保険セールスの方は読まないでください。

 どことは言わないけど、学校で保険の営業を受けています。
 そのセールス手法がひどいので覚え書き。
 
 元々、保険はもう入っているのでセールスなんか聞く必要はないんです。
 じゃあなんで聞いてるのかというと、学校の廊下で(校内に入ってくるわけですよ。もちろん勤務時間外だけど)
「校長先生の指示で、先生方に社会保障についての情報提供をしているので時間をいただきたい」
 って言われてうっかり了承してしまったわけですね。
 
 で、それが1回では終わらず、
「また来週お願いします」
 ですでに2回話を聞いていて、来週もまた「先生に合ったプランをご提案」しに来ることになっている。
 
 実は「校長の指示」っていうのは本校の校長ではなく、退職校長が役員に入ってるってだけの話だったわけですが。
「情報提供」ってのも、要するに日本の社会保障制度への不安を煽って商品を売るための話の枕だった。
 
 それで何がひどいかというと、客を欺く気満々のセールストークがひどい。
(最初の話を聞かせる段階からそうだったわけですが)
 
 話の途中で「あっ、これはただの保険セールスだ」と気付いた(遅い)私が
個人年金ならiDeCoに加入してインデックス投信を積み立ててるんですけど」
 と言ったところ、スクラップブックを取り出して
投資信託がいかに危険か」
 をご説明くださるんですが。
 
 まず、「たわらノーロード」(確か「8資産均等型」だったと思う)の
「~万円の積み立て投資が、~%の確率で~万円以上に」
 みたいな販売資料(だと思う)を取り出して、
「どうですか先生、この投資信託、いいと思いますか」
「その数字だけじゃよくわからんけどいいんじゃないですか(私は買ってないけど、確か積み立てNISAとかの対象商品に入ってた気がする)」
「ところがですね先生、これを見てください」
 
 と言って取り出したのが、投資信託の資金流入額・流出額の変動グラフ。
 
「このようにですね、投資信託というのは、ある月には一位になったのに、その直後に大幅にマイナスになってしまう、ということが起きるんですよ」
「ははあ」
「そして金融庁がなんと言っているかというとですね」
 
 と言って別な資料(新聞記事)を取り出し、
 
「まともな投資信託は全体の1%もない、プロでも選ぶのは困難だ、と、金融庁長官が言っているわけですよ!」
「ははあ」
 どこの新聞だったかは見ませんでした(だいたい、自分の言いたいことを言い終わるとさっとスクラップブックを閉じてしまう)が、内容としては、2017年4月、金融庁長官の基調講演を報じたものでした。
(講演内容は公開されていますhttps://www.fsa.go.jp/common/conference/danwa/20170407/01.pdf
 
「実際、私が知っているある先生も、長年投資信託をやっていらっしゃるそうなんですが、現在マイナス~円(6ケタの数字)で、プラスになっているのをほとんど見たことがないそうです」
「へえ」
 
 ……以上の話の何がおかしいか。
 
 まず、投資信託の「資金流入額・流出額」というのは、ざっくり言うと、その投資信託が買われているかどうかの指標です。まあ会員数の増減みたいなもの。
 買った人が儲かったか損したかを表すものではない。
 もちろん成績が悪くなると売られる傾向はあるでしょうけど、それなら価格変動のグラフそのものを見せるべき。
 
 次に、「金融庁長官も言っている」ですが。
 長官が
「現在の金融機関は、顧客をだまくらかして手数料で儲けるようなアクティブ投信の販売に血道を上げていて、ちゃんと顧客が利益を得られる商品が少ない」
 的なことを言ったのは確か。
 
 でも、それを踏まえて、金融庁自身がまともな投資信託(主にインデックス投信)を厳選したのが、積み立てNISAやらiDeCoやらの対象銘柄なわけで。
 金融庁長官は投資信託やめろとか言いたかったわけでは全然ない。
 
「プロでも選ぶのは困難」っていうのは、
「株の売買のタイミングを選ぶのはプロでも難しい。だから成績のいいアクティブ投信は少ない」
 って話であって、投資信託を選ぶのが「プロでも難しい」という話ではない。
 
 だいたい、こっちが
iDeCoでインデックス投信積み立ててます」
 って言ってるのに、
「アクティブ投信は悪質なのが多い」
 という話を持ち出して
金融庁長官も投信は危険だと言ってます!」
 って言うのは明らかに誤解を招こうとしている。
 
 運用成績がマイナスの「ある先生」が誰で、何を買っていたのかはわからないけど、おそらく長官の言うような悪質なファンドにひっかかってしまったのではと思います。
 ……その先生が実在するとすればですけど。
 
 家に帰ってから調べたのですが、「たわらノーロード(8資産均等型)」は、資金流入額がマイナスになった月は運用開始以来一度もないし、もちろんアクティブ投信でもないし、そもそも運用開始が2017年11月…つまり金融庁長官の講演より後だから、「長年やっている」銘柄ではあり得ない。
(「たわら」の他のタイプだと、2015年12月から始まっていたり、流入額マイナスの月が2・3回あったりするけど、とにかく「長年」ってことはない)
 しかも、積み立てNISAの対象銘柄に……つまり金融庁が選んだ「割と安全な投資信託」に入っている。
 
 いや、私は買ってないし、他人におすすめもしないですけど。*1
 
 要するに、保険の人は、違う話を意図的にまぜこぜにして、聞く人に誤解を与えようとしているわけです。
「たわら」の人と金融庁の人は風評被害で訴えてもよい。
 
 ちなみに、それで先方が売ろうとしている商品は、ざっくり言うと、ドル建てで年3%の利息が付く貯金を積み立てることで個人年金の原資とし、そこに介護保険などの保障と、宿泊施設の割引きやら劇場の割引きやらのこまごました特典が付く、みたいな話。
(その代わり解約返戻金抑制型なので、60歳より前に取り崩そうとすると減額される)
 
