アイドルマスター(デレステ)の政治的正しさについて。(あと、ガールズインフロンティアすごくいい)

 しばらく前からスマホゲーム「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」をやっています。 
 
 長い。以下「デレステ」とします。
 
 アイドル育成ゲーム「アイドルマスター」シリーズの一作で、ゲームの基本的な内容はリズムゲーム音ゲー)です。
 
 ……しかし、はてなにいると、
「これって要するにギャルゲーでしょ? 未成年女性の性的消費では? ジェンダー的価値観の強化にあたらない? フェミニズムの観点からどうなの?」
 
 ……といったことを自問してしまいます。
 フェミニズムを系統的に勉強したことはないけれど、影響されてはいる私……。
 
 それでも本作が好きなので、その良いところ、それでも問題だと思うところを挙げてみようと思います。
 
*なお、私は「デレステ」以外の作品はアイマスシリーズも他のスマホゲームもほとんど知らないし、本作についてもよく知らないキャラクターとか大勢いるので、トンチンカンなことを書いていたらどうぞ教えてください。

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まだこのくらいのレベル。
*記事中の画像は、断りがない限り全て「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」のものです。
 

良いところ。

 

  • キャラクターがかわいい。

 ……どのキャラクターもかわいい。好感が持てる。
「そのようにデザインされてるんだから当然では?」
 という話なんですけども……。
(そして、それはかえってフェミニズムの人を激昂させそうでもあるのですけど)
 
 でもまあ、本作の魅力としてはそれを第一に挙げざるを得ない。
 
 ちなみにウチの奥さんに一番似てるのは前川みくさんだと思います。ウチの奥さんも語尾がにゃーにゃー言うし(誰も聞いてない)。
 

 個々のキャラクターに、「コミュ」と呼ばれるある程度のストーリーが用意されています。
 
 本作の登場人物は、いずれも大変個性的です。
 元警察官であるとか、腐女子であるとか、女子高生で起業家であるとか、ネグレクトの疑いのある幼児であるとか、ドバイからの経済難民であるとか。
 
 そんな彼女らが一様にアイドルを目指し、ファンを獲得していくわけですが……。
 その過程で、彼女ら一人一人の個性が活かされ、個人的な願いもきちんと成就する、という物語になっています。
 
「『かわいいアイドル』になるために、これまでやってきた空手の道を捨てる必要はない。それはむしろ魅力として活きるのだ」……という、空手家・中野有香の物語とか。
 
 神崎蘭子中二病)と、白坂小梅(ホラー映画大好き)が意気投合するストーリーコミュとか非常に印象的でした。

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一人で物語の世界に浸っている子どもだった蘭子さん。
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すごくよくわかる小梅さん。
非コミュにシンパシーを抱く筆者)
 
*画像はクリックすると拡大されるみたいです。
 
 歌い手に合わせて歌が作られたりする世界なので、歌い手について知らないと、歌詞が部分的に意味不明だったりする例も。*1
 
 あまりにも個性が強くて、「普通」の社会ではやっていけそうもない子たちが、ありのままでちゃんとアイドルとして活躍していく姿を見ていると、
346プロダクションって、発達障害者の支援機関としても優秀なのでは?」
 
 ……なんて言うと、発達障害はこんな甘いものじゃない!」とか叱られるかも知れませんが。
 
 でも、諸星きらりのご両親とか、我が子のデビュー……というか就職が決まった時、すごく喜んだろうし、安心したと思うのですよ……。
(いや、決してそんなキャラクターばかりではありませんけれども。「前職は会社員」「元アナウンサー」とかいう人たちもいるし)
 
 前川みくについても、当初
ネコミミで語尾がにゃーにゃー言うアイドルとか、媚び媚びじゃねえか……」
 と思ったのですが。
 しかし、ストーリーを追っていくと、その「猫アイドル」こそが本人の考えるアイドルの理想型であり、それを貫くために前の事務所を飛び出してきたこと、事務所内でもとりわけファン思いでプロ意識の高いアイドルであることが明らかになってくるというですね……。
 
 ……とはいえ、現実の芸能界が、このような、個人の個性が活かされる幸福な場所なのかどうかについては、わりと強い疑いを抱いてはいます。
 
 というか、現実の労働全体が、そんな幸福なものではないかも知れない。
 しかし、だからこそ……
デレマスというアニメを見て驚いた

アイマス世界では、学生アイドルはちゃんと学校に行き、薬物も枕営業もストーカー被害もない。現実の芸能活動…ひいては労働全般が、アイマスのように心身ともに健康的で自己実現に繋がるものならいいのに、と常々。

2016/06/19 08:41

 
 ちょっと話が逸れますが、イベント曲「Spring Screaming」のMVについて。
 この曲、夜の学校の校庭で3人が踊る……のですけど、よく見ると、完全な深夜ではなく、まだ少し空が明るいのがわかります。
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一番左が龍崎薫
 これたぶん、労働基準法の関係ではないかと思っています。
 この曲を歌う「龍崎薫」は設定上まだ9歳なので、撮影が20時を超えないようにしている、という表現なのではないかと。
 
 ……まあ、昨今では、現実の子役の労働基準の方がユルユルになっているという話ではありますが。働き方改革
労基法は子役を守ってくれない? 児童労働の規制緩和が進行中(今野晴貴) - 個人 - Yahoo!ニュース
 
 あと、細かいけど本作のいいところとして、過去何度かUIの改善があって、その都度確実に使いやすくなっているのはすごいと思います。
 
 ゲームとはいえ、インターフェイスが変わるたびに炎上するどこかのソーシャルブックマークサービスとかどこかの動画サイトとはわけが違う……。
 

良くないところ。

 
 ……まあ、絶賛してきたわけですけど、それでも「これはなあ……」と思うところはあります。
 

  • 女性が受動的である。

シンデレラガールズ」というタイトルの通り、モチーフがシンデレラなのですね。
「普通の女の子が、魔法使いに魔法をかけてもらうことによって変身する」
 という。
「魔法使い」に相当するのが、プレイヤー担当する「プロデューサー」であるわけです。
 どうなんすかねそれ。
 

  • ダサピンク。

 ダサピンクとは、「ピンク色はダサい」という意味ではありません。
「こういうピンク色にしときゃ『カワイー!』とか喜ぶんだろ?」
 というおっさんセンスが生んだデザインがダサい、という話です。
 
