好意は自然に生まれるものではない。「親日」感情も同じ。

 よく、ネットで
「トルコは親日
 とか
「台湾は親日
 とか
パラオ親日
 とか言って喜んでる人、そして、ちょっと日本批判をされると
「あの国は反日
 とか言い出す人を見て思うんですけど。
 
 君ら、結局敵を増やす役にしか立ってないよね? という。
 
 トルコや台湾が事実親日的だったとしても、別に始めからそうだったわけじゃなくて、そこには理由があったはずです。
 
 和歌山の漁村の人々が、台風のさなか総出でエルトゥールル号乗組員の救助につとめ、わずかな食糧を分け与えて介抱した時、トルコは別に親日国家ではありませんでした。
 このように、他国からの親日感情が今あるとすれば、それは勝手に生まれてきたものではなく、尊敬すべき先人たちの行動によって育まれたものだと思います。
 
 それを、先方から好意を向けられていることがあたかも自然なこと、当然のことであるかのように振る舞えば、好意などいずれなくなってしまうでしょう。
 
 たとえばオーストラリアです。
 昨今、同国が日本の調査捕鯨に反対していることを理由に、なんだか反日国家の筆頭みたいに決めつけてる人が多い気がします。
 
 しかし同国は、日本との交流が盛んで、そもそも親日的な国だったはずです。
(と、ここで“オーストラリアはかつて日本を「二階の国」と呼んでいました”……と書こうと思ってたんですが、なんか日本人がそう主張しているケースしか見つからなかった……)
 
 まあ、シーシェパードの愚かさ、傍若無人ぶりは私も許しがたいと思いますが、国家間の関係って、一つでも意見の相違があったら敵対するしかないんでしょうか?
 何か一点批判されただけで反日国家認定していたら、世界には敵しか残らないのではないでしょうか。
 批判されて黙ってろとは言わないですが、そういうものは是々非々で対応すべきものです。
 それを、感情的に反発してさらなる敵意を……一つの問題だけでなく、国家全体へのマイナスイメージを買うのは、友好関係を築くことに尽力した先人たちの努力を無にするもの、それこそ反日的行いだと思います。
 
「憎悪の連鎖」みたいなものは小さいうちに抑え、いまある友好関係を成長させ、そして現在は特に「親日」的でない国からも敬意をかちえるよう振る舞う……。
 それは誰にとっても(私みたいな「はてサ」にとっても)望ましいことですが、とりわけ、愛国者の皆さんには、そのような振る舞いを願ってやみません。
 

余談。

 韓国で「親日罪」がある、とか騒いでる人を見るたび、なまじ漢字文化圏で中途半端に意味が通じることの弊害だよなあ、と。
 
 ご存じの方も多いと思うんですが、韓国で「親日」と言ったら
「日本植民地時代の対日協力者」
 のことです。
 
 フランスで「コラボレーション」と言ったら、
ナチス占領時代の対ナチ協力者」
 のことを指すようなもので。
 
 まあ、いくら民族の裏切り者だからと言って、子孫の財産を没収したりネットを検閲したりするのが正しいとは思えないんですが、
「韓国では日本に好意的なことが犯罪になる!」
 みたいなデマを流してる人がいるのはどうにかならんもんか……。
(「日本に好意的な人」のことは「知日」って言うんだそうです)
 
親日」って言葉が誤解を招くんだと思うんですが、韓国側には表現を改める義理がないし、さりとて日本側で「親なんとか」って言ったら「なんとかに好意を持ってる人」のことだしなあ……。
 
 どうにかならんもんか。