一体何が起きてるんだ。
職員室の空気が最近ピリピリしています。
校長教頭とかもなんか時々言葉にトゲがあるし。(私に対しても、他の先生に対しても)
職員間でなんか牽制しあってる雰囲気があって、他の人の仕事を手伝うにも躊躇するし、手伝われても素直な感謝の言葉が出ない感じ。
夏休み前とかは、むしろかなり和やかな雰囲気だったと思うのですが。
かく言う私は別に雰囲気を読むのが得意とかじゃなくて、むしろ非コミュでKY。
そのKYな私でさえ感じるほど雰囲気が悪いんだから相当悪いんだろう、と思います。
で、原因についてあれこれ考えた末、これは
「誰も悪いわけではないのに組織の雰囲気が悪化していく」
という例であろう、と思ったので書いてみます。
……もっとも、分析の方は間違ってるかも知れませんけど。非コミュだし。
震源。
直接的に見ると、とりあえず教務主任の言動がまずい。
一番ピリピリしています。
教務主任のそれが校長・教頭にも伝染している感じ。
<事例1>
先日のこと。
朝の打ち合わせが終わった後、事務官から会計処理について指摘された私、しばらく話し込むうち、朝の会が始まる時間を過ぎてしまいました。
すると教務主任が突然立ち上がって
「もう私が教室に行く!? 子どもたちがかわいそうよ!」
で、そのまま職員室を出て行きました。
これはびっくり。
あわてて教室に行くと、本当に教務主任がいて、子どもたちと
「おはようございます!」
とかやっていました。
とりあえず
「ありがとうございました!」
と声を掛けてバトンタッチしたのですが、なんか子どもたちも妙な表情。
……もちろん、朝の会が始まる前に教室に入るのは基本的な担任の義務です。
それに遅れたのは私の失態です。
そもそも会計処理だって私が計算間違ってたのが原因でしたしなー。
しかしそれにしても、普通は
「早く教室に行ってください」
的な口頭での指示がまずあって、それでも改善されなければ教務主任が教室に行く……というのが普通の対応なのではないかな、と思います。
私も、朝の打ち合わせの前に一度教室に行って、子どもたちと言葉を交わしているわけで。
なのに朝の会に教室に来たのが教務主任(しかも担任とすぐ交代)、では、子どもたちもびっくりします。
……ですから、私としては、
「これは、この朝のことだけが原因ではないな……」
と思いました。
「何か、他に私がマズいことをしでかして、教務主任に迷惑をかけたに違いない。何か保護者から苦情が行ったとか。それで私に対して相当頭に来ていたんだろう」
しかし一体原因はなんだろう。
「…………。心当たりがありすぎてわからない……」
ダメすぎる。
<事例2>
……で、放課後。
初任者のH先生と話しました。
なんかH先生、かなり厳しい初任者研修を受けている模様です。
北海道のヌルい研修を受けた私と違って、しょっちゅう公開授業がある上、校長先生・教頭先生がわざわざ教育委員会に依頼して、規定より多く指導主事を呼んで授業を見てもらっているという。
で、この日も教務主任からかなり厳しい指導を受けたらしく、落ち込んでいたので、この話をしてみました。
K村「そう気に病むことはないですよ。私も、なんか今日は教務主任を怒らせてしまったみたいで……。それに比べたらH先生はとてもがんばってると思いますよ? ……問題は、なんで怒らせたのかよくわからないことなんですけど」
H「いや……それ、普段通りだと思います」
え?
H「教務主任、いつも授業を見に来てくださるんですけど、しょっちゅう駄目出しをするんですよね……授業中に。
例えば、私が子どもたちになにか質問をして、子どもたちが誰も手を挙げないとするじゃないですか?
すると、
『なんで誰も反応しないの!? 先生の発問が悪いんじゃないの?』
とか言って授業に口出しするんですよ……」
ええー?
