先日、人間ドックで胃の内視鏡検査を受けました。
医者「はーいK村さん、今ね、十二指腸のね、つまり検査の一番奥あたりですから、もう少し我慢してくださいね」
私「あうー(しゃべれない)」
医者「はーい、すこーし胃の内壁を押すから突っ張りますよー、はーい」
私「あう”!」
医者「……あのねえK村さん、最初の問診票に、『異常がある場合は組織検査を希望する』に○しましたよね?」
私「あー」
医者「それじゃ、すこーし組織取らせてもらいますね、はーい我慢して-」
私「う”う”ー!」
……それで組織検査の追加料金を取られて、2週間後に結果を聞きに来いと言われたわけです。
「専門の先生がいるのが月・木だけなので、どちらかでお越しください」
という話で、平日に休みを取って。
まあ、そしたら
医者「結果から言うと全く異常はありませんでした。この画像で見ますとね、ほら、この部分だけ粘膜が若干変色していますよね。しかしまあこれはピロリ菌を除菌した方にはよくあることなんですね」
私「良かったです」
医者「しかしねK村さん、ピロリ菌でだいぶ胃壁が薄くなってますし、これは除菌しても元には戻りませんので、1・2年に一度は内視鏡検査を受けることをお勧めします」
私「それ毎年言われるし、毎年内視鏡検査受けてます」
内視鏡は毎年飲んでるんですが、「組織取ります」は今回が初めてだったので、結構ドキドキしました。
ピロリ菌陽性の人は胃がんのリスクが5倍くらいになるんだそうです。(除菌するとある程度リスクは下がる)
その上、ウチの祖母は胃がんで胃を切った(そしてその後5年以上生きた)人なので、遺伝的にもそれなりに可能性はあるんだと思っています。
まあ……胃がんは進行するまでに数年かかるし、内視鏡検査は毎年受けているから、そんな大変なことにはならないだろう、とは思いました。
……が、以上のことをググって調べる程度には心配しました。
たかだか2週間の検査結果待ちでこれだけやきもきするんだから、もっと長く……ましてや
「初期の甲状腺がんがありますけど進行は遅いので大丈夫ですよ」
などと言われてしまった日には、その後の人生がどれほどストレスなことかなあ、などと思いました。
時々聞く「過剰診断の害」とか、言われてもあんまり実感する機会はないですけど、こういうことなのかな、と。
ところで、個人的には胃部X線検査(バリウム検査)より内視鏡(胃カメラ)の方が楽です。
バリウム飲むこと自体はなんともないけど、発泡剤が辛い。
あれ飲んでげっぷを我慢しろと言われた状態のまま、右を向いて寝ろとか次は左とか言われた上に検査台ごと上下逆さにされたりするのキツくないですか。
内視鏡も胃に空気を入れるけど、うっかりげっぷしても入れ直せるから(と思う)気が楽。
……でも、本当は、最初に内視鏡検査を受けた病院で、先生と看護師さんが最後に
「K村さん、内視鏡飲むのお上手でしたよ」
「がんばりましたね」
って誉めてくれたのが大きい気がする。
子どもに限らず、大人でもほめられるのうれしいものです。
「胃カメラ上手な先生」って、実はむしろほめるのが上手な先生なのかも知れません。(腕が悪いと言いたいわけではない)
なるべく他人をほめていきたいです。
おかあさんはいっしょじゃなかった。
しばらく前の話。
「コードネーム:デュエット」というボードゲームがあります。
2人でプレイする協力型ゲームです。
(元になった「コードネーム」は8人までの多人数ゲームらしいですがそれは持ってません)
ただし、お互いにヒントは与えられますが、正解そのものを伝えてはいけません。
また、取ると一発でアウトの言葉もあり、そっちにひっかからないようなヒントを考えないといけない……という感じのゲームです。
これを母とやった時のことです。
で、私がヒントを出す番になって、だいぶ悩んだ末に「おかあさんといっしょ」を手がかりにしたのです。
記憶がおぼろげなんですが……確か、「へび」と「うし」を取って欲しくて、ヒントを「パペットマペット」にするか「クイズ・わたしはだれでショウ」にするか悩んで、後者にしたんだったかな。
www.tiktok.com
蛇と牛ならパペットマペットの方が近いんだけど、そもそも母は知らない可能性があります。
その点、「おかあさんといっしょ」は昔さんざん見たので、フィーリングで伝わる気がするし、少なくとも「へび」はわかるはず……みたいな判断だった気がします。
……なんでこんな記憶が曖昧な話が心に残ってるのかというと、そのヒントが母には全然通じなかったからです。
おかしい。
「おかあさんといっしょ」は、私たち兄弟が幼かった頃、毎日のように見ていたはずなのに。
「にこにこぷん」のOPテーマとか、「さよならマーチ」とか、今でも歌えるくらいなのに。
で、終わった後、「あのヒントはこういう意図だった」「これは通じると思った」といった感想戦をする中で(このゲームはこれが楽しい)、私が、「おかあさんといっしょ」を母が覚えていないことに驚いた……という話をしました。
すると、母は急にちょっと申し訳なさそうな顔をして、
「あの頃は、テレビに子守をしてもらってたからねえ……」
なんてこった。
これまで40年以上、母と一緒に「おかあさんといっしょ」を見ていたような気がしていたのですが、実はそうではなかったのです。
本当は、私と弟がNHK教育テレビに見入っている隙に、母は夕食の準備などの家事を片付けていたのですね。
人間の記憶はいい加減です。
「私が子どもの頃はこうだったのに! 今の子どもは/親はけしからん!」
……と思っても、実はその「子どもの頃」の記憶の方が間違っている……なんてことは、たくさんあるのかも知れないな、と思いました。
ちなみに母はパペットマペットは知ってたそうです。
征夷タイクーン。
今日知って面白かったこと。
企業を経営する系のゲームを、英語では「tycoon game」と呼びます。
「ズータイクーン」「ローラーコースタータイクーン」「レイルロードタイクーン」など無数のタイトルがあります。
で、どうも中国語ではその「tycoon」の訳に「大亨」をあてるらしい。
(読みは「ダーフン」みたいな感じ?)
