穴二つ……で済むなら安いものよ。

本校では、「下校指導」として、子どもたちが下校するのに職員が付き添い、帰宅するまで一緒に歩いています。
 
昨今の事件のこともありますが、そもそも校区が僻地で、街灯も少なく、日が落ちるのが早くなったこの時期は危険だ、とのことで、例年行っています。
 
教師が帰宅まで一緒に歩く、というのは、職員の負担も大きく、大規模校でもなかなか難しいことだと思いますが、本校は立地上の特性により、それが可能になっています。
 
……というのも、谷間の川沿いに形成された集落が校区なので、ほとんどの子どもの家が一本の道に沿って並んでいるのです。
学校は校区の中央にありますから、上流担当と下流担当の二人の職員がいれば、全校児童の下校指導が可能だということになります。
(実際には、低学年と高学年では下校時間に違いがありますから、本当に二人だけではできませんが)
 
今日も、低学年の子どもたちと一緒に家まで歩いてきました。
 
見ていると、石を拾ったりごっこ遊びをしたり、なかなか前に進みません。
 
「……寒いし、暗くなるから早く帰ろうね」
 
先日は、低学年が高学年に追いつかれてしまった、という報告があって、よく注意したはずなんですが……。 
 
まあ、昼休みよりも長い間一緒に過ごすわけですから、貴重なコミュニケーションの時間になっているのも分かるのですが。保護者も心配しますし、私も心配です。
 
「ねえ先生、先生はどうやって学校まで帰るの?」
「そりゃあ、歩いて帰るんだよ。『えーんえーん、一人でさみしいよう』って泣きながら」
「先生、ジャンパーかしてあげる」
「……ありがとう。
でも、私が着ると伸びちゃうからいいよ。
あ、ここが家だね。さようなら」
「うん。ばいばい」
 
“さようなら”だと言っているだろうが。
 
「先生、ふしんしゃにつかまらないようにねー!」
「ん……ありがとう!」
 
……子どもって、かわいいですよね。
 
いや、かわいいかわいい言ってるだけでは、教師は務まらないわけですが。
でも、かわいいですよね。
 
彼らがみな、健やかに育ち、成人し、幸せな人生を送ることができるよう、願わずにいられません。
 
世の全ての児童殺害犯に、あらん限りの災いが降りかかりますように。
例えば、野犬の群れに襲われて、自分の内臓が喰われるのを見ながら、最大限苦しんで死んでいきますように。
あるいは、暗く深い古井戸の底に落ちて口元まで生臭い水の中につかり、無数の蛭に苛まれながら、這い上がろうと長い長い間無駄にあがいてから死にますように。
常人の想像を絶する苦痛と絶望が彼らに与えられますように。

 
……無神論者の祈り(あるいは呪い)ほど空しいものはない、と思いつつ。