アンチ・ゲーム脳の恐怖。

マージンFXのひまわり証券さん、ニンテンドーDS Lite欲しい!
 
……と。
これでいいのか?
万一当たったら、「SPORE」用にしよう(……で、ほんとに出るの? DS版)。
 
でも、「Civilization4」は、よく確認したら、メモリを増設するだけでなんとか対応できそうな気配ですよ。
それなら、DSどころか5000円弱の投資で事足りるんですが。
 
……でも、メモリ増設なんてやったことないし、それで万一パソコンを壊してしまったら……と思うと踏み切れない今日この頃です。
 
さて。
 
シリアスゲーム」という言葉があります。
エンターテイメントではなく教育などを目的とするゲーム、といった意味です。
 
……「教育ゲーム」と言うと、ファミコン時代にあった「けいさんゲーム さんすう1ねん」みたいなのを思い浮かべますが、そうではありません。
 
起業家の育成や、環境問題への対応、外科手術の技術など、座学だけでは習熟が困難な反面、実地に訓練するにも困難の大きいものを、コンピュータゲームの手法を利用して学ぶ……といったことでしょうか。*1
 
学校現場では、ゲーム的なものの導入には抵抗があり、教材開発も進んでいないことから、数少ない導入事例でも「画面がきれいになった(だけ)のけいさんゲーム さんすう1ねん」みたいなゲームが幅をきかせていますが、合衆国を中心に、様々なソフトが存在しているようです。
 
テロ被害発生時の消防活動の訓練を行う「Hazmat」。
大学経営シミュレーション「Virtual-U」。
リーダーシップのメカニズムを理解するシミュレーション「VirtualLeade」。
その他、大小様々、数え切れないほどの取り組みが。
 
シリアスゲーム」と銘打ってこそいませんが、都市計画ゲーム「SimCity」や、列車運転シミュレーション「電車でGo!」も、そのような性質を持っている、と言う人もいます。
(例:http://www.fulbrightmemorialfund.jp/mtpmain/simcity2.htm
 
日本でも、ロボットたちの社会を舞台に、「思いやり」の心を学ぶ道徳教育ソフト、みたいなものが存在します。
 
個人的には、こういった、教育にゲームを取り入れる運動というのは、有効だと思います。
視聴覚に強く訴えかけるものですから、間違いなく印象に残りますし、教科書と違ってインタラクティブである、というのは、学習意欲があがるだけでなく、学習効果も高いはずです。*2
 
下の例を見て下さい。
 
スーダンの難民やイスラエルの首相になりきってゲームに没頭することで、平和について真剣に考えてもらえれば――シリアスゲームのデザイナーらはそう願っている。(ロイター)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/28/news102.html
 
暴力的だとか、子どもをキレやすくするとか言われてきたゲームが、世界に平和をもたらすのです! なんて素晴らしい!
 
……で、気をつけないといけない点もあると思うのです。
 
それは、「ゲームが現実をわずかでも反映しているという保障はない」……ということです。
 
卑近な例で恐縮ながら、先日、担当するクラブ(科学クラブ)で、授業に使うために、物体の燃焼と粉塵爆発のシミュレーションプログラムを作りました。
 
……なんて大層なことを言うのが恥ずかしいようなささやかなもの(ライフゲームに毛が生えたようなもの)ですが。
 
で、これを作ってみてわかったのが、熱伝導率や、物質の発火点、燃焼し続ける時間などの係数をどう設定するかによって、結果が全然変わってくる、ということでした。
 
もちろん、子どもたちに見せる時には、一番都合のいい数字を使ったわけです。
 
「コンピュータによるシミュレーション」なんて言うと、いかにも現実に起こりうることを再現しているかのように見えますし、そう信じてしまいがちですが、必ずしもそうとは限りません。
学習用ゲームでも、似たような操作(つまり、「学習のねらい」に沿った結果がでるようなパラメータの設定)が当然行われているはずです。
 
例えば、「America’s Army」は、合衆国陸軍の訓練生活を体験できるゲームです。
しかし、このゲームが楽しかったとして、合衆国陸軍が楽しいところなのか、というとわりと怪しい気がします。
まして、このゲームがうまくプレイできたから、陸軍でもうまくやっていけるのか……というと、たぶんそうとは限らないでしょう。
 
なにぶん、このゲームは、陸軍の広報用に、陸軍がスポンサーとなって開発されたものですから。
 
前述の、「Darfur is Dying」(スーダン難民体験ゲーム)や「Peacemaker」(中東和平ゲーム)だって、プレイヤーが、制作者の意図に沿った体験をするようにプログラムされているはずです。
 