 ……私が理解した範囲ではそんなに著しく悪いとは思えないですけど……。
 でも、客に誤解させるトークをする人だ、ということはもう十分わかっているので、この理解にも穴がありそうな気がする。
 
「貯金」って言ってたけど、今ググった感じだとアメリカ国債じゃないのかな。
 いくらアメリカでも預金に3%も金利はつかない気がする。
 
投資信託と違って、20%の源泉分離課税がかからないんです!」
 って言ってたけど、それは無税だって話ではなくて、所得税とか住民税とかは別にかかるのでは。
 
マイナンバーが必要ないので、国に把握されづらい!」
 ……それをメリットとして言ってしまうのは……どうなの……?
 今の政府は税金を浪費してるとは思うけど、それでも脱税する気はないですよ私。
 
 あと、これはセールスではなく商品への疑問なんですけど、外貨建てで積み立てるのに、ドル側が定額で、毎月の日本円での支払い額が為替相場によって変動するのって、明らかに不利なのでは……?
 逆の方が成績上がるはずだよね……?
 
 職業に貴賎なし、とはいうものの、私は過去に他の保険屋と英会話のNOVAで酷いセールスを受けて騙されたことがあって、セールスマンというものにはかなり職業的偏見があります。
 それが今回また強化されてしまった感じ。
(今の車を買った時の営業所の担当者はすごく親切だったので感謝しています。他の大きい営業所に異動してしまったけど)
 
 金融庁長官が言った、銀行とかが窓口で売ってる投資信託に悪質なものが多い、というのは、セールスマンの給料を払うためにコストがかさむから、というのも一因なわけで。
 顧客に払う分とは別に、営業販売のコストも捻出しなければいけないんだから、顧客の取り分はどうしてもそれだけ減ってしまう。
 そう考えると、セールスマンが売りに来る保険商品を買うのも同じだよなあ、と思います。
 
 ……しかし、実際に「ご説明」を受ける場では、以上つらつら書いたようなことは相手には一言も言わず、「ははあ」「なるほど」で通してるんですが。
 だって指摘しても、向こうのセールストーク向上に貢献するだけで私は何の得にもならないし……。
 
 しかし黙って聞いていてもお互い何の利益もないし部屋も寒いので、次回で「ご説明」を聞くのはやめようかなー、と思っています。
 何と言って断ったものか……。
 
 しかし、保険に入る気が全くない私がまんまと騙されて営業トーク聞かされてるんですから、「私は詐欺には騙されない」みたいな過信がいかに危険か、という話だなあ、とつくづく思います。
 

*1:断じて金融商品のおすすめはしませんからね?

それでも地球は動いているんですよ先生!

 「頭の固い小学校教師」の例として、
「『影が動くのはなぜですか』という理科の問題に、『地球が動くから』と書いたら不正解になった」
 という話が一時期巷間に流布したのは、ご存じの方も多いかも知れません。
 
 テストの解答を見てみましょう。

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日本標準・小学3年理科テスト
 
f:id:filinion:20191201193138j:plain
拡大図
 
 ご覧の通り、「地球が動くから」も正答、と明記されています。
 
 ……まあ……この話があんまり有名になったからわざわざ業者の方で付記したんじゃないかな、という気もしますけど。
 
 それはさておき、実際の授業で、この話がどんな感じかというと。
 
K村「さあみんな、遮光板の使い方はわかったかな?」*1
子どもたち「はーい!」
K村「……ところで、ちょっと鉄棒を見て?
 さっき、鉄棒の影に重なるように白線を引いたよね?
 今どうなってる?」
A児「あっ! 線がずれてる!」
B児「影が動いた!?」
C児「地球が動いたんだよ!」
K村「でも、影って、いつも太陽と反対側にあったよね?
 さっき、みんなが走ったり、くるくる回ったりしても、影の向きは全然変わらなかったよね?
 どうして影の向きが変わったんだろう?」
D児「太陽が動いたんじゃない?」
C児「地球が動いてるんですよ!」
K村「うん、よく知ってるね。
 ……さあみんな、遮光板でもう一度、よーく太陽を見てみようか。動いてるように見える?」
子どもたち「……わかんなーい」
C児「地球が動いてるんですよ!」
K村「うん、そうだな。えーと、みんな、太陽は空にあって目印がないから、動いてるかどうかよくわからないよね」
C児「地球が動いてるんですよ!」
K村「わかったわかった……。みんな、登り棒の根元に座ってみて。それで、太陽が半分だけ登り棒で隠れる場所から太陽を見てごらん」
f:id:filinion:20191201195341p:plain:w500
遮光板で見た太陽(画像は合成です)
K村「こうやって、登り棒を目印にしたら、太陽が動いて見えるかどうか、わかるんじゃないかな」
 
 太陽の視直径はおよそ0.5度で、24時間でほぼ360度移動するわけですから、この状態で2分くらい見ていると、登り棒で「日没」を観察することができます。
 
子どもたち「……あー! 太陽動いてる!」
C児「地球が動いてるんだよ!」
K村「太陽、どっちに動いて見える?」
子どもたち「右に動いてる!」
K村「方角で言うとどっち?」
E児「えーっと……西?」
K村「そうだなあ。太陽は東から西へと……」
C児「地球が動いてるんですよ先生! そんなことも知らないんですか!?」
K村「やかましいわー!
 地球が動いているくらいのことは先生だって当然知っています! 大人なんだから!
 けれども、太陽を観察していても、地球の動きそのものを体感することはできないだろ?
 だからさっきから『太陽が動いて見える』と言ってるんだろうが!
 いいから座って太陽を観察しろ!」
 
