図書館って便利だな! と最近思いました。(小学生か)
興味はあるけどお高い本がどんどん読める。
心に残った本をご紹介します。
(一応確認しながら書いてるけど、どれも大体1回しか読んでないので、内容に誤りがあったらすみません)
1冊目。
「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやか)
中国・香港には、一山当てて儲けようとする人が世界中から集まってきます。
その中で、チョンキンマンション(重慶大厦)は、タンザニアから来た商人達が集まってゆるやかなコミュニティを築く場になっています。
その「ゆるやかなコミュニティ」を実地に経験した筆者のフィールドワークレポート。
筆者のことを語ったtogetterがしばらく前にホッテントリ入りしてましたね。
日本人がタンザニアで文化人類学調査のため古着商人に→「歳を取らない15歳ぐらいの白人の少女がスラング混じりの下町言葉でがめつい古着商やってる」と超有名になった話が興味深い - Togetter [トゥギャッター]
興味深かったのは、「マンション」住人達のゆるやかなつながりのあり方でした。
彼らの商売は、タンザニアで仕入れた宝石・準輝石を卸したり、香港で中古車や古着を仕入れてタンザニアで売ったり。
あと、そういう業者を案内してマージンを取るブローカー業。
しかし、中には悪質なブローカーもいるし、自分が騙されることもある(パートナーが売り上げを持って消えちゃうとか)。
ドラッグをやってるのもいれば、それを密売してる奴もいる。
……漫画とかでも、そういう怪しげな輩がたむろするスラム的な場所が登場しがちですよね。
で、そういうのの描写って、しばしば住人同士がマフィア的な同胞愛で結ばれていて「他所者」を嫌い、身内が傷つけられるとどこまでも追ってきて復讐する……的な話になりがちです。
あるいは逆に、お互いが全く没交渉で、誰かが死んでも他の住人は無関心だとか。
しかし、チョンキンマンションの人々はそのどちらでもない。
別に犯罪集団というわけではなく、怪しい商売をしてる人もいるけど、まっとうな商売をやってる人もいる。
(ただ、商売はまっとうでも、不法入国とか、叩くとほこりが出る人は多い)
観光客向けのレストランとかもある(夜は違う商売だったりもする)。
メンバーの入れ替わりも激しいので、お互いに「ファミリー」みたいな連帯感はない。
しかし、お互いに全く無干渉なわけでもない。
お互いに、
「同じ故郷から来た仲間」
「ご近所さん」
「あいつはなんか裏で危ないことやってるらしいけどよく知らない」
くらいの立ち位置。
そして、むしろ知らなくていい他人の事情にはお互いむやみに立ち入らないという「知恵」がある。
(ヤバい仕事をしていることを知ってしまうと、知った方も知られた方も引き返せないので)
だから、よく、著者に
「あいつには気をつけた方がいいぞ」
とか忠告してくれる人もいるけど、自分はその「気をつけた方がいい奴」と友人として仲良くしている。
(自分は適切な距離感がわかっているから)
それをお互いに「忠告」してくれたりする。
「困ったときはお互い様」
くらいの距離感で、SNSを通じて
「この車を仕入れたいんだけど手持ちがないんだ、金を出し合って儲けは山分けしよう」
「故郷に荷物を送るからついでに同じコンテナに入れてやるよ」
「金がないなら飯を食いに来いよ」
的なやりとりがある。(気軽に他人の荷物を運んじゃうの、わりと危険そうな気はする)
それでもちゃんとタンザニア人同士の団体が存在していて、その「互助会」の一番大事な仕事は、「異郷で死んだ同胞の遺体を故郷に送り届けること」。
あとは、「その日暮らし」的な感覚とか、故郷に学校を作るとかの寄付をしている話とか、外国人向けの娼婦をしている女性達(商売を始めたばかりの男性のパトロンだったりする)とか、書き始めるとキリがないのですが、自分が普段生活しているのとは違う社会のあり方がある、というのは面白かったです。
2冊目。
「中国共産党 世界最強の組織」(西村晋)
ある意味ジャケ買い。
これはまた、「チョンキンマンション」とは全然逆方向の世界で面白かったです。
