前の記事(http://d.hatena.ne.jp/filinion/20170129)の続きなのですが、わりと私信なので記事を分けました。
そういう人々がナチスの優生学を批判するとも思っていないし、そういう人々をナチス批判に動員しようとしているわけでもない。
そういう人々がナチスの優生学を批判したがらないだろうことを前提として、似非科学批判や「〜が人を殺す」的に一貫性を欠くことを皮肉っているのである。
私の感覚だと、これは
「私は、ある種の人々に対し、“こいつはナチシンパだろう”という予断と偏見を持って接しています」
という明白な差別意識の表明だと思うのですが。
この点について、後に氏は、例の「疑似科学は人を殺す」を「全ての疑似科学は人を殺す」と読むのは頭が悪いよねの中で、
「似非科学(疑似科学)批判派の中にある特徴をもった人々がいる」で始まる疑似科学批判の中の一部の人々を扱っていることが明白な文を疑似科学批判全般に対する文と読むあたりfilinion氏は日本語力が不足している人と考えるしかない。
と弁明……というか、こちらを「日本語力が不足している」「頭が悪い」扱いなさっています。
ははあ。
じゃあなんですか、
A「私はXX国人を見たら強姦魔だと疑うことにしている」
B「それは差別なんじゃないの?」
A「XX国人の一部の人々がそうだ、と言っただけだ。XX国人全般に対する文として読むのは頭が悪い。お前は日本語力が不足していると考えるしかない」
……という場合、A氏の弁明(というか罵倒)の方が正しい、という話になるんですか。
「保守」政治家とかがそういう言い訳をするのはよく聞きますが、左派がそれでいいんでしょうか?
人権とは、反差別とは何だったのか。
釈迦に説法だとは思いますけど、差別ってのは、障害者とか外国人とか性的マイノリティへの差別だけが差別なわけじゃないですよね?
あんまり社会問題としては聞き慣れないもの……「ボイラー技士」とか「ネオ・ケインジアン」みたいな集団だって、誰かが差別すれば差別の対象になり得る。疑似科学批判クラスタ、再稼働容認派だって同じでしょう。
それともあれか、
「疑似科学批判者、とりわけ再稼働を容認する奴らなんか体制側だから差別は問題にならない」
という認識なんでしょうか。*1
あと、件の発言に私が驚愕したのは、「こんなの明白な差別じゃん!」ということだけではなく。
「これは“ナチを批判しろ”という要求ではなく、“お前はナチスを批判したりできないだろう”という皮肉なのだ」
という話についてです。
その発想は私にはまったく思い浮かびませんでした。
さきほど、瀬川氏について“どうして「ナチス擁護は疑似科学だ」って言って欲しいんでしょうね?”と書きました。
しかし、D_Amon氏によれば、別に「言って欲しい」わけではなく、
「疑似科学か? 違うのか? 疑似科学だと言え! どうせ言えないんだろう! ほら見ろ、お前はやっぱりナチシンパだ!」
と罵りたいがために発せられた質問であると。
この種の
「皮肉としての質問」
というと、ネット右翼の人が何の脈絡もなく発する
「竹島は(or尖閣諸島は)どこの領土ですか?」
というが連想されます。
人権とか反差別とか、そういう「サヨク」的なことを主張していると、突然おかしな人が絡んできてそう問うわけです。
その背景には、
「お前はサヨクだから中韓にべったりの反日なんだろう! 竹島・尖閣が日本の領土だなんて口が裂けても言えないだろう!」
という発想があるのだと思います。
いやだって、日本共産党ですらどっちも日本の領土だと言ってるのに……。
ネット右翼の人の脳内政治風景が、現実と乖離した残念なことになっている一例だと思います。
(あと、こういう人たちって竹島・尖閣に熱心である一方、なぜか北方領土には滅多に言及しないので、たぶんネトウヨさんはコミンテルンの手先なんだと思います)
……で、D_Amon氏によれば、
「ナチス擁護も批判しているよね?」
も、それと同様、謎の脳内政治風景に基づいた「皮肉」だ、というわけです。
……ネトウヨさんの脳内が残念なのは知ってたから、「ああ、皮肉のつもりなんだろうな」ってすぐわかりましたけど。
まさかはてな左派の中からそんなのが出てくるなんて……予想外でした。
加えて、D_Amon氏は、id:Apeman氏の
「歴史修正主義や優生学は批判したくないニセ科学批判マン」が「優生学が正しければホロコーストは正しかったということになるのか?」と混ぜっ返していて情けないにもほどがあった。
— apesnotmonkeys (@apesnotmonkeys) 2016年11月7日