 ……まあ……そんな感じでした。
 
 なお、その後のテストで「地球が動くから」と書いてきた子は何人かいて、当然正解にしましたが、肝心のC児は「地球が太陽のまわりを回っているから」と書いたため、残念ながら不正解となりました。*2
 答案を返却する時、自転と公転の違いを説明する図を付記しておきました。
 
 まあ……その……「地球が動く」ということを言葉として知っていることと、それを理解していることは違うんだよな、と。
 
 解答としては「太陽が動くから」で充分なのですが、
「時間とともに太陽は動いていて、かげは太陽の反対がわにできるから、太陽が動くといっしょにかげも動く」
 等、こっちが恐縮するくらい丁寧な解答を書いてきた子もいて、そっちは花丸をつけました。……点数は変わらないけど。

*1:太陽を観察する時に使う道具。

*2:もちろん厳密には、見かけ上の太陽の動きは、地球の自転と公転双方の影響を受けるわけですが、公転の影響は非常に小さいし、そもそも自転と公転は回転方向が同じなので、日中は公転運動の影響は自転運動の影響に大部分相殺されているのではないか、と思います。  違っていたらご指摘ください。

"Madam, I'm Adam." "Eve."

 もうすぐ、就学時健康診断というものがあります。
 来年度入学する子が視力や聴力テスト、知能テストなどを受ける行事です。
 会場は各小学校なので、本校にも未就学児がやってくるわけです。
 
 その打ち合わせで、自分が担当するグループの子の名簿をもらって確認していたのですが。
 
 同じグループ担当の先生と。
「森川…苅梅? 何て読むんです?」
「『かりも』ちゃんだって」*1
「かりも。女の子なんですね」
「梅って『も』って読むの?」
「読まないと思いますね……。『母』がそう読めるから、ってことなんでしょうけど……」*2
 
 と、そこへ遅れてやって来た先輩(2児の母)が名簿を見るなり、
 
「もりかわかりも!? これ、逆から読んでも同じ名前になるようにしたんじゃない! そんな名前の付け方ってある!? それで名前が『かりも』って!」
「えっ」
「ああー……!」
 
 一見して読めない名前、というのは、小学校ではもはやスタンダードになった感すらありますが、回文になってるというのはさすがに初めて見ました。
 先輩はだいぶご立腹でしたが……苅梅さんの将来に幸あれ。

*1:プライバシー保護のため、記事の趣旨を変えない範囲で名前を変えています。

*2:今ではご存じの方が多いと思いますが、法令上、名前の発音を漢字の読みと一致させる義務はありません。「鹿」と書いて「うま」と読ませても合法。指鹿為馬。

生き写し。(死んでない)

 大きい学校に異動して半年ほど経ちました。
 
 子どもたちの名前もある程度覚えましたが、まだまだ全然。
 
 で、特に異動した当初に多かったのが、廊下ですれ違った子に「見覚えがある」という現象。
 
「あれっ!? あの子は前の前に勤めた学校にいた子では? こっちに転校してたのか!?」
 と一瞬思って、
「いやいや、あの子も今は高校生くらいになっているはず、他人の空似だ……」
 と思い直すという。
 
 ドラマとかでよくある現象ですけど、あれリアルでも起きるんだなあ、という。
 
 異動した当初に多かった、というのは、段々見慣れて、細かい違いが見えてきたからだと思うんですが、
「どう見ても以前知ってた子とそっくり」
 という子が1人いて、いまだに混乱します。
 
 ちなみに、
「他県に転校したはずの子とそっくりだと思ったら本人だった」
 という事案も一件。

いっぱいあるよ、参加が面倒なコンクール!

 パパ教員(id:justsize)氏のブログ記事、超同意ですよー。
blog.edunote.jp
 
 しかしですね。ブクマを見て、言いたいことがあるんです……。

郵貯の「アイデア貯金箱」コンクールへの応募が面倒な件 - パパ教員の戯れ言日記

ゆうちょ、かんぽ、郵便局の本業が今どんな有様かを見れば、彼らの人を人とも思わない姿勢が一貫したものだと納得できるだろう。

2019/08/31 12:08
b.hatena.ne.jp
 
 違うんだ! クソなのは郵貯だけじゃないんだ!
 
 毎年夏休み前になると、
「子どもたちの夏休みの課題として取り組ませてください」
 みたいな発想で、学校に募集要項を送ってくる団体が山ほどあるんです。(あと冬休み前も)*1
 
 学校で文書を保管するのに使ってるファイルは基本的にフラットファイルですけど、「コンクール要項」だけはキングジムの分厚いやつ。 しかも「国語関係」と「図工関係」で2冊あって、これが1年で一杯になるんです。
 
 で、応募がめんどくさいコンクールが多い。
 
 ちょっと、「教員の多忙感」ってやつの原因の一端をお話ししたい。
 

字をていねいに書こう!(職員が) JA共済道コンクール

 正式名称は
JA共済小・中学生書道・交通安全ポスターコンクール」
 で、交通安全ポスターコンクールも一緒にやっています。
 
 トップページはここ。
JA共済小・中学生書道・交通安全ポスターコンクール
 
 まず注意事項のページ

f:id:filinion:20190831203959p:plain:w500
注意事項
f:id:filinion:20190831204022p:plain:w500
悪い例
 
 学年は「一年」と書くのだけが正しい。
「一年三組」とか「鱶沢小一年」とか「一年生」とか書いたらその時点で審査対象外。
 学校に持ってきた時点で間違ってたらもうどうしようもないので、夏休み前に注意しておかねばならない。
 
 ……これくらい大したことない、と思ってますね?

 でも、世間には書道コンクールはいっぱいあります。
 そしてこのへんはコンクールごとにそれぞれ規定が違って、
鱶沢小一年と書け」
鱶沢小学校一年と略さず書かねばならぬ」
「いや、学年を書いてはならぬ
 とか色々。
 
「Papars,Please」か。
 
 そしてこのコンクールのめんどくさいところは名札。
f:id:filinion:20190831204826p:plain:w500
JA名札
 この名札を切り取ってのり付けして出品しなきゃならないの。一点一点全部。
 
 氏名も学年も作品に書いてあるだろ!
 
