クラスに不登校の子がいるのは、担任が悪いのではないと思います。
……いや少なくとも、そういうケースが多いと思います。
少なくとも私は、今まで「この子の不登校は担任に問題があるせいだな」って感じるケースを見たことがないです。
……自分が担任したのを除けば。
私も、今まで担任していて、クラスに不登校の子がいたことがあります。
確か4回。
いずれも、前年度までは学校に来ていたのに、私が担任になってから休むようになってしまったケース。
辛い。
「学級で起きるあらゆる物事は、間接的には全て学級担任の責任である」
というのは、学校における支配的な見解です。
だから辛かった。
4回のうち1回は、児童指導主任や教務主任の手厚いサポートの元、なんとか保健室登校まではこぎつけることができましたが、あとはダメだった……。
色々手を尽くしたけど、うまくいかないどころか、登校渋りから不登校へずるずる悪化していく中、
「一体どうすればいいんだ?」
「自分の何が悪いんだ?」
……と悩む日々でした。
悩んでも解決しなかったし。
だから、クラスに不登校の子がいる担任の先生は、同じようにお悩みなのではないかな、と思います。
しかし最近、担任が自分を責める必要はないのではないか、と思うようになりました。
そう思うきっかけになったのは、コロナ期間中でした。
ケース1 ある低中学年児童(たち)の話。
当時、本校では、コロナ対策として、朝、職員が校舎の昇降口に立ち、登校してくる子ども達の手を一人ずつアルコール消毒していました。
(科学的にはあんまり意味がないのでは……と当時も思ってたけど、そういう「対応策」に取り組ませるのが好きな校長だった)
すると、登校してくる子どもたち……色々な学年・学級の子どもたちの、朝の様子が見えてくるわけです。
大多数の子が7:40~7:50くらいに登校してくる中、8時ギリギリ……中には8時過ぎになって、母親(稀に父親)に連れられて登校してくる子がいます。
連れられて……というか、引きずられて来るのです。
「や~~~~だ~~~~~!!! いや~~~~だ~~~~~!!!! 学校行かないぃっ!!!!!」
とか泣き喚きながら。
(車で送られてくるけど車から降りない、というパターンもある)
こちらは
「はーい○○ちゃんおはよう! よく来たねえ、えらいえらい!」
とかニコニコしながらその子を引き取り、お母さんに
「ありがとうございました、お預かりします」
と笑顔でごあいさつしつつ、内線電話で担任に連絡して、昇降口まで迎えにきてもらいます。
(ちなみにこういう時、お母さんはすぐ立ち去って欲しいです。お子さんのことが気になるのはわかるけど、お母さんが見えてる限りその子は泣いてるので)
で、迎えに来て
「あーら○○ちゃんおはよう! よく来たねえ、お靴自分で履き替えられる? 今日はねえ、体育でみんなで鬼ごっこやるよー」
……とか優しく話しかけてる担任を見ると、優れた指導力と暖かな人柄で、保護者からも同僚からも子ども達からも慕われてる、生き菩薩のようなベテラン先生(学年主任)だったりするのです。
「あの先生のクラスですら不登校の子がいるのか……」
「あの先生に担任してもらって何が不満なんだ……?」
コロナ時代、そういう事例を何件も目にしたのが、「不登校は担任悪くない、かも知れない」と思うようになったきっかけでした。
まあ、こういう子の場合、
「朝はぐずるけど、いったん登校しちゃえば後は元気」
ということもよくあります。
(一方で、「登校したら元気だからといって担任は安心してはいけない」という警句もある)
あと、朝は
「学校行きたくないぃ~~~!」
と叫んで教室まで引きずられ、下校時は
「おうち帰りたくないぃ~~~!」
と叫んで教室から引きずり出される子もいます。
とにかく環境の変化が嫌なのかも知れない。
ケース2 ある5年生児童の話。
(以下の話は複数のケースを混ぜています。……複数回見たんですよこういうの)
学級担任の指導力が足りず、ほぼ学級崩壊に至ってしまったクラスがありました。
崩壊の中心になった児童(A児とします)は、授業中に立ち歩くやら無関係な話を大声でして授業を妨害するやら、休み時間は他の子にいじわるをするやら。
で、担任がA児のような子を抑えられないと、今度はそれに同調して騒ぐ子が3人、5人……と増えていき、学級は無法地帯になります。
一応座ってはいる子たちも、その多くはまともに学習に参加しておらず、ノートに書けと言われたことは書いてないし、開けと言われた教科書のページは開いてない。
違うページを読んでいたり、好きな本を読んでいたり、落書きしていたり、セロハンテープをぐるぐる巻きにしてボールを作っていたり。
