「はてサ」にオレオレ定義が横行する理由。

 すっかり時機を逸した感もありますが、「はてサ」のこと。
 
 あの話がこじれるのって、「用語の定義」とか「観測範囲」とか、まさに私らはてなーが大好きなところに原因があると思うのですよ。
 
 そもそも「はてサ」というのは、侮蔑的な意味を含んだ語として生まれたのだと思います。
 左派が自らカタカナで「サ」表記をするとは思えないので。
 新左翼以降、現代の「左派っぽい人たち」を「サヨク」と表記したのは小林よしのり氏でしたか。
「はてサ」は、「ブサヨ」とかそういう表現と同じ流れにあると思います。
 
 しかしながら、はてなには自らそれを名乗る人もいます。
 
 相手から罵倒や揶揄の意味を帯びて投げつけられた語を、自ら(時には屈折した)誇りを持って名乗る、というのは、歴史的にもしばしばあることだったりします。
 
「ゴイセン(乞食党)」とか「ヤンキー」とか。
 卑近な例では、「オタク」がそれに近い経緯を辿っていますし……「ネトウヨ」だって、誇りを持って自称する人はいますよね(というか、成立の経緯はおそらく「はてサ」と一番近い)。
 
 まあ、
「あのバカどもに呼ばれるならむしろ喜ばしい」
 的な。
 屈折してますね(自称はてサの端くれな私もそうです)。
 
 しかしそうなってくると、悪い意味で使う人と自称する人の間で、指し示す範囲が異なってくるのは当然です。
 
 まあ、非オタクの人から
「あの人オタクだよねー」
 と呼ばれる範囲と、自らオタクを名乗って「許される」範囲が違うようなもので。
 
 自称する……肯定的な意味合いで使う人としては、まあおそらく、人権派であるとか平和主義であるとかそういうことなのだろうと思います。
(このあたりは個人の感覚の違いが大きいと思うのですけど。後述しますが)
 
 所得の再配分や労働法制の徹底を主張する一方、個人の権利や自由を政府が制限することには反対で、マイノリティの権利を擁護し、労働者の権利を擁護したりするのに熱心で、核武装とか集団的自衛権とかにはデメリットの方が大きいと主張するような雰囲気。
 一方で、政策の実効性を問う時に感情論を排するのが好きなので、「被害者感情に配慮」とか「伝統的な家族観」とか「愛国心の涵養」とか「遺伝子組み換え作物・放射食品は不安だ」とかいうセンチメンタルな主張にはわりと冷淡。(この辺は「生活者視点」「市民の目線」とかを掲げる左派団体との違いかなと思います。科学的・学問的に正しいことが正しい、という)
 同様に、「愛国心のために歴史の良い面を中心に教えるべきだ」とかいう立場にも冷淡ですね。
 
 これらの結果として、「みんなのために少数を切り捨てることは許されるか」というようなテーマ……トリアージとか沖縄基地問題とかTPPとかでは立場が分裂しがちで、長いこと議論が続く気がします。
 
 すでに書きましたけど、この辺は、肯定的に使ってる人の中でも異論もあろうと思います。
 
 さて、では、否定的な意味で使う人はどんな意味で使っているのかというと……。
 
 この記事を書いている現在、はてなキーワード「はてサ」が、だいたいその熱心な実例のようになっているのですが……。
 
はてなサヨクと呼ばれる者の特徴は一貫性の無さである。
 
 だそうです。
 
 簡単に言えば「アメリカの核はきたない核。中国の核はきれいな核」みたいなダブルスタンダードでしょうか。
 
アメリカ軍のグアンタナモでやってるのは悪い虐待。中国がチベットでやってるのは良い虐待」
「日本軍がやったのは悪い強制連行。北朝鮮がやってるのは悪くない拉致」
「日本政府がやってるのは悪い歴史修正主義。韓国がやってるのは良い歴史修正主義
 みたいな。
 
 先日、id:kanose氏が言って騒動の発端になったのは、
「橋下氏による在日差別は悪い差別。週刊朝日が橋下氏に部落差別をするのはよい差別」
 というのが「はてサ」だ、という記事でした。
 
 あとは、
「即時脱原発! それで死者が出たら政府と東電の責任だ!」
 とかいうのが(悪口としての)「はてサ」ですかね。
 
 ……それ、右とか左とか言う以前にただのバカなんじゃ……。
 
 いやまあ、ネトウヨさんと同様、はてなー左派の中に、致命的に頭が悪い人が相当混じっているであろうことは認めないといけませんけれど。
 
 で、かように人によって異なる「マイ定義」がなぜ横行するかというと、ひとつには「はてサ」が団体ではないからです。
 
 これが「自民党はこうだ」とか「アメリカ政府はこうだ」といった議論であれば、実際の公式見解の変遷を辿って事実関係を確認することができます。
 しかし、「はてサ」や「ネトウヨ」は不特定多数の集団なので、その辺容易でない。
 
