魅力的であることと性的であること。

 なんか、キズナアイ周辺が一部で炎上してるようですけど……。
 
 キズナアイのデザインがどうか、といったら、そりゃまあ、あんなヘソの見える服でそこらをうろうろしないだろうな、とは思います。女の先生があの服で授業したら保護者大顰蹙でしょう。
 でも、「女性が時にはああいったファッションを選ぶ自由があっても良いのでは」という女性の意見があるのもわかる。
 そこへ「そういう服を着ているのは男を誘っているのと同じだ」とか言うべきではない。
 アイドルの衣装、と考えれば、ああいう服でテレビに出る人だっているし、それを魅力的だと考える人は女性にもいるでしょう。
 
 さて、そこへ、判断基準として「魅力的に見えるのは良いが性的に見えるデザインはNGなのだ」……と言うのは簡単です。
 でも、それって実際どこまで切り分けられるものなんでしょう、というのがこの記事の趣旨です。
 
 例えば人間は、(男女問わず)より左右対称に近い顔を「美形だ」と感じますが、一説にはそれは、体が左右対称に近いのは遺伝的な異常がないことを示すからだとか。
 言い換えると、「この人の顔はきれいだなあ」と思った時点で、潜在的には、相手を子孫を残すための相手として評価していることになる。
 きれいな顔、というのはもうそれだけで性的なのです。ある意味では。
 
 より直接的には、「男性は排卵期の女性をより魅力的だと感じる傾向にある」という研究もあります。(https://shigotonadeshiko.jp/157170
 その時期の女性は、瞳孔が広がり、肌のつやが良くなるんだとか。(同時に、その時期の女性は「美形」に……遺伝的な異常の少なそうな相手に引きつけられやすくなるのだとか)
 
 言い換えれば、綺麗な肌は「自分は元気な子どもを生めますよ」というサインを体が発しているとも言える。
 その肌を持ってる本人には全くその意図はないとしても。
 
 人間の美意識は、文化的な影響も大きいとはいえ、進化の過程で獲得してしまった本能も多分に含まれています。
 私たちの文明にとってはまったく不合理な話ですが、他人を美しいと思うこと、自分を美しく見せることを、性的な含意と切り離すことはおそらく不可能だと思うのです。
 
 そう感じるのがダメだ、左右対称の顔を、つやのある肌を美しいと感じるのは性的なまなざしであり差別だ……と言っても、それは人間には難しいことだと思います。
 逆に、「女性が肌の手入れをするのは男性に性的なアピールをするためだ」などと評するのも理不尽な話でしょう。
 そういう批判は、事実上、相手が人間という生き物であることを批判しているも同然になってしまう。
 
 キズナアイに話を戻すと、なるほどキズナアイは「魅力的」にデザインされているかも知れない。
 ヘソも腋も太ももも見えています。
 おまけに前髪以外は完全に左右対称の顔をしているし(ポリゴンモデルだから)、瞳孔は大きいし肌はシミひとつない(テクスチャだから)。
 つまり潜在的に「性的な」含意がある。
 
 しかしそれが許されない、と言い出してしまうと、究極的には、男も女も、二次元でも三次元でも、みんなブルカをかぶるべき、という話になるのではないでしょうか。
 あれなら無意識に性的なアピールをする怖れはほとんどなくなるから安全。
 
 でも、それが幸福な社会なのか、と言うと……どうなんでしょうね。
 
 繰り返しになりますが、「性的なものに魅力を感じるのは本能だから良いのだ!」などというつもりは全くありません(むしろ我々の本能はしょっちゅう我々に迷惑をかけていると思う)。
 しかしとにかく「人間はそういう不合理なものを抱えている」という事実を認めて、その不合理さにどう対処していくか、どう折り合いをつけるかを考えるべきなのであって、「不合理であること」自体を批判しても解決は不可能なのではないかな、と思います。
 
(余談)
 私は常々、「人間がミミズやカタツムリみたいに(あるいはナメック星人みたいに)雌雄同体の生き物だったら、どんなに話は簡単だったろう」と思ってきたんですけど。
 でも、ナメック星人社会であっても、「魅力的であることと性的な含意をどう切り離すか」という問題は残るのかも知れないですね……。