官僚制礼賛。

また間が空いてしまいました。
 
本校は二学期制です。
一昨日が終業式でした。
 
当然、それに合わせて成績処理をして通知表その他の帳簿をまとめる作業があったのですが、それに加えて今回は、五年目教員研修の研究授業指導案作成だの、社会化教材研究会の原稿作成だのがかち合って、三日ほど徹夜。
「ひょっとして、今なら民間企業の人に『仕事が忙しいんです』って言っても怒られないんじゃ?」
とか思ってしまうような状況でした。
 
……統計によると、「ひさしぶりの更新です」に類した記事を書いたブログは、その後、一時的に更新頻度が上昇する短い期間を経た後、数ヶ月以内に更新が停止して死に体*1になる、という道筋をたどるケースが多いんだそうですが。
 
大丈夫。
更新頻度、上昇しませんから。
 
さて。
 
帳簿作成といえば、先日、隣市の教育委員会の人と話をする機会がありました。
 
つまり彼女ですがそれはこの際どうでもいい。
 
学校教育課という立場上、学校の事務官と話をすることも多いのだそうですが。
 
事務官の一致した見解として、教員の事務処理能力の低さは特筆に価するそうです。
 
「予算がないのにものを買う」って話は、前にも書きましたが。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20051226
 
そもそも予算の計算ができないとか。
自分が担当しているはずの費目について残高を把握していないとか。
それ以前に予算の存在を把握していないとか。(「社会科教育振興予算」「消耗品費」「物品修繕費」「特色ある教育推進予算」とか、あれこれごちゃごちゃしてるので……)
 
それで結局、
「事務官先生、ビーカー買いたいんだけど、お金あります?」
「えーと、今年の消耗品費はもうぎりぎりなんですけど……理科の予算は残っていませんか?」
「いや、わかんない」
「うーん、じゃあ、会計簿見てみますね」
みたいに、事務官に全面的に負担をかけるような状況になっています。
 
それどころか。
「あの、事務官先生、私の口座番号、わかります?」
「え? 何の口座ですか?」
「銀行なんだけど……」
「え? いや、それじゃあ、先生の給与が振り込まれてる口座の口座番号がわからないんですか?」
「そうなんです……」
みたいな人までいるんだそうです。
 
いや、これは私のことではなくて、聞いた話なんですが。
さすがに私はそこまでひどくないです。
 
あれ、そういえば通帳どこにしまったっけ。
 
あと、
「しかじかの口座からこれこれの口座にいくらいくら移すにはどうしたらいいか」
とか。
 
「それは同僚に聞くことじゃないよねー。事務官はあんたの奥さんか」
とは、教育委員会職員の言。
 
こんな状況ですから、教員が作成したお金にかかわる書類、というのは、チェックするときにも重点的に確認されるそうで。
 
事実、
 
・校長印が押してない(学校として決済されてない)
補助金の金額が、書類の一枚目と二枚目で違ってる
補助金を支出する主体が間違ってる
補助金の振込先の口座番号が間違ってる
 
などなどの致命的なミスが日常茶飯事だと。
 
「この間なんか、県から学校に送られてきたFAX、用紙そのまんまで『請求書』扱いで送ってきた学校があったんだよ? 細かい字なんかつぶれた、感熱紙のやつ。 これってそもそも書類じゃないんですけどー? みたいな。 学校に問い合わせたら、校長先生が『いや、その件についてはあちこちで苦情の多いところで……』って、そりゃそうだよ。 結局、校長先生が自分で作り直した書類再提出に来てたけど」
 
最初の書類を作った先生、怒られたろうなあ……。
作ってないけど。
 
「確かに、学校職員の事務処理能力って、全般に、あんまり高くないかも知れないね。私は特にそうだけど。教員って、事務能力で選ばれるわけじゃないから、そういう予算の処理とか、二の次になっちゃうのかも知れない。事務官も、立場的に低く見られがちなところがあるよね」
「そう! なんか、事務官の人と話してると、学校内で低く見られて大変みたいだって言ってたよ。 なんで? 事務、大事じゃん」
「そうだよねえ……。 たぶん、事務官は授業をやらないからじゃないかなあ」
「あたりまえじゃんそんなの。仕事が違うんだから」
「うん……。 ただ、学校の人って、『教育という重大な使命』が頭にあるから、子どもに直接かかわらない仕事を軽く見がちなんじゃないかな。病院における医者みたいなもの? 私自身は、そこまでの専門性を身につけてる自信はないけどさ」
「うーん……。私は、仕事柄、先生より事務の人と話す機会が多いし、立場的にもそっちに近いからなあ……。先輩は、そういう風に考えちゃやだよ」
「そうだねえ。現実には、学校に来る書類も、出て行く書類も、みんな事務官を経由するわけだし。事務官がいなかったら、学校は窒息死すると思うよなあ」
 
自戒したいと思います。
 
「かく言う私も、学級通信で、集金の金額間違って出したことあるな。テストがいくら、ドリルがいくら、図工教材がいくら……で、合計金額が間違ってるの」
「先輩、足し算できないの?」
「でも、教務主任と教頭と校長に回覧して、誰も気づかなかったよ」
「駄目じゃん、それ」
「なんか、『基準』と『規準』の使い分けとか、子どもの気持ちを考えた言い回しとか、そういう視点ではいっぱい修正が入ってたけど」
「そんなのどうでもいいよ。ちょっとくらい字の間違いがあったって。それよりお金のほうが問題だよ」
「それがつまり、事務の視点と教員の視点の違いなんだろうね、きっと」
 
自分で間違っといて言うことじゃないですけども。
 
思うに、たぶん、教員に事務をやらせるのが間違ってるんじゃないかと。
学校職員はいつも、忙しいから職員を増やしてほしい、って言ってますけど、現実には、教員を増やすのはなかなか難しいと思います。
 
で、思うに、たぶん増員しても効果はあまりないのではないかと。
 
というのも、教員の仕事は、現状では結構な部分が事務作業で、しかも教員は事務的には標準以下の能力しかないからです。
そもそも、日中は細切れにしか時間がなくて、子どもたちがひっきりなしに用事があってやってくるような仕事では、帳簿処理なんかできるはずがありません。
そんな人間を余分に雇ったところで、仕事が楽になる程度はたかが知れているんじゃないでしょうか。
 
だったら、事務官を増員したほうが有効なのではないか、と考えます。
 
標準的な能力の事務官に、きちんと事務に専念できる形でお願いすれば、たぶん標準的な教員の三倍以上のスピードで事務作業をしてもらえると思います。
だから、事務部の人員をちょっと拡充して、学級費の管理とか、現在担任各自がやっている作業を、可能な限り事務部に一元化すれば、むしろ教員は少し削減してもいいくらいで、単純に教員を増員するよりコスト対効果的にははるかにいいんじゃないかと思います。
 
……などと、学級会計簿に四苦八苦しつつ思ったことでありました。
 
私、記入欄が五つ以上ある書類を見ると頭痛がするので。
 
事務の人は偉いですよ。ほんとに。

*1:確か、一年以上更新が滞ることをもって「事実上の閉鎖」とみなしていたはず。