「ボコノンの書」第1の書5節
フォーマを生きるよるべとしなさい。
それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする。
(フォーマとは、無害な非真実のこと)
しばらく、とあるSF作品の話が続きますが、これは実は本題と直接関係ないのです。
一言でまとめると、「嘘も方便」といった話。
なので、回りくどい話が嫌いな方は、二つ下の「*****」まで読み飛ばして下さい。*1
***** 読み飛ばし推奨部分ここから *****
俺は嘘をこしらえた
全てがぴたりと収まるように
すると楽園になったじゃないか
みじめなみじめなこの島が
始めに、ボコノン教について書きます。
私は大学時代、これに大きな感銘を受けました。
私は無神論者ですが、もし、仮に何かの宗教を信じるよう強要されたなら、ボコノン教徒であろうと思っています。
ボコノン教は、架空の宗教です。
何重かの意味において。
そもそも、これはカート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」というSF作品に登場する宗教ですから、まずその意味において架空なのですが。
この作品は、南太平洋の孤島、サン・ロレンゾ島を領土とする、同名の国家を主な舞台にしています。
サン・ロレンゾ共和国はキリスト教国家です。
作中、同国は邪悪な大統領によって支配されており、過酷な法律(というか、犯罪者に対する処罰はただ一種類「鉤吊りの刑」、つまり死刑しかありません)と強欲な政府の下、国民は貧しい生活を強いられています。
しかし、いつか邪悪な政府が倒れると説き、悲惨な生活からの解放を謳うのが、聖者ボコノンなのです。
もちろん、ボコノン教徒であることが明らかになれば、直ちに処刑されてしまいます。
そして、これまた当然なことに、大統領は幾度となく軍隊を派遣し、ボコノンを捕らえようとしました。
しかし、鉄壁の包囲網を敷いたにもかかわらず、必ず、いつの間にかボコノンは消え失せてしまうのです。
ボコノン教徒たちの信じるところによれば、いつか、時が来れば、聖者ボコノンが信徒たちとともにジャングルから立ち上がり、邪悪な大統領を倒し、サン・ロレンゾに楽園を打ち立てるのだということです。
……そして、これらはみな嘘なのです。
サン・ロレンゾは、ろくな天然資源のない孤島です。
土地はやせ、農業にも不向き。
周囲は岩礁に囲まれ、貿易港としても無価値です。
識字率はほぼゼロ。
つまり、サン・ロレンゾ共和国が貧しいのは、政府が悪いからではありません。
ボコノンであれ誰であれ、この国を貧困から救うことはできないのです。
しかし、島の人々に、
「この島が貧しいのはこの島のせいで、あなたがたもその子孫も、未来永劫貧しい生活をしなければならない」
……などと告げてなんになるでしょうか。
島を出るだけのお金を貯めるあてさえ、誰にもないのに。
そこで生まれたのが、ボコノンでした。
わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である。
ボコノンは、元々はこの島を貧困から救おうとし、そして挫折した青年でした。
そして彼は、ボコノン教という架空の宗教を作りだしました。
「いつか全てが解決する」という嘘をつくことで、人々が絶望的な現実から目を背け、希望を持つ道を与えたのです。
だから、実は、サン・ロレンゾ共和国の人々はみなボコノン教徒です。
大統領でさえも。
誰かが鉤吊りにされた、という噂はたびたび流されますが、本当に鉤吊りになる人は滅多にいません。
そして誰もが、(本当は嘘と知りつつも)政府の圧政の中、密かにボコノンを信じ、希望を抱く人々、の役を演じているのです。
……と、これが、ボコノン教のあらましです。
ボコノン教が、現代日本においても有益か、と言われれば、答えは否でしょう。
ボコノン教は、サン・ロレンゾ共和国が、真に絶望的な状況にあるからこそ、意味を成すのであって。
正しい努力をすればよりよい未来が望めるような、普通の社会では、嘘を信じることは、むしろ正しい努力を阻害する有害なものになってしまいます。
