堯舜に習う。

前にも書いたとおり、本年度、私が担当する「その他部(仮称)」が、科学コンクールで結構な成績を収めました。
 
ちょっと鼻にかけてるわけですが、でも、口と手を出しすぎた、という反省もあります。
活動していた子どもたちには
「やらされている」
という思いがあったかも知れません。
 
コンクール至上主義、というのは私の反対するところのもので。
 
コンクールで賞をとること自体はまあ結構なことですが、賞をとることを目的に研究をしたり絵を描いたりするわけではない。
少なくとも子どもは。
 
そこをはき違えると、賞は取ったが子どもは理科嫌い・美術嫌いになったりするという、教育的には本末転倒なことになりかねません。
 
小学校ですし、子どもたちが
理科研究って・絵を描くのって楽しいなあ」
と思ってくれるのが第一。
 
「好きこそものの上手なれ」で、「楽しいな」という気持ちさえあれば、細かな技術は後から自分で身に付けていきます。たぶん。
 
他の先生から聞いた話ですが、自他共に認める図工指導の権威、という先生がいるのだそうです。
 
版画とか大変熱心に指導して、昼休みも放課後も指導、長期休業にも子どもたちを学校に呼んで指導。
彫り方はもちろん、下絵の段階から、子どもの描いた下絵をコピー機で拡大縮小したり切り貼りしたり。
 
そして、毎年毎年美術コンクールで賞をもらっているのです。*1
 
それも、個人賞のみならず「学校賞」を。
 
学校賞というのは、優秀な図工教育を行っている学校に贈られる、いわば「総合優勝」みたいなもので、1〜6学年全てが優秀な成績を収めて初めて獲得することができます。
 
……つまり、その先生の「指導力」が全学年に及んでいるわけで。
 
言い換えると、万一学校賞を逃したりしたら、その先生始め他の同僚からどんな目で見られるかわからない、という……。
 
……そんな先生と同じ学校には勤務したくないもんだなあ。
 
とはいえ、やはり、
「上手な絵が描けた」
「賞がもらえた」
という喜びを子どもたちが味わえるならそれも何より……ということもあり。
「好きにやれー」
というだけではろくな物に仕上がらないし、そもそも子どもは伸びない=指導とは言えない……ということもあり……。
 
いろいろ悩むところではあるのですが。
 
で、以前、卒論ちゃんから聞いた話。
 
昔、学校で美術の授業を担当していた先生の話です。
 
「その先生、なんにも教えてくれないの。なんか、何枚か有名な絵を見せて、
『こんな風に描いてねー』
とか言って、あとは見てるだけ。
楽しい授業だったから、私は好きだったけどね」
「へえ」
「そんな授業なのに、教え子は何人もコンクールで賞をとっててね。なんか、“指導者賞”とかもらってるわけよ!」
「すごいなあ」
「みんなは、
『指導者賞ったって、先生なんにも指導してないじゃん!』
とか言うんだけど、本人は
『別にくれって言ったんじゃないもーん。向こうが勝手にくれるんだもーん』
とか言ってるわけよ」
「それはすごいなあ……」
 
すごいですよね?
 
「でも、本当は何か指導されてたのかなあ……」
「たぶん。意識に残らないだけで、気付かないような細かい指導が入ってたんだと思うよ」
「うーん……」
「ぜひ、その先生の授業を参観したいなあ……」
 
“鼓腹撃壌”という言葉を思い出しました。
まさに理想の授業。
 
……というような話を、せろはんさんのブログ記事(それでもわたしはやっている)を読んで思い出した・考えたことです。

「因みに、先生の教育方針は?
 ほめて伸ばすタイプですか、叱って伸ばすタイプですか」
そう聞いてきたので
「野放し」

「その方針で、飛躍的に学力テストの成績を上げたの誰だっけ」
力なく挙手をし、少年は学習を続けるのであった。

ぜひ、せろはんさんの授業を参観したいものです……。

*1:誰が?