「日本はこの先どうなってしまうのか」というやつ。

 よく脳裏に浮かぶ妄想。
 
 どこかの薄暗い法廷で、人民服姿の裁判官の前に引き出されて……。
 
裁判長「共和国人民法院日本支局は、被告が党の路線を中傷し、寛大な党指導部に対し繰り返し批判的風説を流布した許しがたい罪により、労働改造所において30ヶ年の労働教化刑を申し渡す」
 
 あるいは。
「民族法廷は、被告のこれまでの反日的・左翼的言動は、国家と民族に対する明白な反逆と見なし……」
 
 またあるいは。
「国家平和維持評議会は、被告の敗北主義的、反政府的言動を……」
 とか……。
 
(最後のやつは、軍事クーデターで親米独裁政権が誕生する、という、南米とかでよくあった想定です)
 
 なんか、左翼政権だろうが右翼政権だろうが、思想統制が始まった時点で無事ではいられない気がするのですよね……。
 まあ、そんな体制下で安心して生活できるような人とは関わり合いになりたくありませんけど……とかいう発言が問題になるわけですが。
 
 というか、私みたいな有象無象にわざわざ逮捕して裁判に掛けるほどの手間をかけてくれるかどうか怪しいですけど。
 単に逮捕されてそのまま帰ってこない、とかの可能性の方が高そうではあります。
 
 あるいはもっと単純に、日本が財政破綻して無政府状態(日本政府そのものは名目的には存続していても、著しく統治能力が低下するとか)に陥り、混乱の中で飢え死にしたり強盗殺人に遭ったりする可能性もありますね。
 
 いやまあ、どの可能性も、それぞれ実現する可能性がそれほど高いとは思わないのですけれど。
 
 でも、それじゃあ、
「平和で自由な現在の日本の体制がこのまま末永く続き、自分は穏やかに老衰で死ぬ」
 という可能性って、これまたどの程度あるんだろう……と。
 
 なにぶん、我が国の近くには、昨今急激な経済成長を遂げ、領土的にも膨張政策をとる核保有国があって、外交的には割と仲が悪く。
 一方の我が国は、経済的にはこのところ振るわず、長い目で見ても高齢化で縮小傾向、莫大な債務も将来どうなるのか疑わしく。
 その上、30年以内に東海地震が起きる確率は88%だとか。
 頼みの綱の同盟国も、かつてほどの「スーパーパワー」とは言えず……。

(世界史ジョーク。終戦直前の東欧にて)
 
Q:楽観主義者と悲観主義者の違いは何か?
A:楽観主義者は英語を習う。
 悲観主義者はロシア語を習う。

 我々、何語を習ったらいいんですかね。
 
 先日、AERA誌に、海外避難を準備している、というお母さん方の記事が載ったそうで。
 
http://dot.asahi.com/aera/2014072400036.html
「第2次安倍政権が発足した後、5歳の長男にも英語教育をほどこし始めた。
 いざというときの海外避難に備えて外貨預金をし、家族全員のパスポートも常備している」
 
 これに対して、
「心配しすぎだ」
 という声はもちろんあります。
 
 例えば、防衛問題を扱うブログ「dragoner.ねっと」では、
 
集団的自衛権について、朝日等の反対メディアの論調は論理の飛躍や感情論を前に出しすぎていて、正直気味が悪いと思っていたけど、ここまで来るとさすがにドン引きである。
 
 と評しています。
http://dragoner-jp.blogspot.jp/2014/07/2.html
 
 で、件の家族は、原発放射能から「避難」した“異常性を感じさせる”家族と同類ではないか、と述べ、朝日新聞社ダブルスタンダード「あまりに無節操」と批判するわけですが。
 
 うーん。
 
 そりゃまあ、
集団的自衛権が容認された! これは戦争の準備だ! すぐに海外に逃げよう!」
 って言って本当に逃げちゃった人がいたらそりゃあ異常だろうとは思いますけど。
 
 でも
「いつでも逃げられるように」
 って準備しておくのがそんなに異常なのかなー、という気が私はします。
 
 言ってみれば、原発のそばに住んでる家族が、
「万一の原発事故の際にどうするか」
 という準備をしてるようなものですし。
 
 避難の準備をするのまで「異常だ」「自分だけの真実を追求するあまり避難による生活破壊を厭わない人々」と言ってしまえるほど、私は将来の安全性に全幅の信頼をおけないなあ、と思います。
 原発にせよ、日本そのものの安全保障にせよ。
 