「中国共産党」というと「独裁」というイメージがあるし、まあその通りなんですけど、1億人……つまり全人口の1/10が党員ということは、そこらへんに普通に党員がいることになります。
全国人民代表大会でテレビに映ったり権力闘争に明け暮れたりする人はともかく、そこらの地域や職場にいる党員は何をしてるのか、一般市民と党はどう関わっているのか、ということは、たいていの日本人には全然イメージが沸かない。
それを解説した本です。
中国共産党の最小単位は「支部」で、人数は3~49人。
党員が3人集まったら党支部を結成する規定になっている。
また、支部の人数が増えて50人になったら、2つの支部に分かれて、それらを統括する「党総支部」を編成する。
だから、中国では、職場とか学校とか地域とかの単位で「党支部」が存在することになる。
そして、上位団体である総支部のメンバーは、基本的には各支部の選挙で選ばれます。
感覚としては、町内会とかPTAとかに近いのかも知れない。
町内会やPTAに上位団体があって、上位団体のそのまた上位団体の……って辿っていくと、すべて党中央につながっているという。
(本当は、PTAも、学校PTAの上に市PTA連合会があり、県PTA連合会があり、その上に日本PTA全国協議会があるんだけど、普段はあまり意識しないですね)
それぞれの支部がどんな活動を行うかは、支部ごとの状況によります。
大学と地域と職場では、その団体の職務も、党支部が相手にする非党員の属性も異なるので。
活動方針は、党中央からいちいち指令が下りてくるわけではなく、現場の人が自分たちで判断します。
もちろん、汚職撲滅だとか、「社会主義核心価値観」だとか、上からの方針が下りてきて、その研修を行うことも常にあります。
(このへん、自分の教職員研修みたいなもんかな、と感じます。不登校対策とか新学習指導要領とか、知識をアップデートするための研修がちょくちょくある)
そして、活動方針の決定においては、党員同士で討議が行われ、最終的には多数決に委ねられます。
「一党独裁」ではあるけれど、生活の全てを党が決定するわけではありません(そんなの不可能だし)。
むしろ、この本を見る限り、草の根レベルの民主主義は、ある意味では日本より根付いているんじゃないかという気すらします。
ただ、いったん票決で決まったことには、全メンバーが一致団結して協力することが求められます。
また、党の上級組織は下部組織の決定に対する拒否権を有します(上位団体は下位団体の選挙で選ばれているわけだから)。
本書の中には登場しない語ですけど、こういうのを「民主集中制」というんでしょうか。
一見すると民主的に見えるけれど、少数意見は尊重されず、マイノリティはマジョリティに従うことが常に求められる、という。
こう……。
「日本は民主国家なんだから、選挙で選ばれた政府に反対意見を言うな! 文句がある奴は北朝鮮にでも行け!」
とか言う人がいますけど、「民主主義」に対するそういう理解こそ、中国共産党的なマインドなんだよなー、と改めて。
もしもアメリカが民主集中制だったら、バイデン政権の間にトランプ支持者が活動することは許されなかったわけで。
それは、まあ、民主主義ではないですよね。
筆者は、コロナ禍当時の日本で、
「中国は効果的なコロナ対策をやっている。なぜなら中国は一党独裁で、バカが騒ぐのを無視できるからだ」
みたいな論調が、保守・リベラル双方からあることを懸念し、中国の実態はそのようなものではないこと、むしろ中国共産党が草の根の声を吸い上げる機能を有していることを指摘します。
……でも、結局のところ、中国の体制が
「バカを無視できる」
ものではないとしても、
「マイノリティの声を圧殺できる」
仕組みであることに憧れを抱く人はいるんじゃないかな……という気もします。
ところで、筆者は、SF小説「三体」の第二部で、宇宙船の乗員5500名らが独自の自治組織を結成するシーンを例に挙げます。(私は第一部しか読んでないのですが)
その組織や運営方法が中国共産党そっくりであることを指摘し、作中では100%の賛成票で「政府」が成立しているが、西側の読者であればその統治形態に賛同しない人もいるのでは、と述べます。
