疑似科学批判者が陥りがちな罠について。

疑似科学の歴史とは、「歴史は繰り返す」を地でゆくものです。
泡沫的な「革新的」理論が生まれては淘汰され、忘れ去られ、忘れ去られた頃に再び「革新的」理論として再「発見」される……という繰り返しなのです。
 
……そんなわけだから、疑似科学談義はちょっとくらい話題が古くてもいいんですよ! いいんですったら!
 
さてさて。
 
「大半の疑似科学は技術である。(IHARA Note)」
http://d.hatena.ne.jp/tihara/20080511
 
という記事が、ちょっと前に物議を醸していたようです。
 
で、
「「使える/使えない」と科学、あるいは大半の疑似科学は本当に技術か(PSJ渋谷研究所X)」
http://shibuken.seesaa.net/article/96758373.html
 
とか読んだんですが、むつかしいはなしをしていてぼくにはよくわかりませんでした。
 
ええと、元の記事って、要するに
疑似科学の大部分は“技術”であり、技術とは使える/使えないによって評価されるべきなので、その点を評価すべきだ。ちなみにたぶん間違いなく使えないと思うよ」
って話だと理解しました。
 
一つの見解ではあると思います。
 
科学が好きな人は、理論的側面、つまり
「その理論は現象を説明できるか」
「妥当であるか」
「より確からしいか」
といったことを重要視します。*1
だから、疑似科学を見ると、その理論のおかしな点にまず目が行ってしまいます。
そもそもおかしい点だらけだったりするし。*2
 
でも、疑似科学とその支持者は、実は全然「科学が好きな人」ではありません。
そういう人にとって、疑似科学理論の「理論めいたもの」はおまけに過ぎず、「確からしさ」なんてものは評価の対象になっていないわけです。*3
だから、批判派が論理的誤謬だとかアドホック仮説だとか反証不可能性だとか論難しても、
「そんなの大した問題じゃない」
とか言われて華麗にスルーされてしまうわけです。
 
批判側としては必殺の一撃を放ったつもりだったのに、相手には全然こたえていない、という徒労感。
 
ここは相手の急所をつく必要があります。
疑似科学支持者にとって、一体何が「大した問題」なのか。
 
それが、「使えるか」。
つまり「実効性」です。
 
……「現世利益」と言った方が妥当な気もしますが。
 
疑似科学の多くは、総じて、正統科学より大きな利益を約束します。*4
 
「がんは切らずに治せる」とか、「無尽蔵・無公害の宇宙エネルギー」とか、その代表かと。
 
まあ、その「リターン」が本物なら、学界の定説に反してるかどうかなんて些細なことだと思いますよ、私も。
 
問題は、約束される絶大な現世利益が、基本的には空手形に終わる、ということで。
豊田商事みたいな。
 
そもそも、疑似科学批判派だって、
疑似科学の何が問題なのか?」*5
って聞くと、結局は、その辺の「疑似科学バブル」が弾けた後の被害を指摘する人が多いわけで。
 
だから、疑似科学信者を説得する*6ためには、
「それ、効かないよ?」
という指摘の方が効果があるんじゃないでしょうか。

 
もちろん、そのためには、ツッコミどころ満載の理論にツッコミまくる*7のは一時棚上げする必要があり、それは科学が好きな人の趣味には合わないわけですが。
しかしまあ、本当に疑似科学の蔓延を防ぎたいのであれば、「実効性批判」は一つの有効な方法論ではあろうと思います。
 
もちろん、
「それは本質的な解決になっていない」
という批判もあろうと思うのですが、そもそも何が「本質」なのか、という点が噛み合っていないわけですから。
 
わざわざ相手の土俵に乗ってやるのは不本意かも知れませんが、相手の土俵で勝てる自信があるならそれも良いだろう、と思います。
 
……まあ、疑似科学系の人って、
「効果がないことは統計的に証明されている」
って指摘しても、
「でも、私の知り合いの誰それさんは……」
とかいう話に陥りがちなのですけど。
 
でも、相手を説得することはできなくても、その周囲にいる信じやすい人たち(「誰それさん」とは知り合いではない人たち)を説得する効果はあると思います。
 
あと、上記の理由によって、疑似科学批判の人からは軽視されている印象があるのですが、
疑似科学を試したけど効果が無くてやめてしまった人」
の事例を集めるのは、相手を説得するつもりなら非常に効果的だと思います。

 
さて。
 
ただ、
疑似科学は技術だから、実用性だけを問題にすべき」
というのは、私もちょっと違う気はします。
 
すでにちょっと書いていますが、疑似科学の多くは、主なセールスポイントは実用性であるとしても、やはり、理論的側面を含んでいます。
血液は腸で作られるとか、言葉の波動が水の結晶に影響するとか。
 