「Car Manufacture(Steam)」
https://store.steampowered.com/app/983380/Car_Manufacture/?queue=1
Car Manufactureは自動車大亨ゲームです。
(中国のゲームサイトの「大亨遊戯」カテゴリ)
https://www.i-gamer.net/web/?tag=%A4j%A6%EB
比較的近年の語であるらしく。「ボス」というほどの意とか。
「台湾ドラマ『流星花園』に見る現代中国語表現」
https://shohoku.repo.nii.ac.jp/record/695/files/KJ00005656099.pdf
(pdf注意)
しかし、「タイクーン」の語源はもちろん日本語の「大君(徳川将軍)」のことなのであり……。
大君→tycoon→大亨
と、英語を経由して中国で音写された結果、全然違う漢字になってしまったの、文化の混淆という感じで面白いですね。
不登校の話(主に担任の先生にお伝えしたいこと)
クラスに不登校の子がいるのは、担任が悪いのではないと思います。
……いや少なくとも、そういうケースが多いと思います。
少なくとも私は、今まで「この子の不登校は担任に問題があるせいだな」って感じるケースを見たことがないです。
……自分が担任したのを除けば。
私も、今まで担任していて、クラスに不登校の子がいたことがあります。
確か4回。
いずれも、前年度までは学校に来ていたのに、私が担任になってから休むようになってしまったケース。
辛い。
「学級で起きるあらゆる物事は、間接的には全て学級担任の責任である」
というのは、学校における支配的な見解です。
だから辛かった。
4回のうち1回は、児童指導主任や教務主任の手厚いサポートの元、なんとか保健室登校まではこぎつけることができましたが、あとはダメだった……。
色々手を尽くしたけど、うまくいかないどころか、登校渋りから不登校へずるずる悪化していく中、
「一体どうすればいいんだ?」
「自分の何が悪いんだ?」
……と悩む日々でした。
悩んでも解決しなかったし。
だから、クラスに不登校の子がいる担任の先生は、同じようにお悩みなのではないかな、と思います。
しかし最近、担任が自分を責める必要はないのではないか、と思うようになりました。
そう思うきっかけになったのは、コロナ期間中でした。
ケース1 ある低中学年児童(たち)の話。
当時、本校では、コロナ対策として、朝、職員が校舎の昇降口に立ち、登校してくる子ども達の手を一人ずつアルコール消毒していました。
(科学的にはあんまり意味がないのでは……と当時も思ってたけど、そういう「対応策」に取り組ませるのが好きな校長だった)
すると、登校してくる子どもたち……色々な学年・学級の子どもたちの、朝の様子が見えてくるわけです。
大多数の子が7:40~7:50くらいに登校してくる中、8時ギリギリ……中には8時過ぎになって、母親(稀に父親)に連れられて登校してくる子がいます。
連れられて……というか、引きずられて来るのです。
「や~~~~だ~~~~~!!! いや~~~~だ~~~~~!!!! 学校行かないぃっ!!!!!」
とか泣き喚きながら。
(車で送られてくるけど車から降りない、というパターンもある)
こちらは
「はーい○○ちゃんおはよう! よく来たねえ、えらいえらい!」
とかニコニコしながらその子を引き取り、お母さんに
「ありがとうございました、お預かりします」
と笑顔でごあいさつしつつ、内線電話で担任に連絡して、昇降口まで迎えにきてもらいます。
(ちなみにこういう時、お母さんはすぐ立ち去って欲しいです。お子さんのことが気になるのはわかるけど、お母さんが見えてる限りその子は泣いてるので)
で、迎えに来て
「あーら○○ちゃんおはよう! よく来たねえ、お靴自分で履き替えられる? 今日はねえ、体育でみんなで鬼ごっこやるよー」
……とか優しく話しかけてる担任を見ると、優れた指導力と暖かな人柄で、保護者からも同僚からも子ども達からも慕われてる、生き菩薩のようなベテラン先生(学年主任)だったりするのです。
「あの先生のクラスですら不登校の子がいるのか……」
「あの先生に担任してもらって何が不満なんだ……?」
コロナ時代、そういう事例を何件も目にしたのが、「不登校は担任悪くない、かも知れない」と思うようになったきっかけでした。
まあ、こういう子の場合、
「朝はぐずるけど、いったん登校しちゃえば後は元気」
ということもよくあります。
(一方で、「登校したら元気だからといって担任は安心してはいけない」という警句もある)
あと、朝は
「学校行きたくないぃ~~~!」
と叫んで教室まで引きずられ、下校時は
「おうち帰りたくないぃ~~~!」
と叫んで教室から引きずり出される子もいます。
とにかく環境の変化が嫌なのかも知れない。
ケース2 ある5年生児童の話。
(以下の話は複数のケースを混ぜています。……複数回見たんですよこういうの)
学級担任の指導力が足りず、ほぼ学級崩壊に至ってしまったクラスがありました。
崩壊の中心になった児童(A児とします)は、授業中に立ち歩くやら無関係な話を大声でして授業を妨害するやら、休み時間は他の子にいじわるをするやら。
で、担任がA児のような子を抑えられないと、今度はそれに同調して騒ぐ子が3人、5人……と増えていき、学級は無法地帯になります。