 例えば、どこかの匿名掲示板で、ネトウヨっぽい人たちが、中国がチベット文化を圧殺しようとしているのは不当だ! と叫び、別な掲示板では前大戦の日本が占領地で皇民化教育をしたのは識字率を高める良い効果があった、とか擁護していたとします。
 しかし、これをもって「ネトウヨダブルスタンダードだ!」と言えるか、というと必ずしもそうではない。
 
 だって、前者の主張をしている人たちと、後者の主張をしている人たちは同一人物ではないかも知れない(っていうかたぶん多くの場合違う)わけで。
 それを「ネトウヨたち」と括るのは見る側の問題なわけです。
 
 同じように、「はてサはダブルスタンダードだ」というのも、そう思って見ればそう見えるだろうけど、という。
 部落差別を扱った記事のブクマで、部落差別を批判するコメントを見つけるのは容易でしょうし、件の橋下氏と週刊朝日のブクマで朝日擁護をするコメントを見つけるのもそれなりに容易でしょう。
 それをもって「はてサはダブルスタンダードだ!」と叫ぶのは自由だけど、それは単に観測範囲……というか観測方法に問題があるんでは、という。
 
id:apesnotmonkeys氏が、

つまり、「はてサ(はてなサヨク)判定」について語っていると称しているあのエントリは、実は「週刊朝日報道を「差別ではない。橋下の人権を侵害していない」と言っているような人」の判定基準についてのものだった、と? それってつまり、「週刊朝日報道を「差別ではない。橋下の人権を侵害していない」と言ってるような人の判定基準を思いつきました! すなわち、「週刊朝日報道を「差別ではない。橋下の人権を侵害していない」と言ってるかどうか、です! ってこと? ……ええっと……バカなの?

 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20121201/p1
 
 と書いたのはそういうことかなあ、と。
 
「はてサはバカである」という規準で「はてサ探し」をしたら、見つかるはてサがみんなバカばかりなのは当然で、それははてサがバカである証明にはならない。
 ネトウヨも同様ですけど。
 
ネトウヨ」と違うのは、はてなは基本的に各コメントや記事とユーザーが紐づけられているので、本当にダブスタなのか、各ユーザーごとに(根気があれば)確認できる、ということでしょう。
 その意味で、「個々の論者をとり上げるべき」という指摘はまっとうです。はてなならそれができる。
 
 まあ、普通の人はそこまで暇ではありませんが。
 
 で、暇でないので、情報整理のために「お気に入り」とかを介して自分好みの記事だけを読んでいると、
「奴らはてサは愚かなダブスタ野郎だ」
 と思う人にはそれを裏付けるような記事ばかりが、
「我々はてサは冷静な人権派だ」
 と思う人にはそれを裏付けるような記事ばかりが目についてくる……ということなのだと思います。
 
 観測範囲ですよ、観測範囲!
 
 実際(はてなキーワードにもあるとおり)、
「こういう記事はブックマークしないはてサどもw」
 的なブコメを時折見かけることがあるのですが、あれ、私それすでにブックマークしてコメントしてるのに、ということも時折。
 
 おそらく、その(やや致命的寄りの)人から見て、私のコメントは「はてサ的」でなかったので、そういう時は「はてサ」にカウントされないのでしょう。
 
 ダブスタはどっちやねん。
 
 はてなキーワードで書かれている、
「米軍の虐待を詳細に取り上げる一方、チベット問題を採り上げないブログがある!」
 とかいうのも、まあ、そりゃそういうブログもあるだろうよ、という話で。
 
はてな匿名ダイアリーはてなサヨクにとっての主戦場のひとつになっている
 
 ……そうかなあ……。
 匿名ダイアリーはほとんど見ないけど、むしろはてな内では一番「ネトウヨ寄り」な気が……。
 筆者の主戦場であるに過ぎないんじゃないでしょうか。
 
 まあ、かく言う私も、今見直して、「確かに週刊朝日は悪いけど、橋下はもっとひどい罵詈雑言を吐いてるじゃん」的なコメントがわりと多いことに驚いたんですけど。
 
 同様の理由で、個々の「自称はてサ」が考えるはてサ像にも人により違いがあると思います。
(tari-G先生から保守派呼ばわりされたのはいい思い出です)
 ひらがな派の人たちはたぶんはてサなんでしょうけど、「典型的はてサ像」の中には含まれていませんし。
 
 ともあれ、どっちにしろ定義が定まるわけないんだから、それに基づいて議論するのは不毛であろうことよなあ、と、だいたい騒動が収まったっぽい今になって言ってみるのでした。