ハイル、ジャガー!

理想的アーリア人とは?
 
ヒトラーのように金髪で、
ゲーリングのようにスマートで、
ゲッベルスのように背が高いこと。
(エーミール・ルートヴィヒ)

わははははははは!
 
読みましたよ、「鉄の夢」!
 
長いこと読みたい読みたいと思っていて、ネット環境が整って探してみたらすでに絶版。
古書はあるにはあるものの、定価の数倍の値がついていて躊躇していたのですが、ふと思い立って探してみたら、隣の市の図書館の資料室に!
 
Amazonを利用するようになって、顕著に読書量が増えてますね。*1
しかも、
Amazonで欲しいものができる」→「図書館で発見」
というパターンができていてうれしい限り。
 
行政サービスの積極的活用こそ、よりよき納税者への第一歩ですね。
 
でまあ、感想。
 
一応ネタばれだと警告しておきますが、こんな本読みたがる人がそんなにいるとは思えないですね。
 
前にも書きましたが、本書は、SF作家アドルフ・ヒトラー(1889〜1953)のヒューゴー賞受賞作、「鉤十字の帝王」を第二版として復刊したもの、という設定のSF小説です。
 
ヒトラーは、ドイツの総統にならず、どうしたわけかアメリカに渡ってSF小説向けのイラストレーターになり、そこからさらに作家に転向してるという。
 
で、そのヒトラーが書いた小説、という設定なわけですが。
 
作中、世界は一度核戦争による文明崩壊の危機に瀕し、生き残った人類の多くは放射能によって奇怪なミュータントに変異してしまっています。
かろうじて放射能汚染を免れたヘルドン大共和国は、生き残った純人間の国家として存続していますが、東方のジンド帝国を始め、多数のミュータントにより包囲されており、その直接的・間接的圧力に晒されています。
このままでは遠からず滅亡する(というか、「遺伝的純血が失われる」)であろうヘルドンを、主人公フェリック・ジャガーが偉大な指導者として導くのが、作品の粗筋となります。
 
無論のこと、「ヘルドン大共和国」とは、ドイツに他なりません。
「純人間」と言いつつ、作中では「民族的」純血、ということが頻繁に言われますから、もちろんそれは「アーリア民族」のことです。
 
一方で、興味深いのが、「偉大な指導者」であるフェリックは、ヒトラーの分身ではない、ということです。
 
冒頭引用したとおり、ヒトラーはいわゆる「アーリア人」らしい風貌をしていません。
 
しかし、主人公フェリックは、長身で金髪碧眼、高等民族アーリア人を絵に描いたような人物です。
その上、かつて失われたヘルドン王朝皇帝の血筋を引いていたことが明らかになったり。
 
一方で、序盤でフェリックのカリスマ性に感服し、自ら結成した小さな組織「人間ルネサンス党」の指導者の座をフェリックに譲り渡す、ゼフ・ボーゲルという人物がいます。
「やせぎすな黒髪の小男」なんですが。
「人間ルネサンス党はきみのような人間をもとめているのだ、純人間。どうもおれには扇動家の素質がない、残念ながらな」
とか言います。
 
このボーゲルこそ、ヒトラーの分身なのは明らかでしょう。
 
SF作家ヒトラーは、ナチに所属していた時になにやらつらい思いをしたらしく。
「あとがき」(後述)の作品解題では、
「その問題を語りあうとき、かれはかなりの抵抗と辛さとを見せ、またそんな場合は酔いが回っているのが常だった。かれは、<国家社会主義党>をビヤホールで言い争うのが似合いの無益な集団と一蹴したが、そこには疑いなく、そう言わせるに充分な正当性があった」
人間ルネサンス党のボーゲルとフェリックが出会うのも、まさにビヤホールなんですが。
 
つまるところ、ナチスで挫折を味わった作家ヒトラーは、真に有能な(ついでに高貴の血筋の)指導者が現れれば、ナチがドイツの覇権を握り、軍事的にも大勝利を納められたはずだ……と思っていた、ということでしょう。
 
その後に登場する、突撃隊とかゲーリングっぽい空軍司令官とか議事堂占拠とか粛正とかも、ナチのやりくちを徹底的に美化して描いているのがばかばかしくて痛快。
 
殲滅される「ミュータント」は、えらく不潔で薄気味悪い連中です。
「ウルム・アベニューといっても、粗雑に塗装した木材と編み垣、それに錆びた鋼鉄板で大部分をつくりあげたお粗末な小屋が二列に並んでいるあいだを走る、どろどろのあぜ道といった代物だ。(略)おまけに多くの商人たちが街路にスタンドを出して、腐りかけたような果実や、まずそうな野菜や、蝿がたかった肉をならべていた。」
「街にたむろする連中の膚は、雑種の突然変異を混ぜこぜにした寄せ集めさながらで、青膚人、蜥蜴人、道化人、血色面などはまだ良いほうと言えた。すくなくともこうした怪物は、かれらなりに純粋性を保っているのだ。」