 まず特訓アイテムがダサい。

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幼児向けのおもちゃっぽい。
 アイドルの特訓に実際にイヤリングやらガラスの靴やらを何個も消費するはずはないので、あれは何か仮想的な概念のアイコンなんでしょうけど。
 具体物でないならむしろもう少し何とかならなかったのか。
 
 それから、肝心のアイドルも、ノーマルやレアのアイドルは、特訓後の衣装がしばしばダサい。
 具体的な名前を挙げると角が立ちそうなので避けますが、
「クリスマスツリーとか雪だるまとか、仮装大会じゃねえんだぞ!」
「柄も色使いもひでえセンスだな……」
「とりあえずヒラヒラフリフリでリボンがついてりゃいいと思ってない……?」
 とかいうのが多い。
 
こち亀」(なつかしの駄菓子屋講座)に出てきた「リコちゃん(リカちゃんのパチモノ)」を連想させる衣装がしばしばある。決して全員ではないけど。
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ひどいデザインのニセ物と、美麗な「本物」をちゃんと描き分けるプロ漫画家すごい。
*2

 
 とはいえ、同じキャラクターでも、Sレア、SSレアになると衣装デザインは「本物のリカちゃん」並に大幅に洗練されます(しばしば顔のデッサンも大幅に改善される)。
 
 ……あと、未プレイの方に誤解を与えてはいけないので書いておくと、ゲームの仕様上、ノーマルやレアのアイドルの衣装がどんなにダサくても、それでステージに立ったりすることはないので、ダサい衣装を見るのはほんの一時的なものです。まあ割と気分の問題です。
 
 

  • 恋愛主義。

 リアルアイドルの歌をあんまり聴かないので、現実もそうなのかわからないんですが、本作の楽曲は恋の歌がやたら多い。
 次に多いのは、「自分がアイドルであることの喜びと決意」を歌う系。これは明らかにゲーム特有だと思うのですけど。
 
 どちらでもない、と確実に言えるのは、市原仁奈の「みんなのきもち」とか数えるほどではないかと。
 

  • 反恋愛主義。

 かように楽曲では「恋」を前面に押し出しているのですが、ストーリー中では、アイドルの恋愛は注意深く排除されています。
 
 いや……どこぞの事務所のように「恋愛禁止」「彼氏を作ったら丸坊主で謝罪動画」という世界ではなく、ただ単に「恋をしているアイドルがいない」
 
 中にはご丁寧にも
「恋を知らない自分に恋の歌を歌えるのだろうか?」
 と悩む話があったり。

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空手少女、中野有香
 そして、相談に乗る周囲のアイドル達が、そろいもそろって「私も知らないけど……」というスタンス。
 
 いや、別にね?
「今どきの若い子なら、彼氏の一人や二人いるでしょグヘヘ」
 とかそういうことが言いたいんじゃないんですよ?
 
 でも、3ケタ人の若い女性がいて、みんな顔もスタイルも性格もいいのに、誰一人(禁止されてるわけでもないのに)そういう話がないって、軽くホラーだと思うのですが。
 
 いやまあ……理由はよーくわかるのですけどね……。
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結局、「恋はわからないけど、歌を届けたいファンや、仲間や、プロデューサーの事を考えて歌えばいいんだ」という結論に達する中野有香
 

  • 舞い飛ぶハートマーク。

 ゲームシステム寄りの話になりますが、本作では、キャラクターをユニットに加えて「ライブ(リズムゲーム部分)」に参加させると、「親愛度」というポイントが貯まります。
 これが増えると色々強くなる(雑な説明)。
 
 で、これが一定値に達するごとに「親愛度演出」という、簡単なストーリーイベントみたいなものが発生します。
 基本的には、そのアイドルが
「プロデューサー、いつもありがとうございます! 私らしく活躍できるのはプロデューサーのお陰です! これからもよろしくお願いします!」
 みたいなことを言うという。
 

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主力ヒロイン(たぶん)島村卯月さん。
 内容には個人差があって、恋愛感情……とまでは言えない例が多いけど、基本的にはプロデューサーへの信頼や個人的好意が表明されるイベントです。
 
 ……しかし正直、こっちはそこまでその子のことを知らないでやっていたりします。(システム上、コミュが見られるようになるより親愛度が貯まる方が早いことが多い)
 特に、数合わせでユニットに入れただけの子(とにかく5人集めないとライブができない)からそこまで言われると、こっちがいたたまれない気持ちになったり。
 
 それでも、何十人と親愛度演出を見ていると段々慣れてくるのですが、逆に「慣れていいのか?」と思う時もあったり。
 
 ……これ……「親愛度」である必要ありましたかね?
 ライブに出演すると増えるポイントなんだから、「ステージ経験」とかで良かったのでは……。
 それで、アイドルが「自信が付きました! これからもがんばります!」と言うだけで良かったのに……。
 こんなにハートマークが乱れ飛ぶピンクの画面にしなくても……。
 

  • 人物描写が薄い。

「個性的」であることの裏返しでもあるのですが……。
 本作のキャラクターって、何か一つ強烈な「個性」を持たされて、それ以外の人間性が希薄になっている例が少なくないような気がします。
 
 実際に存在する例を挙げると角が立つのでやめておきますが、例えば「納豆が好き」というアイドルがいたとします。
 
 すると、その子は寝ても覚めても納豆の話をしている。
 MCでも納豆の話をするし、前述の親愛度演出でも、自分とプロデューサーの関係を大豆と納豆菌に例える。
 
 現実には、たとえ納豆大好きで納豆メーカーに就職したような人だって、納豆以外の趣味があり、家族があり、納豆と関係ない悩みがあるはずだと思うのですが。
 
 しかし本作では、「納豆好き」という単機能しか与えられておらず、それ以外の、人間としての内面があたかも存在しないかのように描かれるキャラクターがいる。
 
「それしかないのか」という話は、作中、ロード画面の1コマ劇場でも時々ネタにされているくらいです。
 
 いや、決して全員がそうだというのではなく、イベント等で内面が掘り下げられる例もまた多いのですけれども。
 

  • セクハラっぽさ。

 まあ……露出度高い衣装がしばしばあるのは……まあ……多少はやむを得ない? の? かな?
 アイドル衣装が普段着とデザインが違うのは当然ですよね? たぶん。
 
 でも、未成年の堀裕子とか及川雫を、ユニット「セクシーギルティ」に入れてセクシー担当扱いするのはどうなのかと……。
 
 あと、及川雫の特訓後衣装、あれさすがに酷すぎませんかね……。

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実家が酪農家。
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初仕事の衣装がこれ。
 いや、「酪農家の娘で、牛が大好き」って設定があるのはわかりますよ?
 プロデューサーは「これで大丈夫?」って心配するんだけど、本人は全然気にしてない、って描写もある。
 
 でも、「本人が好きでやってる設定だからセクハラじゃない」ってのをあまり押し通すと、作品全体の説得力が落ちる気がするんですよ……。
 あんまり言うとセクシーギルティに「世直し」されてしまうかも知れませんが……。
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あっ、これオレかも。
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キキー、開き直った!?
 

