学校外における作文指導の現状について。

作文というのは、もちろん子どもが自分で書くものです。
 
しかしながら、作文コンクール向けの作文など見ていると、子どもたちが「家で書いてきた」作文が、普段教室で書いている作文と全然違うこともよくあります。
 
だいぶ前の話になりますが、離任式の時、離任する先生たちに対して、その先生に関わりの深かった児童が思い出を作文につづって発表しよう、ということになりました。
 
離任式の前日、担当の児童を学校に呼んで、事前指導と作文の校正をしました。
 
1年担任だったS先生(産休代替)へ、1年男子の言葉。
 
「Sせんせいをはじめて見たとき、せがちいさくてかわいいせんせいだなとおもいました」
 
お前よりは大きいぞ。
 
それ、お前の父さんの台詞だろ。
 
まあ、この時は、年度末で学校での指導の時間が取れなくて、かなり「おうちの人に手伝ってもらいなさい」みたいな感じで任せた、という事情はあります。
 
2年女子から、事務官への言葉。
 
「そうじのとき、『まじめにやってえらいね』とほめてくださったことばが、わたしにはとてもうれしく、はげみになりました」
 
「なあ、Aさん。『はげみになる』って、どういう意味かわかる?」
「んー……、あたまがはげるってこと?」
 
子どもに完全に任せると、意味が通じない作文になってしまう、というのは確かですが。
でも、周囲の大人がそれにどこまで手を入れていいのか、って、難しい問題だよなあ、と、いつも思います。
 
「……とりあえず、『わたしにはとてもうれしかったです』でいいと思うぞ」
「はーい」