小学校3年から社会科が始まります。
(……2年生までは「生活科」です。 ……1989年以前に小学校を卒業された方、知ってますよね?)
初めのうちは地域学習ということで、地元の地区や町、そこから都道府県、さらには国へと学習の対象が広がっていくわけです。
で、地元の勉強ということは教科書が役に立たないわけで。
多くの自治体では、地元の市町村について述べた副読本を用意しています。
さて、当地の教育委員会が作成した副読本には、私の勤務する鱶沢小学校(ふかざわしょうがっこう:仮称)の地元のことが載っています。
明治時代、まだ鱶沢が一つの独立した村だった頃。
国有地であった地元の山林が払い下げの対象になったのだそうです。
「地元の山林が地元以外の資産家などの手に渡れば、好き勝手に開発され、鱶沢村は荒廃してしまう」
当時の村長はそう考え、たびたび東京へと出向いて陳情を行いました。
現在のように道路・鉄道が整備された時代ではありません。
まだ、河川を用いた水運が東京―地方間を結んでいた時代です。
東京まで出向くのは大変な苦労でした。
(ていうか鱶沢のあたりからだと鉄道に乗るのは今も一苦労ですが)
この努力が実り、件の国有林は地元鱶沢村に払い下げられました。
払い下げを受けた村長は、今度は村民にこの村有林の重要性を説いて回りました。
誰のものでもない村有林ですが、その植林と管理は村民たちが協力して行うしかなかったのです。
こういった努力の末に、村有林の経営はようやく軌道に乗ったのでした。
そして、村長は、ここから得られた収益を、小学校をはじめとする教育の充実のために使ったのでした。
……というのが、副読本に載っている話。
で、なにしろ地元ですから、当時の様子を知るお年寄りなんかもいるわけです(すごい長生きだな、計算すると)。
それでは、今日は当時の様子についてお年寄りの話を聞いて、わかったことを学習カードにまとめましょう。
……すると。
「すまねえ!」
は?
「じいちゃんたちはお前らに申し訳なくてならねえ!」
まあ落ち着いて下さいご老人。
「今、学校の前を流れてる川があるだろう」
ええ、鱶沢全体を貫流している川ですね。
「ありゃあな、昔はもっとずっときれいで、大きな川だったんだ。
あの川を通って、東京と船が行き来してたんだ」
へえ。あの用水路みたいな川がですか。
「それを、じいちゃんたちが、山で木を作って金にすんだって言って、雑木林みんな切って杉林にしちまった。
あの川があんなどぶ川みたいになっちまったのはそのせいなんだ。
じいちゃんたちが欲に目がくらんだばっかりに取り返しのつかねえことに……お前らには合わす顔がねえ」
えーと、あれですね。
つまり、広葉樹林を人為的に針葉樹林に作り替えたために、山の保水力が低下して川が荒れてしまったと。
このことからもわかるように、山と川、そして海は、それぞれが独立した環境なのではなく、全体がつながって一つの巨大な生態系を形成しているのです。
「森は海の恋人」とは、そういう意味なのですね。
……ていうか。
「先生、今日の話、どうまとめればいいんですか」
どうまとめればいいんですか教育委員会様。*1
*1:じいちゃんたちの名誉のために。
村有林の整備が、必ずしも悪い決断だったとは言えません。
これがあるおかげで、現在地元には木材業者が4つも存在し、輸入材にも負けずにどうやら順調な経営をしているようです。
どのみち、水運事業の衰退は歴史的に避けられない流れだったのです。
その時、もし村有林がなければ、水運を失った地域の経済は一挙に衰退し、現在にも増して過疎が進んでいたでしょう。廃村になっていた可能性もなしとはしません。
そしてもし、明治の時点で、村有林が東京あたりの資本家の手に渡っていれば、山も川も、それこそどうなっていたことか。
明治時代、村長と村民たちは、やっぱり正しい判断をした……のかも、知れないのです。