 いやまあ、子どもの字は下手だから読めないかも、ってことなのかも知れませんが、だったら逆に作品への学年の書き方とかを厳格にする意味がわからない。
 
 JA宮城はpdfで様式を配ってますけど、pdfが編集できる学校はたぶん少数派なので、ほとんど全部手書き。
「先生へ」って書いてあるとおり、子どもや保護者が記入することは想定されてなくて、全部学校での作業。
 
 そしてこれで終わりではない。
f:id:filinion:20190831210910p:plain
目録
 出品目録……つまり、出品する作品全てのリストを作らなければならないのです。pdf。
 
 しかし実のところこのコンクールの一番謎なところは運営の方法です。
 
 さっきのサイトで「応募方法」をクリックするとこんなページに飛ばされます。
f:id:filinion:20190831211250p:plain:w500
応募方法
「応募の方法は都道府県によって異なります」……?
 
 都道府県をクリックすると以下のような感じ。
 
f:id:filinion:20190831211932p:plain:w300
 募集要項・名札・出品目録がダウンロードできる千葉。
 
f:id:filinion:20190831211952p:plain:w300
 共済連へのリンクと「お近くのJA」検索へのリンクがある福島。
 
f:id:filinion:20190831212021p:plain:w300
 電話番号しかない東京。
 
f:id:filinion:20190831212043p:plain:w300
 そしてもう終了している愛知。
 
 そう……「全国コンクール」と銘打っているにもかかわらず、運営方法が地域ごとにバラバラなのです。
 子どもたちが書いてきた作品を全て送付してよかったり、校内で審査して学年2点に絞れとか、目録のエクセル版が用意してあるとか(目録の様式も県によって違う)。
 
 しかし「作品に『一年生』って書いたら失格」というのは一致している。
 
 まあ、どうせ地元のJAに送るんだからバラバラでも困らないんですけど、例えば東京のコンクールの締め切りとか、ネット上で知る方法がない。
 
 要項がダウンロードできる場合でも、「締め切りは地域のJAによって異なります」とか書いてあって、つまり都道府県内でもバラバラ。
 じゃあどうするのかっていうと、「県本部より学校へご案内します」って書いてあるとおり、紙ベースで分厚い文書が郵送されてきて、そこに締め切りが載っているのです。
 
 ……でもね、地域差があるのかも知れないですけど、JAからの文書ってすげえ送られてくるの遅いんですよね……。
 
 ちなみによく事情がわからないんですけど、北海道の要項とか見ると「埼玉県のJA共済コンクール事務局に直接送れ」って書いてありますね。
 
 埼玉県のJAは「個人および書道教室等からの出品は受付けておりません」って言ってるのに、北海道の人は個人で埼玉に送っていいのか……? 謎。
 
 まあとにかく、注意事項をマンガにしたり凝ったサイトを作ったりする前に、まず運営方法を統一して、必要な情報や書類をサイト上で得られるようにして欲しい。
 

今年までの我慢だ(たぶん)! オリンピックポスターコンクール

東京2020オリンピック・パラリンピックに向けたポスター募集企画 」。
 
 サイトは以下。
tokyo2020.org

東京2020組織委員会では、今年度も全国の小・中学校、特別支援学校、海外の日本人学校等に在籍する児童・生徒を対象にオリンピック・パラリンピックをテーマとしたポスター募集企画を開催いたします。
また、ポスター制作をした方には、全員に御礼状と参加賞を贈呈いたします。

 「今年も」ってことは毎年やってるんですよ。知ってました?
 
 例によって……
 

f:id:filinion:20190831215404p:plain
作品用紙
 作品に貼る名札と……(なおこれは「裏面左下」に貼らなければならない)
f:id:filinion:20190831215614p:plain
目録
 目録を作る。
 
 ちなみに、この名札と目録は、五輪のサイトからはダウンロードできない模様。
 
 どうせ作業するのは学校だからね! サイトからダウンロードできる必要はありませんね? 学校には紙ベースで送ってあるし!(手書き前提)
岐阜県教委がpdfでアップロードしてた)
 
 しかしこのコンクールの何がアレかってこれですよ。
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参加数
「各学校から組織委員会に送付いただく作品(代表作品)は、各学校で、1枚程度とします」
 
 たった……たった一枚のために、目録書いて梱包して郵送せねばならないのか……。
 
 justsize氏は
「校内審査ではコンクールの意味がないのでは」
 と言ってましたが、たった1点しか選べないのではその弊害が大きい。
 
 昨年度の入賞作品を見ると……その……いわゆる「教師が見ていい作品だと思う作品」とは、入賞作品の傾向がだいぶ違う気がします。
 つまりオリンピック組織委員会の審査基準と、学校の校内審査基準に齟齬がある。
 
 この状況で「学校で1点だけ選んで下さい」となると、教師が落とした作品の中に、組織委員会にとっての「傑作」がある可能性が高くなってしまうのでは。

 まあ……校内審査を要求するコンクールって、実はとても多いんですけどね……。
 
 ともあれ、
「全員に記念品をあげるよ!」
 って書いてあるけど、実際に校外に出品して審査されてるのは1人だけ、というのはどうにも子どもを騙してる感があります。
 
 ……しかしこれ、
「本校では応募総数が2451点だったので50点出品します。あと記念品を2451個ください」
 って言ったらいけるんだろうか。
 
 余談ながら、ポスターもアレなんですけど、オリンピックのマスコット、小学生による投票で決まったの知ってます?
 
