学校における応急医学。

大学3年の夏。
教育実習の事前指導にて。
 
受け入れ校(大学附属小学校)の養護教諭の話は、
「心気症の子どもに気をつけて下さい」
……でした。
 
ここで言う「心気症」とは、要するに、別にどこも悪くないのに、気分的に「頭が痛い」「お腹が痛い」……といった症状を呈することを言います。
 
心気症は、学校では珍しいものでも何でもありませんが、教育実習期間中にはこれが顕著に増えるのです。
 
通常、教育実習と言えば、せいぜい5・6人の学生がやってきて、子どもたちみんなから珍しがられる、という程度のものです。
しかし、付属小の教育実習は、学級当たり5・6人ないしそれ以上、学校全体では実に100人超の実習生が押し寄せ、一ヶ月間「石を投げれば実習生に当たる」状態になるという、途方もない大イベントです。
 
授業は一日全部が実習生の授業で、毎時間違う実習生が担当。
それも、中学と違って、前日国語を担当した実習生が、今日は算数。
算数を担当していた実習生が今日は音楽……みたいなでたらめぶり。
 
実習期間中、校内には、本来の職員に数倍する数のスーツの若者が右往左往し、寝不足でふらふらになったり黒板の前で立ち往生したり革靴でおにごっこをしたりしているのです。
 
この、普段とはあまりに違う学校の様子に、大喜びする子どももいれば、不安になる子どももいます。
そして、どちらにしても心気症を引き起こす結果になるのです。
 
こうして、実習期間中、保健室は連日大入り満員。
養護教諭は、「実はどこも悪くない」病人の群れに押しつぶされて悲鳴を上げるのです。
 
「……先生方には、心気症とそうでない子を、よく見極めて欲しいと思います」
 
と、養護教諭は結んだのですが。
 
まあ、そんなことできるわけないですよ。
 
だって、私ら実習生だもの。
事実上、ただの大学生ですから。
 
子どもが
「先生……なんか、頭痛い……」
とか言ってやってくれば、とりあえず
「そうか。よし、じゃあ、一緒に保健室に行こう」
……ってことになります。
 
そうですね、実習期間中、心気症で保健室に来室する児童が増えるのは、心気症そのものが増えるのと同時に、心気症とそうでない病気を見分けられずに、なんでもかんでも「大事を取って」保健室に連れてくる、私たち実習生のせいでもあったわけです。
 
……さて。
 
未だに心気症と本当の病気の区別が付かないK村です。
 
本校は何しろ小規模校ですから、頭痛と腹痛と関節痛の児童を残らず保健室に送り込んだって大した数にはならないのですが、そうすると授業になりません。
 
なので、「とりあえず様子を見る」ことが多くなります。
 
「先生……なんか、頭痛い……」
「そうかあ。頭痛はつらいねえ。それじゃあ、休み時間になったら保健室に行っておいで」
「はーい……」
 
「さて、二時間目を始めます。……あ、Aさん、さっき、頭が痛いって言ってたけど、保健室、どうだった?」
「あ、休み時間で遊んでて忘れてました。今行ってきていいですか?」
「……忘れるくらいなら大した病気じゃないんだろう。がまんしな」
 
……で、この子が翌日インフルエンザで休んだりするので油断ならないのですが。
「昨日家で熱を測ったら38度近くあったらしいですよ」
みたいな。
 
また、逆に、「実は病気じゃない」子に限って、痛い痛い痛い痛い訴え続けてうるさい、ということもあります。
 
保健室に行って、検温して、養護教諭
「給食食べたか? じゃあ大丈夫だ。がんばって勉強しな」
……と励まされると、とりあえず元気になるようなんですが、できれば、保健室に行かずに元気になって欲しい。
 
……そこで、K村学級では、学級に体温計を備えています。(ちなみに私費)
 
「先生……なんか、頭痛い……」
「よし、じゃあ、熱を測ろう」
「……36度3分です」
「そうか、じゃあ全然大丈夫だ。安心しな」
 
もちろん、検温の結果37度を越えていることが判明して、保健室送りor早退になる子もいます。
 
また、ちょっと血が出たくらいで保健室に行く子がいるので、ばんそうこうも常備。
擦り傷程度なら、担任が手当てします。
「けがした時に血が出て痛いのは、生きてる証拠だぞ」
 
夏には、虫さされでひどく腫れる体質の子がいて、それ以外の子も、ちょっと蚊に刺されたくらいでかゆくて騒ぐので、ウナコーワも導入。
「虫に刺されたらかゆいのはあたりまえだ。かゆくなかったら病気だぞ」
 
だいたい、ちょっとしたことで騒ぐ子が多すぎます。
 
秋からは、唇が乾燥して血が出る子が何人もいたので、リップクリームを購入。
 
冬になって、手にあかぎれができる子もいるので、白色ワセリンもおいています。
 
最後のワセリンは、軟膏の基剤となるもので、ハンドクリーム同様、乾燥を防ぐために使います。
本来、それ自体にはなんの薬効もありませんが、ちょっとしたあざとか傷とかで心配して担任に見せに来る子どもに、薬のふりをして塗る、万能軟膏と化しつつあります。
 
思えば、オロナインって、実はそんな薬なのかも。
オロナイン、今度買おうと思っています。
 
その次は乳糖の錠剤*1でも買うかね。
 
「……なんか、この一角が薬屋みたいになってきたな」
「先生はね、みんなのきゅうきゅうばこなんだよ」
「……『先生の机』じゃなくて『先生』が救急箱なのか」
「そう!」

*1:代表的な偽薬=無益無害な薬。新薬の試験をする時、対照群が飲む。
ちなみに、軟膏の試験では、白色ワセリンが偽薬として使用されることがある。