吉四六さん「汚染水処理設備の裏で収穫したから大きく育ってますよ!」

 吉四六話から一つ。(「きっちょむさんのとんち話」と言った方がわかりやすいですか?)

 いつも村の皆にお世話になっている吉四六さん。
 何か贈り物でもして義理を果たしたいと考えたが、相手が多すぎて難しい。
 考えたあげく、裏山に行って大きなタケノコを一本掘ってきた。
 そして知人の家に行くと
 
「いつもお世話になっているお礼にこのタケノコを」
「まあまあわざわざどうも」
「これは便所の裏に生えたやつだから、きっと肥やしが効いておいしいですよ」
「えっ。 ……いやあ、まあ、気を遣わなくてもいいから、これはお気持ちだけで」
 
 なぜか受け取らない。
 
 そのままタケノコを抱えて別の村人の家へ。
 
 しかし誰も受け取らない。
 
 こうして吉四六さんは、たった一本のタケノコで、村のみんなに義理立てできたとさ。

 使用したタケノコは、あとでスタッフがおいしくいただきました。
 
 さて。
 
 先日、校長先生がシイタケを持ってきて職員室に置きました。

 学校の近くで採れたものだそうです。
 
校長「先生たち持って行ってな!」
職員「はーい」
校長「ゆでてから食べれば大丈夫だから」
 
 何が。
 
校長「煮物にして食べればいいんだ」
 
 ……いや、煮汁を飲んだら同じだと思いますよ校長先生。
 
 ……まあ、このあたりの放射線量は問題にならないレベルですし、農産物にも影響はないのですが……。
 
 しかし、誰も持っていかない。
 
 なんと言いますか、
「便所の裏でとれたタケノコ」
 と言われた村の人も、結局作物というのは獣の死体や人糞が巡り巡って育つのだ、というのはみんな知ってるとおもうのですよ。
 
 このシイタケも、そこらのスーパーで売ってる(そして我が家の冷蔵庫にある)シイタケより危険とは思いません。*1
 
 しかし、あえてそれを言われると食べる気がしなくなると言う……。
 
 ちょっとこのサイトで読んだ話を思い出します。
 
風評被害社会心理学
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/saigai/2011sanrikuoki_eq/fuuhyou.html

 大きな報道がなければ、風評被害は生まれません。
 まちがった「うわさ」で、風評被害が生まれるわけではないのです。
 さらにやっかいなことに、報道の内容ではなく、報道の量の大きさによって、風評被害は生まれやすくなります。

「安全です! 安全です! 直ちに人体に影響はありません! 洗って食べれば大丈夫!」
 とか繰り返されるとかえって不安になるという人間心理。
 
 まあ……「正しい情報でも伝えない方が良い」という結論になってしまうのもまた納得いかないですけど。
 
 ともあれ、風評被害が生まれる現場を目の当たりにしたような気がしました。
 
 ……なお、使用したシイタケは、出入りの教材業者が校長先生に勧められて
「よろこんでいただきます!」
 と言って持ち帰りましたが、本当に食べたのかどうかは定かでないです。
 

*1: 野生のキノコは栽培ものより値が高くなるという話はあります。