一応座ってはいる子たちも、その多くはまともに学習に参加しておらず、ノートに書けと言われたことは書いてないし、開けと言われた教科書のページは開いてない。
違うページを読んでいたり、好きな本を読んでいたり、落書きしていたり、セロハンテープをぐるぐる巻きにしてボールを作っていたり。
ほんの数人だけがそれでも授業を受けようとしていて、担任の先生はその子たちだけを相手に授業している……みたいな光景でした。
学習指導主任やら教務主任やら教頭やらが入れ替わり立ち替わり授業の支援に入りますが、年度末までその状態が続きました。
(「それ以上の悪化を食い止めた」と言うべきなのかも知れない)
そのクラス、翌年度は、若手ながら力のある先生に担任が交代しました。
「みんな? こうして、みんなが学校に来て、こうやって一緒に勉強する意味って、何だと思うかな」
「こうやって、みんながお互いに教え合い、高め合って、素晴らしいクラスにしていけたらいいと先生は思います」
「みんな、Bさんのノート見て! とても素晴らしいことが書いてあるよ!」
「こうやって、さっと行動できる人がいるのが、このクラスの素晴らしいところだなあ、と先生は思います」
……こういう暑苦しいの、はてなには嫌いな人多そう。
私も自分でできる自信はない。……でも実際に有効なんですよね……これが。
(だからこういうのが苦手なのが私の弱さだと思う)
で、そういう指導を地道に積み重ねていった結果、問題のクラスは少しずつ落ち着いていきました。
「あっ……僕がちゃんとやってるのを、先生は見ててくれるんだ」
「がんばったら先生はほめてくれるんだ」
「がんばってる人もいるんだな……」
「友達が感心してくれた!」
「子どもはわかりたいと思っている」
というのは、学校でよく聞く言い回しですが、まさにそんな感じで、少しずつ学級はまとまり、学びに向かう集団になっていったのです。
で、そしたらA児が不登校になってしまった。
居心地が悪くなったから。
……いや、親が病院に連れて行って、「起立性調節障害」という診断をもらってきたんですよ。
でも、
「去年あんだけ朝から騒いでたのに、何が起立性調節障害だよ……」
というのが、昨年度から見ていた先生たちの正直な気持ち。
もちろん、担任はA児が学校に戻ってこられるように色々手を尽くましたが、結局登校できないまま卒業式を迎えてしまいました。
学校には来ない一方、前からやっていたサッカーのクラブチームには行ってたらしいんですけども。
というのも、同じクラスの子が
「あいつ、学校来ないのにサッカーは行ってるんですよ」
って言ってたから。
……どうも、クラブチームでそういう目で見られるのが嫌だったらしく、そのうちサッカーにも行かなくなってしまったようです。
いじめ・不登校対策の一つとして、「家と学校以外にも居場所を作るのが大切だ」というアドバイスがあり、それは一般的には非常に正しいと思うのですけど……。
まあ……「学校と完全に無縁な『居場所』であることが大切だ」という話なのかも知れない。
風の噂によると、A児は中学校にも行けてないらしいです。
もちろん、教師と教え子の関係ですから、これは「ざまあみろ」などという話では全然ありません。
教育を受けられない子どもがいるのは社会の損失であり、本人にとって不幸なことです。
(繰り返しますが、担任の先生は手を尽くしました)
ただ、じゃあ担任が「悪かった」のか? と言えば、決してそんなことはないと思うのですよね。
崩壊した学級を建て直すのって、本当に優れた指導力がなければできないことです。
例えるなら、まともな学級をまともなまま維持するのは、通常の地方行政。
崩壊したクラスを立て直すのは、失敗国家の地域安定化ミッションみたいなものです。
あえて誰が「悪かった」のか、と言えば、前担任の指導力が充分でなかったことか……あるいは、それをサポートしきれなかった学校の責任なのかも知れない。
もちろん、不登校の子が学校に戻れるように働きかけるのが誰の仕事か、と言えば、それは担任です。
それは責任を持って尽力しなければなりません。
でも、担任の先生が「私の何が悪かったんだろう」と、自分を責める必要はないんじゃないかな、と思います。
例えば、学校で子どもが急に熱を出したら、保健室に連れて行ったり家に連絡したり、必要な対応をするのは担任の「責任」ですけれど。
でも、「私の何が悪くて熱を出してしまったんだろう」とか自分を責める必要はないわけで。
それと同じではないかな、と思います。
………………いやまあ、私のクラスの子が不登校になってしまったのは、やっぱり私の指導力が足りないせいかも知れませんけど……。(堂々巡り)
……ちなみに、想像できるでしょうけど、A児のご両親は、A児が不登校になったのは担任のせいだと言ってました。
「去年はちゃんと学校に行けてたのに、今年こんなことになったのは担任が悪いからだ」
って。
難しいものですね。
生成AIにも下手な絵は描けるよ。
画像生成AIで遊ぶの楽しい。
先日の増田より。
anond.hatelabo.jp
で、これに対するリプライが
「作れないけど、作れるようにわざわざ追加学習させた物好きはいる」
「転がってるヤツ(ponyとかanima)のloraなしでやるのは多分無理 試してないけど」
いやー……。
どうでしょう?
