疑似科学の危険を語る時、しばしば例に挙げられるのは、政治権力によって科学的事実が曲げられる話です。
古くは天動説がそうでした。
教会は、
「人類は宇宙の中心であるはずだ。そうであるべきだ」
と考え、「そうじゃないかも」と主張する学者を弾圧しました。
しかし、宗教的イデオロギーによって事実を曲げることはできませんでした。
その後も、様々な政府が、
「ドイツ民族は世界で最も優れた民族であるはずだ」
「個人の努力は子どもに遺伝するはずだ」
など、様々なイデオロギーによって「事実」を曲げようとしましたが、結局は、自らとその周囲に無用の悲劇を巻き起こしただけに終わりました。
上の例を聞いた私たちは、
「そんなのイデオロギーの方が間違ってるに決まってるじゃん」
と思えますが、それは私たちが現代に生きているからです。
現代の例だとなかなか難しくなります。
例えば、南アフリカ共和国では、1990年代後半からゼロ年代にかけて、
「HIVウイルスはエイズの原因ではない」
「ビタミンを補給すればエイズは治る」
という説を政府が採用しました。
これによって、エイズ対策が著しく阻害され、実に妊婦の30%前後がHIVに感染しているという惨事となりました。
まったくの失政と言うべきでしょうが、その背景には、大統領らの
「黒人の性行動がエイズ=HIV感染を招いているというのは人種差別だ」
という認識があったといいます。
http://transact.seesaa.net/article/367983899.html
……そうですね。差別はよくないですね。
公の場で「南アフリカの黒人にはエイズが多い」と口にしたらそれは差別発言かもですね。
でも……。
あるいは、2008年、三笠フーズの事故米転売事件を覚えておいででしょうか。
同社が、カビに汚染された事故米を「工業用」として仕入れ、カビを除いた上で食用として転売していた事件です。
むろんこれは法令違反であり許されるものではありません。
(この事件で同社は倒産しました)
ところで、当時、内科医であるNATROM氏が
「事故米のアフラトキシンでどのくらい肝癌患者が増えるのか」
をブログで試算して。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080910
当時、その記事を猛烈に怒って批判する人がいました。
試算の結果が、「最大限大きく見積もって、年に0.0018人」だったからです。
(つまり、三笠フーズが100年間事故米を売り続けたら、肝がん患者が0.18人増える計算)
被害が少ないと聞いて
「ああ、癌になる人は少ないんだ、良かった」
と安堵するのではなく、
「もっと多いはずだ! お前は三笠フーズを、農水省を擁護するのか!」
と怒る人がいるのです。
お気づきの通り、これは、天動説やアーリア人説やルイセンコ理論と異なり、個人が、「科学的事実はおかしい!」と言い出す例です。
事実を曲げようとするのは権力の側ばかりではないのです……もちろん。
権力者も庶民も人間であり、人間は平等ですからね。愚かさにおいても。
三笠フーズの話は2008年ですが、今読み返すと、現在の、
「福島の農産物は危険だ! 危険なはずだ!」
「お前は東電を、政府を擁護するのか!」
に通ずるものを感じます。
いや別に擁護しませんけども。
科学的な事実は、しばしば人間の直感や倫理観に反するものです。
そして、科学が進歩すればするほど、その内容は専門知識なくしては正しく理解することが難しいものになっていき、科学界そのものが、ある種の「権威」のようになっていきます。
国家が不都合な科学的事実を曲げようとすることは今でもあります。おそらくしばしば。
しかし、いわゆる「市民目線」「反権威主義」を標榜する側も、気をつけなければ疑似科学に呑まれてしまうのだと思います。
民主的な社会においては、科学をどう利用するか、科学が人間を幸せにする方向に利用されているか、私たち一人一人に監視する権利があり、責務があります。
しかし、科学的な事実そのものを左右する権利は、誰にもないのです。たとえそれがどんなに気に入らなくても。