ケネディ神話。

 ジェラルド・カーティスという人物がいます。

 Wikipediaによれば、
アメリカ合衆国政治学者、コロンビア大学教授。
 専門分野は日本の政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策」
 だそうで、
政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年「政治と秋刀魚・日本と暮らして四五年」なんて本も出しているとおり、英語・日本語どちらでも講演ができる大変な知日家であり、優れた知識人です。
 
 ……ということを知ったのはごく最近、よそのブログを読んだのがきっかけなんですけど。 
 
“ケネディー大統領 偉大な一言: 「教育は国防である」”(外国人の不動産情報・お部屋探し仲介サポート: Real Estate Agency in Tokyo)
 
 この記事は、前掲の「政治と秋刀魚」の感想を書いたものです(例によって私は読んでない)。

 本に書かれた
「教育とは国防である」
 という故ケネディー大統領の考え方が大変興味深かったので早速書きたいと思います。
 
 1957年にソ連が人類初の人工衛星スプートニク」の打ち上げに成功したことで、アメリカは教育・軍事・科学技術分野において改革の必要性に迫られました。これを踏まえ、1960年にケネディ大統領は安全保障のためにアメリカ人は外国のことをもっと知る必要があると訴え、議会で「国防教育法」を設立させました。
 当時のアメリカでは学校でヨーロッパの言葉を教えることは多くあったようですが、この法律はロシア語、中国語、日本語など当時のアメリカ人のほとんどが注目していなかった言語を勉強することを目的としたそうです。
 ケネディ大統領は、自国・世界の治安を維持・向上させるためには異文化のことをよく知らなければならないと考えたのでしょう。
「教育とは国防である。」 偉大な考え方だなー、と感銘を受けました。

 「教育とは国防である」(ジョン・F・ケネディ
 ふむ、なかなかいいじゃないですか。
 そうです教育こそが国家を守るのです。
 こいつはぜひ自分も何かの機会に引用してみたいものだ、と思ってちょっと調べてみました。
 
 ところが、調べてみるとこれがどうも疑わしいのでした。
 
 「国防教育法」は、英語では“National Defense Education Act”というものであるようです。(Wikipediaでは、「国家防衛教育法」としています
 
 しかし、これが制定されたのは1958年。
 アイゼンハワーがまだ大統領をやってる時期です。
 
 あるいは、カーティス氏が言う「国防教育法」というのは“National Defense Education Act”とは違う法律なのかも知れませんが、いずれにしてもケネディが大統領になったのは61年。
 「1960年に」というのは計算が合いません。
 
 ここで失礼にも
「ブログ筆者が引用を間違ってるのかな?」
 とも思ったのですが、さらに調べると、カーティス氏は、ZAKZAKのインタビューでも「ケネディが国防教育法を作った」と言っています。
 「1957年のソ連スプートニク・ショックから、ケネディ大統領が国防教育法を作ったのです。自国防衛のために、教育で外国のことを知る必要があると。私もそれで日本語を勉強したのです」
 
 ……カーティス氏、何か思い違いをしてるんじゃないかしら。
 
 周知のごとく、ソビエトは、1957年10月4日、世界初の人工衛星スプートニク1号」を打ち上げました。

 この一ヶ月後には、スプートニク2号の打ち上げにも成功します。*1
 
 先を越されて焦ったアメリカは、さらに一ヶ月遅れで、ヴァンガードTV3ロケットによる試験衛星の打ち上げを試みます。

 しかしロケットは発射台から1m浮いたところで爆発。
 結果的に、アメリカがソビエトに負けていることを世界に印象づけるという、空前の大失態を演じてしまいました。
 
 巻き返しを図るべく、アメリカでは大規模な教育改革が始まります。
 
 外国語教育が強化されたのは事実ですが、それ以上に力が入れられたのは数学・科学教育でした。
 1959年、米国科学財団には1億3400万ドルの予算が割り当てられ(1億ドルの増額)、68年にはこれが約5億ドルにまで達します。
 さらに、抽象的な数学概念を初等教育から導入するという、おそろしく野心的な教育改革「新しい数学(New Math)」が実行に移されます。
 
 なお、これらは、我が国の学習指導要領にも影響を与えます。
 いわゆる「現代化カリキュラム」は1971年度から実施され……って遅ッ! スプートニクどころかアポロ14号まで終わってるんですけど。
 ……まあ、指導要領を短期間でコロコロ変えるとひどいことになるという最近の教訓もありますけど……。
 
 ともあれ、これらは原則的には大変な詰め込み教育でした。
 日本の「現代化カリキュラム」も、大量の「落ちこぼれ」を生み、それは校内暴力多発のきっかけともなり、その反省が、今度はいわゆる「ゆとり教育」へとつながっていくわけですが、それはまた別の話。
 そういう教育環境が、知的レベルの高い人に才能を発揮できる機会を与えたのも事実なんでしょうけど。
 