「白ハゲとか棒人間」はともかく、描き込みの薄い下手な絵はわりとすぐ出せる気がします。
まずそもそも、Stable Diffusionさん(学習モデルはbluePencil)に
「1girl and 1boy , smile, school」
という単純なプロンプトを渡して絵を描いてもらいます。
(こういうとき、なんか「1girl」が定番な気がするけど、今回は男女共同参画に配慮していきたい)
(クリックすると大きい画像に飛びます)
うん。
下手……ではないけど、いわゆる「AI絵」で想像する「めっちゃ描き込んである絵」ではない気がする。
左下は、背景は一番学校っぽいけど、人物があやふやになってる。
ここへ、よくある画力向上呪文を追加してみます。
あと、ADetailerをオンにして、顔だけ念入りに再描画してもらいます。
1girl and 1boy , smile, school
high quality, best quality
ネガティブプロンプトは
bad quality, worst quality
はい。人物のクオリティが上がりました。
でも、背景ももっと描き込んで欲しいですね。
調子に乗って、画力向上呪文をどかんと追加します。
(ネガティブプロンプトは変更なし)
1girl and 1boy , smile, school
high quality, best quality
official style, detailed drawing, productive art
ultra-detailed, high resolution,
detailed background, complex background , colorful,
描き込みはすっごい増えたけど、「school」要素……っていうか、「1boy」がどこか行っちゃった絵が。
さらにさらに呪文を追加します。
1girl and 1boy , smile, school
high quality, best quality
official style, detailed drawing, productive art
ultra-detailed, high resolution,
detailed background, complex background , colorful,
perfect face,
hdr, highres textures, intricate and beautiful, detailed light, photography,
cinematic lighting
……はい。
プロンプトが長くなるに従って、「1girl and 1boy」とか「school」とかの比重が軽くなる感じです。
大体、男子が消えて女子だけ残りがち。
男女共同参画……。
これはAIが男性を軽視してるとかいうわけではなく、人間どもがかわいい女の子の絵ばかり描くので、AIの学習データにもそれが多いという話のように思います。
ともあれそんなわけで、生成AIを使えばたちどころに目当ての絵がぶりぶり出てくるというわけではなく、いい感じのプロンプトを探す必要があるんですね。
それはさておき本題。
わざわざ下手な絵を出力させるプロンプトです。
bad quality, worst quality
chibi
monochrome, lineart
white background
simple drawing , pencil drawing, doodle, child drawing, scribble
pictogram
ネガティブプロンプトは
best quality, high quality
colorful
child, pen, pencil
さっきの画力向上呪文を、プロンプトとネガティブプロンプトに逆に入れる感じです。
ネガティブプロンプトに「pencil」が入っているのは、プロンプトに「pencil drawing」って入ってると絵に鉛筆そのものが描かれやすいので、それを防ぐためです。
(「child」も同じ)
さて結果。
左上みたいな謎の抽象画が出てくる一方、右上みたいな私より上手い絵も出てきて安定しませんが、まあだいたい下手だと思います。
さっきの絵と同じモデルからこんな絵が出てくるのすごいですね。
なんか背景が灰色でガサガサしていたり、線がギザギザしていたりするのは別に加工したわけではなく、AIがこういう絵をお出ししてくるんです。
どうもAI、絵が下手なのとスキャン画質が低いのを区別できないっぽい。
謎の抽象画……と言いましたが、そもそもプロンプトには女の子を描けとは書いてない(「chibi」は、デフォルメキャラというほどの意)のに、どうも女の子らしき絵がぞろぞろ出てくる方が、AIの偏りを表している気がします。
「chibi」を、さっきと同様の「1girl and 1boy」に入れ替えてみます。
左下の「強いられているんだ!」ちょっと好き。
そしてやっぱり、男の子は描かれないケースが多い。
左上の目が▽の男子は、ひょっとすると (♥◡♥) ←こんな顔が学習元なんでしょうか。
たまに、「クラスで一番絵が上手い小学生の作品」みたいなのが出てくる。
というわけで、AIは描き込みびっちりの絵しか描けないわけではなく、ちゃんと下手な絵を描けることがわかりました。
ネットで流通しているAI絵は、それなりに試行錯誤の産物なんですね。
(この「へた絵」を生成するにもそれなりの試行錯誤がありましたが)
……ところで、上の「へた絵プロンプト」の「1girl and 1boy」を「robot」に変えるとどうなるかというと……。
なんで突然画力が上がるんだよ!