ほんの数人だけがそれでも授業を受けようとしていて、担任の先生はその子たちだけを相手に授業している……みたいな光景でした。
学習指導主任やら教務主任やら教頭やらが入れ替わり立ち替わり授業の支援に入りますが、年度末までその状態が続きました。
(「それ以上の悪化を食い止めた」と言うべきなのかも知れない)
そのクラス、翌年度は、若手ながら力のある先生に担任が交代しました。
「みんな? こうして、みんなが学校に来て、こうやって一緒に勉強する意味って、何だと思うかな」
「こうやって、みんながお互いに教え合い、高め合って、素晴らしいクラスにしていけたらいいと先生は思います」
「みんな、Bさんのノート見て! とても素晴らしいことが書いてあるよ!」
「こうやって、さっと行動できる人がいるのが、このクラスの素晴らしいところだなあ、と先生は思います」
……こういう暑苦しいの、はてなには嫌いな人多そう。
私も自分でできる自信はない。……でも実際に有効なんですよね……これが。
(だからこういうのが苦手なのが私の弱さだと思う)
で、そういう指導を地道に積み重ねていった結果、問題のクラスは少しずつ落ち着いていきました。
「あっ……僕がちゃんとやってるのを、先生は見ててくれるんだ」
「がんばったら先生はほめてくれるんだ」
「がんばってる人もいるんだな……」
「友達が感心してくれた!」
「子どもはわかりたいと思っている」
というのは、学校でよく聞く言い回しですが、まさにそんな感じで、少しずつ学級はまとまり、学びに向かう集団になっていったのです。
で、そしたらA児が不登校になってしまった。
居心地が悪くなったから。
……いや、親が病院に連れて行って、「起立性調節障害」という診断をもらってきたんですよ。
でも、
「去年あんだけ朝から騒いでたのに、何が起立性調節障害だよ……」
というのが、昨年度から見ていた先生たちの正直な気持ち。
もちろん、担任はA児が学校に戻ってこられるように色々手を尽くましたが、結局登校できないまま卒業式を迎えてしまいました。
学校には来ない一方、前からやっていたサッカーのクラブチームには行ってたらしいんですけども。
というのも、同じクラスの子が
「あいつ、学校来ないのにサッカーは行ってるんですよ」
って言ってたから。
……どうも、クラブチームでそういう目で見られるのが嫌だったらしく、そのうちサッカーにも行かなくなってしまったようです。
いじめ・不登校対策の一つとして、「家と学校以外にも居場所を作るのが大切だ」というアドバイスがあり、それは一般的には非常に正しいと思うのですけど……。
まあ……「学校と完全に無縁な『居場所』であることが大切だ」という話なのかも知れない。
風の噂によると、A児は中学校にも行けてないらしいです。
もちろん、教師と教え子の関係ですから、これは「ざまあみろ」などという話では全然ありません。
教育を受けられない子どもがいるのは社会の損失であり、本人にとって不幸なことです。
(繰り返しますが、担任の先生は手を尽くしました)
ただ、じゃあ担任が「悪かった」のか? と言えば、決してそんなことはないと思うのですよね。
崩壊した学級を建て直すのって、本当に優れた指導力がなければできないことです。
例えるなら、まともな学級をまともなまま維持するのは、通常の地方行政。
崩壊したクラスを立て直すのは、失敗国家の地域安定化ミッションみたいなものです。
あえて誰が「悪かった」のか、と言えば、前担任の指導力が充分でなかったことか……あるいは、それをサポートしきれなかった学校の責任なのかも知れない。
もちろん、不登校の子が学校に戻れるように働きかけるのが誰の仕事か、と言えば、それは担任です。
それは責任を持って尽力しなければなりません。
でも、担任の先生が「私の何が悪かったんだろう」と、自分を責める必要はないんじゃないかな、と思います。
例えば、学校で子どもが急に熱を出したら、保健室に連れて行ったり家に連絡したり、必要な対応をするのは担任の「責任」ですけれど。
でも、「私の何が悪くて熱を出してしまったんだろう」とか自分を責める必要はないわけで。
それと同じではないかな、と思います。
………………いやまあ、私のクラスの子が不登校になってしまったのは、やっぱり私の指導力が足りないせいかも知れませんけど……。(堂々巡り)
……ちなみに、想像できるでしょうけど、A児のご両親は、A児が不登校になったのは担任のせいだと言ってました。
「去年はちゃんと学校に行けてたのに、今年こんなことになったのは担任が悪いからだ」
って。
難しいものですね。