お茶を通して見る異文化理解。

私はコーヒーよりお茶が好きです。
コーヒーは、飲んだ後口の中ににおいとか酸味が残るのがどうも。
 
と言うと、コーヒー党の人からは「お茶にだって香りがあるじゃん」とか言われるし、まあそれはその通りですが。
 
しかし、コーヒーを飲んでから教室に行くと、子どもが
「せんせー、コーヒー飲んだでしょ!」
とか騒ぎますが、お茶だとそういうことはないので、たぶん客観的に見ても、お茶の香りの方が口腔内に残らないのだと思います。
 
ていうかむしろ紅茶党。
 
紅茶>緑茶>コーヒー
 
なんですが、これはどうも淹れるのに手間がかかる順でもあって、本校の職員室ではたいがいコーヒーが出てきます。
自分の家みたいに、2リットルくらいまとめて作るなら、コーヒーでも紅茶でも大差ないんだけど。
 
本校では、用務員さんがお茶(コーヒー)をいれてくれるのです。
 
これは旧鱶沢小学校でもそうだったのですが、その時の用務員さんはお茶を淹れてくれることがたまにしかなく、文句を言っている先生もいました。
 
私としては、「お茶なんか自分で淹れればいいのに」と思うことしきり。
むしろ、たまに淹れてもらうのが申し訳ないようでした。(……まあ、自分の席で読書していることが多い用務員さんだったので、いろいろ不満の声が出るのもわかりますが)
 
このあたりの文化は、どうも学校によって異なります。
 
北海道で勤務していた頃の職員室では、飲み物は自分で淹れるのが当然でした。
自分で飲みたいものを適当に淹れながら、
「他にも何か飲む人ー? 淹れてあげるよー」
 
という体制。
 
なので、用務員さんが淹れるのが当然、みたいな風潮にはどうも違和感が。
 
まあ、その時は、用務員さんはおじさんで、力仕事メインで働いていた(屋根の雪下ろしとか。近隣の学校の用務員さんが集まって、それぞれの学校を順番にやるのです)、という事情もあるのでしょうか。
 
でも、生活の細かいところまで「受益者負担の原則」が徹底されている、という理解が、私の感じた北海道の風土に合っている気がします。
 
その中で特権を握っているのは、職員親睦会担当で、親睦会予算でお茶やお茶菓子を購入するので、アップルティーでもココアでも、自分の好きな飲み物やお菓子を購入できます。
私は立候補しませんでしたが。会計なんて面倒な物はやりたくなかったので。
 
さらに前、産休代替で勤めた大規模校では、日中のお茶は各自で淹れていましたが、朝、日直(二人体制)が全職員のお茶を淹れるのが日課になっていました。
 
大抵、親切な先生が手伝ってくれるのですが、なにぶん30人以上の職員がいるので、ちょっとした戦争でした。
 
その時にしか使わないばかでかいやかんが二つ。
 
急須はそれよりだいぶ小さいので、淹れる→配るを流れ作業でやらないと、朝の打ち合わせに間に合いません。
 
「この湯飲みだれのだっけー!」
「あ、5年ブロックのお茶、私持ってきますよ」
「前から失礼しまーす」
「あれー、教務主任の湯飲み持ってった? 見あたらないよー?」
「校長先生はコーヒーなんだよね」
 
面倒なことを言うな。
 
この辺の話を北海道でしたら、「茶ぐらい自分で淹れたらいいじゃん。そんな大変なら」と言われました。
 
まったくだ。
 
特に、校長だけコーヒー、とかいう話になると、「ケッ」って顔をされます。
組合が強い北海道では、校長教頭だけ特別待遇、というのは嫌がられるのです。
 
ていうか、たぶん教頭先生が一番大変な職だと思う。
 
その前にいた学校(やっぱり大規模校)では、淹れるのは基本的にお茶でした。
で、コーヒーが好きな先生たちの集まり「コーヒー友の会」という団体が校内にありました。
専用のコーヒーサーバーもあるという充実ぶり。
そこに所属する先生たちは、親睦会費とは別に、月々いくらか出し合って、そのお金でコーヒーやクリープを買うのです。
 
受益者負担
 
私も着任した時勧誘されたんですが、コーヒーが好きじゃないんで断りました。
「そうか……」
残念そうな顔をされました。
 
まあ、いろんな文化があるな、という話です。
 
ちなみに今の私は、お茶を淹れるのがめんどくさいので、もっぱらただの水道水をカップに注いでがぶがぶ飲んでいます。
 
……変な目で見られますが。
 
いろんな文化があるのです。