ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです。*1
「かっこう、かっこう」
帰り道子どもたちが歌っておりますと、ひとりだけ、歌詞を間違えて歌う子がいるのです。
何度歌ってみても、「ないてるよもりのなか」のところで、「よんでるよもりのなか」と歌う声が聞こえます。
そこで1人ずつ歌ってみますと、たれも間違えていないのでした。
それからもう一度みんなで歌ってみましたが、やっぱりたれかが「よんでるよもりのなか」と歌っているらしいのです。
けれども、いったいたれが歌っているのか、どうしてもわからないのでした。
こんなのがざしきぼっこです。
2年生が新しい漢字をならって、それを遣った文をどんどん黒板に書いてゆきます。
「それじゃあ、書いた人に読んでもらいましょう」
先生がそう云って、黒板に書かれた文を一つづつ指してゆきますと、じゅんじゅんに、その文を書いた子どもの元気な声がひびくのでした。
ところが急に、先生がある文を指した時、教室がしんとしてしまったのです。
「たれがこの文を書いたんですか?」
先生が聞きますが、やっぱりたれも答えません。
「たれも書かないのに書かれているのはへんだねえ」
先生がへんに笑って、そのまま次の文を指しますと、また元気な声がひびくのでした。
こんなのがざしき童子です。
それからまたこういうのです。
みんなでなにして遊びたいか、決をとっている時です。
1人3回手をあげることにきまっているのに、数えてみると一票おおいのでした。
「たれかが1回おおくあげたのだぞ」
みんなが云って、たがいにどこで手をあげたか聞きますが、たれも3回しかあげていないのです。
そこでもう一度決をとりなおしてみるのでしたが、やっぱり一票おおいのでした。
「このなかに、ざしき童子がいるらしいぞ」先生が云いました。
そこでみんなはきょろきょろ周りを見るのでしたが、どちらを向いてもやっぱり知った顔なのでした。
こんなのがざしき童子です。
……賢治の話と違って、実際姿を現さないから、今ひとつ(工夫はしたけど……)。
ただ民間伝承を採録したように見えて、やっぱり賢治の方が構成がしっかりしてるんですね。
*1:なんのこっちゃ、という人は、宮沢賢治の「ざしき童子のはなし」http://why.kenji.ne.jp/douwa/36zasiki.htmlを読め。
(ホームは森羅情報サービス:http://why.kenji.ne.jp/index.html)