ユーモア欠落症気味に「紫陽花革命(あじさい革命)」について書いてみる。

Life is beautiful」ブログ様の記事、「紫陽花(あじさい)革命とは」(http://goo.gl/gL7os)が、
Wikipedia 風に書いてみた」
 と言いつつずいぶん視点の偏った記事な気がして。
(まあ……Wikipediaにも、もっとずっとアレな記事もありますけどね)
 
 ともあれ、納得いかなかったので私なりに書いてみます。
 
 これが「中立」か、と言われると自信がない(たぶん、ある程度逆方向に偏っている)ですが、ほら、Wikipediaにも、もっとずっとアレな記事もありますしね!
 
 なお、私は原発「推進派」ではないつもりです。
原発政策レーダー」(http://goo.gl/2CLhM)で言うと、B-2.5あたりに位置するので、全体から見ると
「やや急進的な脱原発派」
 に含まれるのだと思います。
 
 今夏はやむを得ないが、それ以降、計画停電・大規模停電の危険を避けつつ、可能な限り早く脱原発を目指すべき、という。
 
 また、私が陰謀論嫌いなので、つい陰謀論者が目についてしまい、結果的にその存在を過大に見積もっているかも知れません。
 
 ちょっと調べながら書いていますが、その範囲でもずいぶん記憶違いがありました。
 明らかに歴史的事実と異なる点があれば是非ご指摘ください。
 
 ……ああ、本家と同様、「引用は自由にしていただいて結構である」。
 



 
「紫陽花革命」とは
 

概要

 2012年6月末頃から、日本で起こった原発再稼働反対運動のことである。
 主として参加者・賛同者の一部がネット上で自称したもので、明確に範囲を定義することは難しい。
 

前史

 2011年の福島第一原発事故により、日本の国内世論は反原発に傾き、当時の政府も、
「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく」
 とするに至った。(2011年7月13日)
 
 これ以降、政府が、定期点検後の原発の運転再開手続きを厳格化したことに加え、各原発立地地域において、住民・首長が再稼働に慎重な意向を示したことから、停止した原発は再稼働の目処が立たなくなり、2012年5月5日には、国内全ての商用原発が停止する状況となった。
 
 一方、発電量の1/3を原発に依存していた状況で、代替電源の確保は充分とは言えず、とりわけ、関西電力は夏の需要ピークを迎えるに当たり、平年並みの暑さで7.8%、猛暑であれば15%を超える電力不足に陥り、節電によって乗り切ることは困難であると予測した。
 原発事故の当事者である東京電力が、ガスタービン発電所の増設などによって一応の電源を確保し得たにも関わらず、震災被害が軽微だった関西電力計画停電・大規模停電の恐れが生じたことには非難の声もあった(古賀 茂明・「電力テロ」発言他)が、計画停電がもたらす経済や市民生活への打撃を避けるため、政府は大飯原発の再稼働方針を決定した。
 おおい町長は、電源消費地である関西の各自治体の意見を求めることとし、橋下大阪市長などの各首長も、当初は再稼働反対の立場をとる者もあったが、やがて再稼働を支持した。
 

なぜ「紫陽花デモ」ではないのか。

 再稼働反対派の市民は首相官邸前で大規模なデモ(参加人数は、主催者発表で20万人、警察発表で1万7000人)を行うなどし、この時期に、twitter上で「紫陽花革命」の言葉が使われた。
 
 日本のような民主主義国家においては、民主化運動としての「革命」は本来妥当性を持たない。
 にもかかわらず「紫陽花革命」「民主化運動」といった表現が選択された背景には、一つには、政治の意志決定機構への不信がある。
 
 震災以前より、選挙で選ばれていない官僚が政府を動かしている、という官僚主導批判があり、これは「政治主導」を掲げる民主党政権交代を成功させる一因ともなった。
 
 にもかかわらず、それらの、選挙で選ばれた政治家・首長らが、再稼働について自分の意に沿わない決定をしたことに、再稼働反対派は「民意を無視された」と感じた。
 
 加えて、原発事故以来、マスメディアや政府に対する不信が高まっており、
 
「実は電力は足りているのに電力会社は隠している」
「深刻な放射能被害が起きているのに政府は隠している」
「そのような真実が報道されないのは、東電など利権集団と結託したメディアの陰謀である」
「東電批判をしたテレビ局は潰される」
「我々の活動が報道されないのはCIAの手先、読売の陰謀である」(実際には報道されていたが、「紫陽花革命」側が期待したほどに大きくはなかった)
原発事故が起きたのはイスラエルユダヤの陰謀である」
 
