衣食足りずして。

早寝早起き・・・出来るといいね
serohanさんの上記記事を読んで思ったこと。
 
ていうか、憤ったこと(自分で書いた記事を読み直して思ったんですが、私は給食制度廃止うんぬんに憤っていると言うより、それを廃止しようという人々の発想に憤っているのだと思います)。
 
そもそも、我が国に給食制度があるのは、戦後の食糧難の中、弁当を持ってこられない子ども、欠食児童が存在したためです。
 
弁当を持ってこられる子の中にも、梅干ししかおかずがないような子もいれば、卵焼きが入った彩り豊かな弁当の子もいる。
貧しい弁当の子は、金持ちの子をうらやみながら、自分の弁当を弁当の蓋で隠すようにしながら食べる。
そんな時代があったわけです。
 
それなのに、格差が存在することを前提にして給食制度を廃止しようとは、一体どういう了見なのか。
 
佐賀県庁の正気を疑います。*1
 
もちろん、どんなものにも格差はあります。
 
それが例えば、自分の努力が足りないが故の格差ならば、努力するための動機付けとなるでしょう。
 
でも、弁当は、子ども自身の努力でどうにかできるものではありません。
 
まあ、それが貧しさゆえのものなら、自分はもっと豊かになろうと励む原動力になるかも知れません。
現実問題として、極めて安価であるはずの給食費さえ、納入がままならない家庭はどこの学校にもあるのです。
 
でも、両親が仕事で忙しくて弁当を作れない場合には……。
一体何をどうすれば。
 
どうにもならない社会の不条理を体験することで、社会のゆがみを是正しよう、という思いを抱く原体験となるでしょうか?
 
でも、それを言うなら、学校給食とは、社会の不公平を是正するために先人が成し遂げた一つの成果だったのではないでしょうか。
 
もしも子どもが、
「うちのお母さんねぼすけだから、ちゃんとおべんとう作ってくれないんだよ」
と口にした時、そして、それが本当は保護者の生活習慣に由来するのではないと担任が知っている時、私たち教員はどうすればいいのか。
 
私の尊敬するある先輩は、運動会の時は、親が運動会に来ない子どもと一緒にお弁当を食べていました。
その子が寂しい思いをしないように。
しかし、ベテランだったその担任がどんなに心を砕いても、それでその子を本当に満足させられるはずはありません。
 
まして、それが毎日の弁当となれば。
 
たとえ、弁当を持ってこられない子に、他の子がおかずをあげる、というのが、佐賀県の教員の驚嘆すべき学級経営上の努力によって、全ての佐賀県内の学校の全ての学級で定着する、という奇跡が起きたとしても。
それで、その欠食児童は満足するでしょうか。
 
そして、担任がどんなにがんばったところで、
「うちのママがね、〜〜ちゃんちのお母さんはずるいって言ってたよ。ママは毎日がんばっておべんとう作ってるのに、〜〜ちゃんちのお母さんは作らないからだって」
……とかいう事態まで防げるでしょうか。
 
「それが社会の本当の姿」
だとか
「違いを認識することも重要。持って来られない子がいたら、友達がおかずをあげたり、別の母親が作ったりするなど、相手を思いやる気持ちが出来る」
だとか言うのは、勝者の論理だと思います。
そんなことを平然と口にする人は、自分の子どもがよその家の子どもから弁当のおかずを恵んでもらう立場になる可能性なんて全然考える必要がない人たちでしょう。
 
そもそも、「社会の本当の姿」って何ですか。
給食制度がある現在の日本は「本当の社会」じゃないんですか。
貧しい家の子どもが惨めな思いをするのが「社会の本当の姿」なんですか。
そういう悲しみを少しでも軽減するために、国家があり行政があるんじゃないんですか。
 
学級の子ども社会は、放置すれば、弱肉強食の原理が支配する社会になります。
それをなんとかできるのは担任だけです。(……と、向山洋一は言っています。)
 