なるほどこんな怪物なら根絶やしにしてもいいんじゃないか、と思わせますが。
 
しかし考えてみると、アメリカの怪奇作家、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890〜1936)は、
「汚染した大地のはき出す臭穢な泥土をいい加減に捏ね回したあげくに泥人形―奴らは、あるいは屍体に湧く蛆虫の蠢動するごとく、あるいは深海に生息する気味悪い生き物のごとく、建物の窓や戸口から、悪臭ふんぷんたる路上へ沁み出し、湧きこぼれているのです」
……と、黄色人種について書いています。
 
ヒトラーと同時代の人であることを考えると、本作における「ミュータント」の吐き気を催すような描写こそ、当時の白人国家における有色人種観の一つの典型をなすものと言ってよいでしょう。
「純人間」であるヘルドン人が、全て白人として描かれていることも、その傍証と言えましょう。
 
そんなミュータントを、ガス室で「安楽死」させるのまで、
「こうした不幸な連中は、放り出されて元の汚物のなかで死に果てるよりは、真の優越人類ができるだけ早く、しかも苦痛のない方法でこの悲惨さから自分らを救いだしてくれることを、むしろ望んでいた。この問題について、実践面の方法と絶対的な倫理観念は一致していた。ヘルドン国民の人道的義務は、経済的必要性と一体のものであった」
とかいって正当化されるので、もはや笑いが止まりません。
 
巻末に「第二版へのあとがき」というのがあって、「ニューヨーク大学教授ホーマー・フィップル」が書いてることになってるんですが。
 
これがまた、死ぬ直前のヒトラーについて、
「ゴシップ記事を信用するならば(中略)これらの徴候は梅毒の第三期症状を思いださせる」
とかひどいことを書いてます。
 
ヒトラーが梅毒だったかも、っていうのは、有名だけど事実無根の説で。なかなか芸が細かい。
 
「本書にただ一人の女性すらキャラクターとしては登場してこないという驚くべき事実を考察してみよ。(中略)最後に、全増殖はSSの男性だけによるクローン化で処理され、気味悪い男性だけの単為生殖が行われる。(中略)ヒトラーの側に抑圧されたホモセクシャルな性向があったとする診断を下したいという誘惑に駆られる」
とか言っているのについては、いやしかし、ヒトラーにはエヴァ・ブラウンがいたしー、とか一瞬考えましたが、そういえばこの世界ではヒトラーは1919年にニューヨークに移住したことになってるわけで。
史実でエヴァに出会ったのは1930年だから、ヒトラーは一生独身だったことになるわけですね。
 
ドイツではいろいろ苦労もあったみたいですが、ヒトラー自身については、ドイツの独裁者として権力を握るより、アメリカのSF作家として、少数でも好意的なファンに囲まれて生涯を終えた方が幸せだったんじゃないかな、という気がしてきます。
作家ヒトラーの方が、8年くらい長生きしたわけだし。
ドイツ国家とかユダヤ人にとってどっちが良かったかは言うまでもないことですが。(と、初めのうちは思いました)
 
ホーマー教授は、作中の敵役、ジンド帝国を、「大ソヴィエト連邦」のことであるとしています。
他の人間やミュータントを、精神支配によって奴隷にしてしまう能力を持った「優勢種(ドミネーター。ドム。)」が、愚昧な多数のミュータント国民を支配し、その上、生まれつき脳を持たない兵士を製造して自在に操っている、という図は、なるほど冷戦時代に(悪意を持って)描かれた、共産主義の悪夢、の図ではあります。
 
一方で、
「<ナチ党>がある程度までは反セム人種的な感情を持っていた点には、いくつかのやや虚弱な証拠がある。したがって、優勢種がいくぶんかユダヤ人のシンボルであると結論したくなる誘惑を感じよう。しかしジンドが明らかに大ソヴィエト連邦を表していると考えられ、しかもソヴィエトには過去数十年間に五百万人のユダヤ人が殺害されるという反セム人運動の急激な高まりがある以上(略)この仮説は一生に付されるべきものである」
作家ヒトラーは、あんまり反ユダヤ主義をあらわにしなかった、ということのようです。
 