K村「……子どもたちの前で駄目出し? ……それは……駄目でしょう……。子どもたちと担任の信頼関係とか……」
H「ええ……。実際、教務主任の言うことの方が説得力があるんで、子どもたちが私の言うこと聞かなくて……。何かというと『教務主任に言いつけるよ』とか……」
そりゃあ、H先生や私と比べたら、教務主任は長い経験(と、私と比べると熱意も)があります。もちろん。
指導上の問題で意見が対立した場合には、ほとんど常に教務主任の方が正しいでしょう。
しかし、それを子どもの前でやられては、担任の立つ瀬がありません。
子どもたちがH先生の言うことを聞かなくなり、教務主任の言葉を信頼するようになるかも知れませんが、担任は依然としてH先生です。
年度途中で教務主任がH先生に替わって学級担任になる、ということはまず絶対に起こらないわけで、起こるのは単に「H先生の学級経営がうまくいかなくなる」という事態だけです。
K村「教務主任って、教務経験長いんでしたっけ?」
H「いや、去年まで学級担任だったって言ってました」
K村「じゃあ、そういう担任の立場はわかってるはずなのにな……」
皆様ご存じの通り、
「教師は優れた人格と豊富な知識を具えた、教育者・指導者にふさわしい人間である」
……というのはまあ大体ほとんど幻想です。
しかしながら、子どもが教師の言うことを聞かなければ学校教育が成り立たないのもまた事実。
だから、残念ながら、この「幻想」を、ある程度維持することがどうしても必要になります。
……特に、教師の力量が不十分である場合には。
K村「H先生や私みたいに、担任の力が足りないときは、校長先生・教頭先生・教務主任がそれを助けてくれないと困りますよね……。
たとえなんか間違ったことを言ったとしても、
『あー、〜〜先生は、これこれこういうつもりで言ったんですよー?決して間違ったことを言ったわけじゃないんですよー?』
みたいにフォローしてくれないと……」
それなのに、教務主任が率先して担任の間違い(というか不備)を指摘してるんでは……。
H「こう、子どもたちと、例えば朝の会で
『この仕事はこれこれこういう風にやろう』
とか相談して決めたとするじゃないですか?
でも、それを、実際に仕事してるとこ見て、
『なんでこんなやり方してるの?全然駄目だからこうやりなさい!』
みたいな言い方するんですよね……」
K村「そういうことは職員室に戻ってからして欲しいよなあ……。私、保護者には、
『担任に不満があれば、いつでも直接担任におっしゃってください。決して、子どもには言わないでください』
ってお願いしてるよ?」
お願いします保護者の皆様。
……とまあ、そんなわけで。
H先生がかなり厳しい指導を受けているのは以前から知っていたんですが、どっちかというと「指導」の域を逸脱している様子。
これが教務のみならず、校長教頭もかなりキツいことを言ってるみたいです。
「お前は教師に向いてないんじゃないか」
とか。
パワハラじゃね?
いや、確かにおしべとめしべの違いが分からなかったりはしてましたが、仕事はちゃんとしてるし……。
ちょくちょく書類が提出期限に遅れたりしてるのも知ってますが、あれだけ頻繁に公開授業があって、教材研究だの指導案作成だの事後指導(何時間も校長室に籠もってるんです……)だのに追われていて、それでまともに仕事ができたらどんな超人かと。初年度なのに。
<事例3>
卒業式の呼びかけの練習。
それまで学級で練習してきて、最初の全体練習の時でした。
練習の担当は教務主任。
私、2年生の子どもたちには、全員に呼びかけの台本を持って行くよう指導してたんですが。
教務主任、
「全体練習の時は台本なんか見ないでください!」
と。
それでも台本を手に持ってるぼんやりした2年生もいたんですが、なんか直接手からひったくって床に置いたり。
で、
「声が小さい!」
「今日はもっとみなさん上手にできると思ったんですが……とても残念でした!」
……いや、だってそれは子どもたち萎縮しちゃうでしょう……。
職員室に戻ってから、
「各学級でもっときちんと指導してください!」
「全体練習に台本を持ってくるとか信じられないんですが!」
……いや……。
間違ってない……とは思うんですよ?