 いかにして「投票」したのかというと、これまた学校が窓口でですね……。
 
 クラスごとに「どれがいいですか?」って聞いて、「各クラス1票」で投票するという謎システム。
 すごい死票が多そう。
 で、それを組織委員会に報告するという……。
 
 なぜそれを学校がやらねばならないのか。
 
 なんか、「オリンピック教育」とかで、開催や投票に先立って五輪についての授業をやって欲しいらしく、それ専用の指導案まで作ってあるんだけどね……。
tokyo2020.org
 学校がそんなにヒマだと思ってるのか君たち……。
 
 あと、メダルの原料にする金・銀を集めるための「不要スマホ回収箱」が市内全部の学校に送られてきたりですね……(もちろん1個も回収されなかった)
 
 オリンピック組織委員会、学校をタダ働きさせる前提で事業を進める一方で、無駄なところにカネを使うよな……。
 

貯金箱コンクール

 justsize氏が批判して大臣にも捕捉されたゆうちょ銀行の貯金箱ですけど、あれ、以前よりマシになったんですよ。
 以前はPCやスマホからの応募ができなくて、必ず現物を梱包して郵便局に持っていく必要があったんです。
(その前は校内審査がなくて全部郵便局に送っていたという話ですが、その頃のことは知りません)
 
 justsize氏の学校はネット環境的に厳しい、という話ですけど。
 
 あと、以前あのコンクールで一番めんどくさかったのは「エントリーシート」ってやつで、出品作品の優れた点、工夫されている点を200字くらいの文章で専用の用紙に書いて同封しなければならなかったんですが、要項を見る限りそれは今年は必要なくなった……のかな……?(昨年はあった)
 
 ちなみに出品できるのは学年1点だけですが、「30名が作ってきました!」って報告すると30名分の記念品をくれます。
(代表者には記念品に加えてノートか何かをくれる)
 
 実は、色々な応募方法を工夫しているだけマシな部類とも言える気がします。まだ。
 

そのほか

 
 あと、青少年読書感想文全国コンクールもクソコンクールだなあ……。
 出品票がめんどくさい(読んだ本が何ページあるかとか、読んだのは第何版で初版発行が何年とか本のサイズは縦が何cmかとか書かなきゃならない)のに加えて、「全国」と言いつつ地域審査は各学校の教員が集まって審査員をやるから、出品以外に審査にも教員の労力が必要という……。
 
 というか、しつこいようですけど、コンクールごとに微妙に仕様が違うのほんと嫌。
 
絵画だと
「画用紙のサイズはA2です」
「四つ切り画用紙です」
「このコンクール専用の用紙があるのでそれを使って」
「ポスターだからスローガン等を入れて」
「スローガンはこっちで入れるから文字は書かないで」
 
(交通安全ポスターだと、
「ドライバーはシートベルトを締めていなければならない」
「信号機の色は正しい順番でなければならない」
 とか規定があるけど、これは仕方ないかな……)

読書感想文だと、
「一行目は題名、二行目に学校名・学年・氏名を書いてください」
「一行目は題名、二行目に学年と氏名。学校名は書かないで」
「一行目から本文。題名は欄外、学年と氏名は出品票だけに書いて」(全国青少年がこれ)
「作品と出品票は重ねて右上をクリップ止めして提出」
「作品と出品票は3枚複写して、左上をホチキスで閉じて3部とも提出」
 
 唯一共通しているのは、
「「「応募規定を守らない作品は、審査対象といたしません!」」」
 
 アルストツカに栄光あれー。
 

まだマシなやつ。

 
 うらみつらみを書いてきましたが、いいコンクールもあります。
 
 例えば、「WE LOVE トンボ」絵画コンクール。
 トンボの絵を描くやつ。
応募規定
 なんでトンボかというとトンボ鉛筆が主催だから。(あと朝日新聞
 
 これは学校などの団体で応募してもいいけど、個人で直接応募してもいい。
 つまり、学校が目録を書いたり発送作業をしたりしなくていい。
 
 そして全員に記念品(上位入賞者の作品写真を印刷した下敷きだと思う。たぶん)をくれる。
 
 ……ただ、作品を返却しないのに、出品者の住所と電話番号書かせるのちょっと怖い。
 まあ、受賞した時に連絡先がわからないと困るんだろうけど……。
 
 公的機関だと、内閣府・防災推進協議会主催の「防災ポスターコンクール」。
www.bousai.go.jp
 これも、学校で応募してもいいけど、個人で直接応募してもいい。
 
 もうね、コンクールをやるのは勝手だけど、学校を窓口にしようとするな、と強く言いたいです。
 学校はお前らの出先機関じゃないんだぞ。
 

働き方改革

 ……と、色々書いてきましたが。

郵貯の「アイデア貯金箱」コンクールへの応募が面倒な件 - パパ教員の戯れ言日記

これ、まともなコンクールを「先生たちのオススメ」として生徒に紹介したらあかんのかな。素朴な疑問。

2019/08/31 10:58
b.hatena.ne.jp
 うん、やってます。
 
 夏休み前に何十個も送られてくるコンクールに全部出品してたら出品担当者が死んでしまうので、何らかの形で精選が必要です。
 
 本校では
「学校として参加して欲しいコンクール」
 をリスト化して、夏休み前に子どもたちに配っています。
(だから、要項を送ってくるのが遅い団体は超困る。
 名前の書き方とか画用紙のサイズとかコンクールによって色々だから、そのリストに書かなきゃならないんだよ…)
 
 ……で、ここまで書いてきてアレなんですが、JA共済とかオリンピックとかゆうちょ銀行みたいなクソコンクールは、本校では「参加して欲しいリスト」から外しました。
 もちろん担当者の独断ではなく、管理職と相談し、職員会議で提案した上でですが。
 
 それでも10個くらい残ってるけど(図工だけで)。
 
「参加してないのかよ!」
 って言われそうですけど、世の中、本校みたいに教育委員会が寛容で校長も業務改善に熱心な学校ばかりではありません。
「五輪ポスターコンクールは必ず出品しろ」って言われてる地域とか絶対あると思います。
 そういう学校で苦しんでいる先生は必ずいるので、その負担を減らしてあげて欲しい。
 
