先日、教会での英会話教室について書きました。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20070225/1172367348
で、私、「日曜日の集い」とか「ゴスペルコンサート」とかに対して非常に警戒心を抱き、M先生にも警告しました。
「警戒しすぎじゃないの?」
と思われるかも知れません。
しかし、私が(偏向した目で)見るに、これらの勧誘が究極的には宣教のためのものであることはおよそ明らかです。
(だって、M先生自身が以前洗礼を勧められたんだし)
バプテストに入信するつもりがない以上、
「どこかで踏みとどまること」
は必要ですし、それならば、それは早ければ早いほど良いのです。
お勧めの本はこちら。
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その後の人生にも影響を与えている気がします。
受験に失敗するとか。*1
この本の言う
「マインド・コントロール」
とは、絶食とか暴行とか薬物とか催眠とかを伴うもの(洗脳)ではなく、人間の心理を利用し、知らず知らずのうちにその判断基準を変更し、やがては全く違う信念を抱かせてしまう、というものです。
「なんだか断りづらい雰囲気」を意図的に作りだし、普段とは違う決定を(自主的に)するよう仕向ける「一時的マインド・コントロール」。
それから、その人の判断基準、信念の体系である「ビリーフ・システム」に末端から影響を与え、最終的には別人のようにしてしまう「永続的マインド・コントロール」。
これらを、人間の心理に関する理論・実験と、破壊的カルトに関する実例を交えて解説してくれる好著です。
さて。
その観点からすると、「英会話教室」→「ゴスペルコンサート」→「日曜日の集い」というのは、典型的な「フットインザドア」戦術であると言うことができます。
この方法では、何らかの要請者は、まずだれでも応じてくれそうな小さな要求を出して応諾させる。
それから、それと同じ意味をもつのだけれど、心理的な抵抗の強いもっと大きな要求をだして承諾をせまるのである。
つまり、まずは、ドアのすきまに足を入れて、話だけでも相手に聞いてもらうことから、承諾を誘導していくというものである。
(前掲書P95。改行引用者)
自慢に聞こえるかも知れませんが、私自身は、この手の誘導には、普通の人よりもひっかかりにくい自信があります。
この戦術の有効性を示す例として、カリフォルニアで行われた心理学実験の話が載っています。
道沿いの住宅の持ち主に対して、交通安全を呼びかける大きな看板を庭に立てさせてもらえるよう、許可を求めます。
普通は断られます。
実験では、対象となる人々を二つのグループに分けました。
一方(対照群)の人々には、いきなり訪問して、交通安全の立て札を立てさせてくれるよう頼みます。
もう一方(実験群)の人々には、まず、交通安全を呼びかける小さなステッカーを持って訪問し、これを貼らせてくれるよう要請します。
その後、別な人が、立て札を立てさせてくれるよう要請するのです。
すると、いきなり立て札について頼むより、その前にステッカーを頼んだグループの方が、3倍も受け入れてくれる率が高かった、というのです。
なぜか?
人間には、自分の行動を首尾一貫したものにしたい、という欲求があります。
先にステッカーを勧められ、これを貼ることを応諾していた人は、
「自分は交通安全運動に理解のある/協力的な人間だ」
……という意識を、自分自身に植え付けることになります。
この結果、本来なら
「そんなばかでかい立て札をタダで立てさせてやるなんてごめんだ」
……と思うはずだった人が、
「この前、交通安全ステッカーを貼る時はいいと言ったのに、今回断るのはおかしい気がする」
「自分は交通安全運動に理解のある/協力的な人間なのだから、応諾するべきだ」
……と思ってしまったのです。
ですからこれは、自分の行動を首尾一貫したものにしたい、という思いの強い、真面目で社会的に信頼されている人ほどひっかかりやすいと思います。
自慢に聞こえるかも知れませんが、私自身は、この手の誘導には、普通の人よりもひっかかりにくい自信があります。
このことを踏まえて考えると、
「英会話教室に行ったらゴスペルコンサートのパンフレットを渡され、日曜日の集会に勧誘された」
という状況を、
「教会の英会話に参加しているんだから、日曜日の集会で外国の人と話してみるのもいいことだ」
「日曜日の集会に参加しているんだから、教会のチャリティバザーに参加するのもおかしくない」
「チャリティバザーに協力したんだから、クリスマスミサに出席するのも当たり前のことだ」
……と、一般人を少しずつ誘導するシステムの導入部分である、と判断するのは、それほどおかしなことではないでしょう。
かつて、とある大学に、「カレー研究会」ってサークルがありました。
あと、「日本印度化計画」とか。学園祭で、インド風のミルクティーや揚げパイを売ったり占いをやったりしているサークルでした。
で、それが実はオウム真理教のダミーサークル。
「無料でカレーが食べられますよ」→「インドのことを勉強しませんか」→「ヨガを体験してみましょう」→「偉い尊師のお話を聞きましょう」
……という流れ。
入り口がカレーでゴールは出家だったわけです。
カレーだけ食べてりゃ問題はなかったんでしょうけど……。
で、今、「無料で英会話の勉強をしませんか」。
もちろん、バプテスト教会は、アメリカのプロテスタントの中では最大派閥だそうで、全く合法的な団体です。
これをオウムと同一視するのは間違っています。
しかし、勧誘の手法そのものに似た点がある、と指摘するのは間違いではないと思います。*2
入り口が英会話でゴールは洗礼。
私は英会話だけやることにしておきますよ。
ともあれ、「マインド・コントロールとは何か」超お勧め。
「認知的不協和」*3とか、
「集合的無知」*4とか、とてもためになります。
猜疑心が強くなるかもしれないけど。
絶版らしいけど、Amazonで古本を買ってしまいました。
*1:とはいえ、あの高校に入ったからこその出会いとか経験とかもあったわけで。
今に続くその後の人生はかけがえのないものです。
なので、仮にあの時に戻って高校受験をやり直せるとしても、そうしたいとはあまり思わないんですが。
蛇足ながら、時節柄。
*2:そもそも、「フットインザドア」はセールスマンの手法を指すものですし。
*3:人は、自分が間違った判断をした、と示唆されるのを嫌う。
それが大きな判断であればあるほど。
家を買った後で、他の住宅メーカーの広告を熱心に見たがる人はいない。
全財産をなげうって出家した後で、教団の批判記事を読みたがる人はもっといない。
*4:人は、
「みんなが指示に逆らわないのは、周りのみんなにはその正当性がわかっているからで、わかっていないのは自分だけだ。だから逆らわない方がいい」
と思いこみがち。
で、実はみんながそう思いこんでいる、というのが「集合的無知」。
「王様は裸だ!」と叫ぶのはとても難しい。