作者は中国人だから、そういう政府のあり方を当然のものと考えているのだろうなあ、という話です。
日本人にとっては、中国の地方党組織の存在とか想像の埒外ですが。
逆に、中国人は、自国の地方や職場の党組織みたいなものがどこの国にもあると思っている……。
面白いですね。
みんな、自分の経験の範囲で「異世界」を想像してしまうんですよね……。
あと、中国で優秀な人はその多くが党員を目指すので、外国企業や役所(大使館とか)が職員を現地採用したら、優秀な志願者の多くは中国共産党員に入ってる、というのもなるほどと思いました。
共産党員だからといって党中央の操り人形なわけではなく、むしろ所属する団体の利益のために働くのが党支部のあり方だ……。
と、筆者は言うんですが、中国国営企業や地方政府の場合と違って、外国企業等では、なかなか利害が一致しないこともあるんじゃないかなあ……。
(サムスンはうまくやってる、という例が出てくる)
3冊目。
「滝山コミューン一九七四」(原武史) 1970年代、高度経済成長に伴う都市部への人口流入と、それに対応するための団地開発が行われ、そこに住む子ども達を受け入れる小学校も大幅な児童数の増加をみることになります。
筆者の通った「市立第七小学校」もそのような学校でした。
筆者は、現在の寂れた団地と七小を見に行ったり、当時の同級生にインタビューしたりもするのですが、本書は基本的には、筆者が通った学校の思い出(トラウマ)です。
これがひどい。
ことの発端は、隣のクラスの担任である片山先生が、所属する教育団体の推進する「学級集団づくり」を自分のクラスで実践すること。
そして、それがやがて学年、学校全体へと波及していくことになるのです。
「学級集団づくり」という言葉自体は、現在でもよく聞きますが、その内容が今と全然違う。
今日では、「学級集団づくり」というのは、まず子ども達の心理的安全性を高めることに重点を置いているのですが、片山学級ではむしろその逆。
まず、学級生活の基礎は班活動です。
生活班は今でも多くの学校・学級で作られていると思いますが、片山先生の生活班は、「班競争」のための班です。
例えば、PTA課外活動の「おにぎりハイキング」においては、5つの班が、「レク班」「歌声班」「日直班」「道案内班」のそれぞれの係を担当します。
……5班あるのに4つの係しかない。
これがつまり競争の仕掛けなわけです。
実施に先立って、各班はどの係をやりたいか立候補します、
そして、希望者が複数の場合は「自分たちがその係に選ばれたらどのような活動をしたいか」をクラスの前でアピールします。
聞いていた側は不明点を質問し、質疑応答の末、票決にかけられます。
投票は「どこが一番ダメだったか」を選ぶ消去法。
そして、どの係にもなれなかった班は「ボロ班」「ビリ班」などと呼ばれ、無役になります。
自分たちの至らなかった点を自覚・反省し、次回までに克服することが求められる……という発想なわけですが。
そこまでする必要ある……?
ちなみに「日直班」とは、行事中の各班・各児童の活動を点検する係。
事前に
「号令があったら3分以内に集合すること」
といった目標が立てられ、それを守れていないのは誰か、目を光らせる係です。
このような班競争が、年間を通じて絶えず行われるわけです。
行事以外でも、
「給食時間を守る」「一日一回は必ず発言する」といった目標が定められ、それを守らない児童は日直班が常に監視しています。
うっかり給食の時間中に立ち上がったりすると即座に
「~~君、減点1点!」
という声が週番の子から飛びます。
清掃場所も班ごとに立候補で、時間内に終わっているか、清掃用具の片付けはきちんとしているか、などを日直が点検。
そして土曜日(そう、昔は土曜日も学校が半日あったのだなあ…)には、減点の一番多い「ボロ班」が吊し上げを食うことになります。
ちなみに給食の配膳は、成績のいい班から。
こんな殺伐とした学級、イヤ過ぎるだろ……。
しばしば席替え=班のメンバー変更も行われますが、これは、班長(男女2名ずつ)が別室で「自分の班に誰が欲しいか」を1人ずつ選んでいく方式。
いや……それは……。
いくら別室でやったって、誰が「いらない子」なのかお互いにわかっちゃうじゃん……?