 また、逆に、
「おたくのコンクールの募集チラシは配布せず捨てました」
 っていうのは、運営団体にとっても残念なことだろうと思います。
 捨てられたくなければ運営方法を変えていただきたいと思います。
 
 個人参加が可能なら、とりあえずもらったチラシは配布するしポスターも掲示しますから。
 
 で、そんな本校でとりまとめをやってるコンクールって何? って話ですけど。
 
・地元の警察署が主催する交通安全ポスターコンクール
・地元の商工会が主催する風景画コンクール
・地元の福祉事務所が主催する福祉ポスターコンクール
 
 ……みたいな。
 
 地元の団体が主催しているものに参加する、という方針なので、「オススメコンクール」を具体的に挙げるのは難しいです。
 
 全国コンクールに参加するのが無意味だとは言わないんですけど(個人参加が可能なやつはチラシを配布して「やりたい人はやってね」って言ってる)。
 
 しかし、地域のコンクールなら、とりあえず参加すると商工まつりの会場で飾ってもらえて、地域の人に見てもらえたりするので。
 商工まつりに行くと、両親と祖父母と一緒に展示作品を見に来て、「あったー!」とか言って自分の作品の前でピースして記念写真、みたいな姿を目にします。
 
 そう考えると、あえて大きなコンクールに出すより、地元のコンクールで見てもらった方が、子どもにとっても満足感が大きいかも知れない、と思っています。
 

*1: 中には8月中に送ってくる団体もある。  夏休み中だから! 子どもたちいないから!    ……と思ってよく消印を見ると、向こうが発送したのは7月中なんだけど、県教委→市教委→学校と回ってくるのに3週間くらいかかっていたりする。  お役所だからしかたないね!

「天気の子」も「オメラスから歩み去る人々」も名作だ、という話。

 見てきました天気の子。
 事前にあらすじは知っていて、あまり期待はしていませんでした。
 なんか、セカイ系エロゲー文脈だとか言われてて、
togetter.com
 正直そっち方面の教養はないし、「万人受けを捨てた賛否両論映画」とか言われていたので。
 
 そしたらすごく良かった。
 見ながら2回くらい涙してしまった。
 
 ……なお、一緒に見た奧さんは
「マジで? 私は途中から『うわー駄作映画を見てしまった……』って思いながら見てた」
 だそうです。*1
 
 賛否両論ですね!
 
 そんなわけで、個人的な感想を、とある古いSF(……なのか?)と絡めて書いておきます。
(どっちも全力でネタバレします)
 

「オメラスから歩み去る人々」

 「オメラスから歩み去る人々」は、アメリカのSF作家、アーシュラ・クローバー・ル=グウィンが書いた短編小説です。(ヒューゴー賞受賞作品)
 
 ル・グィンは、SFとしては「闇の左手」が有名ですが、たぶん作品としてはファンタジーである「ゲド戦記」が一番有名かも知れない。……ジブリ映画にもなったし。*2
 
(ここから作品紹介をするので同作を読んだことがある人は読み飛ばしてください)
 
**ここから**
 
 「オメラスから歩み去る人々」も、どっちかというとファンタジー作品です。
 
 あらすじを説明しますけど、文庫本で16ページしかない短編だからみんな読んで!*3

 作品は、「オメラス」という架空の都市の情景を描きます。
 
 オメラスはある種の牧歌的理想郷です。
 古く美しい街並みに、穏やかな気候、明るく、そして思慮深い人々。
 身分の上下はなく、芸術や学問も高みに達しています。
 
 さりとて、オメラスはいわゆる反テクノロジー的な、あるいは禁欲的な「天国」ではありません。
 高速鉄道や、あるいは洗濯機の類もあるかも知れないし(そこは読者の想像に任せる、と作者は語ります)、読者が望むなら、性宴(オージー)や、習慣性のないドラッグ「ドルーズ」を付け加えても良い、とされています。
 
 ともあれ、<夏の祝祭>を前に、郊外の草原で草競馬の騎手になる子どもたちの緊張と高揚、大樹の下で横笛を吹くことに熱中している少年、そしてそれをあたたかく見つめる大人たちの姿が描かれます。
 
 それで?
 
 かくも完璧な理想郷であるオメラスですが、実はこれは、ある契約にもとづいたものなのです。(このへんがややファンタジー要素)
 
 それが何者との契約なのかは語られませんが、人々の幸福の代償に、オメラスのとある建物の地下室には、がりがりにやせた一人の子どもが閉じ込められています。
 
 部屋には窓もなければトイレもなく、子どもはしょっちゅう排泄物の上に座るので、尻やふとももは腫れて膿みただれています。
 子どもは大体ぼんやりと座って、鼻をほじったり、陰部をいじったりしていますが、自分の両親や、外の生活のことも知っているので、時には
「おとなしくするから、ここから出してちょうだい!」
 と叫ぶのですが、誰もそれに答える者はいません……この子どもに優しい言葉一つかけてはならない、さもないと、オメラスの幸福は全て失われる、というのが「契約」だからです。
 
 オメラスの住人は、物事が理解できる頃になると皆このことを知らされます。
 最初は誰もがショックを受けるのですが、やがて、その現実を受け入れるようになります。
 
「あの子は長い地下生活で知的に遅れているから、助け出してやったところで、与えられた自由や文化の幸福を大して理解できないだろう」
「外に出たところで、やはりみじめな気持ちでいることは変わらないに違いない」
「あの子一人の幸福と、この街の何万人もの幸福を引き替えにすることはできない」
 
