保護者と感覚が違うなあ、と思った話。

 本校……じゃなかった、私が昨年度まで勤務していた学校では、始業式に、各学年の代表者が、新しい学年でのめあてを作文で発表することになっています。
 
 始業式……つまり、新学年の最初の日に読むわけですから、年度末に子どもたちが作文を書き、代表者を選ぶところまでは担任ができますが、その後、春休み中に練習し、当日作文を持って来るのは本人任せになります。
 
 なんだかんだあって作文が一応できあがって代表が決まった後、練習用の原稿を家に持たせて、保護者に連絡。
 
「……というわけで、お子さんが学年代表になりました。
 原稿は持ち帰っていると思いますので、おうちで練習させてあげてください。
 教室で練習した時はとても上手に読めましたけれど、春休み中に忘れてしまうといけないですし」
 
 すると保護者の方が、
 
「それで、持ち帰った原稿はどうしたらいいですか?」
「え? それは差し上げますのでどうぞ家で持っていてください。
 当日は、台紙……と言っても色画用紙ですけど、それに貼って装丁したものを読みます。
 それも……たぶん記念に持ち帰ることになるんじゃないですかね。その時の担任の考え次第ですけれど」
「まあ! あんなきれいにしたのをもらっちゃっていいんですか?」
「えっ?」
 
 ……えー、その持ち帰った「原稿」というのはですね。私がパソコンで打ったやつなんです。
 
 いえ、もちろん、元々の作文は子ども本人が書いたんですけど……(その「元の作文」も持ち帰ってるんですけど)。
 
 ただ、
 
「ぼくが2年生できるようになったことは、プールで25メートルおよげました」

「ぼくが2年生でできるようになったことは、プールで25メートルおよげるようになったことです」
 
 のように、担任が若干手直ししてしまっていたり。
 
 いやその、国語教育上、そういうのはもちろん本来は子ども自身が書き直すべきものなんですけれど……(もにょもにょ)
 
 しかし、年度末で時間がなかったことでもありますし。
 それに、紙媒体だと年度末の人事異動や教室移動に紛れて紛失しないとも限りませんので、データにしておいた方が安心ということもあり……。
 加えて、正直なところ、子ども自身も、自分が書いた字よりパソコンで印刷した字の方がスムーズに読めるという……。
 
 ………………と、いうように、担任としては、
 
「子どもが自分で書いた作文→尊い
「大人がパソコンで打ち直した作文→手抜き」
 
 という認識が「常識」として染みついていたのですが。
 
 ところが件の保護者の視点では
 
「子どもの作文を担任がパソコンで打ち直した原稿」→「きれいにしてもらった」
 
 という認識だったようで……。
 
 こう……絵を額装してもらったとか、手書き原稿をオフセット印刷に製本してもらったとか、そういう感覚なんでしょうか。
 確かに、「子どもが書いた作文」と「子どもが作った作文に担任が一手間かけた原稿」と考えると、そっちの方が手間がかかってるように見えるのかな、などと思い直しました。
 しかし正直……子ども自身に清書させると、担任がパソコンで打つより10倍くらい時間がかかるので……。
 
 ……今まで、社会科見学とかでお世話になった時には、子どもがつたない字で書いた「お礼の手紙」を送ってきましたけど、あれってちゃんと気持ちが伝わってるんだろうか、とちょっと思いました。