人民の97%が革命を信じなくても、私は戦い続ける。
革命を信じるのが私一人になっても戦い続ける。
なぜなら革命家とは、たとえ一人になっても、理想のために戦い続ける人間だからだ。
フィデル・カストロ(革命家・キューバ共和国国家評議会議長)
「世の中間違っている」
……というのは、大抵誰もが抱いたことのある気持ちだと思います。
しかし、
「そして俺は正しい!」
……とか思ってしまうと、けっこうまずい状況に陥るんじゃないか、と思うことしきり。
そして、
「俺は正しいので、みんな俺に賛成するだろう!」
とか思いこむことになるわけです。
「みんな」というのが具体的に誰であるかはその人次第ですけども、とりあえず「一般大衆」ということにします。
世論調査もやらずに「民意は我にあり」とか思いこむと、結構大変なことになります。
1960年代、日本赤軍は、
「日本は資本主義国家で、労働者は抑圧され搾取されており、我々は解放者なので、自分たちが先頭を切って武装蜂起すれば、人民は必ずそれに続いて蜂起するだろう」
……という確信の元に闘争を開始しましたがそうはなりませんでした。
実際には、彼らは日本国民からつまはじきにされ、内ゲバの果てにあさま山荘やら北朝鮮やらで運命を終えることになるわけです。
遡って朝鮮戦争当時、北朝鮮政府は、
「韓国は米帝の傀儡政権で、朝鮮同胞は差別され犬のように扱われており、我々は解放者なので、自分たちが対南戦争を開始すれば、南鮮人民は必ずそれに続いて蜂起するだろう」
……という確信の元に戦争を起こしましたがそうはなりませんでした。
彼らは韓国国民の死にものぐるいの抵抗に遭った末に38度線まで押し返され、今に至るも韓国国民から憎悪の目を向けられているわけです。
さらに遡って1917年、レーニンも似たようなことをやっています。
10月革命で政権を奪取したレーニンは、憲法制定委員会のための総選挙を実施しました。
ところが、蓋を開けたら、第一党は社会革命党(413議席)で、レーニン率いるボリシェビキの議席はその半分以下でした(183議席)。
困ったレーニンは、武力で議会を解散させて、ボリシェビキの一党独裁体制を開始するわけです。
……もっとも、共産主義そのものの運命はともかく、レーニン自身が、日本赤軍みたいに悲惨な最期を迎えた、と言うべきどうかは私にはよくわかりませんが……。
共産主義者の話ばかりしているのも不公平なんで別の例を挙げると、*1大航海時代の頃。
航海に同行したキリスト教宣教師たちは、
「異教徒たちが偶像を崇拝しているのは、正しい信仰に触れたことがなく、それについて無知なせいであって、我々の信仰が正しいことはまともな理性を持った人間には自明の理であるから、我々が正しい信仰をもたらせば、光が闇を払うように、正しい信仰が異教の迷妄を払い、彼らは正しい信仰に帰依し忠実なキリスト者となるだろう」
……という確信の元に伝道活動を行いましたがそうはなりませんでした。
原住民たちは、古くからの自分たちの信仰をそう簡単には捨てなかったのです。
当然といえば当然ですが。
結局、業を煮やした彼らは方針を転換し、地元の宗教をサタンの手先呼ばわりして抵抗する連中を火炙りにし、書物だの石碑だのを見つけ次第破壊して、「キリスト教徒蛮行の歴史」の見本になってしまった上、考古学上の謎を増やしてくれたわけです。
16世紀まで繁栄していたアステカ帝国の文化が、秦帝国の文化より謎が多いというのは、どう考えても間違っているわけで。*2
……とはいえ、その結果、当初の目的だった南洋諸島や中南米のキリスト教化には曲がりなりにも成功したわけですけども。
1940年代には、大日本帝国が、
「東アジア諸邦は欧米列強の鉄の軛に繋がれて喘いでおり、我々は解放者であるから、自分たちが東亜解放のために立ち上がれば、民衆は歓喜し、五族共和の大理想の元に結集するだろう」
……という確信の元に戦争を起こしました。
……まあ、戦争に負けた理由は、思想と言うより工業力の差とかが大きかった気がしますが、とりあえず、今の現地ではあんまり感謝されていないような気がします。
最初のうちは歓迎されてたこともあったんですけどね。
そして21世紀に入ると、アメリカ合衆国が、
「イラクは邪悪で抑圧的な軍事国家で、国民は専制と恐怖政治に苦しめられており、我々は自由と平等をもたらしに来た解放者であるから、戦争が始まればイラク国民は我々を支持し、武器を持って立ち上がるだろう」
……とか言いながら戦争を始めましたが、もちろんそうはなりませんでした。*3
結局、現地の人からは今に至るも侵略者呼ばわりされて、戦時中の戦死者よりも戦後の占領の中でゲリラにやられて死んだ兵士の方が多いという泥沼に落ち込んでしまったわけです。
……なんで、GHQの日本統治はあんなにうまくいったんだろ?
陛下がいたからか?
もっとも、結局、民衆の支持がなくとも、イラクの体制打倒には議論の余地なく成功しているわけですが。
こうして考えると、歴史の教訓というやつが二つ見えてくるんじゃないでしょうか。
1・「我々は正しいので、民衆は我々を支持するだろう」とか言ってる奴を信用するな
「我々は正しい」というのはただの思い込みで、本当に支持するかどうかはやってみないとわからないわけです。
やってみたら孤立してひどい目に遭う、という可能性が多分にあるわけですね。
2・民衆が支持しない時にも無理矢理押し切れる奴が成功する
……身も蓋もないな……。
まあ……。
「俺が世の中を正してやる!」
と感じた時は、一度、民主主義の原理がなんで広く受け入れられているのか、ということを考え直すべきだ、と思うのです。
民衆が支持しなくても無理矢理押し切るという道もありますけど。
人はそれを覇道と呼びますが、大衆が必ずしも正しいとは限らないのはまあ事実ですから、「自分こそ正しい!」と信じて覇道を歩むのも一つの選択かも知れません。
その先がどこへ続くのか?
あるいは……そう、その先が、「美しい国へ」続いていることだってあるのかも知れませんね。