世の中、下手くそな女の子の絵は山ほどあるけど、下手くそなロボットの絵は少ない、ってことなのかも知れない……。
そんなわけで、冒頭の増田に戻ると、
「生成AIにも下手な絵は描けるよ(ロボは除く)」
という話でした。
(ロボに限らず、「car」や「train」でも画力が上がりがち。「rocket」はちゃんと下手だった)
最近読んだ本3冊。
図書館って便利だな! と最近思いました。(小学生か)
興味はあるけどお高い本がどんどん読める。
心に残った本をご紹介します。
(一応確認しながら書いてるけど、どれも大体1回しか読んでないので、内容に誤りがあったらすみません)
1冊目。
「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやか)
中国・香港には、一山当てて儲けようとする人が世界中から集まってきます。
その中で、チョンキンマンション(重慶大厦)は、タンザニアから来た商人達が集まってゆるやかなコミュニティを築く場になっています。
その「ゆるやかなコミュニティ」を実地に経験した筆者のフィールドワークレポート。
筆者のことを語ったtogetterがしばらく前にホッテントリ入りしてましたね。
日本人がタンザニアで文化人類学調査のため古着商人に→「歳を取らない15歳ぐらいの白人の少女がスラング混じりの下町言葉でがめつい古着商やってる」と超有名になった話が興味深い - Togetter [トゥギャッター]
興味深かったのは、「マンション」住人達のゆるやかなつながりのあり方でした。
彼らの商売は、タンザニアで仕入れた宝石・準輝石を卸したり、香港で中古車や古着を仕入れてタンザニアで売ったり。
あと、そういう業者を案内してマージンを取るブローカー業。
しかし、中には悪質なブローカーもいるし、自分が騙されることもある(パートナーが売り上げを持って消えちゃうとか)。
ドラッグをやってるのもいれば、それを密売してる奴もいる。
……漫画とかでも、そういう怪しげな輩がたむろするスラム的な場所が登場しがちですよね。
で、そういうのの描写って、しばしば住人同士がマフィア的な同胞愛で結ばれていて「他所者」を嫌い、身内が傷つけられるとどこまでも追ってきて復讐する……的な話になりがちです。
あるいは逆に、お互いが全く没交渉で、誰かが死んでも他の住人は無関心だとか。
しかし、チョンキンマンションの人々はそのどちらでもない。
別に犯罪集団というわけではなく、怪しい商売をしてる人もいるけど、まっとうな商売をやってる人もいる。
(ただ、商売はまっとうでも、不法入国とか、叩くとほこりが出る人は多い)
観光客向けのレストランとかもある(夜は違う商売だったりもする)。
メンバーの入れ替わりも激しいので、お互いに「ファミリー」みたいな連帯感はない。
しかし、お互いに全く無干渉なわけでもない。
お互いに、
「同じ故郷から来た仲間」
「ご近所さん」
「あいつはなんか裏で危ないことやってるらしいけどよく知らない」
くらいの立ち位置。
そして、むしろ知らなくていい他人の事情にはお互いむやみに立ち入らないという「知恵」がある。
(ヤバい仕事をしていることを知ってしまうと、知った方も知られた方も引き返せないので)
だから、よく、著者に
「あいつには気をつけた方がいいぞ」
とか忠告してくれる人もいるけど、自分はその「気をつけた方がいい奴」と友人として仲良くしている。
(自分は適切な距離感がわかっているから)
それをお互いに「忠告」してくれたりする。
「困ったときはお互い様」
くらいの距離感で、SNSを通じて
「この車を仕入れたいんだけど手持ちがないんだ、金を出し合って儲けは山分けしよう」
「故郷に荷物を送るからついでに同じコンテナに入れてやるよ」
「金がないなら飯を食いに来いよ」
的なやりとりがある。(気軽に他人の荷物を運んじゃうの、わりと危険そうな気はする)
それでもちゃんとタンザニア人同士の団体が存在していて、その「互助会」の一番大事な仕事は、「異郷で死んだ同胞の遺体を故郷に送り届けること」。
あとは、「その日暮らし」的な感覚とか、故郷に学校を作るとかの寄付をしている話とか、外国人向けの娼婦をしている女性達(商売を始めたばかりの男性のパトロンだったりする)とか、書き始めるとキリがないのですが、自分が普段生活しているのとは違う社会のあり方がある、というのは面白かったです。
2冊目。
「中国共産党 世界最強の組織」(西村晋)
ある意味ジャケ買い。
これはまた、「チョンキンマンション」とは全然逆方向の世界で面白かったです。
「中国共産党」というと「独裁」というイメージがあるし、まあその通りなんですけど、1億人……つまり全人口の1/10が党員ということは、そこらへんに普通に党員がいることになります。
全国人民代表大会でテレビに映ったり権力闘争に明け暮れたりする人はともかく、そこらの地域や職場にいる党員は何をしてるのか、一般市民と党はどう関わっているのか、ということは、たいていの日本人には全然イメージが沸かない。
それを解説した本です。
中国共産党の最小単位は「支部」で、人数は3~49人。
党員が3人集まったら党支部を結成する規定になっている。
また、支部の人数が増えて50人になったら、2つの支部に分かれて、それらを統括する「党総支部」を編成する。
だから、中国では、職場とか学校とか地域とかの単位で「党支部」が存在することになる。
そして、上位団体である総支部のメンバーは、基本的には各支部の選挙で選ばれます。
感覚としては、町内会とかPTAとかに近いのかも知れない。
町内会やPTAに上位団体があって、上位団体のそのまた上位団体の……って辿っていくと、すべて党中央につながっているという。
(本当は、PTAも、学校PTAの上に市PTA連合会があり、県PTA連合会があり、その上に日本PTA全国協議会があるんだけど、普段はあまり意識しないですね)
それぞれの支部がどんな活動を行うかは、支部ごとの状況によります。
大学と地域と職場では、その団体の職務も、党支部が相手にする非党員の属性も異なるので。
活動方針は、党中央からいちいち指令が下りてくるわけではなく、現場の人が自分たちで判断します。
もちろん、汚職撲滅だとか、「社会主義核心価値観」だとか、上からの方針が下りてきて、その研修を行うことも常にあります。
(このへん、自分の教職員研修みたいなもんかな、と感じます。不登校対策とか新学習指導要領とか、知識をアップデートするための研修がちょくちょくある)
