「春の牡丹餅☆秋のお萩(それでもやはり仮称は続く)」ブログ様より引用。
http://d.hatena.ne.jp/serohan/20070807
ていうか、そこのdianaseals氏のコメントから。
例えば「保育園で育つ子は愛情が不足しているから良い子にならない」という風評があります。これは「保育園」が問題なのではなく、「保育園に入れるほど忙しいから子供に手をかけられないで当然だ」と開き直って子育てを軽視(ひどいときは放棄)している親が時折いるからです。もちろん全部の親ではないですが、悪いものを代表としてみてしまうことは悲しいかな多いと思います。
同様に「仕事が忙しいからとか、他の兄弟に手がかかるからとか理由」をつけて会話を初めとする「子育て」を軽視する親がいるということなのでしょう。
このようなことは一人っ子でも十分あるはずですが、その場合理由(いいわけ)が微妙に変わってくるのでしょうね。
「説明を一回で理解できない」なら「何回もしてやれば良く」、「言いたいことを的確に言えない」なら「言えるまで待ったり察してやれば良く」、「語彙が少ない」なら「増やすような努力をする」ことが必要だと思うのですが、今の学校教育少ない時間の中ではそこまでカバーできないわけですね。問題はそちらの方によりあるような気がしますが…。』
非常に示唆的な点が多いと思いました。
とりあえず、前半部分について考えてみます。
「保育園で育つ子は愛情が不足しているから良い子にならない」という風評があります。
あるんですか。
いや、そういうこと言い出す人がいてもおかしくないか……。
ただ、息子さんが今度小学校に上がる先生に言わせると、
「幼稚園は大事だ。幼稚園に入って確かに成長したよ」
とのこと。*1
とはいえ、私も猜疑心が強いので、
「幼稚園に入れなくたって成長はするだろー?」
とか疑問を抱いていました。
学校行事とか、何かというと「集団生活の訓練」という話が出てきますが、それが本当にどの程度効果があって、どの程度必要なものか、怪しいように感じていたのです。
……昨年度までは。
今年度、私は一年生を担任しているわけですが、その中の一人、A児は、「保育園にも幼稚園にも行っていなかった」子です。
ずっと自宅保育。
……いや……。
なんと申し上げて良いやら。
まず、
「さあみんな、立ってください」
って言われても立たない。
周りの人がみんな立っても立たない。
「A児さん、立ってください」
って名指しで言われると立ちます。
つまり、集団生活の経験が全くないので、「みんな」の中に自分が含まれることがわかってない。
一人っ子だし、家の中じゃ、「みんなおいで」なんて言われることは絶対ないですから。
そして、
「みんなが立ってるから自分も立つべきなのかな?」
って疑問も抱かない。
だって、家の中では、周りの人(親)は、いつでも自分とは違うことをやってるし、合わせる必要もない。
まあ、集団圧力に屈しやすい人間も問題だと思うんですが、そもそも圧力を感じられないのもいかがなものか。
周りの様子を見て行動する、っていうのは、社会的生物であるホモ・サピエンスが生まれながらに持つ性質かと思ってましたが、実はそうではないらしいです。
それは、幼稚園・保育園で学習するものだったのです。
その他、
・絵が描けない
・ゲームのルールを説明しても理解できない
・そもそもじゃんけんができない(グー・チョキ・パーは知っているが、勝敗を判断できない)
など、これまで
「それって誰でも自然とできるようになるものなんじゃないの?」
と思っていたことが、実はそうではないらしいことが続々と明らかになりました。
なるたびに担任はショックを受けてるんですが。
まあ、入学時にひらがなが書けない、とかは、今時珍しくはあるけどあり得ることだし、そもそも小学校の教育課程はそれを前提にしてるのでまあ平気なんですけど……。
じゃんけんとか。「ごめんなさい」って言うとか。「ありがとう」とか。
できて当然、と思っていたことが実は当然ではなかった驚き。
まあ、育児経験のある人には、こんな話「何を今さら」なのかも知れませんが。
なお、「初めてやるゲームで、ルールを説明されて理解できるか」というのは、知的能力そのものと関わる、という意見もあると思いますし、それはそうでしょう。
ただ、例えばソフトボールのルールを説明された時、野球をやったことがあれば理解は容易だと思います。
幼稚園・保育園で色々な遊びをやっていれば、新しいゲームの理解も容易になるはずです。
鬼ごっこをやったことがあれば高おに・こおり鬼もすぐ理解できるし、かけっこをやったことがあれば、リレーもわりと簡単に理解できるはず……なんですが。
この子の場合、「自分の行動が他のチームメイトの勝利に関係する」とか、そもそも「勝敗を決める」という概念自体があやしい気が……。
まあ、入学して4ヶ月、今では「みんなおいで」と言われれば来るようになったし、じゃんけんも考えながらならできるし……。(でも時々グーがパーに勝つと思ってたりする)
「保育所に入れるのは愛がなくて、自宅保育なら愛情たっぷりですくすく育つ」
……ってわけではないんですよ。やっぱり。
いやまあ、この子、知的にどうなんだ、とも最初はかなり思いましたし、今でも時々思うんですが。
しかし、困ったことにこの子、就学時健康診断を受けてないので。
そんなことがあり得るのか、と思ったんですが。
いやまあ何か、最近では、
「就学時健康診断は、行政が障がい児を選別するための制度である」
とか言って受診を拒否する人もいるそうなんですが、そういう思想的な理由ではなく。
どうもちょうどその時期に引っ越して、しかも引っ越しと住民票の移動に間が開いたとかで、事務手続き上のごたごたがあって、正規の日時に診断を受けられなかったらしいです。
で、後日教育委員会に呼んで「受けたことになっている」らしいんですが、教委の職員だけで一体何を診断したのか定かではありません。
少なくとも知能検査を実施してないのは確か。
……いやまあ、受診に法的義務はないらしいんですけどね……。
自宅保育ではありつつ、十分に手を掛けたわけでもない……という気がします。
いや、家庭環境のこともあるので、保護者を責めることもできないのですが。
ともあれ、
「保育所や幼稚園で学ぶ大切なことも多い」
という、当たり前のはずだけど軽視しがちだった事実をあらためて思い知りました。
しかし、保育所・幼稚園の集団生活で学ぶものがこれだけ大きいとすると、よく言われる
「核家族化の進行と、地域のガキ大将・集団遊びグループの消滅によって子どもの社会的能力が云々」
っていうのも、なんだかすごく説得力を感じるようになりました。
もっとも、私自身、核家族で育って、地域に集団遊びグループはないも同然だったので、前の世代に比べ、私たちに失われているものが一体何なのか、実感することはできません。
何が失われているのか理解できないし、どこが欠けているのかも自覚できないけど、どこかから何かものすごく大事なものが抜き取られているような不安な気分。
以前、警察から
「捕まった空き巣狙いが、何年か前にお宅にも入っていたことを自供しました。なくなったものはないですか」
……って電話が来たことがありますが、ちょっとそれに似た気分です。
「あなたは知らないし忘れていますが、盗まれたものはあなたにとってとても大事なものなんですよ」
……という感じ。
「ルパンは大変なものを盗んでいきました」
程度の話ならいいんだけどなあ……。
ともあれ、保育所・幼稚園をバカにするな、って話でした。