リンゴとミカンという2種類の果物があります。*1
一般的に言って、リンゴとミカンには色々な違いがあります。*2
しかし、そのような相違点は決して両者の優劣を決めるものではありません。
リンゴとミカンは本質的に平等であり、両者に上下はない、ということには、どなたも同意されると思います……理念としては。
しかしこの理念が、現実には機能していない……というのが、近年の問題なのは、よく知られたことだと思います。
初期の議論のまとめ
リンゴ・ミカンの間に差別が存在している、として、両者が待遇の是正、平等な取り扱いを求めるようになったのは、比較的近年……日本においては、国産リンゴの生産が広まった明治以降のことです。
このような、リンゴ・ミカンの訴えに対して、かつては、市場経済の下、対等な条件で販売すれば平等が実現されるだろう……というプリミティブな主張が支配的でした。
しかし、第二次大戦やバブル崩壊を経た現在、作付面積・出荷量ともに、リンゴはミカンより少なくなってしまっているのが現実です。(農水省資料:http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_kazyu/index.html#r)
結局のところ、競争は常に格差の拡大を招くのであり、「競争によって平等な取り扱いが実現される」などというのは、市場原理主義者のマッチョイズムに過ぎなかったわけです。
そこで、この問題を解決するためには、取扱量が平等になるような政府補助……アファーマティブ・アクションの導入が必要だ、というのが、リンゴ側の主張です。
一方のミカン側は、リンゴがアップルパイ・リンゴジャムなどの形で幅広く用いられているのに比べ、ミカンは活躍の場が限られている、と指摘し、特に製菓材料分野での採用拡大と、そのための啓発活動の充実を訴えています。
ひるがえってリンゴ側は、「こたつにミカン」に象徴されるような、「人間に身近な果物」としての扱いがリンゴにもなされるべきだ、と唱えています。
現在の状況
このようにして、リンゴ・ミカンが平等に扱われる社会を目指す取り組みがようやく始まったのですが、様々な困難も表面化しています。
リンゴ側においては、「平等な取り扱い」とは、出荷重量を規準とするのか販売額を規準とするのか、それとも作付面積か、という議論があり、意見が分かれています。
さらに、
「出荷重量で比べるのは良いが、より厳密に、可食部分の重量で比較すべき」
「販売額で比較する場合、補助金で価格が下がる分はどう扱うのか」
「重量当たり価格が安いのは望ましいことなのか」
等々、りんご内にも様々な主張があり、意見はまとまっていません。
また、
「リンゴはミカンに比べ輸入量が多い。輸入リンゴを計算に入れるとミカンより少ないとは言えないのではないか」
という指摘に対する
「中国産をリンゴに含めるべきではない」
というコメントが、排外主義的だとして炎上した事件も記憶に新しいところです。
同様にミカン側でも、
「ママレードはむしろリンゴジャムより一般的なのでは」
「オレンジはみかんと違う」
というやりとりが、オレンジ差別だとして批判の対象になっています。
また、「こたつにリンゴ」運動では、ノーマライゼーションの観点から、手軽にリンゴの皮をむいて芯をくりぬくことのできるリンゴ皮むき器が開発されましたが、コスト等の問題で普及は進んでいません。
さらに、
「鏡餅の上に乗せるのがみかんだけなのは差別」
「あれは橙では」
「橙はみかんの仲間ではないというのか」
「普通サイズの鏡餅にリンゴを乗せたら見た目のバランスが悪い」
「外見で差別するのか」
「和リンゴでよいのでは」
「そもそも国産リンゴというなら和リンゴであるべき」
といった、宗教上のシンボルをどう扱うか、といった議論も存在しています。
まとめ
以上のように、何をもって「平等な取り扱い」と見なし、それをいかに実現していくか……という点で、コンセンサスが得られていないのが、リンゴ・ミカン問題の現状です。
しかし、私たちは忘れてはいけません。
リンゴとミカンは本質的に平等だということを。