先日の高齢者交流行事ではお世話になりました。

 先日、地域の方との交流行事があり、子どもたちは地域のお年寄りからお手玉の作り方を習って、お手玉で遊びました。
 
 中に入れるものとして、小豆を1kgほど買っておいたんですが、これは足りませんでした。
 
「アレ先生。言ってくれたら小豆だったらいくらでもウチの納屋にあったのに。ちょうど昨日捨てっちまったンだわ」
「こンないい小豆使ったらもったいないようだわ」
 
 それはすみません。
 なるほど、店で売れるような小豆、普通はお手玉に入れないですよね。
 
「イヤ、昔は遊ぶものなンかないから、学校サ来る時鞄の中に5・6個お手玉入れて、それでみんなで遊んだンだわ」
「親は作る暇なンかないから、自分で作ったンだ」
 
 しかし、この時期そういう話を聞くと、昔のことを思い出しますね。
 
 昔、おなかがすいてどうにもならなかった時、こっそりお手玉をほどいて中の小豆を食べたもので。
 悪い小豆だったんでしょうが、気になりませんでしたね。
 
 親から食べ物を送ってもらうことはできませんでしたし(どこでもそうだったんでしょうか?)、そもそも、手紙に「食べ物が足りない」なんて書くこともできませんでしたから。
 
 それで、手紙に「お手玉を送って下さい」って書いて出したものです。
 
 あのころは親も大変だったはずだと今は思いますが、当時疎開先でそこまで考える余裕はありませんでしたから……。
 
 ……などと、見てきたように語るにも限界がある実例。