(この記事は、事実*1を元にしたフィクションです)
先日の送別会で、教頭と前の教務が語っていた話を端で聞いていて、ちょっと心に残ったので記録。
断片的なので、「プロジェクトX」のオープニングとか、映画の予告編みたいに*2まとめてみる。
(各自、適当なBGMを脳内でスタートのこと)
「特別なのは、子どもではないんです。
どの子も、親にとっては“普通”の子……。
“特別”は、それを見る人の心の内にあるんです」
『……なぜ私が?』
『君には、小学校勤務の経験があるからだ』
「あのころ、特殊学級*3は、年輩の女性の先生が受け持つものだった。
管理職になれなかった先生の、最後の花道として。
管理職経験が無くとも、特殊学級の経験があれば、退職金はずっと違う……。
……それが理由だった」
“姥捨て山”
『母さんはね、あなたを特殊学級担任にするために育てたわけじゃないんだよ』
『あなたの力を買ったからだ』
「それは、不適格教員を配置するポストに過ぎなかった」
『どうした、久しいな』
『先生、実は……先生だったら、どうなさいますか?』
『俺か……。
俺だったら、その話、受けるぞ』
『……』
『特殊学級担任には、普通学級担任にはない喜びがある。
それは、子どものどんな小さな変化にも気づき、それを喜んでやれることだ』
『特殊学級を、本来あるべき姿に……。
そのために、特殊学級を本当に担任すべきなのは、若い教師なのだ。
それも、ひどく若すぎもしない、一定の経験を積んだ教師が』
「差別されていたのは子どもだけじゃない。担任もだ」
「私たちは特殊学級の担任を何年も経験した。
……そして今、教頭になっている。
時代は、変わったんだ」
2008/4/20追記:この文章はフィクションです。コメント欄も御覧ください。