すごいめんどくさいので担任としても二度とやりたくない気持ちでいっぱい。
 写真はスキャンしたらすぐ返すけど、万一汚損したら……とか思うと気が気じゃないし。*1
 
「お母さんへのお礼の手紙」とかはやりませんでした。
 片親とか再婚とかの家庭がないらしいことはわかっていましたが、お母さんへの手紙を書いてお父さんが参観に来たら気まずいし。
 
 それに、手紙を書くとしたら授業の最後に渡すことになるわけですが、保護者はそれまで教室にいないんじゃないかな、と思ったので。
 
 というのも、子どもたちの発表って、
 
「ぼくは生まれる前、お母さんのおなかを元気にけとばしていたそうです」
「わたしが生まれた時、お父さんとお母さんとお兄ちゃんはとてもよろこんだそうです」
「1才の時、つかまり立ちをしました。どこへでも行ってしまってお母さんはたいへんだったそうです」
「年長さんの時、はじめてなわとびができました。おかあさんにほめてもらって、とてもうれしかったです」
「3年生になったら、字がていねいで、かきゅうせいにやさしい3年生になりたいです」
 
 ……みたいな話を、スライド(写真or本人の描いた絵)とともに発表する……という内容。
 
 一応は全員違う内容だとはいえ、そんなに劇的に違いがあるはずもなく。
 似たり寄ったりな話を30人くらいぶっつづけで延々聞かされるという……。
 
 自分で授業参観にぶつけておいてなんですが、ものすげー退屈な内容なのですよ。
 
 だから、保護者には事前に
「出席番号順に発表します。時間は1人あたり2分弱です」
 と連絡しておき、自分のお子さんの発表だけ見られるように配慮しておきました。
 
 第一、他の学年に兄弟姉妹がいる場合、そちらの授業も見に行かねばなりません。
 何分頃に見に来ればいいのか伝えておくのは大切なことです。
 
 ……という計画だったのですが。
 
 いざ子どもたちの発表が始まってみると、保護者の真剣さたるや。
 もちろん、兄弟姉妹関係で途中離席する保護者もいたのですが、ほとんどの方が、自分のお子さんの発表が終わってからも食い入るように発表を見ておいでで。
 教室後方に用意した保護者席はほぼ満席。
 
「どういうことなの……」
 
 そして、授業後に回収されたアンケートはわりと絶賛の嵐。
 
「子どもたちの成長をあらためて感じる素晴らしい授業でした」
 いや担任はほとんど眺めてるだけの『授業』でしたけど。

「今は毎日の慌ただしさに追われていますが、毎日が笑顔だったあの頃を久しぶりに思い出しました」
 大丈夫ですかお母さん。
 
「最後の先生のお話は、まさに私が言いたかったことを言ってくださった、という思いでした。*2
 みんなにその気持ちがあれば、いじめなどなくなると思います」
 その、いじめが「起きない」じゃなくて「なくなる」って言い方はどういう……。
 
「話す順番でない子も仕事があるなど、工夫されていて良かったです」
 『仕事』って言っても、発表待ちの子は自分の前に発表する子のスライド係をやる、ってだけなんですけど……。
 PCのカーソルキーを押すだけの簡単なお仕事。
 担任は当日は全体を見ていたいし、それに、担任がスライドをミスるのは失策だけど、2年生がミスっても微笑ましく見ていただけるので……。
 
 まあ、もちろん、アンケートを提出されない保護者の方が多いので、不満がないのかどうかはわかりませんが。
 しかし、少なくとも苦情めいたアンケートは一件もなく。
 
「退屈なんじゃないか」
「人権的にどうなのか」
 などという不安があったにもかかわらず、結果的には、過去何十回かやった授業参観の中でも特に好評だったという……。 
 
 結局、同じ発表であっても、子どもがいない私が見るのと、実際にそのお子さんを産み育てた保護者の方が見るのでは、全く違った感慨があるのでしょう。
 今回はたまたまそれが良い方向に働いたとはいえ、保護者の目線でものを見るのは難しいことだな、とつくづく思いました。
 
 そして、はてなーの一人を自認する私としては複雑な思いですが、子どもの個人情報……特に、家庭環境や生育歴といった情報は学校からは切り離すのが望ましい、というはてな的価値観は、保護者間では必ずしも一般的なものではないのだ、と感じた次第でした。
 

