Kindleで、柳田国男の「日本の伝説」を読んでます。
なんと無料だよ。いいのかこれ。
……と言っておいて話が飛びますけど、聖書には、腹が減ったイエスがいちじくの木に近づいたものの、木には実がなっておらず、怒って
「今後永久に、お前の実を食べる者がないように!」
と呪いをかけたところ、翌日、木が枯れてしまう……という話があります。
「聖☆おにいさん」にも、それを土台にしたネタがありますね。
(3巻51ページ。それは実じゃないですウリエルさん)
で、「日本の伝説」を読むと、日本にもよく似た話が多数あることがわかります。
例えば、弘法大師がある村に立ち寄って老婆に水を所望したところ、老婆が断ったので、怒った大師が呪いを掛け、以来その村の井戸は金気のせいで飲めなくなった、とか。
あるいは、かつて氏神様が黍(地方によっては、栗だったり胡麻だったり)で目を突いて以来、村で黍を作ると災いがある……とか。
こうしてみると、イエスのいちじくの逸話も、見るからにその類いであって、土着の民話起源なんじゃないかという気がする「祟り神」エピソードが、イエスの事跡として聖書に紛れ込んだ経緯はとても興味深い……のですが。
しかし、聖書と日本の伝説には大きな違いがあります。
それは、内容ではなくて、読者の方。
いちじくのエピソードについては、読者であるキリスト教神学者の皆さんが、
「イエスが単なる八つ当たりで呪いを掛けたりするはずないよ!」
という立場から、部外者から見るとなんとも曲解めいた「解釈」を試みていることです。
ここからリンクを張るのは憚られますけど、「イエス+いちじく」で検索すると、
「あれは実は、ユダヤ社会の未来を象徴的に暗示した預言なんだよ!」
「いや、ご自身の受難を示してるんだ!」
等々。
……そんなどうとでも解釈できる、わかりづらい預言のために枯らされたいちじくも災難だのう……。
面白いと思うんですけど……八つ当たりで祟るイエス。
熱心なキリスト者の方は、イエスが民話の弘法大師と同レベルでは納得いかないのでしょうか……。