  • かわいい至上主義。

「そのアイドルの個性が活かされる、自己実現の物語であるのが良い点だ」
 ……と書きましたが、実は例外があります。
 
 本作では、
「かわいい系じゃなくて、カッコいい系を目指したい」
 というアイドルが何人かいます。
 
「ロックなアイドル目指してます!」だったり
「サッカー選手のほうが興味あるんだけど……カッコよくプロデュースとかもできるのか?」だったり、
「地元じゃ特攻隊長なんて呼ばれてたがな。アイドルなんて興味ねえっつーの!」だったり。
 
 で、そういう子に無理矢理ヒラヒラした衣装を着せる展開がわりとよくある。
 カワイイハラスメント(カワハラ)とでもいうか。
 
 まあ、上に挙げた3人の場合、いずれも、カワイイ衣装とは別に、カッコいい系の衣装も用意されてたりはするのですけど……。
 
 でも、カワハラを受けてるうちに、
「これもアイドルっぽくて、アリですね……」
「カッコかわいいって言われたんだ。アイドルだから、それでいいのかもな。オレもオールラウンドになってきたっていうか、弱点がなくなってきたっていうか…」
「ああいうピンクだのフリフリしたヤツだのも、ファンは喜んでんだよな」
 とか、程度の差はあれデレが入るのもある種のお約束になっている。
 
 嫌よ嫌よも……ってそれアカンやつなのでは。
 
 一方で、逆の展開、「かわいい系を目指したい子に無理矢理カッコいい系を着せる」……という展開は、私が見た範囲ではないのです。
(もっとも、765プロ菊地真がさんざんそういう目にあっている気もする)
 
 一方の前川さん。 

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ナチュラルボーン。
「女の子なら可愛いに憧れるものであり、その頂点がアイドル」
 という価値観を信じて疑わない人。
 これ……親戚に女の子が生まれたら何の迷いもなくピンクでフリフリしたベビー服を送ってくるタイプだ……。
 

それでも好きなところ。

 
 ……と、読み返すとなんか問題点ばかり挙げてる問題。毎日プレイしてるゲームなのに。
 
 実際のところ、キャラクターとストーリーの魅力に引っ張られてプレイしつつ、内心で色々もやもやしていたのです。
 
 しかし、それだけに衝撃だったのが、「デレステ」3周年記念イベントのために制作された曲「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」でした。

[デレステ MV 3Dリッチ] ガールズ・イン・ザ・フロンティア
 
 なにしろ、本作は前述の通り「シンデレラ」をモチーフにしています。
 なのに歌詞が
 
「お気に入りだったフェアリーテイル なぞるように生きてきたけれど 幸せのそのイメージは 今ではもうホコリかぶりで」
バックパックに希望詰めて 自分の足で歩け! シンデレラ」
「夢は他人に託すな かけがえない権利」
 
 え? 何? エマ・ワトソン監修か何かなのこの歌?
 
 イベント内容としても、
「今まで自分たちは、色々なことに挑戦してきたつもりだけど、それはプロデューサーが用意したハードルを跳んできただけではなかったろうか?」
「これからは、進むべき道を自分で切り拓いていかなければ」
 という話で、これまでのイベントとかをそういう風に総括するの? え? いいの? そこまで言って大丈夫? という感じ。
 
 曲の冒頭~前半部分で、過去のイベント曲の映像やステージを出しておいて
「守るべきは過去じゃない」
 って歌詞もすごいなーと。
 
 ……まあ、そうは言っても、この歌、このイベントの後、ゲーム自体が劇的に変わったわけではありません。
 アイドルが自主的にレッスンに取り組んだりはしないし、プロデューサー……プレイヤーに不満を抱いて事務所を出て行ったりすることもない。
 親愛度演出では相変わらずハートマークが乱れ飛んでいる。
 
 しかし、今後の楽曲とか、イベントとかで、少しずつ変化が出てくるのではないかな……と、期待しています。
 

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でも曲はもらうもの。
 あれだけ「夢はプロデューサーさんからもらうものじゃない」とか言っておいて、やっぱり曲はもらうのかよー。
 765プロは、ひきこもりの千早のために自分たちで作詞したんだぞー。
 

こまごまと問題だと思うところ。

 
 まあ余談です。
 重箱の隅的な話。オチはありません。
 
・20代後半アイドルが年齢でいじられがち

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川島さんは28歳、菜々ちゃんは「永遠の17歳」。
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オバマが大統領になったのが2009年……?
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やめてさしあげろ。
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ライフステージ。
 でも川島瑞樹さん、ゲーム内に登場した時点ですでに28歳だし、しかもサザエさん時空だから引退して女優にもならないじゃないですか……。
 
 
・「お料理、得意なんです!」はいいけれど。
 いや、「趣味は家事」ってのが悪いとは思わないんですよ、全然。
 しかしですよ?
 