 このようにして、オメラスの人々は自分を納得させるのです。
 
 ……しかし、時には、そうでない人もいます。
 
 若者が、あるいは、もう何十年もオメラスで過ごした大人が、黙って思い悩んだ後、ふっと姿を消すのです。
 彼らは夜明け前に街を出て、どこかへと歩み去ります。
 その行き先がどこであるかはわからない、と作者は言います。「しかし、彼らは自らの行先を心得ているらしいのだ。彼ら―オメラスから歩み去る人びとは」
 
**ここまで**
 

オメラスに住む私たち。

 ……もちろん、ル・グィンが描きたかったのは、架空の理想郷ではありません。
 私たちの住むこの世界なのです。
 
「天気の子」で、圭介社長は言います。(小説版)
 
「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。
 俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?
 ていうか皆そうなんだよ。誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。
 損な役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。普段は見えてないだけでさ」
 
 私たちの社会は、オメラスのように素晴らしい理想郷ではありません。
 
 しかしそれでも、その豊かさ、便利さを支えるために、どこかで多くの人が犠牲になっている。
 
 それを
「仕方ないんだよ。世の中そういうものだよ。どうしようもないんだよ」
「哀れな彼らを救うために、私たちみんなの幸福を犠牲にすることはできないよ」
 等々と受け入れるのか? ということを、ル・グィンは問うたのです。
(ほとんどの人は受け入れているよね、と言いたかったのかも知れない)
 
 そのことは、「オメラス」の作者解説や、その次に掲載されている「革命前夜」で明らかです。
 作者は、「革命前夜」の主人公である年老いた革命家、タヴィリを「オメラスから歩み去った人々のうちの一人」と述べていますが、両作品が同じ世界にないことはほとんど確実なので。
 

歩み去らない、ということ。

 ただ、ル・グィンの言わんとすることはわかるものの、昔、高校時代に「オメラス」を読んだ時から、どうしてもひっかかることがありました。
「あの子はどうするの?」ということです。
 
 オメラスから歩み去る人々の志は高潔かも知れないし、故郷を現状のままにしていくのはおそらく抑制的な態度なのかも知れない。
 あの子を助け出した結果オメラスに巻き起こるスペクタクルを描くのは、ル・グィンがやりたいことではなかったのでしょう。でも……あの子はどうなるの?
 
 そう考えた時、「天気の子」は、まさに「あの子」を救う物語だったと思います。
 
 みんなの幸せのために、犠牲になろうとする天気の巫女。
 それを救い出した結果、豊かで便利な東京は水の底に沈みます。
 
 でも、それで世界が滅びるわけではない。
 
 水没した山手線の上には水上バスが走り、テレビの天気予報は雨の止まない東京で「どれくらい強い雨が降るか」を語り続けます。
 世界の形は変わってしまったけれど、それでも、新しい世界に人々はなんとか適応して生きていくのです。
 
 だから、オメラスから歩み去った人々も、歩み去る前に、あの子を地下室から救い出しても良かったのです……おそらく。
 
 もちろん、「オメラス」と「天気の子」は全然違う作品です。
 オメラスから歩み去った人々が、(おそらく作者と同じように)より良い社会を築きたい、という思いを抱いているのに対して、「天気の子」の帆高は、別段社会に対する何の考えもなく、たぶん世界を変えてしまうことへの覚悟もなく、「ただもう一度あの人に会いたいだけ」です。
 でも、それでいいのだと思います。
 オメラスから歩み去った人、例えば革命家タヴィリの思いが高潔なものだったのは確かでしょうけれど、動機が「愛にできること」だってやっぱり尊い
 むしろ、個人の愛を否定してしまったら、社会改良に意味があるでしょうか?
 

以下余談。

私「……それで、どの辺りが気に入りませんでしたか」
妻「私は別に、子どもがチンピラに殴られたり、銃を撃ったりする映画を大画面で見たいわけではなかった」
私「ああ……」
妻「映像は綺麗だったけど……。私は前情報を全然知らないで見たけど、CMとかポスターで見せてる雰囲気と、映画の内容がだいぶ違うと思う」
 
妻「そもそも、あんな子どもが風俗に勧誘されるとか、暴力とか、よろしくないと思う。教育者としてどうですか」
私「ええ……。でも、実際『プチ家出』とかで繁華街に出てきた未成年が危険な目に遭ったり、そのまま悪い世界に引き込まれてしまう現実はあると聞くので。
 島からのこのこ出てきた主人公が、親切な人に出会ってそのままスムーズに東京暮らし……みたいな脳天気な展開になったら、それこそマズいのでは」
 
私「カップラーメンとか、実在の商品が大量に出てきてたけど、あれはみんなタイアップなのかなあ……。『ムー』は『書く方も読む方もウソだとわかってる』扱いだったし、Yahoo!知恵袋は『役に立つ回答が絶対に返ってこないサービス』扱いだったし、バニラトラックも『怖い世界の入り口』扱いだったし……」
妻「バニラトラック?」
私「なんでもないです」(ウチは田舎なので走っていません。私もYouTubeでしか見たことがない)
 
妻「『天気の巫女』というのはいわば神聖な存在なのであって、その力をお金もうけに使う、という発想はどうなのかなあ、と思った」
私「うーん…神話伝説的な存在が現代世界に登場したら、という仮定としてwebサービスの形にしたのは面白かったのでは……?
 ある意味では、より現代的になった『魔女の宅急便』なんじゃないかな。
 もちろん、あれは決して『いいこと』ではなくて、だからこそ代償を支払うことになる、という話だったのでは」
 
私「主人公は警察に捕まるし、社長も警察に捕まるし、センパイは補導されて夏美さんもたぶん警察に捕まってるんだけど、結局みんなめでたしめでたしで良かった。
 なんか会社は大きくなってるし、夏美さんはたぶん就職できたみたいだし。
 警察に捕まっても社会復帰することはできるんだよ、という希望があった。
 社長が警察を殴ったせいで娘さんに会えなくなったりしたらさすがに後味悪かった」
妻「この映画を『めでたしめでたし』と言っていいのかなあ……」
 