技術ではあっても、「純粋技術」ではないわけです。
 
要するに、疑似科学も正統科学も、
 
・理論的側面→現象の説明として妥当かどうか
・技術的側面→実効性があるかどうか
 
の2つの軸を持っていて、その両方からの評価が可能なのではないかな、と思います。
 
図化すると下のような感じ。
 
表1

実効性
 



 
 A:科学技術   B:科学的誤謬 
 C:伝統   D:宗教的迷信 
表は便宜的に線で分割してありますが、現実には、妥当性も実効性も、高〜低に至るスペクトルになるはずで、一概に4つに分類できるものでもありません。
(例えば、「脳科学の妥当性は、精神分析学よりは高いが大脳生理学よりは低い」とか)
 
それから、「大半の疑似科学は技術である」で本来論じられていたような、妥当性や実効性の軸を持たない主張……いわば「純粋技術」「純粋科学」も想定することができます。
 
純粋技術:理論的根拠を持たず、妥当性については論評不能であるもの
純粋科学:生活への応用を想定せず、実効性については論評不能であるもの
 
それぞれ、
「E:有効な純粋技術」「F:有効でない純粋技術」
「G:妥当な純粋科学」「H:妥当でない純粋科学」

に分類できます。
(これも含めた表を書こうと思ったんですが、やってみたらごちゃごちゃになったので中止)
別な表にすればいいんだと気が付いた。
 
表2
 実効性/妥当性 
 


 

 E:経験則   F:おまじない 

 G:純粋科学   H:「革新的」理論 
 
 
それぞれの項目の詳しい説明はこの後に書きますが、例を挙げようとして苦労したのは、B・C・F・Gのあたりでした。
 
要するに、現代では、
「理論として妥当か」
ということが、
「実用的か」
ということと深く結びついているので、それに反するような例は少なくなっている、ということだと思います。
 
「大半の疑似科学は技術である」
では、

科学と技術はもともと別々のものだった。それが融合したのはかなり最近のことだ。私は、この二つをもう一度分離すべきなんじゃないかと思っている。

と述べられていますが、確かに、両者が融合したのは最近のことです。
 
ただ、私としては、これはむしろ幸福なことではないか、と思うのです。
 
下で説明するとおり、理論的バックボーンが妥当でなくても、漢方薬は効きます。(表のC)
ただ、その理論(ここでは陰陽五行説)がそのまま敷衍されると、効果のない方法論(方違えとか。表のD)が量産されることにもつながります。
 
有効な伝統技術が存在するのは、ある種、社会ダーウィニズムの成果みたいなもので。
 
漢方医学の始祖、神農は、あらゆる草木を自ら毒味して効能を調べ、医学を創始した、とされますが、一説には、そのために一日に七十もの毒に当たったとか。
神農が伝説上の存在であることは間違いありませんが、
「とりあえず試してみて、効果を記録する」
という繰り返しの中で、著しく悪影響をおよぼす技術は淘汰され、有効な技術が残ったのでしょう。
 
風水にしても、家や商店にあまりにも悪影響をおよぼす見解は長続きしませんから、「水回りや玄関をきれいに」とか、「店内の人の流れをスムーズに」とかいう、まっとうなアドバイスが生き残ってきたものと思います。*8
 
これに対して、科学は、
「効果はあるけど理由がわからないもの/理由の説明がうさんくさいもの」
について、本当の原理を究明してきました。
表で言うと、「A」の項目が、隣り合う「C」の領域へと領土を拡大してきたわけです。
  
人が出入りしやすい店が繁盛するのは、本当に「気」の流れが活発だからなのか?
なぜ、あく抜きに木灰を溶かした水を使うと効果があるのか?(これは「E」だけど)
 
それら、効果のある技術について、原理を明らかにし、それを応用することで、さらに新しい技術を開発してきたわけです。
技術の、社会ダーウィニズム的「進化」を飛躍的に加速させるとともに、方違えのような袋小路に社会が突入することを防いでいるわけです。
これが、私たちの生活を向上させてきたことは疑いありません。
 
だから、そういう意味では、個々の疑似科学を「実効性」という戦場で各個撃破するのはあくまで対症療法であって。
「妥当性」を問題にする姿勢(科学的方法論。……と言ってしまって良いでしょうか?)が人類の進歩につながる、ということを広くアピールするのは、確かに「本質的」対応だとは思います。
 
そうすることで、結果的には社会の疑似科学への抵抗力を強め、疑似科学に浪費される社会的資源を軽減することができるはずだからです。
いわば予防医学
 
ただまあ、重度の患者を目の前にして、予防医学をやっても始まらないわけで……。
 
そう考えると、疑似科学に対する「予防医学」の最前線となるべきは、学校なのかも知れませんが。
 
以下おまけ。
表の説明。
すごい偏見が入っているので、異論はあろうかと。
 
表1(再掲)

実効性
 



 
 A:科学技術   B:科学的誤謬 
 C:伝統   D:宗教的迷信 
 
A:妥当で効果的(科学技術)
科学理論として確立していて、しかも日常生活に生かされている技術。
種痘法はじめ、医学のほとんどがそう。
もちろんその他にも、ここに入る科学技術は山ほどあって、それが現代の文明を支えているわけです。
 
