以前、職員旅行の幹事をやりました。
全体としてあまり思い出したくない記憶なのですが、その時、先輩のH先生から言われた言葉で、はっとしたものがあります。
「大人なんだから大丈夫だよ」
私が、なんか地下鉄に乗り遅れる人がいるんじゃないかとか色々気を揉んでいた時に言われた言葉です。
みんな大人なんだから、たとえ事前に予定していた列車に乗れなくても、自力でなんとか工夫して合流できるよ、といったような話。
そりゃそうだ。
なのに細々したことであれこれ心配してしまったのは、たぶん普段の癖なんだろうと思います。
連れて歩いてるのが子どもだった場合、一人でも乗り遅れたら一大事です。
常時人数確認をしながら歩いて、
「この列車に乗りますよー」
「まだ降りませんよー」
「この次の駅で降りますよー」
「みんないますかー、並んでー」
という感じになります。
その習慣が知らず知らずのうちに出てしまっているんだろうな、と思いました。
……と言っても、まあうちは少人数なので適当にやってもなんとかなっちゃうし、事実私は適当なんですが。
でも、いわゆる「良い先生」は、そういうところはきっちりやります。
うちの母から聞いた話。
地域でバーベキュー大会をやろう、ということになり、母も係になったんだそうです。
場所は近くの公園で、材料は必要な分だけ集めて、あとは適当に……と思ったら。
係の中に、退職教員がいたのです。
母「……すごかったのよー?なんか、会場配置図を作ってきてね?
各テーブル6〜7名で、どの席に誰が座るかの席次表までびっちり書いてきたの」
私「……ははあ」
母「材料も、“鉄板が何枚で、各班に肉が何グラム野菜が何グラム……”とかリストアップしてあって、きっちりはかりで量って等分してるのよ!」
私「……几帳面な先生ですな」
母「こっちは、まあみんな適当に座ればいいかなー、とか思ってたんだけどねー」
私「好きなところに座れ、っていうのは一番あり得ない指示だからね……」
母「でも、実際始まってみたら、みんな座席表無視して適当に座ってたけど」
私「……かわいそうに」
その先生が、在職中有能な先生であったろう事は疑いません。
私が行事計画作ったらそこまで綿密にやらないしー。
学校内で行事を行う場合、曖昧な部分は少なければ少ないほど良いのです。
もちろん大きな行事の準備は教員間で協力して行いますが、実施には必ず子どもが絡んでくるので。
でも、学校を出て、大人同士で何かをやろう、という時に、そのような「有能な教員」が役に立つか、というと、必ずしもそうではない……という話でした。
大人同士の共同作業がうまくできない、というのが、
「教師は世間知らずだ」
って言われる一因なのかも知れないなー、などと思ったことでした。