以心電信。

ある日、事務官から。
 
「K村先生、今、校長室にテレビを設置しようとしてるんですけど、ちょっと聞きたいことが」
「あ、はい。 運びますか?」
「いえ、もう運んで、接続してるところなんですけど」
「あらら。 じゃあ、写るようにすればいいですか?」
「いえ、写るんですけど……」
 
じゃあ、一体何を聞きたいっちゅうねん。
 
「とりあえず見てもらえますか?」
 
見ました。
 
校長室のテレビの入力端子はこんな形です。
 

 
こういうコネクタを差し込むタイプですね。
 

 
で、接続の状態を見ると。
 
……コネクタがありません。
同軸ケーブルの皮膜をはがして、芯線だけ端子の中央の穴につっこんである状態でした。
 

芯線てのは、真ん中を通っている細い線です。
 
回りを通っている網のような銅線(編組線)は、どこにもつないでありません。
 
たとえて言えば、電源プラグの刃を片方だけコンセントに差し込んだみたいな。
ていうか、電源コードの導線を片方だけむきだしでコンセントにつっこんであるというか。
 
「この回りのもじゃもじゃしたの、ビニールテープか何かでとめちゃっていいんでしょうかね?」
「……いや、あの」
 
それ以前に何か。
 
「いや、あの、だってこれ、写るんですか?」
「はい(スイッチオン)」
 
ちゃんと写りました。
ノイズもないクリアな画面。
 
「どうですか?」
「……えー、ちょ、ちょっと待って下さい」
 
回答を求められても。
そもそもなんで写ってるんだか理解できないんですが。
 
いや、アンテナ線からは微弱な電波が出ていますので、それが端子に受信されて写っているのかな、と思うんですが、それにしても綺麗に写っているので。
 
うーん。
 
「どうですか? このままぶらぶらさせておくのもどうかな、って思うんですけど……」
 
ビニールテープで絶縁したら、写らなくなるんじゃないか、という気もしたんですが……。
 
「いいんじゃないでしょうか。とりあえずやってみれば」
「はい、じゃあ、やってみますね」
 
まあ、駄目ならコネクタを買えばいいし。
 
……で、その後、駄目だという話は聞かないので、どうもちゃんと写っているようです。
 
テレビ本放送が始まって50年以上が経った今日、私たちはスイッチを入れればテレビが映るのを当たり前だと感じています。
 
しかし時には、その背景にある技術や様々な人々の努力を知ることで、それがどれほど驚くべきことなのか、考えてみる必要もあるのではないでしょうか。
 
……っていうか、疑問に思うのは私だけ?