余談

 
A児「ねえ先生、お母さんのおなかの中の絵って、何色でぬればいいの?」
担任「うーん……。覚えてないの?」
A児「ないよ!」
担任「まあ、赤とかオレンジとかピンクとか、そのへんの好きな色で塗ればいいんじゃないかな?」

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*これは実際の子どもの絵ではなく、筆者が描いた絵に自動着色ツールを使ったもの
 
担任「……で、君の……その絵は何の絵?」
 
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B児「おなかの中にいた時の絵!」
担任「そう……。じゃあ、何か色を塗った方がいいんじゃないかな?」
B児「塗らない」
担任「いや……でも……」
B児「これ、ちょうおんぱの絵だから」
担任「……ああー!」
 
 ちなみに、「今までの様子がわかる写真」というお願いに、超音波エコーの写真を持たせてくださった保護者もいました。
 
担任「じゃあ、お話しする台本に、『これは、ちょうおんぱでおなかの中を見た時の絵です』って書いておこうね。
 ……でないと、見た人びっくりすると思うから」
 

*1:できればデータで欲しい、とお願いしたんですけど、ほとんどの家は物理写真でした。

*2:『みんな、自分が生まれる前、生まれた時、お家の人がとっても喜んでくれた、大切にしてくれたことがわかりましたね。
 そして、お友達もみんなそういう話をしていたよね。
 だから、みんなは、自分も、友達も、みんなお家の人にとっては大切な宝物なんだよ。
 だから、自分のことも、お友達のことも大切にしてくださいね』
 という……まあ普通の話だよね?

学校での心付けの話。

 全くの思い出話なんですけど、昔は、遠足とかでお世話になるバスの運転手さんに、「寸志」って書いたのし袋を渡していた気がします。
 私が産休補助として働いていた頃……もう二十年近く前ですけど。
 
 正規職員ではないので、
「学年主任が何かやってる」
 くらいの感覚でしたが、考えてみればあれってチップを渡していたわけですね。
 
 なんか、ここ数日の、キモチップがどうとか心付けがどうとかいう話で唐突に思い出しました。
 
 しかし、自分が正規採用の教員になってからは、そういう光景を目にしたことはないし、自分の学級でお金を出したことも、「出した方がいいよね」という話を聞いたこともないです。
 バス会社に支払う費用は、事前に見積もりをとって、後日会社から請求された分だけです。
 
 公立学校の遠足だから、必要な費用は保護者から集金して、決算は教育委員会に報告するわけですけど、当時、運転手さんへのチップってどう処理されていたんだろう……?
 
 今でもやってる地域もあるんでしょうかね……?
 

保護者と感覚が違うなあ、と思った話。

 本校……じゃなかった、私が昨年度まで勤務していた学校では、始業式に、各学年の代表者が、新しい学年でのめあてを作文で発表することになっています。
 
 始業式……つまり、新学年の最初の日に読むわけですから、年度末に子どもたちが作文を書き、代表者を選ぶところまでは担任ができますが、その後、春休み中に練習し、当日作文を持って来るのは本人任せになります。
 
 なんだかんだあって作文が一応できあがって代表が決まった後、練習用の原稿を家に持たせて、保護者に連絡。
 
「……というわけで、お子さんが学年代表になりました。
 原稿は持ち帰っていると思いますので、おうちで練習させてあげてください。
 教室で練習した時はとても上手に読めましたけれど、春休み中に忘れてしまうといけないですし」
 
 すると保護者の方が、
 
「それで、持ち帰った原稿はどうしたらいいですか?」
「え? それは差し上げますのでどうぞ家で持っていてください。
 当日は、台紙……と言っても色画用紙ですけど、それに貼って装丁したものを読みます。
 それも……たぶん記念に持ち帰ることになるんじゃないですかね。その時の担任の考え次第ですけれど」
「まあ! あんなきれいにしたのをもらっちゃっていいんですか?」
「えっ?」
 
 ……えー、その持ち帰った「原稿」というのはですね。私がパソコンで打ったやつなんです。
 
 いえ、もちろん、元々の作文は子ども本人が書いたんですけど……(その「元の作文」も持ち帰ってるんですけど)。
 
 ただ、
 
「ぼくが2年生できるようになったことは、プールで25メートルおよげました」

「ぼくが2年生でできるようになったことは、プールで25メートルおよげるようになったことです」
 
 のように、担任が若干手直ししてしまっていたり。
 
 いやその、国語教育上、そういうのはもちろん本来は子ども自身が書き直すべきものなんですけれど……(もにょもにょ)
 