「台詞は全体練習までに暗記してくるべきであり、全体練習に台本を持ってくるべきではない」
という考え方も、間違いだとは言えません。
でも、事前にそういう連絡もなかったし。
「練習であれば台本を使うのが当然であり、たとえ自分の台詞を暗記していたとしても持ってくるべきだ」
という考え方もありますよね?
「私が何か間違ったこと言ってたら言ってください!」
……間違っては、いないと思うんですが。
「あと、練習に集合する時は、先生方が引率して入場させてください」
えーめんどくさー。
いいじゃん大した人数でもないんだし……。
ちなみに、その次の練習では、H先生が「全員並んで体育館に行きます」と連絡するのを忘れたために、5年生の子どもたちは勝手にばらばら行ってしまい、教務主任に怒鳴りつけられて教室で泣いていましたとさ。
H「俺も一緒に泣きましたよ……」
K村「せめて職員室でH先生を怒鳴ればいいのにな」
ひでえ。
とりあえず、
「教務主任がH先生を叩く」
↓
「校長教頭も一緒になって叩く」
↓
「周囲の職員が校長・教頭・教務主任に疑念を抱く」
という構造はあります。
Good Cop/Bad Copじゃないですが、せめて校長先生くらい、
「まあ、これから気をつければいいから」
とか優しくフォローすればいいのに。
……でも、本校、校長先生は今年来たばかりで、学校の状況がわかってるのが教頭先生で。
実務を采配してるのはわりと教頭先生なんですよな。
教務主任も教頭先生も押しの強い先生だから、校長先生が違う態度をとれない、という側面もある気がする。
他の先生の話。
いや、別に、私やH先生がだらしなくて叩かれてる、ってだけの話ではなくてですよ?
こういう「雰囲気悪いなー」的な思いは私だけではなくて、担任一同の共有するところだと思います。
「今職員室でQ-Uテストやったらかなり結果悪いと思うよ」(T先生)
「俺、最近あんまり職員室に戻らなくなったもん」(K先生)
「学校っていうのは、先生一人一人が長所を生かしてやっていくべきところじゃないの?なのに今はなんか個性を殺されてるもの。おかしいわよこんなの!」(A先生)
なんで教務主任はピリピリしてるの?
年度前半はわりと大丈夫だった気がするんですよ。
(いや、H先生は年度当初からつらかったらしいけど……)
私が結婚式(10月)で浮かれてたからそう思う、というだけじゃないと思うんです。(今も浮かれてるしな!)
で、年度前半と後半で何が違うのか、というと、A先生なんです。
A先生、育児休暇を取得されてたんですが、今年度途中で復帰されました。
(ちなみに、その間代わりに働いてたR先生が「H20の“2”ってなんですか?」の人)
で、A先生と教務主任、いずれも担任経験の長いベテランなんですけど。
……なぜかことごとく意見合わないんですよ。
ウチの学校、A先生の提案で、3学期からチャイムの鳴る時間を変えました。
以前は、
「授業開始のチャイムは鳴るけど終了のチャイムは鳴らない」
という方式だったんですが
「2校時と4校時の開始のチャイムも鳴らさない」
ことにしたんです。(1校時の始まりのチャイムの後は、3校時まで鳴らない)
図工とかで2時間続きの授業をすることもあるし、ない方が活動に集中できる、といった理由で。
で、一ヶ月後の職員会議。
教務「先生方、チャイムの件、どうでしょうか。子どもたち、チャイムがなくても時間通りに行動できているでしょうか。元に戻す必要はありませんか」
えーと。
教務主任としては元に戻したいわけですね?