それでは、日本社会の弱者を守るのは、誰の役目なのですか。
それを放置するのは、子ども社会が弱肉強食に陥るのを放置する学級担任のようなものではないですか。
 
誤解しないで頂きたいんですが、私は、「親が子どものために犠牲になる必要はない」なんて思っていなくてですね。
 
少なくとも私が勤務した学校の職員の間では、例えば親が子どもを連れて深夜までカラオケに行ったとか、スケート教室の経費の納入は滞っているのに地域の親睦会には会費を払って呑みに行ったとかいうと、「親としてどうか」「子どもがかわいそうだ」と言い合います。
少なくとも教育関係者の見解では、親は、必要とあらば子どものために全てを投げ出すべきものなのです。
 
もちろん、犠牲になるべきなのは何も親にとどまりません。
次の時代を担う子どもたち健やかに育てる、というのは、この世で最も尊い、何よりも優先すべき神聖な事業ですから、私たち教員はもとより、ありとあらゆる大人が、必要とあらば子どもたちのために全てを投げ出すべきなのです。
 
……この論理にはどう考えても致命的な欠陥があるんですが、どうも学校関係者は多かれ少なかれそんな風に考えている人が大多数のような気がします。
 
……まあ、実際子どものいない私が何を言っても机上の空論なのは、佐賀道庁のリーフレットと同様なんですが。
……それ書いた人たち、自分で弁当作ったことあります?
 
少なくとも私はありますよ。
遠足にどんな弁当を持ってきたか、子どもたちは注目しているので。
「うちのお母さんがね、K村先生がどんなおべんとうもってきたかよく見てきておしえてね、って言ったんだよ」
スパイ活動ですか。
 
だから、少なくとも、前の晩に弁当を作っておくのがとても大変だということや、当日の朝弁当が作れるほど早く起きるのはもっともっと大変だということは知っています。
 
……この前の校外学習。
 
「先生、お弁当何?」
「サンドイッチだよ、ほら」
「先生が作ったの?」
「もちろん。 ……ほら、見てごらん、名前が書いてあるだろ?」
「……ほんとだっ! どうやって作ったの!?」
 
それじゃあ教えてあげよう。
コンビニで買ったサンドイッチに水で字を書いて、焦げ目が付くまでオーブントースターで焼くと、字を書いたところだけが焦げずに残るのだよ。
 
……私に子どもができても、弁当は無理かもです。
 
*参考に。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2006/05/09/2006050908483855004.html

登校後に乳製品食べて 11日から小中8校で提供 岡山・美咲
「朝食抜き」に配慮

 岡山県美咲町は8日、町内すべての8小中学校の児童生徒(1217人)を対象に、登校後に毎日、牛乳や乳製品を自由に飲食してもらう食育事業を11日から始めると発表した。朝食抜きなど子どもの食生活の乱れが深刻化する中、朝食の補完と位置づけている。

 計画では、学校のランチルームなどに設置した保冷庫に、蒜山地域や同町産の牛乳やヨーグルトのほかチーズ計10品を常備。子どもたちは登校時または1時間目終了時のどちらかに好きな品を飲食できる。給食を考慮し、1人2品まで。

 各校は本年度から2学期制を導入しており、10月中旬までの1学期を試行期間とし、飲食した種類や数を集計。子どもたちの感想もまとめ、2学期からの本格実施に役立てる。事業費は年間約1200万円を見込み、早ければ6月町議会に補正予算案を提案する。


【詳しくは山陽新聞紙面をご覧ください。】

……。
「うちの子は牛乳アレルギーだから、野菜ジュースも置いてくれ」
とか
「うちはちゃんと朝ご飯を食べさせているんだから、税金の無駄遣いだ」
とか
「お父さんがね、学校で朝ぎゅうにゅうのんでる子はかわいそうな子だから、お前はお母さんにかんしゃしなきゃだめだって言ってたんだよ」
とかいうのが目に浮かびますが。
 
しかし、以前書いた、このままだと学校で朝食を提供するようになる、というのは、全然夢物語でもなんでもなかったわけですね……。
……公営の全寮制託児施設が出現するのも夢物語じゃないのかしら。

*1:ていうか、まあ、一つには支出削減なんでしょうね。北海道経済は国内の自治体の中でも特に厳しいですから。
……北海道経済と佐賀県の財政になんの関係があるのかは謎ですが。