 しかし、年度末で時間がなかったことでもありますし。
 それに、紙媒体だと年度末の人事異動や教室移動に紛れて紛失しないとも限りませんので、データにしておいた方が安心ということもあり……。
 加えて、正直なところ、子ども自身も、自分が書いた字よりパソコンで印刷した字の方がスムーズに読めるという……。
 
 ………………と、いうように、担任としては、
 
「子どもが自分で書いた作文→尊い
「大人がパソコンで打ち直した作文→手抜き」
 
 という認識が「常識」として染みついていたのですが。
 
 ところが件の保護者の視点では
 
「子どもの作文を担任がパソコンで打ち直した原稿」→「きれいにしてもらった」
 
 という認識だったようで……。
 
 こう……絵を額装してもらったとか、手書き原稿をオフセット印刷に製本してもらったとか、そういう感覚なんでしょうか。
 確かに、「子どもが書いた作文」と「子どもが作った作文に担任が一手間かけた原稿」と考えると、そっちの方が手間がかかってるように見えるのかな、などと思い直しました。
 しかし正直……子ども自身に清書させると、担任がパソコンで打つより10倍くらい時間がかかるので……。
 
 ……今まで、社会科見学とかでお世話になった時には、子どもがつたない字で書いた「お礼の手紙」を送ってきましたけど、あれってちゃんと気持ちが伝わってるんだろうか、とちょっと思いました。

異動のお知らせ。

 まあ、何しろ今の学校に8年もいましたので、異動自体は驚きではないです。
 
 ただ、今いるA小学校は、市内で一番の小規模校。
 で、今回発表になった異動先は、市内で一番大きいG小学校。
 
「ひえっ……」
 
 小規模校も大規模校も同じ小学校ではありますが、仕事の進め方も違えば子どもたちの様子も色々と違います。
 当市の場合、おおむね小規模校の方がのどかな雰囲気。
 
 市内で一番のどかな学校から、一番……ええと……現代的課題を抱えた学校に異動になるわけです。
 
 内示が発表になると、今までお世話になったY先生が
「びっくりだね! G小学校! てっきりB小学校とかかと思ってたよ!」(B小は市内2番目の小規模校)
「私も内々示を聞いた時はそう思ってましたよ……」
 
 帰宅して卒論ちゃん(最愛の妻)に伝えると、
 
「ええーっ!? G小学校だけはないと思ってたのに……。B小学校かと思ってた。今の教育長は配慮が足りないんだよ!」
「いやまあ……他の先生とか学校の構成とかとの兼ね合いもあるんでしょうし、私にばかり配慮してもいられないのでは……」
 
 まあその、私は以前、隣市の僻地校から、当市のF小学校(2番目の大規模校)に異動になり、その年度中に鬱を患って休職してしまった過去があって。
 それもかれこれ10年前のことではありますが。
 しかし、その10年のうち8年間はA小学校にいたわけでもあります。
 
「10年も経ったんだからもう大丈夫だろう」
 という話なのかも知れませんが、それでいきなり児童数が4倍の学校に行くとか、経歴をさておいてもちょっと心配です。
 
「死ぬ前にお仕事休むんだよ? 万一そういうことになっても私は全然気にしないから。休職期間中も共済組合からある程度お金はもらえるし。ダーリンが毎日家にいてご飯作ってくれたらそれはそれで安心だから」
 
 すでに私がメンタルを病む前提で話している卒論ちゃん。
 ちなみに奧さんは学校教育課にいた経験もあるし、今は市立美術館勤務で校外学習の受け入れもしているので、各学校の子どもたちの様子とかある程度知っているのです。
 
「まあ、異動先の校長も、履歴書は読むだろうし、いきなりハードな学級を持たされたりしないとは思うんだけど」
「むしろ、担任なしで個別支援専門とかでもいいかも知れない」
「それはさすがにないんじゃないかな……」
 
 というわけで、例年以上に不安な年度末となりましたが、まあその、なんとか無事に乗り切りたいものだと思っています。