そして、活動方針の決定においては、党員同士で討議が行われ、最終的には多数決に委ねられます。
「一党独裁」ではあるけれど、生活の全てを党が決定するわけではありません(そんなの不可能だし)。
むしろ、この本を見る限り、草の根レベルの民主主義は、ある意味では日本より根付いているんじゃないかという気すらします。
ただ、いったん票決で決まったことには、全メンバーが一致団結して協力することが求められます。
また、党の上級組織は下部組織の決定に対する拒否権を有します(上位団体は下位団体の選挙で選ばれているわけだから)。
本書の中には登場しない語ですけど、こういうのを「民主集中制」というんでしょうか。
一見すると民主的に見えるけれど、少数意見は尊重されず、マイノリティはマジョリティに従うことが常に求められる、という。
こう……。
「日本は民主国家なんだから、選挙で選ばれた政府に反対意見を言うな! 文句がある奴は北朝鮮にでも行け!」
とか言う人がいますけど、「民主主義」に対するそういう理解こそ、中国共産党的なマインドなんだよなー、と改めて。
もしもアメリカが民主集中制だったら、バイデン政権の間にトランプ支持者が活動することは許されなかったわけで。
それは、まあ、民主主義ではないですよね。
筆者は、コロナ禍当時の日本で、
「中国は効果的なコロナ対策をやっている。なぜなら中国は一党独裁で、バカが騒ぐのを無視できるからだ」
みたいな論調が、保守・リベラル双方からあることを懸念し、中国の実態はそのようなものではないこと、むしろ中国共産党が草の根の声を吸い上げる機能を有していることを指摘します。
……でも、結局のところ、中国の体制が
「バカを無視できる」
ものではないとしても、
「マイノリティの声を圧殺できる」
仕組みであることに憧れを抱く人はいるんじゃないかな……という気もします。
ところで、筆者は、SF小説「三体」の第二部で、宇宙船の乗員5500名らが独自の自治組織を結成するシーンを例に挙げます。(私は第一部しか読んでないのですが)
その組織や運営方法が中国共産党そっくりであることを指摘し、作中では100%の賛成票で「政府」が成立しているが、西側の読者であればその統治形態に賛同しない人もいるのでは、と述べます。
作者は中国人だから、そういう政府のあり方を当然のものと考えているのだろうなあ、という話です。
日本人にとっては、中国の地方党組織の存在とか想像の埒外ですが。
逆に、中国人は、自国の地方や職場の党組織みたいなものがどこの国にもあると思っている……。
面白いですね。
みんな、自分の経験の範囲で「異世界」を想像してしまうんですよね……。
あと、中国で優秀な人はその多くが党員を目指すので、外国企業や役所(大使館とか)が職員を現地採用したら、優秀な志願者の多くは中国共産党員に入ってる、というのもなるほどと思いました。
共産党員だからといって党中央の操り人形なわけではなく、むしろ所属する団体の利益のために働くのが党支部のあり方だ……。
と、筆者は言うんですが、中国国営企業や地方政府の場合と違って、外国企業等では、なかなか利害が一致しないこともあるんじゃないかなあ……。
(サムスンはうまくやってる、という例が出てくる)
3冊目。
「滝山コミューン一九七四」(原武史) 1970年代、高度経済成長に伴う都市部への人口流入と、それに対応するための団地開発が行われ、そこに住む子ども達を受け入れる小学校も大幅な児童数の増加をみることになります。
筆者の通った「市立第七小学校」もそのような学校でした。
筆者は、現在の寂れた団地と七小を見に行ったり、当時の同級生にインタビューしたりもするのですが、本書は基本的には、筆者が通った学校の思い出(トラウマ)です。
これがひどい。
ことの発端は、隣のクラスの担任である片山先生が、所属する教育団体の推進する「学級集団づくり」を自分のクラスで実践すること。
そして、それがやがて学年、学校全体へと波及していくことになるのです。
「学級集団づくり」という言葉自体は、現在でもよく聞きますが、その内容が今と全然違う。
今日では、「学級集団づくり」というのは、まず子ども達の心理的安全性を高めることに重点を置いているのですが、片山学級ではむしろその逆。
まず、学級生活の基礎は班活動です。
生活班は今でも多くの学校・学級で作られていると思いますが、片山先生の生活班は、「班競争」のための班です。
例えば、PTA課外活動の「おにぎりハイキング」においては、5つの班が、「レク班」「歌声班」「日直班」「道案内班」のそれぞれの係を担当します。
……5班あるのに4つの係しかない。
これがつまり競争の仕掛けなわけです。
実施に先立って、各班はどの係をやりたいか立候補します、
そして、希望者が複数の場合は「自分たちがその係に選ばれたらどのような活動をしたいか」をクラスの前でアピールします。
聞いていた側は不明点を質問し、質疑応答の末、票決にかけられます。
投票は「どこが一番ダメだったか」を選ぶ消去法。
そして、どの係にもなれなかった班は「ボロ班」「ビリ班」などと呼ばれ、無役になります。
自分たちの至らなかった点を自覚・反省し、次回までに克服することが求められる……という発想なわけですが。
そこまでする必要ある……?
ちなみに「日直班」とは、行事中の各班・各児童の活動を点検する係。
事前に
「号令があったら3分以内に集合すること」
といった目標が立てられ、それを守れていないのは誰か、目を光らせる係です。
このような班競争が、年間を通じて絶えず行われるわけです。
行事以外でも、
「給食時間を守る」「一日一回は必ず発言する」といった目標が定められ、それを守らない児童は日直班が常に監視しています。
うっかり給食の時間中に立ち上がったりすると即座に
「~~君、減点1点!」
という声が週番の子から飛びます。
清掃場所も班ごとに立候補で、時間内に終わっているか、清掃用具の片付けはきちんとしているか、などを日直が点検。
そして土曜日(そう、昔は土曜日も学校が半日あったのだなあ…)には、減点の一番多い「ボロ班」が吊し上げを食うことになります。
ちなみに給食の配膳は、成績のいい班から。
こんな殺伐とした学級、イヤ過ぎるだろ……。
しばしば席替え=班のメンバー変更も行われますが、これは、班長(男女2名ずつ)が別室で「自分の班に誰が欲しいか」を1人ずつ選んでいく方式。
いや……それは……。
いくら別室でやったって、誰が「いらない子」なのかお互いにわかっちゃうじゃん……?
