願わくば。(脅迫)

平家物語の一節。
高校の教科書にも載っている一文。
 
屋島の戦いで、那須与一が扇の的を射る前に、神仏に祈る台詞です。

南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。
これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二度面を向かふべからず。
いま一度本国へ迎へんとおぼしめさば、この矢はづさせたまふな。

夏休みに行った研修でこれを引用した講師の先生は、これを
「与一は、できることなら生きて帰りたい、こんなくだらぬ余興に駆り出されるなどまっぴらだ、と考えている。
しかし、射損じたならば、それを恥として自害せねばならない。
この苦境をなんとか救ってくれるよう、神仏、自分の氏神にも祈っている」
 
……と説明しました。
 
私の解釈はちょっと違うんだけどなあ。
(とはいえ、古文は苦手だし、講師の言ってた方が一般的な解釈なのかとも思うけど)
 
与一は、もっと勇ましかったんじゃないか。
むしろ、(敬語は使っているにせよ)神仏と対等な立場で、相手に自分を守るよう迫っていたのではないか。
 
「これが外れたなら死んでやるぞ。俺が死んだら大きな損失だぞ。死なれてもいいのか。再び本国へ迎える気があるなら、この矢を外させるな」
 
だからこそ氏神が出てきたんじゃないかと。
どうでしょうかね。