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お嫁さんにしたい有名人アワード……。昭和か。
「結婚したい」じゃないですからね。「お嫁さんにしたい」ですからね。
 
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受賞おめでとうパーティー
 しかも周りのアイドルも喜んで祝賀会とか開いてるし。君たち……。
 
 
はてなだと炎上しそうなやつ。
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食べて応援! ウナギ絶滅キャンペーン!
 ちなみに「結局ウナギは買えなかった」ってオチがつくので、これがウナギである必然性は全然ないのでした。
 
 
アメリカだと炎上しそうなやつ。
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ホワイトウォッシュ。
 
 
ちびくろサンボ(父:ジャンボ、母:マンボ)
 
 本作のアイドルは、基本的には姓名が決まってるんですけど、姓がない外国人キャラがいるのちょっと気になるんですよね。
 上のケイトとか、ナターリアとか、ライラとか。
(「宮本フレデリカ」「メアリー・コクラン」「楊菲菲」みたいな人たちもいるので全員ではない)
 
 まあ、
「ライラさんの名前は、ライラ・ビント・アフメド・イブン・アブドゥッラフマーンですよー」
 とか言われても、カタカナ表記だと名前欄に入りきらないですけど……。
 
 それにしても、表記はともかく設定上も姓が決まってなさそうなのがちょっとかわいそうだし、二次創作とかで困るんじゃないかな……?
 
 あと、年齢に比べてアホの子が多いのも女性差別かしら、と思ったのですが、「SideM」(男性アイドルを育成する、女性プレイヤーを意識したゲーム)に出てくる男性アイドルもわりとアホの子が多いっぽいので、これはまあある種の宿命なのかも知れませんね……。
 

余談の余談。

 
私と、最愛の妻である卒論ちゃんの会話。
 
私「……というわけで、デレステというゲームをやってるんですけど」
卒「ほうほう」
私「しかしアイドルマスターシリーズには、『SideM』って、女性向けの作品もあるんですよ。男性アイドルを育てるという」
卒「そんなのあるの!」
私「基本システムはまあだいたい一緒らしいんだけど、違うのは、ほとんどの男性アイドルには『前職』があるってことなんだ」
卒「ほほう!」
私「医者だったり警察官だったり……まあ、デレステにもそういうキャラクターはいるんだけど、SideMの方は『元なんとか』っていうのを前面に押し出してるんだよね」
卒「それはさー、その方が安心だからじゃないの?」
私「安心」
卒「だって、いきなり直接アイドル目指す人とかちょっとやばそうじゃない」
私「うっ」
卒「その点、前職があってアイドルになりました、って話だと、『ああ、何か事情があったんだね』って感じになるじゃない」
私「……確かに、『わけあって、アイドル!』というのが、SideMのキャッチコピーであるらしく……」
卒「でしょー?」
私「それでなんか、実は過去に暗いいきさつを抱えている……みたいな人が多いという噂」
卒「女子はそういうの大好物だからねー。男の人はさー、女の子の過去とか興味なくて、今が明るくてかわいければそれでいいんだろうけどさー」
私「うっ」
卒「といっても、暗い過去を引きずってる男子とかめんどくさいから、『辛い思い出があるんだけど今はそれを乗り越えてやっていて、ふとしたきっかけでそれを話してくれる』みたいなのが女子的には萌えなんだけどさー」
私「それはそれで、他人の人生のオイシイとこどりのようにも思える……」
 

*1:Kawaii make MY day!」の「とりあえずドーナツ?」とか。まあ、キャラクターソングである、と言った方が簡単かも知れないけど。

*2:上の画像は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」61巻「なつかしの駄菓子屋講座」より。ていうかeBookJapanのサイトで一話全部試し読みできます。 こちら葛飾区亀有公園前派出所 61巻 | 秋本治 | 無料まんが・試し読みが豊富!eBookJapan|まんが(漫画)・電子書籍をお得に買うなら、無料で読むならeBookJapan

男女七歳にして。

 最近、両親のアルバムから自分の子どもの頃の写真を見つけてちょっとびっくりしたこと。
 
 自分が小学生だったころの集合写真を見ると、男子と女子が分かれて並んでいるのです。
 
 入学式に始まり、各学年の遠足、修学旅行など、全部。
「向かって右側が女子、左側が男子」とか、「前列で座ってるのが女子、後列で立ってるのが男子」とか。
 
 今、「遠足 集合写真」とかでググると、集合写真を載せてるサイトがたくさん出てきますが(それはそれで心配なんだけど)、そこまで男女をくっきり分けて整列させてるのはほとんどないように思えます。
 
 そういえば、今は名簿も男女混合だけど、当時は違った気がします。
 全然意識したことはなかったけど、時代は変わっていたんだな、と……。
 

ブルゾンちえみの「キャリアウーマン」が、フェミニズムの観点からどうなのか知りたい。

 今さら説明するまでもないと思いますが、「35億」で有名な、お笑いタレント、ブルゾンちえみ氏のコントの話。

 これを初めて見た時、
「これは……笑っていいのか? 政治的に正しいのか?」
 と脳がフリーズしてしまったのを覚えています。
 
 思いつく限り、主な論点は以下のようになるでしょうか。
 

差別にはあたらないと思われる根拠

 
・劇中の「キャリアウーマン」は、明らかに鼻持ちならない人物である。社会的弱者とも言えない。そういう「意識高い系の強者」の滑稽さを笑いものにするのは差別にはあたらない。
・このネタを考えたのは、ブルゾンちえみ氏自身で、氏は女性である。内容としても女性一般をネタにしたものではない。だから、女性差別とは言えない。
・劇中の「キャリアウーマン」は、一人の男性にこだわるべきでないと言っている。これは「女性は一人の男性に尽くすべき」という封建的、父権主義的な価値観に対抗する、女性に自由をもたらす主張である。
 

差別ではないかと思われる根拠

 
・本作は、「効率的な仕事ぶり、充実した生活」を送る女性……「キャリアウーマン」をカリカチュア化している。それは差別にあたるのではないか。
・あたかも、キャリアウーマンは意識高い系で「男はガムと同じ」と言い放つような人物だ……というかのような表現は、誤ったステロタイプではないか。
・仮に、本作の「キャリアウーマン」の恋愛観が、女性の望ましい姿であるとするなら、それをネタとして笑うことはやはり差別的ではないか。
・本作は、多数の男性を含む審査員・視聴者受けを狙って制作されたものである。だから、作者であるブルゾンちえみ氏が女性であることは、内容が差別的でないことの根拠にならない。
 
 個人的には「差別なのでは」に傾いているのですが、好意的な意見もあるのですよね。

キャリアウーマンになれば、交際相手に記号的価値や経済的な利用価値を男性に求めなくて済む。そうなれば、恋愛における自由度が増す。
(略)
ブルゾンちえみ演じるようなキャリアウーマンが増えれば、経済的に不安のある若年男性にとって、女性からの「男性の経済的能力を値踏みする視線」から解放されることになる。

