2+2は常に4である。

無神論者を自認する私。
ちょっと面白いな、と思った記事があったので引用。 
 
らばQ様より。
信仰心と無神論の計算の違い

原理主義宗教家

2+2=5だと信じている。その理由はそのように書かれているから。
税金の控除額の計算のときによくトラブルになります。

●穏健な宗教家

現実的には2+2=4という基本に沿って生活している。しかし規則的に教会などに行き、以前に2+2=5の時代があったとか、いつかまたその日が来ると言われ続けている。そして実際精神的な世界では5であるはずと信じている。

●穏健な無神論

2+2=4であることを知っている。 しかしながら2+2=5と信じている人が感情を害するかもしれないので、大きく主張することは無礼だと考えている。

●戦闘的な無神論

おいおい、よく見てくれよ。ほら、ここに小石が2個あるだろ?それからあと2個がここだ。全部で4つだろ。 おい、おかしいだろ。お前らどんな計算のしかたをしてるんだ!

……。
 
要するに、穏健な宗教家と穏健な無神論者はまあまあ折り合いをつけていけるけど、原理主義宗教家と戦闘的な無神論者は迷惑な連中だ、ということがわかりました。
 
違いは、
原理主義者はトラブルに巻き込まれて主に本人が不利益を被る。
・戦闘的無神論者は宗教家とトラブルを起こして周りを困らせる。
 
ええと、私は戦闘的無神論者ですよ?
 
ふむ。
 
まあ、
「神が存在すると信ずべき積極的証拠がない」
というのが、信仰を持たない大きな理由ですが。
 
それに、
「仮に神が存在するとしてもそれに帰依すべきかどうかわからない」
というのも付け加えておきます。
 
真に善なる神が存在するなら、信仰の如何によらず、ひとしく善き者を救い、悪を懲らしてくれるはずではないかと思います。
「あいつは善人だけど、自分の信者じゃないから助けない」
なんて心の狭い神様は、真に善なる神じゃないですよ。
 
してみると、真に善なる神が存在するなら、あえて信仰の道に入らなくても、ただ善人たらんとすれば良いのだし、
「不信心者はその報いを受ける」
とか脅迫的なことを言う神様はそもそも信仰するに値しないわけですから、つまり無理に信仰を持つ必要はないと考えるのです。*1
 
いずれにせよ、現在の世界を見渡すに、どう考えても人間は平等ではなく、不条理で不可避な悲劇に遭遇している人もたくさんいます。
全能の神が意図的にそう計らっているのだとすればそれはかなりヤな奴だと思います。
逆に、神は全く善意の存在で、世界の不合理は意図されたものではないのだが、これが神にできる最大限なのだとすれば、神様というのは無条件に帰依しなきゃならないほど大した存在ではないと思います。*2
 
……まあ、私は相変わらず戦闘的無神論者ですよ、ということ。

*1:ただ、偉大な何かを尊敬する気持ちは誰しもあると思うので、
「神は存在すると信じる。そしてそれは偉大な存在だと信じる。そして私はそれを崇拝する」
という人を止める気はないです。

*2:もちろん、そんな神様でも地上のあらゆる政府より有能で強大で善意に満ちているのかも知れませんが、どんなに有能で強大で善意に満ちた政府であれ、それを信仰する必要があるとは思えません。