「制作者の意図に沿って編集されている」というのは、これまでの教科書やビデオ等の視聴覚教材でも当然同じ事が言えたわけですが、ゲーム教材では、この意図が見えづらくなります。
ゲームだと、広報用パンフレットを作ったりテレビ広告を流したりするのに比べて、「陸軍は素晴らしいところです」的メッセージを、よりもっともらしく、より印象的に伝えることができるのです。
 
ある意味では、シリアスゲームとは、思想的スキナー箱だとも言えます。*3
 
ゲームデザイナーの主張(「平和は大切だ」でも「ユダヤ人は劣等民族だ」でも、なんでも)が正しいようなゲーム世界を作ります。
当然ながら、このゲームでは、ゲーム的に間違ったこと(好戦的な態度をとるとか、ユダヤ人にビザを発行するとか)をすると不幸な結果が生まれ、ゲーム的に正しい行動(非暴力を貫くとか、ユダヤ人の隠れ家を通報するとか)すると良いエンディングが迎えられるようになっています。
こうすれば、その主張を文章にして伝えようとするよりも、ずっと「体感的」(かつ皮相的)に伝えることができるでしょう。
 
……と、まあ、心配するほどのことはない……のかも、知れませんが……。
 
私たちは、すでに数多くのゲームを体験しており、それらが必ずしも現実を反映しているわけではないことを知っています。
 
大戦略」と「戦闘国家」はどちらも戦略シミュレーションですが、ルールが違うので、プレイヤーのとるべき戦略は違います。(主に「迎撃」ルールの影響)
SimCity」も「A列車で行こう」も、どちらも都市を建設するゲームですが、前者では市長の都市計画が絶対であるのに対して、後者では鉄道会社が都市の未来に巨大な影響力を有しています。
鋼鉄の咆哮」では、戦艦は、雲霞のように群がる戦闘機・雷撃機爆撃機を、嵐のような対空砲火で片端から撃墜していきます。
一方、「エースコンバット」では、ただ一機の戦闘機が大艦隊を壊滅させます。
 
このように、同じテーマを扱ったゲームでも、それぞれのゲームごとにルールやゲームバランスが異なり、「最善手」が違うことを私たちは経験しています。
そして、現実における「最善手」が何なのかについて、ゲームがほとんど参考にならないことも。
 
子どもたちはもっとそうでしょう。
 
たぶん。
 
「中学校の学習内容から、進化に関する内容が削除されてしまった。そのうち、『進化』とは、ポケモンみたいに一世代の内に起きるものだと信じている学生が現れるんじゃないか」
なんて心配する人もいましたが、仮にそういう学生が現れたとして、ポケモンの影響というのはたぶん限定的なものだと思います。
 
ゲームに登場する「進化」と、現実の「進化」は似て非なるものだ、という程度の認識は、誰にでもあるはずだ、と思うからです。
それは、言ってみれば歴史小説と史実みたいなもの。
両者が違うことは誰もが知っています。
ただ、具体的にどう違うのかは、教えられないとわからないし、歴史小説が「歴史」に対するイメージの形成に大きな影響をおよぼすことも事実なのですが……。(川中島の合戦上杉謙信武田信玄が一騎打ちしたりとかですね)
 
……とまあ、そんなわけで。
 
・提言
ゲームを学習に取り入れることは有益である。 また、それを意図したシリアスゲームは、今後は現在以上に様々な人々の手によって多数制作され、配布されることになるだろう。
しかし、シリアスゲームとは、ゲーム内の体験が現実にも応用可能であるかのごとく装うものであり、注意も必要である。
このような中で、子どもたちには、ゲームに隠された制作者の意図を読み取る力、すなわち、「ゲーム・リテラシー」の能力が必要になってくると言える。
 
そのためには、子どもたちに対して、様々なゲームに触れさせ、経験させることが必要である。
そこで、各学校にゲーム学習室を設け、市販のゲーム機・ゲームソフトを導入し、子どもたちがプレイできる環境を整えることが望ましい。
もちろん、学校の職員も、それぞれに十分な研修を積み、指導力を向上させることが必要である。

 
……ゲームして遊んでるわけじゃないんですよ? 研修研修。
 
(なんか、変な方向性になってしまった……。
Civilizationの「ルール的に変なところ」をつつく記事を書くつもりだったのに……)

*1:これはシリアスゲームの一側面であって、本当はもっと広い意味を含む曖昧な言葉であるらしい。

*2:ただ計算ドリルをやるだけと、やって即座に採点するのとの違いに近い。

*3:スキナー箱とは、アメリカの行動主義心理学者、スキナーが実験に使った、動物を入れる檻。動物が、中にあるスイッチを押すとエサが出てくる。これに入れておくと、そのうち動物はスイッチを押すことを覚える。(オペラント条件付け=道具的条件付け。)