「ブルゾンちえみ」が気になる理由をまじめに考えてみた | GLOBIS 知見録

 つまり、ブルゾンちえみ氏の演じるような女性像は、男女双方にとって理想的なものであり、それゆえに受けたのだ、と。
 
 ううむ。
 
 思うに、女性が、一部の「意識高い系キャリアウーマン」を指して
「ああいう女ヤだよねえ」
 って笑ってる分には、差別にあたらないと思うのですよ。
 
 一方、男性が
「そうそう、キャリアウーマンってこういうおかしな連中ばっかりだよな」
 って笑ったら、それは差別になってしまう。
 
 では本作は、誰が誰をネタにしているのか?
 女性が一部のおかしな女性を笑う構図なのか?
 男性が働く女性一般を笑っている構図なのか?
 フェミニストの人たちはどう考えているのか?
 
 そのあたりを考えてずっと困惑しているのです。
 
 まあ、なにぶんフェミニズムにも様々な立場があるそうなので、これときまった答えはないのだと思いますが。
 それでも、フェミニストの立場からはあれはどのように解釈されるのかな、と、気になっています。
 
 ……余談ながら、このコントの存在を私に教えてくれたのは、自らも働く女性であるところの最愛の妻でですね。
「これ面白くない?」
 とスマホを見せてくれたものの、画面を凝視して硬直してしまった私を見てこれまた困惑、という。
 

魅力的であることと性的であること。

 なんか、キズナアイ周辺が一部で炎上してるようですけど……。
 
 キズナアイのデザインがどうか、といったら、そりゃまあ、あんなヘソの見える服でそこらをうろうろしないだろうな、とは思います。女の先生があの服で授業したら保護者大顰蹙でしょう。
 でも、「女性が時にはああいったファッションを選ぶ自由があっても良いのでは」という女性の意見があるのもわかる。
 そこへ「そういう服を着ているのは男を誘っているのと同じだ」とか言うべきではない。
 アイドルの衣装、と考えれば、ああいう服でテレビに出る人だっているし、それを魅力的だと考える人は女性にもいるでしょう。
 
 さて、そこへ、判断基準として「魅力的に見えるのは良いが性的に見えるデザインはNGなのだ」……と言うのは簡単です。
 でも、それって実際どこまで切り分けられるものなんでしょう、というのがこの記事の趣旨です。
 
 例えば人間は、(男女問わず)より左右対称に近い顔を「美形だ」と感じますが、一説にはそれは、体が左右対称に近いのは遺伝的な異常がないことを示すからだとか。
 言い換えると、「この人の顔はきれいだなあ」と思った時点で、潜在的には、相手を子孫を残すための相手として評価していることになる。
 きれいな顔、というのはもうそれだけで性的なのです。ある意味では。
 
 より直接的には、「男性は排卵期の女性をより魅力的だと感じる傾向にある」という研究もあります。(https://shigotonadeshiko.jp/157170
 その時期の女性は、瞳孔が広がり、肌のつやが良くなるんだとか。(同時に、その時期の女性は「美形」に……遺伝的な異常の少なそうな相手に引きつけられやすくなるのだとか)
 
 言い換えれば、綺麗な肌は「自分は元気な子どもを生めますよ」というサインを体が発しているとも言える。
 その肌を持ってる本人には全くその意図はないとしても。
 
 人間の美意識は、文化的な影響も大きいとはいえ、進化の過程で獲得してしまった本能も多分に含まれています。
 私たちの文明にとってはまったく不合理な話ですが、他人を美しいと思うこと、自分を美しく見せることを、性的な含意と切り離すことはおそらく不可能だと思うのです。
 
 そう感じるのがダメだ、左右対称の顔を、つやのある肌を美しいと感じるのは性的なまなざしであり差別だ……と言っても、それは人間には難しいことだと思います。
 逆に、「女性が肌の手入れをするのは男性に性的なアピールをするためだ」などと評するのも理不尽な話でしょう。
 そういう批判は、事実上、相手が人間という生き物であることを批判しているも同然になってしまう。
 
 キズナアイに話を戻すと、なるほどキズナアイは「魅力的」にデザインされているかも知れない。
 ヘソも腋も太ももも見えています。
 おまけに前髪以外は完全に左右対称の顔をしているし(ポリゴンモデルだから)、瞳孔は大きいし肌はシミひとつない(テクスチャだから)。
 つまり潜在的に「性的な」含意がある。
 
 しかしそれが許されない、と言い出してしまうと、究極的には、男も女も、二次元でも三次元でも、みんなブルカをかぶるべき、という話になるのではないでしょうか。
 あれなら無意識に性的なアピールをする怖れはほとんどなくなるから安全。
 
 でも、それが幸福な社会なのか、と言うと……どうなんでしょうね。
 
 繰り返しになりますが、「性的なものに魅力を感じるのは本能だから良いのだ!」などというつもりは全くありません(むしろ我々の本能はしょっちゅう我々に迷惑をかけていると思う)。
 しかしとにかく「人間はそういう不合理なものを抱えている」という事実を認めて、その不合理さにどう対処していくか、どう折り合いをつけるかを考えるべきなのであって、「不合理であること」自体を批判しても解決は不可能なのではないかな、と思います。
 
(余談)
 私は常々、「人間がミミズやカタツムリみたいに(あるいはナメック星人みたいに)雌雄同体の生き物だったら、どんなに話は簡単だったろう」と思ってきたんですけど。
 でも、ナメック星人社会であっても、「魅力的であることと性的な含意をどう切り離すか」という問題は残るのかも知れないですね……。

汎用人工知能と、特化型天然知能。

 最近読んだ本から、人工知能について知ったり考えたりした話。
 
働きたくないイタチと言葉がわかるロボット  人工知能から考える「人と言葉」
働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」
 
 人工知能に言語を学ばせるとはどういうことかについて、音声認識の技術から、言葉の「意味」の理解に関する技術までを概観した本。
 
「自分たちの代わりに働いてくれるロボットが欲しい」
 と考えたイタチ村のイタチたちが、開発の過程で様々な困難に直面し、トラブルを引き起こしていく……というストーリーと、ちょっと詳しいコラムが交互に出てくる、一般向けのやさしい本です。
 
