少年老い易く。

我が身を振り返って思うこと。
オチはないです。
 
最近とみに思うのは、人間に与えられた時間は有限だなあ、ということです。
 
まだ、老いとか死とかを実感するわけではないんですが、何かを成し遂げるには時間が限られている、ということ。
 
卒論(仮名)は、絵が上手です。パンフレットとかに入れるイラストを職場で依頼されたりしています。今度、通信制の美術学校に通うことになりました。「卒業単位をそろえるのは無理だけど、基礎をしっかり学んでもっと上手くなりたい」からだそうです。話を聞く限り、仕事も責任感を持ってこなしており、上司や同僚からも信頼されているようです。
高校以来の同級生の某氏も、イラストが年々上達しているのを感じますし、文章を書く筆力もあります。個人の小説サイトも構えていますが、トップページしか見てないので安心して下さい。(私信)*1
大学の後輩である某氏は、教員になったのも私より後ですが、大規模校で鍛えられており、先日、教育について話し合った時も、私より遙かに優れた知見を持っているのを痛感させられました。
 
翻って、私には一体何があるのだろう、と思うのです。
 
優れた知人らを見るにつけ、「今からでは到底追いつけない」とか思うわけです。
 
まあ、こういうものは追いつくとか追いつかないとかではなく、「自分が何を成すか」だと思うのですが。
 
こういう、「私には何もない」的悩みは、中学高校の辺りで済ませておくべきものだと思うんですが、何しろ実際思うんだから仕方ない。
 
そして、中学高校の時と違って、
「今からやっても、身に付ける前に人生が終わってしまうのでは」
みたいな危惧がくっついてきます。
 
うーん。
 
しかし、うじうじ考えていても、ますます時間だけが過ぎてしまうわけですね。
山月記」とか思い出します。
 
思えば、私が「ちゃんと自炊をしよう」と思い立ってから、曲がりなりにも他人に食べさせられるだけの料理を(レシピを見ながら)作れるようになるまでに、数ヶ月しか要しませんでした。
 
だから、本気で思い立って何かをしようとすれば、ある程度の水準まで到達することは、今からでもできるのかも知れません。
 
もちろん、何をするかにもよるでしょうが。
 
例えば絵にしたって、それで生活するほどは無理でも、ある程度他人に見せて恥ずかしくない程度には。
 
まあ、「何かを成し遂げる」ということなら、まずなによりも自分の教師としての力を磨かないといけないんですが。
 
ただ、前々から思うに、自分には人生経験が不足しています。
長さというより、幅が。
 
基本的にインドア派で、休みの日もごろごろしているだけ。
 
今にして思えば、二年間北海道に住んでいた時、近くの観光名所とか港とか水産物加工工場とか見て回って、酪農をやっている保護者にもっと話を聞くとかすれば、授業にすごく生かせたと思うんです。
 
実に悔やまれます。
 
だから、これから、もっともっとなんでもいろいろなことにチャレンジして、生活経験の幅を広げないと、と感じています。
 
……それにしても、リスペクトする対象がイラストとか小説とか、ってのが、基本的にオタクなんだよな。自分。

*1:今回の記事にあることはずいぶん前から思っていたんですが。
それを今まで書かなかったのは、この「小説サイト」のくだりによります。