 そもそも、件の海外移住に備えてる家族って、必ずしも集団的自衛権だけが理由ではないのですよね。
特定秘密保護法集団的自衛権も」「少子化や高齢化についても考えをめぐらせる」
 とあるように。*1
 
 dragoner氏は“映画「インデペンデンス・デイ」の小説版”の例を挙げて、「決定的破滅の予兆があっても、多くの人は避難を決断出来ない」と述べます。
 
 いや、その通りで。
 
 私自身は、ナチス政権下のユダヤ人のことを思うのです。

(世界史ジョーク。1930年代ドイツで)
 
Q:楽観主義者のユダヤ人と、悲観主義者のユダヤ人を見分ける方法は?
A:まだドイツ国内にいるのが楽観主義者。
 悲観主義者はもう国外に逃げ出している。

 1933年にナチスが政権を握り、ユダヤ人の公職追放ユダヤ商店の不買運動が始まった時、「これはいかん」と思って速やかにドイツを逃げ出した人もいれば、
「でも、自分はドイツ語しか話せないし、土地も仕事相手もドイツ国内にしかないし。まあ、こんなことがいつまでも続くはずがないよ」
 ……でドイツに残った人もいたわけで。
 
 そして、いざ逃げだそうとした時には何もかも手遅れ、という。
 
 まあ、ナチスを例に挙げると笑われるのがなんだか昨今の風潮のようで。
 別に、文化大革命でもクメール・ルージュでもピノチェト政権でもいいんですけど。
 
 社会がいかん方向に変わっていくのを事前に察知していたら、もっと早く逃げ出していたのに、という人は多いだろうと思うのです。
 そりゃあ海外で苦労はするでしょうけれど、早めに逃げ出せるものならその方がまだ被害が少ないわけで……。
 
 にもかかわらず逃げ出さずに死んでしまう、あるいは本当に「着の身着のまま」で難民になってしまう人が多いのは、破局というのがしばしば急激に、予期せぬ形で訪れるからなのだと思います。
 
 私とて、集団的自衛権やら秘密保護法やらが、直ちに戦争だの思想警察だのにつながるものでは、たぶんないだろう、とは思います。
 それどころか、英語も中国語も習ってないんですけど。
 
 だって、英語を習っていたら、共産党の傀儡政権が成立した時に危険人物と見なされるかも知れないし。
 中国語を習っていたら、民族主義政権が成立した時に危険人物と見なされるかも知れませんからね。
 
 予期せぬ破局を予期して備えるのは難しいものです。
 1984年にサラエボオリンピックが開かれた時、そこが8年後には民族紛争で廃墟になるなんて誰が想像したでしょうか。
 
 ドル建てで預金をしておくのはまだ安全性が高いかなあ、とは思うのですが、ウチの奥さんは
「むしろ円よりドルの方が将来危ない」
 説。
 
 ……そうかなあ……?
 
 ともあれ。
 
 自分は一応教育関係者の端くれなわけですが、子どもたちを前にして、今教えていることって、20年、30年後の日本でも本当に役立つのか、と、ちょっと疑問に思ってしまったりもするのでした。
 
 まあ、足し算引き算とかは、どんな未来でも有効でしょうけれど。
(さすがに、2+2が3にも5にもなる「1984年」的な未来は来ないと信じたい)
 
 でも、30年後の小学校では、日本語を話すと「方言札」を首から掛けさせられたり、「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」がイデオロギー的な理由で禁止されていたり、偉大な指導者様の語録の学習が義務づけられていたりするかも知れず。
 一時期、教育界では「不易と流行」なんて言葉が流行しましたが、日本の戦後民主主義体制そのものがたかだか70年の歴史しか持たないことを考えると、本当に「不易」なものって一体? と思えてならないのです。
 
 君が代が千代に八千代に続けばいいんですけどねえ……。

ソ連ジョーク)
 
Q:モスクワの指導部が、フィンランド使節団を送ったのはなぜですか?
A:東の大国と共存する方法を学ぶためです。

 我々、国外的には自主性を、国内的には自由を保ったまま、「西の大国」と共存できるんでしょうか。
 少なくともフィンランドのように。
 
 そうあって欲しいのですが。
 

*1: まあ、AERAの記事のタイトルは
集団的自衛権の影響 英語教育、パスポート用意する母親も」
 ですけどねー。