B:妥当で非効果的(科学的誤謬)
科学的には妥当のはずなのに、使ってみると効果がないもの。
 
ええと……なんだろう。
 
現在では否定されてしまった科学的方法論(床ずれを防ぐには患部をきれいにぬぐうことが必要だとか、乳児には母乳がよいとかいいや粉ミルクが良いとか。エーテル説とかも?)は、かつてはこの範疇に入っていたと思います。
 
たぶん現代科学の先端分野でも、
「理論的にはこれで合ってるはずなのに観測事実がそれと一致しない」
とか言われて研究対象になってるものはたくさんあると思うのですが。
 
C:妥当ではなく効果的(伝統)
やってみると確かに効果はあるのだが、「なぜ効果があるのか」という説明が明らかに事実に反する技術。
効果が実証済みの漢方薬なのだが、作用機序を聞くと説明が陰陽五行説に依拠していたり、解剖図を見ると五臓六腑があったりする、とかいうのはこの例。
あと、風水に従って店を構えたら確かに繁盛している、とか。
 
D:妥当ではなく非効果的(宗教的迷信)
間違った論理に基づいていて、効果もないもの。
枚挙に暇がない気がしますが、例えば庚申祭とか。どう考えても徹夜した方が寿命が縮まるだろ。
あと、アステカの生贄の儀式とか。
おそらく、「疑似科学」と呼ばれるものの大多数はここに含まれます。
 
表2(再掲)
 実効性/妥当性 
 


 

 E:経験則   F:おまじない 

 G:純粋科学   H:「革新的」理論 
 
 
E:効果的な純粋技術(経験則)
確かに効果があるが、その説明が存在しないもの。
かつては
「ツバメが低く飛ぶと雨」
「ぬか床に古釘を入れるとナス漬の色がきれいに」
といった技術は、迷信的説明も存在しなくて、この範疇に入っていたんではないでしょうか。
 
いずれも現在では科学的に説明がつけられているわけですが、今なお究明されていないこういった経験則も、多数あるような気がします。
 
F:非効果的な純粋技術(おまじない)
なんで効くのかの説明が無く、しかも効かないもの。
「いたいのいたいのとんでけー」*9
あと、なんて呼ぶのか知りませんが、ジャンケンをする時に、組んだ手を裏返してのぞくと、次の手が見えるとかいうあれ。
ただ、世間で「おまじない」と呼ばれているものの中には、D(宗教的迷信)も含まれているとは思います。
 
G:妥当な純粋科学(純粋科学)
理論として確立していて検証もされているが、
「で、それって何の役に立つの?」
というと、あんまり生活の役には立たなそうな科学理論。
ええと、宇宙物理学とか古生物学とか?(問題発言)
 
H:妥当ではない純粋科学(「革新的」理論)
理論として間違っている上に使い道もない理論。
生活への応用を考える暇もなく誤りが証明されてしまった科学理論(N線とかそうかな?)や、ニューエイジ系世界観。
水からの伝言」は、ここに入るとも言える。
 
最初の方で述べた
疑似科学は大きなリターンを約束する」
の法則に反して、ニューエイジ系世界観とかは、単体では何も約束しません。
ただ、「アセンション」とか、大きな利益(すでに「現世」利益ではないかもだけど)の理論的根拠となっていたり、あるいは「世界はこうであって欲しい」という思いを肯定してくれる、という精神的利益があったり。
「世間の人は知らないが、私は真実を知る人間である」
という意識を満足させてくれる、という効能もあるのかも。

*1:使えるかどうかなんか二の次……とは言わないまでも、
「基礎科学研究が、結果的に科学技術の発展の基礎固めをしている」
という立場。
「使える」という言葉が、
「他の現象を説明するのにも使える」
とかいう文脈で使われたりする。

*2:逆に「一見正しそう」だったりすると、なおさら燃えたりする。

*3:ていうか、「〜〜理論」という言葉が、「方法論」を表すものとして使われていることも多いんじゃないかと。

*4:ていうか、正統科学との対立、という巨大なリスクを抱える以上、相応のリターンを約束しない限り、その理論には支持者が集まらなくて消滅してしまうはずです。

*5:疑似科学批判は何の役に立つのか」!

*6:あるいは、その周辺にいる、「半信半疑の人」を思いとどまらせる。

*7:「生物は閉鎖系じゃねえー!」
「金星の気温が何度だと思ってるんだ?」
「がん細胞、分裂するから。シャーレで培養できるから」
「質量保存則って知ってますか?」
……等々。

*8:ただ、風水については、本来は都市設計の理論だったのであって、こまごまとした生活へのアドバイスは伝統というよりむしろ最近のことのような気もします。
科学的に証明済みのことを風水っぽく説明し直してるだけ、というか。

*9:暗示的効果はあると思いますが。