で、まあ、当初は、これは筆者にとって「隣のクラスの話」であって、例えば校内球技大会の時に、その片山学級の様子を見て
「なんかあのクラスだけ一糸乱れぬ応援で気味が悪いな……」
と感じていた程度だったのですが。
ところが、5年生になると、片山先生の熱心な主張で、児童会選挙のあり方が変更されます。
それまで、各クラスの代表による互選だったものが、選挙活動、立会演説会を経て、4年生以上の全児童による投票が行われるという「本格的」なものに。
そして、普段から討論に慣れ、クラスが団結して(というか班ごとに競争し合って)選挙活動に臨んだ片山学級の候補者が、5年生では次点で児童会副会長に選ばれ、6年生に至っては、会長から各委員会の委員長まで、代表委員会のポストを独占することになります。
つまり、片山学級が、第七小学校の児童会全体を掌握してしまいます。
そして、6年生の行事「林間学校」に至って、筆者を含む6年生全員が、班ごとの「しごとの奪い合いの討議」や、減点式の班競争に巻き込まれることになります。
食事の時間に遅れたとか、「自由ハイキング」で目標時間にチェックポイントまでたどり着けなかったとかいう理由で罰点を与えられ、どの班が何点ペナルティを受けたかは、ホールの模造紙に棒グラフで張り出されるという。
それだけでも実に陰鬱なのですが、読んでいて腹が立つのは、片山先生の導入した「民主的(民主集中制的)ルール」が、時には片山学級にとって都合の良い形で無視されていることです。
例えば、林間学校では、レクリエーション係などの人気がありそうな活動は、あらかじめ片山学級の班が担当することが決まっていて、それ以外の係をそれ以外の学級の班が担当することになります。
片山学級の中ではおそらく班競争があって、どの班が担当するかを争ったのでしょうが、しかしそれは他の学級の子ども達にとっては関わりのないことです。
また、運動会においては、運動会のポスターを作成して地域に掲示することがあらかじめ決定されています。
掲示委員会の委員長であった筆者は、代表委員会の場で、掲示物を担当するのは自分たちであるが、そんな方針が決まったことすら知らなかった、一部の人たちで話を決めていくことが、果たしてスローガンである「みんなでちえと力を合わせて楽しい運動会にしよう」に一致するのか、と異議を唱えるのですが、これは全く無視されてしまいます。
そればかりか、筆者は後日、各委員会の委員長(つまりほとんどが片山学級の児童)が集まった場に呼び出され、そのような、「上層部」の活動方針を批判するなど「民主的集団」を攪乱した「罪」を追求され、自己批判を求められるのです。
この「追求」の場に教師はおらず、少なくとも表面的には子ども達の自主的な活動だった、というのが恐ろしいところです。
この査問委員会的なものから逃げ出した筆者は、図工室に逃げ込んで先生に助けてもらうのです。
(一方で、片山先生の属していた教育団体では、このような「追求」が、「集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじる」ものに対して、集団が「自己批判、自己変革を要求して対象に激しく迫ること」として重視されていた、という話もある)
これ以後、筆者はしばしば学校を休むようになり、私立中学校へ進学することになります。
筆者は、「このような活動を楽しんでいた児童も多かったと思う」と繰り返し述べるし、事実そうだろうとは思います。
しかしそれは、戦時中の国民学校でもソ連のピオネールでもドイツのヒトラーユーゲントでも楽しんでる子どもはいた、みたいな話だと思います。
(また、片山学級でリーダー的存在として活躍していた子も、筆者のインタビューに答えて、
「あの頃は精神的重圧が強く、手の皮がむけたり、ストレス性大腸炎になったりして辛かった」
と涙をこぼしたりしている)
色々衝撃だったのですが、片山先生が属している「教育団体」は、全生研…「全国生活指導研究協議会」で、ソ連の教育運動の影響を受けた、左翼的な教育団体なのですよね。
今日、「左翼的教育」というと、日の丸・君が代反対だとか「教え子を戦場に送るな」といった政治向きの話の他は、「全員が桃太郎の学芸会」だとか「手をつないでゴールする徒競走」だとか、「行きすぎた平等主義」のイメージが強いと思うのですが。
しかし70年代においては、むしろ今日の新自由主義も真っ青な、競争原理を導入した学級経営が、「集団のちからを高める」ものとして賞賛されていたという……。
これを経験した人であれば、「左翼教員」を憎むのはわからないでもないな、と思ってしまいます。
そしてまた、班競争だとか、問題児が帰りの会で吊し上げにされるとか、児童会選挙で活発な選挙運動が繰り広げられるとか、漫画やアニメでは時々目にするけど現実には見たことのない学校風景、実はかつては現実に存在していたのか……という驚きがありました。
↓の記事で紹介されてる70~80年代の漫画も(主題は「お色気小学生」だけど)班競争の描写がありますね。
ablackleaf.com
「こんな学級経営する担任いないだろ……」
と思っていたけど、ある程度リアルだったのかも知れない。
(かく言う私も80年代中盤に小学校に入学したので、筆者とそれほど年代がずれているわけではないのですが……)
60年代、70年代の教育を経験した人たちが作った漫画やアニメだから、70年代、80年代の子どもにとっては違和感がある、ということはあったのかも知れません。
そう考えると、今の漫画やアニメに登場する「学校」が、リアル小学生にはおかしなものに見える、ということもあるのかも。
さて。
そんなわけで、読書を通じて、アフリカ、中国と、色々な異世界を垣間見ましたけど、一番ディストピア感が強いのは70年代の小学校だったという……。
人間は変わらなくとも、置かれた環境や制度で、暮らし方は全く変わってしまうのだなあ、と考えさせられました。
アレクサ問題、自己解決しました…?