 筆者も断っていますが、筆者の専門である言語理解の話が中心なので、それ以外の部分(ロボット工学的な問題とか)はざっくりしています。
 
 単語の意味をベクトルで表現する手法、なんて話はこの本で初めて知りました。
 
 この本を読んで「そうか、なるほど……」と思ったのは、
「複数の言語を教えると誤認識が増える」
 という話。
 
 古い笑い話があります。
 
 外国人観光客が、日本の農村を訪れて、畑の脇に積んである、収穫したばかりの里芋を検分していると、離れたところで作業していた農家の人が大声でこう言います。
「What time is it now !?」
 それで観光客は今何時か教えるのですが、どうも話がかみ合わない。
 
 というのも、本当は農家の人は「掘った芋いじったな!?」と言っていた……という。
 
 こういう誤認識は、もちろん音声言語だけの話ではありません。
 
 例えば、郵便番号を認識する機械なら、0〜9までの数字だけ知ってれば事足ります。
 汚い字で書かれた番号に、「これは2だろうか3だろうか?」と判断に悩むことはあるでしょうが、まあそれくらいのものでしょう。
 
 しかし、もし、この機械に、平仮名やアルファベットを教えてしまうと、
「これは0なのか? oなのか?」
「3なのか? ろなのか?」
 とか、無意味に迷うことが増えてしまいます。
 
 つまり、機械に教える言語を増やせば増やすほど、認識精度は下がっていく。
 そうしないためには、最初から「日本語しか知らない機械」「英語しか知らない機械」というように、特化させる必要がある……というのです。
 
 だから現状では、例えば
「英語でも中国語でもスワヒリ語でも聞き取って、日本語に翻訳してくれる機械」
 というのは現実的でない、と。
 
 ……で、ここからは完全に本の内容とは離れた想像になってしまうのですが、こういう問題は言語に限らないのであろうなあ、と。
 
 IBMのワトソンを各社の業務に利用するにあたっては、それぞれの業務に適合するよう特化させる必要があるのだそうです。
 医療関係なら医療だけ、金融関係なら金融だけ、というように。
 
 以前は、
「なんでそんな面倒なことをするんだろう? 色々な分野を一つの『ワトソン』に覚えさせて、医療にも金融にも法律にも天文学にも、あらゆる分野に詳しいAIを作ったらいいのに……」
 と思っていたのです。
 
 しかし、なるほど、複数分野を一つのワトソンに学習させると、精度が落ちてしまうのだろうな、と理解しました。
(まあ、学習に使った顧客の情報を外部に漏らさないため、ということもあるのかも知れませんが)
 
 自分としては、様々な学術分野に精通し、それらを組み合わせて新しい知見を生み出すことのできる超AI……というようなものに憧れるのですが、それはまだ先の話なのかも知れません。
 おそらく、いずれ人工知能が政策立案とかに携わるようになっても、
 
建設監督AI「産業政策AIからの通達で、今期のCNT割り当ては削減するって」
宇宙開発AI「はあ!? ただでさえ工期遅れてるのに!?」
建設「その代わり来期は割り当て増やすし、今期もSSTOは優先使用していいそうだ」
宇宙「あンの政治BOTども……! 宇宙開発ってのはタイミングが重要なんですよ! 適切な時期を逃したら、後からどんなに資材増やしても巻き返しがきかないんです! 医療用こそ後回しにしたらいいのに……!」
(この間0.02秒)
 
 とかなんとか、専門分野が違う「特化AI」同士が互いに相手の無理解を嘆くような状況が続くのかも知れない、などと妄想しました。
 
 ……それにしても。
「AIがブームだけれど、それは特化型の人工知能に過ぎず、真のAI……汎用人工知能にはほど遠い」
 なんてよく言われますが、ではそもそも人工「でない」知能、我々自身の知能はどの程度「汎用」なんでしょう。
 
 私たちの中には、日本語を解する人も、英語や中国語、スワヒリ語、フランス語、ブルンゲ語、タイ語、その他もろもろの言語を話す人がおり、中には2つ、3つ、あるいはもっと多くの言語を解する人もいます。
 しかし、それら「全て」を理解している人はおそらくいません。
 
 私たちが日常生活で安定して会話できるのは、要するに、私たちが乏しい数の言語しか知らないからです。
 2つの言語が混在する状況では
「掘った芋いじったな!?」
 が誤って認識されかねないように、もし人々が全ての言語を理解してしまったら、おそらく人類はバベルの塔以来の大変な混乱に陥るのではないでしょうか。
 幸か不幸か、それを実験することは不可能ですが。
 
 同様に、私たち個々人は、それぞれ乏しい分野の知識しか持っていません。
 群盲象を評すの喩えがあるように、人類の知識全体という「象」に対して、私たち一人一人は汎用でもなんでもない、全くの「特化型知能」のように思えます。
 
 まあ、だからと言って、ワトソンが人間と同等の汎用性を持っているか、と言えば全然そうじゃないわけですけれども。
 とはいえ、
「今のAIは汎用知能じゃないから人類は安泰!」
 などと威張っていていいのかな、と思います。
 
 ただ単に人類に優越するだけなら、AIにとって汎用性なんてそれほど必要ないのかも知れません。
 

大阪市の教育統計と全国学力テストの話。

 なんか、大阪市が、全国学力・学習状況調査の結果を、校長・教員の給与に反映させるって言ってるらしいんですけど……。
 
 どう考えてもそれは不正の温床になると思うんですよ……。
 
 もちろん、あのテストは全国一斉に行われるものですから、問題などが外部に漏れないよう、学校に送られてきた用紙は厳重に梱包されています。
 
 しかし、実施するのは普通の教室で、試験監督は教員です。
 つまり、「教師は子どもに答えを教えたりしないだろう」という性善説的な前提の上に立って調査が行われているわけです。
 
 なんで過去10年ほどそれでやってこられたかというと、「成績を水増ししても教師の得にならない」からですね。
 いやまあ、自分が担当するクラスの成績が悪ければ、もちろん担任としてはプライドは傷つくのですが、成績を水増しすると、子どもたちの学力……というか、どんな分野が弱いのか、といった状況を正しく把握することができなくなり、指導に活かせなくなる、ということがあります。
 あのテスト、やるの一日がかりですし、実施学年以外も「テスト中だから授業も静かに。休み時間も騒がないように」とか、学校全体としてそれなりに負担です。
 不正をすれば、テスト結果が資料として無価値になり、その苦労が完全な徒労になってしまう、ということから、まあ公正にやっているわけです。
 