なんかこう、教務主任の言い方って、「提案」というか微妙に喧嘩腰チックなので困ります。
沈黙が下ります。
教務「……2年生、いかがですか」
なんでこっちに振るの?
K村「えーっと。そうですね。チャイムが鳴らなくなったので、確かに時計を見て授業開始時間にきちんと着席している、といったことはまだ2年生には難しいのが実状ですが……」
教務「つまりデメリットの方が大きいわけですよね?」
誘導尋問やめてー。
K村「いや……まあ、まだ私の指導が行き届いていないわけで、時計を見て行動できるようになればそれが一番いいのかな、とは思いますが……」
もにょもにょ。
教務「やはり、時間通りに授業を始めて、時間通りにきちっと終わらせるのが教師の力量なんじゃないでしょうか」
耳が痛い。
教務主任としては、授業開始と終了、両方のチャイムを鳴らしたいくらいなんですよね。
で、
A「でも、私としてはこのまま続けたいと思います。やはり、例えば国語の時間に議論が活発になった結果、45分の活動時間では収まり切らなくなった、というようなことは起きるわけで、そういう場合に授業を後ろに伸ばして、例えば休み時間まで活動が食い込んだからその分休み時間を後ろに延ばしましょうね、といったことは当然あると思います」
教務「でもそうなると、その分次の授業が短くなるわけですよね?」
A「それはそうですが……」
えーと、
「たかがチャイムで何騒いでんの?」
と思われるかも知れませんが、この議論の背後には、2人の授業に対する発想の違いがあります。
教務主任の立場では、授業とは、教えるべき内容を45分間の中に計画的に配列して、教師の計画通りに展開してまとまるのが理想の姿です。
だから、授業は45分間きっかりで終わるべきもの。
もちろん、子どもたちが考える場面もありますが、最終的に「正解」を握っているのは教師です。(クイズ番組の回答者と司会者の立場に近いかも)
一方、A先生の立場だと、子どもたちの知的興味をかきたてるような発問がまずあって、それに対して子どもたちがわいわい言いながら活発に意見を交流して答えを出していくのが理想の姿。
だから、議論が盛り上がって45分の枠に収まり切らなくなるなら、それはむしろ素晴らしいことなのです。(もちろん、話し合いが停滞してだらだら長引くのはアウト)
そこでは、教師は、議論の交通整理をするのが仕事です。(会議の参加者と司会者に近い……とまで言ったら言い過ぎか)
……いや、私も未熟だから、このまとめ方だとどっちからも「違う!」って言われそうだけど。
全体に、教務主任は結果重視、A先生は過程重視です。
話を聞いていても、A先生は、
「結果的には大したものはできなかったけれど、その中でA児はこのようにがんばった。B児はこのように成長した」
……というようなことを重視します。
一方の教務主任は、成果物がどうであるかを気にします。
「お世話になった人にお手紙を書こう」
とかいう話になると、
「誤字脱字は許されない。文章が変なところも校正すべき」というのが教務主任。
「小学生がそんなきっちりした文章を書いたら不自然。誤字脱字も小学生の作品として一つの“味”である」というのがA先生。
美術コンクールの時なんか、教務主任は子どもの作品を切り貼りしてました。
……子どもの作品(「運動会の絵(クレヨン画)」)を、人物部分だけハサミで切り取って、色画用紙の上に貼って(コントラストを強調するため)、上に「大運動会」とかレタリングして、「運動会ポスター」として出品させたわけです。
……それはもう子どもの作品じゃなくて、子どもの絵を素材にしたコラージュ作品だろう、という……。
……結果的には大した賞にも入らなかったんですが、仮に賞に入ったとしても、子どもはうれしいかなあ?と思ってしまいます。
ただまあ、
「うちの学校だけ作品が見劣りしたら恥ずかしい」
「保護者も展覧会を見に行くし」
とか、そういう発想があるわけです。