先日、我が家で使っていたアレクサ端末(Echo Show1号)と、実家に買ったアレクサ端末(Echo Show2号)の間でビデオ通話しようとしたらうまくいかなかった、という記事を書きました。
アレクサで実家とビデオ通話しようとしたらうまく動かない。 - 小学校笑いぐさ日記
一応、自己解決のような形になったので簡単にまとめておきます。
まず、怪しいと思ったのがスマホのアレクサアプリでした。
アレクサ端末とスマホアプリは連携していて、お互いに通話することもできます。
で、母名義にしたアレクサ端末(Echo Show1号)は、
・実家のwi-fiの中では使える
・違うwi-fi環境(私の家)に持って行くと、操作できない。
・しかしwi-fiはつながっている
これは、もしやスマホとの連携が関係しているのでは?
そう考えて、
1:私のスマホのアレクサアプリに、母のアカウントでログイン
2:アレクサ端末(Echo Show1号)をリセットして再起動(ユーザーは母)
という手順を踏んだところ、思った通りスムーズにセットアップが完了し、使えるようになりました。
特に何のメッセージもないんだけど、どうもアレクサ端末(Echo Show)はどこかの段階でスマホと通信しているらしい。
……アレクサって、スマホアプリを入れないと使えないの?
スマホない人はどうすんの?
その辺も謎なのですが、もっと謎なのは、私の家でEcho Show1号を起動した直後、リビングにある私のアレクサ端末(Echo dot)が
「○○(母の名前)さんからメッセージが届いています!」
と朗らかにお知らせしてくれたことです。
なんでも、母との間で呼びかけ機能などが使えるようになった、という。
いや、母がメッセージ送ってくるわけないんだが。
なお、同時刻、実家にあるEcho Show2号でも、
「○○(私の名前)さんからメッセージが届いています!」
という朗らかなお知らせがあって、母は何事かと思ったそうです。
送ってないんだが。
というか、なぜ今。
以前、お互いを「連絡先」に登録して、「呼びかけ」を許可したので、本来はその時に呼びかけが可能になるはずでした。
それがなぜ今までできなかったのか。
そして、なぜ急にできるようになったのか。
謎は深まるばかりなのですが、とりあえずアレクサはそれが「可能になった」と言うのでした。
この時点では、実家のEcho Show2号も、我が家のEcho Show1号も、アカウントは母のものになっています。
相互に呼びかけが可能なのも確認しました。
同じユーザーですから、互いに呼びかけすることが可能なのは当然です。(さっきまでそれができなかったのですが)
それで、しばらくの間、リビングにあるアレクサ端末(Echo PopとEcho Dot)は私の名義、自室にあるアレクサ端末(Echo Show1号)は母の名義、という状態で運用しました。
望んでいたとおり、実家との間でビデオ通話が可能になったのですが、やはり不便もありました。
私がリビングで
「アレクサ、買い物リストに牛乳を追加して」
などと言うと、自室の(母名義の)Echo Show1号もそれを聞きつけ、
「「買い買い物リストに牛乳を追追加しましたました」」
という状態になり、私と母、双方の買い物リストに牛乳が追加されてしまうのです。
これを避けるためには、リビングの端末(Echo PopとEcho Dot)のそばに行って小さな声で「牛乳を追加して」と言わなければならないのですが、なんで家の中で内緒話をしなければならないのか。
(自室のEcho Show1号がスマートホームにつながってない問題もあるのですが、それはあまり問題にならなかった)
それで、
「呼びかけが可能になりました!」
というアレクサの主張を信じて、自室のEcho Show1号をリセットして、改めて私の名義に戻すことにしました。
(スマホアプリも、私のアカウントに戻しています)
すると、何事もなかったかのようにEcho Show1号は私の名義に戻り、母のEcho Show2号と「呼びかけ」で通話できるようになりました。
不思議なのは、工場出荷時に戻したはずなのに、実家に持っていく前に設定していた定型アクション(指定の時間に「いってらっしゃい」とか「もう寝ろ」とか言うなど)も、そのまま戻ってきたということです。
まあ便利だからいいけど……。
そんなわけで、うまくいかなかった時とハードウェア構成は全く同じなのですが、うまく動くようになりました。
やったことをまとめると以下の通り。
・母のアカウントでスマホのアレクサアプリにログインする
・Echo Show1号をリセットし、母のアカウントでセットアップする
・私のアカウントでアレクサアプリにログインし直す
・Echo Show1号をリセットし、私のアカウントでセットアップする
スマホアプリに別の端末(私のスマホ)でログインすると、母のメールアカウントに確認のメールが飛ぶので、それを認証する必要があります。
結局のところ、AmazonとGmailのパスワードを母から聞く必要がありました。
母のスマホを借りてきて作業する、という方法もあったと思いますが、返しに行くのが大変なので……。
なぜうまくいかなかったのか(特に呼びかけ設定周り)がいまだによくわからんのですが、同様の症状にお悩みの方は参考になさってください
(重要なアカウント情報を2つも要求されるので、誰にでも使える手法ではない気もしますが)