 しかし。
 テスト結果が校長や担任の給与に直結する、となると、事情はだいぶ変わってしまいます。
 なにしろ問題は事前に学校に届いてるわけですし。
 試験監督はだいたい担任ですし。
 
 大阪市の子どもたちをみんな別な会場に集めて、学校職員以外の誰かに試験監督をやらせれば、試験中の不正は防げるかも知れませんけど……。
 でも、この記事「大阪市長「学力テスト発言」が危険である根拠東洋経済オンライン)」で懸念されてるような、
「音楽や体育をつぶして、国語や算数の授業を増やす」
「過去問を宿題にする」
 といったことまでは防げないわけで……。
 
 というか、大阪市の教育が、民間人校長の登用などでかなりおかしなことになっている、というのはもうかなり前からですが。
 統計を見るだけでもすでにかなり不安なところがあって。
(以降の記事は「政府統計ポータルサイト」による)
 
 文科省による調査を見ると、大阪府では校内暴力の発生件数が1000人あたり8.2件。
 全国平均が4.4件ですから、ほぼ2倍です。
 
 一方で、いじめの認知件数は、全国平均では1000人あたり23.9件であるところ、大阪では19.0件と、2割くらい少ない。
 
 つまり、
「大阪の子どもは、暴力は振るうけどいじめ事件は起こさない(少なくとも認知はされない)」
 という現象が起きている。
平成25年には、大阪のいじめは全国平均の1/5くらいだったんですけど、今ではそれほど露骨ではなくなったようです)
 
 まあ……そういう子どもの特性なのかなー、と考えることもできますけど。
 
 また、長期欠席の統計を見てみましょう。
 全国平均では、長期欠席の児童は全体の2.07%です。
 一方大阪では、これが2.75%。
 
 つまり、大阪では、小中学生が長期欠席になる率が高い。
 
 ところが、大阪ではそのうち「不登校」とされているのは全体の56%弱で、全国平均の64%より低いのです。
 
 じゃあ何が多いのかというと「病欠」。
 全国では「病欠による長期欠席」は20.6%ですが、大阪ではこれが28.4%と高い。
 
 まとめると、
「大阪の子どもは、他所の子どもよりも長期欠席する率が高い。ただし不登校は全国平均より少なく、病気がやたら多い」
 ということになります。
 
 ……いや……これはさあ……。
 なんか現場に圧力かかってるんじゃないの? と思うんですけど。
 
 すでにこういうことが起きている……疑いがあるわけです。
 
 現場に不用意な圧力をかけると統計が改竄されて適切な政策決定ができなくなる、というのは、かつてソ連が歩み、あるいは日本が「働き方改革」で歩みつつある道なわけですが、大阪の教育もそれに追随しようというのかなあ、と感じます。
 
 ……ていうか、そもそも全国学力・学習状況調査って、時の文科省中山成彬氏が
「日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったのでそれを証明しようと思った」
 と言ってて、調査の結果全然関係ないことがわかったわけなので、無駄金使うのはとっととやめたらいいんじゃないかと思うんですけどね……。 
 

星の王子さまとファシズム。

星の王子さま」に登場するバオバブが、ファシズムの比喩である、という解釈があるのを最近知りました。

ネット上では多くの「星の王子さま」読者が指摘しているように、第二次世界大戦中に発表された同作中でバオバブは「星を壊す」ファシズムの象徴として描かれています。
 
「自称プラントハンターによる「星の王子さま バオバブの苗木」、大炎上により販売中止に」より

https://buzzap.jp/news/20180811-le-petit-prince-baobab2/

 でも、私はファシズム説には懐疑的です。
 
 まず、「バオバブファシズムである説」の根拠を挙げてみましょう。
 
・作者、サン・テグジュペリは、第二次大戦で自由フランス軍の一員として戦った、反ファシズムの闘士である。
・この物語は、「子どもの頃のレオン・ヴェルト」に捧げられている。レオン・ヴェルトは作者の友人で、ユダヤ人であるために当時フランスで身を潜めていた人物である。
・作中、抜くのを怠ったバオバブに占領されてしまった星、で描かれる「3本のバオバブ」は、日独伊の枢軸3ヶ国を表している。

 
 ……つまり作者が言う
「早いうちに芽を摘まないと惑星全体にはびこり、星を破裂させてしまう」
「子どもたちに声を大にして危険を伝えたい」
 バオバブとは、すなわちファシズムのことである……という解釈です。
 
 なるほど魅力的な解釈だとは思うんですけどね……。
 
 でも、私は違う気がします。
 
 理由を幾つか挙げます。
 
1・ファシズムにしては扱いが軽すぎる。
 
 読めばわかりますが、バオバブの話って、「星の王子さま」の最初の方でちょっと登場するだけのエピソードなんですよ。
 
 王子さまは毎朝自分の星を見回るのが日課で、それはおそろしいバオバブの芽が出ていないかを確かめるためでした。
 で、ある時、見慣れない植物が芽を出しているのを見つけました。
 新種のバオバブかもしれない、と思って注意深く見守っていた王子さまは、そこからすばらしく美しい花が咲くのを目の当たりにしたのです……というような話。
 このバラの花こそ、王子さまにとって唯一無二の、愛する相手になるんですけど。
 
 つまり、バオバブは、バラと出会った理由づけに過ぎないのです。
 
 作者は、フランスがナチと講和した後、なおアメリカに亡命してナチと戦った(そして命を落とした)人物です。
 なるほど、反ファシズムの闘士なのは確かでしょう。
 
 だから逆に言って、もし作者が本当にファシズムを意識して書いたなら、バオバブはもっと重要な役割を果たしてなきゃおかしいと思います。
 何しろ、本作のメインテーマは「愛とは何か」であり、バオバブはほとんど物語に出てこないわけですから。
 
