クズ記事を(無料で)量産する私たち凡百ブロガーの群れと、それに雄々しく立ち向かうプロライターの英雄的戦いについて。

 素人に負けるようなプロライター()は筆を折れ、というのがまあ最初の脊髄反射的感想だったのですが。
 
「ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetter」
http://togetter.com/li/363578
 を読んで。
 
 色々叩かれてはいますが(他人事を装う)、プロの苦しさも故なきことではありません。
 
 仮に、素人とプロライターが一対一で戦ったら、言うまでもなくプロの圧勝でしょう。
 しかし、ネット上の素人は数万人という人海戦術でものを書いています。
 それと戦わねばならぬプロは意外と苦しいのかも知れません。
 
 よく言われることですが、文章にせよイラストにせよ、素人は、プロより力量に劣る以上に、継続的に水準以上のものを創り出す能力に欠けています。
 
 たとえば、はてな周辺で、無名のブロガーが非常に優れた記事を書いたとします。無料で。
 そこらの新聞社説やら雑誌記事など足下にも及ばぬ優れた考察です。しかも無料です。
 そしてそれがホットエントリ入りし、一夜にして数万人の読者に読まれたとします。
 
 ……しかしそれで、その人がその後も継続的にそういう記事を書くかと言えばそうとは限らない。というか普通違います。
 そこが素人とプロの違いと言えます。だから無料なのです。
 
 ……しかし、個々のブロガーを見るのではなく、ネットで文章を書き続ける「素人群」全体として見るなら。
 そのような「ホッテントリ事件」はわりあい頻繁に起きていることを我々は知っています。
 言い換えれば、「素人群」は、そこそこ質の高い記事を継続的にものし続けるライターである、ということができます。
 無料で。
(もちろん、その陰では、それに万倍するクズ記事が量産されているわけですが……。
 ある意味では、我々はタイプライターを叩き続けるサルであると言えます)
 
 このような多勢に無勢の戦いを嘆くプロもいるのでしょう。
 しかし、本当は、「素人群」には以前からそれだけの文章力があったのです。
 
 ただ、かつては文章を広く一般に公開するには出版メディアの力が必要だったので、「素人群」が下手な鉄砲を乱射してプロを射殺する場がなかっただけです。
 メディアだって、クズ記事を量産する相手と契約する気にはなれないでしょうから、安定した品質の記事を書く力量を持った人だけが、プロとして発表の場を得ていたわけです。
(それは今でもそうでしょうが)
 
 しかし、ネットの普及により、誰でも無料で全日本(および日本語を読む物好きな外国人)に向けて文章を発信することができるようになりました。
 量産される記事は玉石泥砂糞混交ですが、ソーシャルブックマークソーシャルネットワークがその中から時たま拾い上げる玉っぽい何かだけでも、読者をかなりの程度満足させることが可能になったのです。
 
 そんな状況では、ライターの地位が苦しいものになるのは想像がつきます。
 
 ……むろん、他に本業があって片手間に文章を書いている素人と、取材に基づいて記事を書いているライターでは、到達しうる高みには差があります。そのはずです。
 優れたライターが書き上げた優れた記事は、素人が書いた記事をどれほど大量にかき集めても到達し得ないもの……であるはずです。
 
 つまり……はてなで言えば、例えば、本当に優れた疑似科学批判ライターならば、NATROM氏のような疑似科学批判クラスタよりも優れた記事を書き続けられるはずであるし、そうでなければ食っていくことはできない、という……。
 ……プロって大変だな。
 
 まあ、疑似科学批判はもともとあんまり食っていけない分野らしいので問題ないですかね。
 
 え?
「素人群」の話なのに、「id:NATROM」氏個人との比較に持って行くのは話がずれている?
 ご存じないのですか? この世には、なとろむ団というものが……おや誰か来たようだ。
 
 …………。
 
 何の話でしたっけ。
 
 えーと、
「本当に優れたライターなら、どんなに素人がダンピングしても生きていけるはずだ」
 という、なんとも新自由主義っぽいブラック論理を展開したわけですが、しかし、それはそれ以外の環境……主に出版メディアが不変である、という仮定に基づいています。
 
 どうなんでしょうね。
 
 人間が単位期間あたりに読める文章量には上限があるわけです。
 
 ネットの発達で、人間が一日に読む文章量は、ある程度増大したかも知れません。
 でも、それが無制限に増えることはあり得ない。
 
 それまで、キオスクで買った週刊誌を読みながら通勤していた人が、今日ブログやツイッターを見ながら通勤するようになった時、その分週刊誌は読まれなくなり、出版メディアのパイは縮小するのかも知れません。
 
 まあ私は田舎の自動車通勤なんで憶測ですけど。
 
 そうして出版メディア全体が縮小してゆくと、「本当に優れたライター」が力を発揮すべき場、その取材費と食い扶持を保障する産業そのものが縮小してゆき、力量を問わずプロのライターは生活できなくなってしまう……のかも。
 
 いくら優れた手紙を書く代書屋でも、素人の識字率が高まったら生活が苦しくなるようなものでしょうか。
(いや、今でも手紙の代書業ってあるそうですけど)
 
 そう考えると、例えば有料メールマガジンのようなものが、「本当に優れたライター」の生き残る道に……なるのでしょうか。
 
 広く世間で読まれる文章とはただの暇つぶしではなく、社会的意義を持ったものです。
 ですから、優れたライター、本職のライターが存在し続け、素人にはものし得ない優れた文章を書き続けてくれることを、私は願っています。
 
 しかし、社会の変化というものが常にそうであるように、素人が無料で文章を書き続けるのをもはや止めることはできないし、止めるべきでもないと思います。
 
 正直、私には、ライターの皆さん、健闘を祈ります……と言うことしかできません。
 ……なにぶん、某氏の有料メルマガを購読する意思とかさらさらないので。