試論・趣味の効率性に関する一考察。

彼女がまた週末うちに来ることになりました。
 
えー?
 
また掃除しなきゃ。
 
さて、突如話変わって、「趣味」というものに関して以前から考えていた試論を。
 
世の中には無数の趣味が存在しますが、これらは大きく二種類に分けられます。
 
それは、形に残る趣味と残らない趣味です。
 
前者には、美術品や切手などの蒐集活動を伴う趣味や、絵画・鉄道模型などの製作活動を伴う趣味が含まれます。
 
後者には、音楽・美術品などの鑑賞や、各種スポーツの観戦・プレイ、競馬・パチンコ等のギャンブル、文筆活動等が含まれます。
 
まあ、「ゴルフのトロフィーがありすぎて、もう置く場所がないよ」みたいなこともあるでしょうし、厳密には、「何も残らない趣味」というのは滅多にないわけですが。
 
そして、以前は、私は前者の趣味の方が有益だと考えていました。
 
というのも、どうせ趣味にお金や時間、労力をかけるなら、それがただ消えてしまうより、何かの形が残った方が得なのは自明だと思えたからです。
 
しかしながら、しばらく前にそうではないような気がしてきました。
 
趣味というのは、損得勘定で考えたら明らかに損です。*1
ですから、趣味とは、労働や生産のための活動ではなく、お金や時間、労力を投じて、ストレスを解消するための活動である、と考えられます。
 
その観点からすると、形に残る趣味も残らない趣味も、ストレス解消、という意味では効果に差はありません。
 
一方、土地や建物というのは、買うのにも維持するのにもお金がかかります。
収入は有限ですから、居住空間と、その一部である収納スペースも有限です。
 
そう考えると、形に残る趣味は、お金や時間、労力に加え、収納スペースという「限りある資源」を余分に消費することになります。
 
「形に残る趣味」によって残るものは、いわゆる資産ではなく、その価値は主に本人や「同好の士」という、狭い範囲にしか理解されないものです。
一方で、土地や建物は、明白な価値を有しています。
 
してみると、実は、形に残らない趣味は、収納スペースを消費せずにストレスを解消できる、という点で、形に残る趣味よりも有益なのではないでしょうか。
 
……いや、なんでこんなことを書くかと言うとですね。
 
先日、家の掃除をしていて、ある重要な事実に気付いたのです。
 
それは、
「収納スペースよりモノが多いと、部屋は永久に片づかない」
ということで。
 
……捨てなきゃ駄目か……。
本って、手放せないんだよな……。

*1:そりゃあ、集めた古美術品が、数千万の価値があることがわかった、みたいな例もあるでしょうが、そういうのは例外でしょう。