ふだん「ニセ科学はひとを殺す」という棍棒を振り回しているから「じゃあこっちもどうぞ」と言われたわけだろ。もし優生学が科学として正しかったら、問題が「疑似科学がひとを殺す」から「科学もひとを殺す」へと移行するだけのことじゃん。
— apesnotmonkeys (@apesnotmonkeys) 2016年11月7日
といったツイートを引用しつつ、
>というやりとりはこういう文脈で読まれるべきものだと思う。
と述べています。(“「当然〜するよね」という皮肉”より)
知らんがなそんな「文脈」。
(ところでid:Apeman氏、件のツイートの「歴史修正主義や優生学は批判したくないニセ科学批判マン」というのは菊池氏を指したものだと私は推測しましたし、D_Amon氏も同様の仮定で記事を書いているのですが、実際のところどうなのでしょう? D_Amon氏が考えるように「皮肉としての質問」という“文脈”で発せられたツイートなのでしょうか?)
(Apeman氏も……反・歴史修正主義的な活動については日頃から敬意を抱いていますし、否定的な文脈でIDコールとか全然したくない方なんですけどね……)
この「否定的な質問文脈」発言に感じた驚きって、同じく氏のブログの記事「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という動員要求(http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p1)を読んだ時と同じような驚きでした。
そっちはいきなり
「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」は人権感覚への一貫性を利用した人権派に対する動員要求である。
それぞれの人はそれぞれの関心事にそれぞれのリソースの範囲であたれば良い筈なのだが、「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という言葉で人権派は人を死から救うために動員要求に応じることを求められ、応じないことをもって「お前らの人権感覚は偽物だ」と嘲られるのである。
……という文で始まるんですよ?
世の中、「〜によって死者が出ています」系の言説って山ほどあるじゃないですか。
それが「人権派へ動員要求である」「それによって人権派は嘲られている」と。
……最初何言ってるのかわからなかったし、ある種のSFを読んでいるような知的驚きがありました。
「夜来たる」みたいな、地球と全く異なる社会を「自明の常識」として語っていくタイプの。
しかしそれが、我々の住む日本社会について述べた文章なのです。
(……それにしても、菊池氏がナチス擁護を疑似科学扱いしないって散々罵った人が「それぞれの人はそれぞれの関心事にそれぞれのリソースの範囲であたれば良い」って……)
氏の脳内文脈の中では、きくまこ氏は欅坂46とナチスシンパの擁護に荒ぶっておられ、再稼働容認派はナチスと仲良しで、「風力発電所で鳥が死ぬ」は“動員要求”であり人権派への攻撃です。
はてなブックマーク - 「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という動員要求 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか「兵器は人を殺す」も「悪政は人を殺す」も真理だが、それを「人権派に対する動員要求」とは思わない。「原発を動かさないと弱者が死ぬ」「風車が鳥を殺す」とそれらの差異がわからないなら頭悪いねとしか>id:filinion
2016/12/30 00:53
「頭が悪い」って言い回しがお好きですよね……。*2
残念ながら、私には、氏と「文脈」を共有するのはとても難しいです。
私は、D_Amon氏のようには頭が良くないので。
以前にも述べましたが、
「薄汚い奴の言うことだから薄汚い内容なんだろう」
という属人的なバイアスがかかりすぎているせいで、狭いクラスタ内でしか通用しない「文脈」に陥ってしまってるのでは? と思います。
私がリンクを張った、例の
「SWCにご注進した人が一番おろか」
のまとめ、D_Amon氏も読んでるはずなのですよ……何しろ記事内でリンクしてるし。
ツイート単体を読んで憤激している軽率な人が多いのはわかりますが、まとめを読んだ上で“「ナチス肯定」擁護に荒ぶっておられた”とか書いてしまうというのは、他人に文脈を読むよう要求し日本語力を云々する前に何か読むものがあるんではないか、と私は思います。