 など、程度の差はあれ陰謀論的な主張が伸長することとなった。

 このような、
「日本社会は自分たち以外の勢力に動かされている」
 という発想が、「民主化運動」という主張につながった。
 
 加えて、2010年から2011年にかけての「アラブの春」のうち、チュニジアの政変を指す
ジャスミン革命
 への憧れも背景にある。
アラブの春」で、Facebookなどのソーシャルネットワークが大きな役割を果たしたことが、一部twitterユーザに影響を与えており、「Life is Beautiful」の記事(http://goo.gl/gL7os)においても、「紫陽花革命」の発端を「一人の青年」に帰すなど、運動をアラブ民衆革命に擬そうとする願望が見られる。
 

政府・「革命」双方の、民意一般への対応

 世論調査においては、全国調査(時事通信)では、再稼働反対が45.5%、賛成が38.9%。(http://goo.gl/hYJR6
 近畿2府4県での調査(読売)では、再稼働賛成が49%、反対が41%。(http://goo.gl/XqWNV)であった。
 
 このように、大飯原発再稼働についての民意は賛否二分されている状態にあった。
(ただし、「再稼働を急ぐ必要はない」は71%(毎日。http://goo.gl/JzIhX)であった)
 
 原発事故の恐怖と共に、東京電力管内における前年の計画停電、全国的な節電の記憶も依然として鮮明であり、前年を超える規模の節電・計画停電が実施された際の困難さも、多くの国民に認識されていた。
 この問題に対し、「紫陽花革命」側は、
「クーラーなんかいらない」
「電力が足りないというのは捏造」
 といった主張で応えた。
 

「革命」側の思想と活動

イデオロギー活動ではない」
 ことをアピールするため、官邸前デモにおいては、労組など、所属集団の旗を掲げることは主催者により禁止され(日の丸を除く)、暴力行為も抑止された。
 このため、逮捕者などの出ない平和的な活動となった。
 このことは、反体制活動である「ジャスミン革命」や、アメリカの「ウォール街占拠」との違いであると言える。
 
 大飯原発再稼働直前には、400名程度の市民が道路を封鎖するなどしていたが、原発の建物や職員に損害を与えることはなく、7月1日には警察によって敷地内から排除され、7月2日、大飯原発は臨界を迎えた。
 
 平和的デモであることから、それ自体が大きな問題と見なされることはなく、メディアから重大な事件として取り上げられることもなかったが、前述の通り
「日本のメディアは東電に支配されている」
「政府は東電と結託している」
 等と考える一部参加者にとっては、自らの活動は(非暴力的であっても)重大なタブーを冒す行動のはずであり、それがあまり大きく報道されなかったことは、メディアが東電に支配されている証拠である、という確信をかえって深める結果となった。
 
 これと関連して、大飯原発での活動では、
「自分たち革命家を排除するためにSWATが投入される」
 といった流言飛語がtwitter上で飛び交うこともあった。
 
「特殊部隊であるSWATが、なぜ非武装のデモに投入されるのか。そもそも、SWATはアメリカで、日本ならSATではないのか」
 と指摘されると、
「そこまでするかアメリカ!」
「投入されるのはSATだという情報もあります」

 などと反応し、訂正情報によっても誤解が訂正されず、かえって深い被害妄想に陥る傾向が見られた。
 

傍観者との関係

 活動に参加せず、マスメディアやインターネットを通じて見聞きしている多くの国民にとっては、「原発反対」以外の政治色を持たず、また、違法な活動も行わない、ということは好意的に見られる要素である。
大飯原発において、敷地内に不法に侵入したとして警察に排除されたことは最初の例外と言える)
 
 一方で、ソーシャルネットワークにおいては、「ジャスミン革命」のように参加者間の連携が強まる一方で、前述のような一部参加者の陰謀論的な思考が可視化され、部外者から敬遠される要素となった。
 
 また、「紫陽花革命」参加者が原発事故と放射能の恐怖を強調しがちであるのに対し、放射能の恐怖を過度に煽ることは、原発事故の被災地や避難者に、風評被害や精神的ストレスによる経済的・精神的被害を与えるものだ、という批判もあり、焦点であった大飯原発再稼働の後、「紫陽花革命」が全国民的な運動に発展し得るかどうか、見通しの難しい状況となっている。