 さて、最近の北朝鮮問題で広く知られるようになりましたが、ロケット技術はミサイル開発にも直結する技術です。
 軌道上に人工衛星を打ち上げる技術がある、ということは、同様にして地球上の好きな地点に物を投げ落とせる……つまり大陸間弾道ミサイルの技術が完成したことを意味します。基本的には。
 だから、アメリカが宇宙開発でソ連に遅れをとることは、治安維持や文化交流という以上に、差し迫った核の脅威だったわけです。
(いわゆる「ミサイル・ギャップ」)
 
「国家防衛教育法」は、このような状況下で制定されたものです。
 
「教育とは国防である」という発言の真相は不明ながら*2、本当にこの時代の米政府関係者がそれを言ったのだとしたら、それは「異文化交流」みたいなのどかな発想ではなくて、科学技術……何より兵器開発でソ連に遅れをとることは、国家の物理的な存亡に関わる、という、冷戦下の危機感が背景にあるに違いありません。
 もちろん、外国語教育の強化が、カーティス氏のような人物を生むきっかけになったのも事実でしょうが、それはいわば副産物に過ぎないのです。
 
 ……カーティス氏ほどの人物が、それを知らないはずはない、と思うのですが……。
(「国家防衛教育法」制定時、彼は18歳でした)
 
 さて、
「ある時代にさまざまな人間がおこなった物事は、その分野を代表するひとりの人間に集約されて語り継がれてゆくものである」
 という意見があります。
「それだけは聞かんとってくれ」第91回 悲しくてやり切れない

 武藏坊弁慶は実在しない、あれは義経の家来の集合体のイメージだ、というのも同じものである。日本文学を代表する西鶴に作品が余りに少ないのは西洋諸国に対して恥ずかしいじゃないか、ええいあれもこれもすべて西鶴作ということにしてしまえ、というのが明治の欧化政策の一環にあるが、これとて然りである。

 いやまったく。
 
 弘法大師が温泉やらわき水やらをそこら中で発見してたり、小野小町の墓が日本中にあったり、ヤマトタケルの妃が何人もいたりするのも同様ですね。
 
 ちなみに上の記事でネタにされてるのは、ジョン・レノンフランク・ザッパがごっちゃにされている、という話なんですがそれはさておき。
 
 ケネディの話。
 
 もちろん彼は、人種差別と戦い、キューバ危機を回避し、PTBT締結で核軍縮に先鞭を付け、ベトナムからの撤退を計画した(そしてそれは彼の死のために実現しなかった)偉大な大統領だった、と言ってもそれほど誇張ではないでしょう。(少し誇張だけど)
「彼が暗殺されなかったら、1960年代はもっと素晴らしい時代になっていただろう」とは多くのアメリカ人が考えるところだろうと思います。*3
 何しろ、在任中に暗殺されたアメリカ大統領は4人もいるのに、ケネディばかりが有名で、あとはせいぜいリンカーンくらいしか問題にされないわけで。*4
 
 しかし、あまりに有名で期待が大きかった分、実際以上に美化され、前述の弘法大師現象がおきつつあるのかも知れません。
 在任期間は広げられ、関与していない法律を制定したことにされ、しかもその政策意図を善意に解釈される、という。
(まあ、カーティス氏は自分の個人史に関わる問題だけに、なおさら美化の度合いが激しいのかも知れませんが)
 アメリカは日本に比べれば歴史の浅い国ですが、近現代史だって実体験してない物事はいい加減に記憶されるものですし。
「世界で最初に核兵器を使用した国は?」という質問に、イギリスの子どもの31%は「日本」と答え、さらに19%は「ドイツ」と答えたそうです。枢軸側大勝利!)
 
 いずれケネディは、戦時中は連合国最高司令官として戦い、原爆投下命令にサインし公民権法を制定しベトナム戦争終結させフルシチョフゴルバチョフ毛沢東と会談し、大統領専用機内でテロリストと戦った後にダラスで暗殺された大統領、として記憶されるようになるんではないでしょうか。
 
 ……ところでここまで書いてふと気がついたんですが、私が18歳の時、日本の総理大臣は一体誰だったんだろう。
 

*1:生きた犬を乗せたけど、回収できる構造になってない、というので有名。

*2: 60年の大統領選挙の期間にケネディが言った可能性もあるかも。
 彼は、ソビエトのミサイル技術はアメリカより進んでおり、この「ミサイル・ギャップ」を埋めることが必要だ、と主張して選挙を戦ったのです。
ただ、「Defense Education Kennedy」で検索してもそれらしい言葉は出なかったけど……。

*3: そんな設定のSFとかもたくさんある。

*4: ちなみに4人というのは、
第16代大統領:エイブラハム・リンカーン(1865年4月14日)
第20代大統領:ジェームズ・ガーフィールド1881年7月2日)
第25代大統領:ウィリアム・マッキンリー(1901年9月6日)
第35代大統領:ジョン・フィッツジェラルドケネディ(1963年11月22日)
 リンカーンケネディの間に2人死んでるんですがあまり話題にならない。