妻「なんか、前作『君の名は。』で万人受けする映画を作ってしまった監督が、
 『オレはそんなお行儀のいい映画ばかり作る人間じゃないぜ!』
 って、ことさらに露悪的な表現に走ってしまったように感じる。
 前作に怒った人の方ばかり向いて、前作を好きだった人を忘れているのでは」
私「私は『君の名は。』も『天気の子』もどっちも良かったと思うから、そう言われてもよくわからない。前作とジャンルが違うのは感じるけど」
 
私「そういえば、あのチンピラ、終盤の快晴になるシーンでちらっと出てたね」
妻「赤ちゃんだっこして、奥さんと一緒にいるカットね」
私「帆高を殴ったりするシーンでは、正直こんな奴車にでも轢かれたらいいのに、と思ってたんだけど、あれを見て、ああ、こんなクズ野郎でも妻と子がいて、車に轢かれたら困る人がいるんだなあ、と……」
妻「そんなに奧さんと子どもが大事ならもっとまともな職を探して欲しいです」
私「ごもっとも」
 
 ……まあ、「前作みたいなのを期待していたら違った」「CMやポスターのイメージと中身が違う」というのが、賛否両論の理由なのかなあ、と思いました。

*1:「でも気にはなってたし、話題作を一緒に見られて良かったにゃー」だそうです。 隙あらばのろけていくスタイル。

*2:ご存じの方も多いでしょうが、ル・グィンはあの映画に 「よくも登場人物を白人にしやがったな!」 「魔法の剣で悪い影を切ってめでたしめでたし、というのは作品のテーマが全然違うだろ!」 と激怒していた。

*3:短編集「風の十二方位」所収。作者解説を入れても19ページ、次の「革命前夜」を入れても42ページしかないよ!

スキュモーフィズム定規

 さて皆さん。
 突然ですが、下の写真の物差しは、本校の小学校2年生が使っているものです。*1
 

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 皆さんは見たことがありますか? あるはずですね?
 それで、この物差しが何でできているかわかりますか?
 
 木? 竹?
 
 ……いやだなあ、そんなものでできてるわけがないじゃありませんか。
 昭和じゃあるまいし。
 
 この物差しは、もちろん、プラスチックでできています。
 端のところを拡大するとわかりやすいですかね?
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 透明なプラスチックで、裏面……つまり机やノートに接する部分に、目盛りと、茶色い塗料が塗ってあるのです。
 
 竹の物差しなんて、使っているうちに反るし、手にトゲが刺さったりしますから、子ども向きではないですよね!
  
 ……プラスチックならどんなデザインにもできるのに、なんでこんな古風なデザインなのか?
 
 ……教科書を見てください。
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東京書籍「新しい算数」2年上
 
 これ、現役小学生が使ってる教科書ですからね?
 タイトルは「新しい算数」ですからね?
 
 ……つまりですね。
 
 その昔、物差しと言えば竹、というのが常識だった時代に、算数の教科書が作られました。
 その後、プラスチックが登場して、社会にも、子どもたちの文房具にも、便利なプラスチックが普及しました。
 そしてその間、教科書は何度も何度も改訂されました。 
 
 にもかかわらず、教科書に載っている「ものさし」は、このデザインのまま残っちゃったわけです。
 
 それで、今度は教材会社が、教科書に合わせて、わざわざ「竹の物差しそっくりなプラスチック物差し」を開発したわけですよ。
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教科書の拡大
 よく見ると、教科書には「竹のものさし」って書いてある。
 
 昭和じゃないんだから……!
 
 私が10年くらい前に勤務していた学校では、2年生がこの「長さ」の勉強をするのに合わせて、まさに竹の物差しを購入していたんですけどね。
 便利な時代に……なってないだろ!
 
 何が変かって、子どもたち、普通の物差しはちゃんと持ってるんですよ。
 でも、教科書で扱う「ものさし」がこれなので、それに合わせて、別にこのヘンテコな物差しを買わねばならないのです。
 
 そして、この「竹みたいな物差し」が、2年生にとって使いやすいか、というと、全然そうではありません。
 何しろ、目盛りに数字が書いてないので。
 
 もちろん、大人であれば
「同心円のマークが書いてあるのが10cmごとで、その中間の黒丸が5cmの印」
 というのはすぐわかりますが、これが2年生には難しい。
 特に、学力が下位の子には。
 ただでさえ、cmとmmの2つの単位を扱わねばならず、頭がこんがらがる子が続出するのに。
 
 2年生を担任して、長さを測る問題がわからなくて答えがめちゃくちゃになっている子に、
「この茶色い物差しじゃなくて、筆箱に入ってる方の物差しではかってごらん」
 って言うと正確に測れる、みたいなことを何度も経験しました。
 
 もちろん、かつて、世の中でも竹の物差しが一般的で、それが使えなければ長さが測れない、という時代には、この教科書のように教えるのは非常に実践的だっただろうと思います。
 しかし現代では、こんな目盛りの振ってない物差しをわざわざ買ってまでやらせる意味がない。
 
 そりゃまあ、一部の業界とかでは今でもこういう物差しが使われているでしょうけれど、そんなのその時に読めればいいんですよ。
 
 時計だって、世の中には文字盤に数字のない時計もあるけど、初めて時計の読み方を教わる子どもにそんなの使って教えないでしょう。
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文字盤に数字がない、金色の懐中時計のイラストです。
 
 ムダなことをやっているなあ……というか。
 子どもたちに不必要な苦労を押しつけているなあ、と。
 
 文科省も教科書会社も、タブレットだとかプログラミング教育とか言う前にこういう地道なところを現代化して欲しいなあ、と思うことなのでした。
 

*1:私が今勤務している学校でも、異動する前にいた学校でも、その前の学校でもこれを使っていました。