***** 読み飛ばし推奨部分ここまで *****
……さて。
つまりですね。
彼女*2から、
「先輩もアロエベラジュースを飲みなよ」
……と、迫られているのです。
これまで、
「少し考えさせて」
……と、逃げていたんですが、
「何を考えるの!?」
とか詰問されました。
そりゃあまあそうですが。
信じているなら、何か考える必要はないわけで。
「……今決めないとだめなの?」
「そうじゃないけど……。でも、体質改善をするなら早いほうがいいと思って」
体質改善なんてまやかしだよ。
……とは言えないんですけど。
しばらく飲んでいるうちに、効かないことに気付くのではないかな、とか思うのですが。
……だめかなあ……。好転反応だからなあ……。
私が思っていた以上に、「この体質が遺伝するかも知れない」……というのは、彼女にとって重荷になっていたらしく。
そして、私がアトピー体質で、ひどいスギ花粉症だ、というのも、やっぱり重荷であるらしく。
「先輩の体質が治ったら結婚してもいい」
……そんなに軽く「結婚してもいい」とか言われるのもむしろ傷つくな……。
あの8月以来の苦労はなんだったんだ。
状況を整理。
彼女の見解。
- アロエベラジュースを飲むことで、体調が良くなってきた。
- このまま飲み続けることで、体質が改善されて、子どもに遺伝しなくなる。
- そこで、(アトピーで花粉症の)先輩にも飲んで欲しい。
- 先輩の体質が治ったら結婚してもいい
まあ、結婚云々は勢いで出た一言だと思いますけど。
で、私の見解。
- 体調が改善したのは、ことによると事実かも知れない。
- しかし、それはアロエジュースに含まれる何らかの成分の働きと考えられる。体質改善というのは疑わしいし、それで体質が遺伝しなくなるというのは、そもそも遺伝学の基本に反している。
- 一方で、アトピーと花粉症に遺伝的要因があるのはどうやら事実らしい。(ただ、環境要因も大きい)
- 従って、私や彼女の体質はおそらく遺伝しうるもので、しかもその遺伝を防ぐことは不可能。
……………………。
絶望的じゃん。
いや…………。
もう、この際、アロエベラジュースを飲むのは仕方ないかな、と思ってるんですよ。
彼女の場合、
- 1ヶ月目:体調が良くなってきた
- 2ヶ月目:「体の中の毒素が出て」あちこちに発疹が出た
- 3ヶ月目:体調が良くなってきた
……という経過だそうなので。
とりあえず、3ヶ月だけ飲んでみて、効果がなければ、「私には合わないみたい」……と言ってやめようかと。
「効果がなければ」……というか、私の目には、彼女も単に一進一退のようにしか見えませんけど。
問題は、
「体質が治ったら結婚してもいい」≒「体質が治らなければ結婚しない」
……という話に見えることで。
「効果がない」という時、彼女の失望とかをどう軽減したものか。
大体、
「先輩の場合、アロエベラジュースと乳酸菌カプセルだけ飲めばいいと思う」
……って、すると自分は何をどれだけ飲んでるんですか。
(ちなみに、この二つだけでも三ヶ月で十万円近くかかる計算。(株)FLPジャパンと、その製品を彼女に勧めた「知り合い」とやらに七つの災いあれ!)
実際問題、どんな病気にも遺伝要因はあります。
たとえば、生活習慣病の筆頭である糖尿病にしても、なりやすい体質というものがあり、これは遺伝します。
アトピー・スギ花粉症にしても、確かに遺伝的要因は無視できませんが、近年になってこれだけ増大している、ということは、遺伝的要因だけではない何かが影響している、ということを示しているのです。
……でも、高校時代、顔にひどい湿疹ができたのがトラウマになって。
「子どもがこの体質を受け継いでたら死にたくなる」
……という彼女に、
「両親がアトピーの時、子どもがアトピーになる可能性は70%弱(仮。諸説あり)しかないから大丈夫」
……と言って、説得になるとは思えないよなあ……。
どうすりゃいいんでしょう。
ああ……。
(ボコノン教で神聖なもの)
それは人間さ。それだけだ。