信心はネズミ経ヘルニアには効かないがそのうち効くようになる。

「鼠経」という昔話があるんですよ。「おんちょろちょろ、穴のぞきそうろう」ってやつ。
nihon.syoukoukai.com
 
 しかし、先日ふとそのタイトルでググったところ、まったく検索結果に出てこないことが判明。
鼠経 - Google 検索
 
 Google先生が「もしかして: 鼠径」とサジェストしてくるのはまあ仕方がない。
「鼠径ヘルニア」って書いてあるページを検索結果に出してくるのももう仕方ない。
 しかし、サイト自体にばっちり「鼠経ヘルニア」って書いてあるのどうなの。
 
www.hosp.hyo-med.ac.jp
www.med-junseikai.or.jp
www.inouemh.or.jp
kimura-hospital.jp
osaka.jcho.go.jp
sk-kumamoto.jp
 他多数。
 
 以前、NATROM先生が、
「『マコモが肝炎、腎炎、月琴炎に効く!』って主張してる人がいるけど、月琴炎ってなに?」
 という記事を書いていました。
クロロフィルが予防する謎の疾患「月琴炎」とは何か - NATROMのブログ
 
 件の記事では、「月琴炎」とは、「膵炎」をOCRが誤認して生まれた語で、さらにそれがコピペされて一部界隈に広まったものであろう、という話でした。
 
 それはなるほどトンデモさんは仕方ねえなあ、という話だけど、れっきとした医療機関の皆さんがタイトルに堂々と「鼠経ヘルニア」って書いてるのどうしちゃったんですか……?
 誤変換……でもないだろうし。(「そけい」で変換して「経」が出てくるIMEとかあったら罠すぎる)
 
 まあ……とりあえず、「鼠経ヘルニア」という表記は「鼠経」でググる時の検索ノイズになるのでやめてほしいとおもいました(そんな人あんまりいないと思うけど)。
 

「ねずみ経」とかの話。

 
 ところで、なんで「鼠経」でググってたかというと。
(全然違う話なので畳みます)

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 この話自体が面白いかどうかはともかく、ちょっと好きなのは、いんちき坊主*1のいんちき経であっても、心から信じて唱えるお婆さんにはちゃんと御利益をもたらす、という発想が垣間見えるところです。
 
 それがもっとはっきりしているのは「木仏長者」で、山中で拾った「仏像みたいな形の木の棒」が、大事に拝んでいる奉公人の若者にはちゃんと報いてくれる。
nihon.syoukoukai.com
 
 天竺から持ち帰った有り難い経典であるとか、仏師が魂を込めた仏像であるとかいうことは、昔の人は重視しない。重要なのは拝む側の真心なんですね。
 
 あと、昔話の「仏像」って、「仏様をかたどった像」ではなく、個々の像それ自体が生きて人格を持ってる扱いなのも素朴で良い。
 
 もし、仏像が「仏の像」で、目に見えない仏様のテレキネシスで動いているなら、仏像2つが相撲を取るのはある意味「一人相撲」なわけですが*2、「木仏長者」ではそうではなく、どちらの仏像も本気で、それ自身の力で相撲を取っている。
 
まんが日本昔話」版にはないのですが、「なぜ負けたのか」と問われた金仏が、
「だって、木仏は毎日お膳を供えてもらってるけど、こっちは年に一度の正月だけだもの、力が出なくて……」
 と答えるバージョンもあって、仏像が個体として扱われているのがわかります。
 
 有名な「かさじぞう」もそうで、地蔵菩薩がじさまの信心に報いるならもっと気の利いた方法を使えばいいのに、石地蔵それ自身がえんやらえんやら雪道を荷物を担いで「恩返し」にやってくる……という、もはや菩薩とは無関係な不思議クリーチャーとして振る舞っています。
 
 こういう話、昔の人の宗教観、仏教に対する理解度を推し量れる気がして好きです。
 
「昔の人」と言わず、それを語り継いできた日本人には、今でもそういう気持ちがずっとあるのかも知れません。
 
「結婚式場のチャペルで出てくる牧師の9割はただのコスプレで、台本通りしゃべってるだけ」
 みたいな話はずっと前からありますが、それがあまり問題にされないのも、
「本人たちが本気で愛を誓ってるなら、そこにいる牧師が資格を持ってるかどうかなど些細な問題だ」
 という意識があるからではないかな、と思います。
 
 そういう、気になる民話だから、鼠経ヘルニアが検索ノイズになるのちょっとなんとかして欲しい……。

*1:地域によっては、山伏だったり俳諧師だったりいろんなバージョンがあるらしい。

*2:仏教は多神教だという話はさておき。