2・ファシズムを扱いたいなら他に出すところがある。
 
 第10章からの、王子さまが色々な星を巡り、色々な「大人たち」に出会うところ。
 もし本当に作者があの作品でファシズムを扱いたかったなら、あそこにファシストが……「指導者」とか「将軍」とか「主席」とか「統領」とか「総統」とかそういう名前で……登場してしかるべきだと思います。
 あるいは、ファシストに盲従する大衆が。
 
 しかし実際には、あの一連の話にファシストの「大人」は登場しません。
 「王様」は登場しますが、彼はファシズム的な人物ではありません。
 なにしろ地の文で「とても善良な人」と明記されてるくらいです。
 王子さまから見るとおかしな人ではありますが、他人に無理な命令は出さないのがモットーなわけですから。
 
 実のところ、あの作品でもっともファシズムに近いのは、点灯夫だと思います。
 自転周期が変わって自分の休息時間がなくなったにもかかわらず、「毎日一回ガス灯を点灯・消灯せよ」という指示にひたすら従い続けているわけですから。
 でも彼は、作中で最も好意的に描かれている大人ですからね……。
 
3・バオバブは我々にとって危険な木ではない。
 
 言うまでもなく、バオバブはアフリカには自生していて、特に危険なものではありません。
 作者は、それをアフリカで見たことがあるわけです。
 
 作者は「子どもたち、バオバブに気をつけろ!」と書いていますが、それはあくまで「将来子どもたちが旅に出て、小惑星に迷い込んだら危険だから」と書いています。
 地球ではバオバブは危険ではないのです。
 
 それがファシズムの象徴である、とするのはおかしいでしょう。
 もし本当にファシズムの象徴として何かを描くなら、まだ地球には普遍的でない何か……未知の病原体だかトリフィドだか、そんなようなものとして描いたのではないかと思います。

「Giant Kudzuがいったんはびこってしまったら、それを根絶するのは難しいんだ。
 奴らは逆に、自分たちを邪魔するものをみんな絞め殺し、追い出してしまう」
「子どもたち、Giant Kudzuに気をつけるんだ!」
 ……こういう話ならまあ「ファシズムの象徴」と言っても差し支えないと思うんですけどね。(イルミナティカードが予言だとか陰謀だとかいう妄説に与するわけではありません。念のため)
 
 ブコメ引用。
自称プラントハンターによる「星の王子さま バオバブの苗木」、大炎上により販売中止に | BUZZAP!(バザップ!)

ところで自分がバオバブに親しんだアフリカ人だったら星の王子さま読んで怒る自信がある。

2018/08/12 10:20
 もし本当に「バオバブファシズム」という意図だったら、それはある種のバオバブ差別ですわな……。
 

とはいえ。

 もちろん、バオバブファシズムの隠喩でないとしても、ああいうバオバブの売り方が望ましいとは思いません。
 
 そもそもバオバブって(ネットで調べた限りでは)夏場は日当たりの良い外に出してやらねばならない一方、冬は気温が5度以下になると枯れてしまうという、観葉植物として気軽に育てるにはちょっとハードルの高い植物だと思います。
 ガーデニングだか盆栽だかの経験がある人が買うならともかく、経験のない人に気軽にバンバン売るのは、「ファインディング・ニモ」需要で売れたカクレクマノミとか、「ハリー・ポッター」で売れたフクロウの仔みたいに、かわいそうな末路を辿ることになると思います。
 
 ……でも、あの「プラントハンター」の人って、「世界一のクリスマスツリー」の時には、富山の山中に生えていた樹齢150年のあすなろの木をはるばる神戸まで植え替えたあげく、イベント終了後はバラしてバングルとして売りさばいたわけですからね……。
 キャッチコピーは「輝け、いのちの樹」。
 NHKスペシャルに出てた時は、「植物の生態を把握して、最適な環境で育てるよう配慮するプロ」みたいな扱いだったけど、実のところ植物を延命することにはあんまり興味がないのかも知れない。
 
 あとさあ、あの「小さなバオバブは旅に出た」で始まる中学生のポエムみたいな文章、あれまさか「星の王子さま」をイメージしてるわけじゃないですよね?
 どう考えても文体が別物なんですけど。
 

ところで。個人的な感想文。

 私、「星の王子さま」が児童文学だとはあんまり思えないんですよね……。
 
 私自身は小学生の時に初めて本作を読んだんですが、正直言ってよく意味がわからなかった。
 
 言葉の意味が難しいとかではなくて、
「なんでこんなに子どもを持ち上げるんだろう? そして大人を悪く言うんだろう?」
 というのが理解できなかったのです。
 
 あの「大蛇のスケッチ」、小学生の私だって「あー、これは帽子にしか見えないね」と思いましたもの。

 作者もその辺は巧妙で、
「大人たちに見せても、みんな『それは帽子だ』と言う」
 ……とは書いていますが、
「子どもに見せると『大蛇だ!』と言う」
 とは書いてないんですよね。
 
 だから、あれを一目見て「大蛇だ」と見抜いた唯一の人である王子さまは、感性が子どもなのではなくて、何か特殊能力を持った人なのだろう、としか思えませんでした。
 絵に描いた箱の中にヤギが見えることも含めて。
 
 そして、王子さまは、「王様」やら「のんべえ」やらに出会うたび、「大人っておかしいなあ」と言うわけですが、なにしろサンプルが偏っている。
 少数のサンプルで大人全体について語るのは差別であり政治的に正しくないと思います。
 
 ……というのは冗談にしても、何しろ子どものころの私が知っている「大人」と言えば、まず両親であり、それから先生です。
 
 どの人も王様ではないし、ビジネスマンでもないし(父は公務員なので)、地理学者でも点灯夫でもなく、ありがたいことにアル中でもなく、うぬぼれ屋でも(たぶん)なかったのです。
 だから王子さまが「大人って……」と言うたびに、「えー?」って感じでした。
 
 中学生になって再読して、ようやく作者の言わんとすることがわかったのですが、それによって
「ああ、自分はもう純粋な『子ども』ではなくなったんだなあ……」
 というささやかな悲しみを覚えました。
 
 あの本で書かれている「子ども」というのは実際の子どもではなく、大人が懐かしむ、センチメンタリズムとしての「子ども」なんですよね。
 そこに共感できる人間はもう子どもではない。
 
 だから私は、「人間はいつ大人になるのか」と問われたら、「『星の王子さま』が理解できるようになったら大人」と答えることにしています。