で、まあ、当初は、これは筆者にとって「隣のクラスの話」であって、例えば校内球技大会の時に、その片山学級の様子を見て
「なんかあのクラスだけ一糸乱れぬ応援で気味が悪いな……」
と感じていた程度だったのですが。
ところが、5年生になると、片山先生の熱心な主張で、児童会選挙のあり方が変更されます。
それまで、各クラスの代表による互選だったものが、選挙活動、立会演説会を経て、4年生以上の全児童による投票が行われるという「本格的」なものに。
そして、普段から討論に慣れ、クラスが団結して(というか班ごとに競争し合って)選挙活動に臨んだ片山学級の候補者が、5年生では次点で児童会副会長に選ばれ、6年生に至っては、会長から各委員会の委員長まで、代表委員会のポストを独占することになります。
つまり、片山学級が、第七小学校の児童会全体を掌握してしまいます。
そして、6年生の行事「林間学校」に至って、筆者を含む6年生全員が、班ごとの「しごとの奪い合いの討議」や、減点式の班競争に巻き込まれることになります。
食事の時間に遅れたとか、「自由ハイキング」で目標時間にチェックポイントまでたどり着けなかったとかいう理由で罰点を与えられ、どの班が何点ペナルティを受けたかは、ホールの模造紙に棒グラフで張り出されるという。
それだけでも実に陰鬱なのですが、読んでいて腹が立つのは、片山先生の導入した「民主的(民主集中制的)ルール」が、時には片山学級にとって都合の良い形で無視されていることです。
例えば、林間学校では、レクリエーション係などの人気がありそうな活動は、あらかじめ片山学級の班が担当することが決まっていて、それ以外の係をそれ以外の学級の班が担当することになります。
片山学級の中ではおそらく班競争があって、どの班が担当するかを争ったのでしょうが、しかしそれは他の学級の子ども達にとっては関わりのないことです。
また、運動会においては、運動会のポスターを作成して地域に掲示することがあらかじめ決定されています。
掲示委員会の委員長であった筆者は、代表委員会の場で、掲示物を担当するのは自分たちであるが、そんな方針が決まったことすら知らなかった、一部の人たちで話を決めていくことが、果たしてスローガンである「みんなでちえと力を合わせて楽しい運動会にしよう」に一致するのか、と異議を唱えるのですが、これは全く無視されてしまいます。
そればかりか、筆者は後日、各委員会の委員長(つまりほとんどが片山学級の児童)が集まった場に呼び出され、そのような、「上層部」の活動方針を批判するなど「民主的集団」を攪乱した「罪」を追求され、自己批判を求められるのです。
この「追求」の場に教師はおらず、少なくとも表面的には子ども達の自主的な活動だった、というのが恐ろしいところです。
この査問委員会的なものから逃げ出した筆者は、図工室に逃げ込んで先生に助けてもらうのです。
(一方で、片山先生の属していた教育団体では、このような「追求」が、「集団の名誉を傷つけ、利益をふみにじる」ものに対して、集団が「自己批判、自己変革を要求して対象に激しく迫ること」として重視されていた、という話もある)
これ以後、筆者はしばしば学校を休むようになり、私立中学校へ進学することになります。
筆者は、「このような活動を楽しんでいた児童も多かったと思う」と繰り返し述べるし、事実そうだろうとは思います。
しかしそれは、戦時中の国民学校でもソ連のピオネールでもドイツのヒトラーユーゲントでも楽しんでる子どもはいた、みたいな話だと思います。
(また、片山学級でリーダー的存在として活躍していた子も、筆者のインタビューに答えて、
「あの頃は精神的重圧が強く、手の皮がむけたり、ストレス性大腸炎になったりして辛かった」
と涙をこぼしたりしている)
色々衝撃だったのですが、片山先生が属している「教育団体」は、全生研…「全国生活指導研究協議会」で、ソ連の教育運動の影響を受けた、左翼的な教育団体なのですよね。
今日、「左翼的教育」というと、日の丸・君が代反対だとか「教え子を戦場に送るな」といった政治向きの話の他は、「全員が桃太郎の学芸会」だとか「手をつないでゴールする徒競走」だとか、「行きすぎた平等主義」のイメージが強いと思うのですが。
しかし70年代においては、むしろ今日の新自由主義も真っ青な、競争原理を導入した学級経営が、「集団のちからを高める」ものとして賞賛されていたという……。
これを経験した人であれば、「左翼教員」を憎むのはわからないでもないな、と思ってしまいます。
そしてまた、班競争だとか、問題児が帰りの会で吊し上げにされるとか、児童会選挙で活発な選挙運動が繰り広げられるとか、漫画やアニメでは時々目にするけど現実には見たことのない学校風景、実はかつては現実に存在していたのか……という驚きがありました。
↓の記事で紹介されてる70~80年代の漫画も(主題は「お色気小学生」だけど)班競争の描写がありますね。
ablackleaf.com
「こんな学級経営する担任いないだろ……」
と思っていたけど、ある程度リアルだったのかも知れない。
(かく言う私も80年代中盤に小学校に入学したので、筆者とそれほど年代がずれているわけではないのですが……)
60年代、70年代の教育を経験した人たちが作った漫画やアニメだから、70年代、80年代の子どもにとっては違和感がある、ということはあったのかも知れません。
そう考えると、今の漫画やアニメに登場する「学校」が、リアル小学生にはおかしなものに見える、ということもあるのかも。
さて。
そんなわけで、読書を通じて、アフリカ、中国と、色々な異世界を垣間見ましたけど、一番ディストピア感が強いのは70年代の小学校だったという……。
人間は変わらなくとも、置かれた環境や制度で、暮らし方は全く変わってしまうのだなあ、と考えさせられました。