ホーマー教授、ヒトラーのことを梅毒だの同性愛者だの「本書は、通俗SFの低いレベルから見てもなお内的な一貫性を欠いており、」「本書に描かれる暴力は精神病の段階に達している」だのと、徹頭徹尾こきおろしています。
「第二版へのあとがき」を書いてる人が、こんなに作品やら作者やらに批判的でいいのか、って違和感はかなりありますが。
とはいえ、何しろ相手はヒトラーですから、作者(本当の作者であるノーマン・スピンラッド)としては、褒め称えるわけにもいかないんでしょうか。
それにしても、普通のSFとして読むとそれほど大したことのない(ていうか、こきおろされても仕方ない)「鉤十字の帝王」が、ヒューゴー賞を受賞した上、鉤十字のモチーフが、アメリカの暴走族から「キリスト教反共連盟」「アメリカ武士道騎士団」だのいう政治結社にまで使われる、人気のあるシンボルになっている、というのは、どうにもおかしな気がしましたが。(この辺、スピンラッドがヒューゴー賞をとりのがした恨みもちょっとあるらしいですが)
 
ところが、「あとがき」の最後の最後で語られるのですが、この世界の現状は、
「大ソヴィエト連邦は酔った暴徒のようにユーラシアを蹂躙している。アフリカの大部分はその支配下に落ち、南アメリカの諸共和国も崩壊しはじめている。今はただ、偉大な日米が守る太平洋という名の海だけが、赤い潮によって呑みつくされる定めとも見える世界で、最後の自由の砦を形成している。わが偉大な盟友日本は、その決意を固めさせ人民には義務と運命の感覚を植えつけるための武士道という永遠に神聖化された伝統を、保持している。しかしわがアメリカ人は、無規律と絶望とに救いようもなく沈み込んでいる」
という。
 
ナチスが政権を握らなかった結果、第二次大戦はソヴィエト側から火ぶたが切られ、赤軍再軍備をしていなかったドイツを蹂躙し、そのままイベリア半島、イギリス本土まで達したという。
さらに南はアフリカ、アジア戦線では中国・朝鮮半島・インドまで制圧。
 
一方で、日独伊三国軍事同盟を結ばなかった大日本帝国は、アメリカと同盟して共産主義への防波堤になっているという、素敵な絶望世界。
 
あー、これじゃあ、この作品が大人気になるのも無理ないかも。
史実のアメリカで鉤十字を掲げたらひんしゅくものですが、この世界のアメリカではナチの悪夢なんてないわけですし。
 
これほど共産主義の脅威が明らかだと、ユダヤ人にかまってるひまがなかったのかもしれませんね、ヒトラー
もちろん、ソヴィエトがユダヤ人を虐殺し始めたことも一因だったかも知れないし。(背後からの一突き、とか言ってられなくなった)
それに、アメリカで出版する以上、作家としてユダヤ人に配慮せざるを得なかったのかも。
 
ソヴィエトでユダヤ人が虐殺される、というのは別に言いがかりではなく。
あの土地でも、帝政ロシアの頃からユダヤ人虐殺の例はあって。
ていうか、反ユダヤ感情は欧州全域で常にあったもので、別に連合国だってユダヤ人大好きだったわけではないわけですが。
 
こういう状況を読むと、それじゃあナチスが政権を握ってやりたい放題やったほうが、ユダヤ人にとってさえ世界は良いものだったのか?
とか思わざるを得ませんが。
 
しかし、ホーマー教授は、
「本書の中でヒトラーは、偶物崇拝めいた制服に身を固め統制のとれた行進をし、男根をまねた身振りと武器とを誇示する巨大な集団が、一般人には強烈な魅惑として写るだろうと考えているようである。(略)あきらかに、そうした大衆の国家意識は現実の世界では起こるはずがない」
とか寒いこと(史実のドイツではそれが起きちゃったわけで……)を書きつつ、
「そうした人物は病的なSF小説の途方もない幻想の中でだけ権力を握ることができる。(略)かれの全面的な自身と確信は、自分に対する内省的な知識の欠如に由来している。(略)絶対的な意味において、フェリック・ジャガーのような怪物が、アドルフ・ヒトラーという名の神経症のSF作家が見た熱病夢に等しい一辺のサイエンス・ファンタジイのページ内に永遠に封じ込められていることは、われわれにとって幸いなのである」
……と、まとめています。
 
やっぱり、ヒットレル氏が現実に出てはこない方がいい、って結論みたいなんですが。
私たちの世界は、よりよいものになる可能性があったのだろうか……という、歴史のifに思いを馳せました。
 
色々、とっても楽しい作品だったのですが。
でも、誰にも薦めませんよ。

*1:ろくでもない本ばっかりだけど。