……私自身は、どっちかというとA先生に共感するんですが、A先生はA先生で、結果を軽視しすぎかなー、という気もします。
先日の生活科発表会とか、私はA先生の指導した子どもたちを見て、
「1年生なのにしっかり調べ学習をしてまとめをしてすごい!」
……と思ったんですが、とはいえ発表内容は優れているとはいえ1年生なりの実力に応じたもので、模造紙に書いた絵とか大体輪郭線しかなくて(色が塗ってない)わりとみすぼらしい。
文章も説明不十分で誤字脱字も残ってるし。
高学年の調べ学習へ続く「過程」として見れば素晴らしいけど、完成品ではない。
それが保護者の方の目にはどう映ったのかなー、という気もします。
ちなみに2年生は、生活科であちこち見学した時のことを劇にまとめました。
かなり「完成」されたものだと自負してるし、お客さんは喜んでくれたんですが、台本とか大道具とかには、かなり担任の「指導」が入ってしまってます。
それに、「学習発表会」としては、「調べて分かったことをまとめて発表する」という1年生の内容の方が、本来は望ましいよなー……という気もするところ。
見劣りはしますが。
ともあれ、そんな感じで方向性の違う2人。
しかも互いに信念があって譲らないのでしばしばぶつかります。
その辺が教務主任のいらいらの原因なのかな、と。
さらに言えば、A先生は残念ながらわりと愚痴が多い。
代理だったR先生は、職員室で
「H先生、顔色悪いけどマジだいじょーぶですかー?」
とかサクッと聞くような人だったわけですが、A先生は、他の人のいないところで
「教務主任の言い方もひどいよね……。H先生、あんなの気にしなくていいからね?」
みたいな感じ。
これはいかんよな。
あと、A先生は休みが多い。
これはしょうがない。
育児休業が明けたとはいえお子さんはまだ1歳。
あまり夜遅くなるわけにもいきませんし、お子さんの具合が悪い日には突然休むこともあります。
これは仕方ない。
子どもは国の宝です。
幼い子どもを抱えた女性が安心して働ける社会を築くために、みんなで力を合わせていきましょう。
……で、まあ、A先生がいない時、代わりに授業をするのが教務主任だったりするんですよね。
それに、職員会議が長引くときにはA先生は途中で抜けたりするので、意思疎通がうまく図れなかったりするんですよ。
卒業式の呼びかけ、台本を作ったのはA先生だったんですが、
A「この最後のところさ、『1年生』『2年生』『3年生』……とかなってるけど、一人ずつ言うわけ?」
K村「去年はそんな感じでしたね」
A「えー、でもさ、卒業生への思いを込めた部分なんだから、『1年生全員』『2年生全員』『3年生全員』にした方が良くない?前はそんな感じだったよ?」
K村「なるほど……」
……で、A先生、その後お子さんが熱を出したりして休み。
「結局『2年生全員』でいいのかしら?」
とか思いながら臨んだ最初の全体練習だったのですが、台本の変更が教務主任に伝わっていなかったため、教務主任が持ってる台本と子どもたちのやってることが違う、という事態に。
あー。
教務「全員で言うとうまくそろわないこともありますし、卒業生への思いを込めた部分なんですから、大きな声でびしっと言える子を選んで担当させた方がいいんじゃないかと私は思うんですけど! 先生方どう思われますか!」
いや、A先生がいない場でそんなこと言われても……。
K村「……ええーと……。その部分は、A先生にもそれなりのお考えがあってあえて変更された部分だと思いますので、この場ではなんとも……」
教務「一度校長決裁を受けたものを独断で変更するのってどうかと思うんですけど!」
あーあー。
A先生に近い先生がきちんと確認をとって、意思疎通をサポートすれば良かったんでしょうけどね。
……でも、「近い先生」が私だしー。
自分のホウレンソウもきちんとできてないのに他人にまで手が回らないですよあははー。
……とほほ。
悪循環。
