なんでそんな話が出てくるのか謎なんですけど、そう思っている人がいるようです。
菊池誠氏について、id:D_Amon氏はこう述べます。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p2
仮にであるが、私がそういう人々*1に「ニセ科学が人を殺すとか言って他者を動かそうとしている以上、そういう貴方は人を殺した似非科学であるところのナチスの優生学を当然批判するよね」と言う場合、そういう人々がナチスの優生学を批判するとも思っていないし、そういう人々をナチス批判に動員しようとしているわけでもない。
そういう人々がナチスの優生学を批判したがらないだろうことを前提として、似非科学批判や「〜が人を殺す」的に一貫性を欠くことを皮肉っているのである。
……個人的にこのくだりはかなり驚きでした。
まあ、菊池氏を「体制派」「ファシスト」「エア御用」として叩きたがる人々については別に記事を書く必要があるかな、と思うのですが、それは一旦置いて、疑似科学批判全般について。
前にも書きましたが、そもそも、疑似科学批判はナチに批判的です。
「疑似科学が社会に蔓延すれば危険」
ということを説明する時、真っ先に(極端な例として)挙げられるのが「ナチスの人種理論」だと思います。*2
例えば、「奇妙な論理」では、“憎悪を煽る人々―人種差別の「科学的」基礎”として、人種差別を「科学的」だ、と主張する人々に一章を割き、前半はナチス、後半はアメリカの黒人差別について述べています。
奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)
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ナチスの人種理論からどれほど恐るべき犯罪が生じたかは、だれでも知っているだろう。
歴史上、これほど巨大な悪事が気狂い科学にこれほど密に結びついていた例はかつてなかった。
あるいは、「ハインズ博士「超科学」をきる」では、超常現象を盲目的に受け入れる態度が社会に広まるとどうなるか、という例として、魔女狩りに続いてナチの例が挙げられています。
ハインズ博士「超科学」をきる―真の科学とニセの科学をわけるもの
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実はまだまだ恐ろしい擬似科学がある。
魔術幻想が原因で死んだ人間をはるかに上まわる犠牲者をだした、二○世紀のナチスによるばかげた人種理論のことである。
ナチズムの台頭でオカルトの役割自体、過大評価された観があるが、ヒットラーに大量殺戮を促した人種理論は、正真正銘の擬似科学だったのである。
(いずれの例においても、「優生学」という言葉は使われていないことに注意。ナチの北方人種説を「優生学」と呼ぶのは、セグウェイを「自動車」と呼ぶようなもの……間違ってはいないがピントがずれています)
日本の例を挙げるなら、「トンデモ本の世界」において、「シオン賢者の議定書(プロトコール)」が「史上最低の偽造文書」として紹介されています。
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つまり、「プロトコール」は、疑いようのない明らかな偽書なのだ。
だが、「プロトコール|を読んだヒットラーは、
「歴史的に事実かどうかなどはどうでもよい。内容的に事実であれば体裁などは論ずるに足らん」
と述べたとされ、「プロトコール」はナチスのユダヤ人迫害にも大きな力を貸した。
と学会は、元は疑似科学批判団体ではなかったはずですが、当時の会長、山本弘氏の影響のためか、実際にはその色彩が強くなっています。
山本氏が、歴史修正主義や外国人差別に強く反対する「サヨク」であることも、広く知られているところと思います。
(ただし、と学会で山本氏が一人だけそういうスタンスだったわけではなく、例えば上の引用部分は久保田裕氏によるものです)
それから、再び海外の話になりますが、「なぜ人はニセ科学を信じるのか」。
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というわけで、「疑似科学批判はナチス寄りだ」ってのは全くの言いがかりであり、妄想だとすら言えると思います。
なのになんでそんな話が出てくるのかはわからないんですけど……。
ただ、思うに、科学的事実って、しばしば人間の直感と対立するわけです。
そこで直感の方を優先したら疑似科学になってしまう。
だから、疑似科学批判は、ルイセンコ主義や親学、「水からの伝言」みたいな体制べったりの疑似科学を批判することもあるし。
逆に、ホメオパシーやナノ純銀除染、「フクシマ放射能で植物に奇形続出!」みたいな「市民目線」の疑似科学を批判することもあるわけです。
科学的事実には、体制も反体制もありません。
疑似科学を信じる人間の愚かさもそうです。
だから、疑似科学批判もまた、権力側を叩くこともあればそうでない側を叩くこともある。
しかし、それを見て、
「疑似科学批判の連中は体制寄りだ!」
……って人もいるのだ、ってことなのかなあ、と思います。
大学時代、社会学の教官が言ってたことを思い出します。
「社会学は、ソ連では“ブルジョア科学”として弾圧された。
ところが、戦前の日本や、反共運動のアメリカでは、逆に“共産主義的”として弾圧された」
社会学に限らず、科学や疑似科学批判が「右翼的」あるいは「左翼的」に見える人がいる、ってことなのでしょう。
余談:ナチス批判は簡単なのか。
ナチス批判は簡単だ(だから、それをしない菊池誠はナチスシンパだ)って言う人がいます。
承前)だから、これはもう一つの理由につながるのだが、ナチスの否定は極めて簡単。「○○ならばなぜ××をしないのか」型の難癖の質が悪いのは議論のリソースを無限に食うからで、例えば疑似科学ネタの一つを否定するためにも膨大な検証が必要だったりするがナチスはそうじゃない。(続
— 瀬川深@チューバはうたう・ゲノムの国の恋 (@segawashin) 2016年11月5日
……まあ、後で見るように、菊池氏は明らかにナチスに批判的なんですけどね。
しかし、「簡単な」ナチス批判が時には危険なものだ、というのは、上述の「なぜ人はニセ科学を信じるのか」のテレビ番組のエピソードで典型的に描かれています。
番組で、筆者は、検証された歴史的事実について述べ、正しい歴史学の姿勢(そして歴史修正主義者の偏った姿勢)について指摘しようとします。
一方、論敵であるホロコースト否定論者は、常に論点をそらし、「ホロコースト学者」への印象操作をしようとし続けます。
そして、そこで筆者の足を引っ張るのが、客席にいた(番組に招かれていた)女性です、
彼女は、「ナチスがユダヤ人の脂で石けんを作った」という伝説を信じており、論敵であるブラッドリー・スミスを批判します。
スミスは、ただちにそれを取り上げて、筆者に説明を迫るのです。
そこで、
「ユダヤ人石けんの話には証拠がないんですよ」
と言わざるを得なかった筆者は、ある人々から見れば「ホロコースト否定論者」にさえ見えたかも知れません。
そして、なんとも考えさせられるのは、その彼女は、アウシュビッツの生き残りだ、ということです……。
結局のところ、歴史修正主義者との戦いに、充分な知識のない人間が出て行くと、「鎖の一番弱い輪」になってしまう……というか、そう仕立て上げられてしまう、ということをよく示していたと思います。
歴史修正主義者というのは、一部の「弱い」部分を取り上げて、あたかも相手陣営の議論全体が根拠薄弱であるかのように見せかけるのが上手ですからね。
*最初の記事では、この後、欅坂46関連で、菊池誠氏がナチシンパ呼ばわりされてる話への反論が書いてあったんですが、長すぎるのでカット。別な記事にします。