で、なんとなくみんな居心地が悪いので職員室に寄りつかない。
↓
職員間の意思疎通が図れなくなる。
↓
教務主任「最近学校が組織として機能していないと思います!例えば児童指導上の問題ならまず児童指導主任に報告して、主任が中心となって組織として対応して欲しいと思います!」
教頭「些細なことでも私や校長先生に報告してくれないと困ります」
校長「先生方にも学校経営に参画するという自覚を持ってもらいたい」
↓
H先生がちょっとした失敗で2時間くらい3人がかりで怒られてるのを見る。
↓
みんな報告したがらなくなる。
↓
校長先生・教頭先生・教務主任の不信感が高まる。
↓
教務主任「指導要録の担任所見欄も下書きを提出してください」
↓
A先生「担任所見なんて担任が書くべきものじゃないの?そんなに担任が信用できないの?」
K先生「俺、こんなに所見直されたの初めてだよ。しかもどうでもいい文章表現とかまで……」
K村「大変ですね(……私はわりといつもこれくらい直されてる気がする……)」
↓
みんな極力「やれ」「報告しろ」と言われたこと以外手を出さないようにする。
(下手に手を出して怒られると嫌だから)
↓
「この行事、この作業も必要だったんじゃないかしら」
「……いやまあ、自分の分担じゃないしやめておこう。行事の担当者がなんとかするんだろう」
↓
大体の行事は担当者が教務主任なので、教務主任のストレスがたまる。
↓
校長「先生方のご意見はいかがですか」
一同「…………」
教務「私はこう思うんですが!」
一同「…………」
校長「……先生方も授業をしていて、担任の発問に子どもたちが静まりかえってしまって困るときがあると思うんですが。何か言ってもらえないと」
担任の発問に子どもたちが答えないのは、子どもが悪いとばかりは言えないと思います。
↓
最初に戻る。
最初の方で出てきたQ-Uテストというのは、子どもたちがどのくらい学校生活に満足しているか?いじめられていないか?その学級全体の状態はどうなのか?……といったことを診断する心理テストです。
(なかなか面白いので先生方は実施するのおすすめ)
本校では年に2回実施しています。
1回目の時は、結果をまず担任同士で回覧して、自分の学級について分析して、その後の研修の時間に、今後の指導方針とかについて意見交換をしました。
……2回目の時は、まず校長先生・教頭先生・教務主任が見て、それから金庫にしまっちゃいました。
で、その後なんか突然授業を見に来たりしてですね。
A「……あれ、絶対Q-Uテストの結果が悪かった子の様子を見てるんだよ」
K「自分の学級の結果がどうだったか、一番知りたいのは担任なのにね……。見なきゃ指導にも活かせないし」
とりあえず、具体的に誰か「悪い人」がいるわけではなくて、相性の悪い人同士が一緒になってしまったのが原因で、全体の空気が悪くなる、ということがわかりました。
しかも、どこか悪くなった水準で平衡に達するのではなくて、どんどん悪くなっていくという。
もっとも、これは非コミュでKYな私の分析であって、例えばH先生の意見は違いますけど。
H「俺の初任研がうまくいってないのが原因だと思うんですよね……」
K村「それで職員室全体が悪くなるかなあ」
H「前は、毎日『今日は2時間目の国語を見てくださいお願いします』とか教務主任に言ってたんですよ。でも、子どもの前で駄目出しされるのが嫌で、言わなくなったんです。それで『何?あたしに来るなっていうこと!?』みたいな感じで……」
K村「……いや、無理もないと思うけどな」
H「……もう4月から異動したいです……」
K村「いやー……。初任だしねー……」
ちなみに教務主任も今年来たばかりなので来年度もいると思います。
たぶんA先生も。
K村「でも、何人かは入れ替わるはずだから、また雰囲気も変わるんじゃないかな。H先生も初任研終わるし」
H「はい……」
良い雰囲気を作ってくれる人がくるといいなあ。
(他力本願)