父の介護が始まったと思ったら終わった、その後。(退院決定まで)

 先日、
「早く家に帰りたい」
 と言い張る父をどうにか説得し、高齢者施設(サービス付き高齢者向け住宅)への入居を承諾させることに成功しました。
 
 しかし、そこに至るには紆余曲折がありました。
 特に、都合3回あった病院での面談は、上げたり下げたり非常に情緒を振り回されるものでした。
 
 なお、この記事は、以下の記事の続きです。
父の介護が始まったと思ったら終わった。 - 小学校笑いぐさ日記
 記事内でも「タイトルは釣り」と書きましたが、やっぱり終わっていなかったのです。
 
 長くなるので、前後編に分けます。
 
 どうやって説得したのか、そもそも病院に行きたがらない場合はどうする、といった「実用的」な話は後編になります。
父の介護がたぶん本当に終わった。(施設探し~本人の説得まで) - 小学校笑いぐさ日記
 
 こんなに詳細を書く必要があるのか、とも思いますが、どんな詳細が誰の役に立つかはわからないので……。
 
 とりあえず、結論らしきもの。
 
・要介護認定の申請は早めにしよう。
(介護の等級が決まらないと施設探しやサービスの話が進まない。しかし申請から認定までに1ヶ月以上かかる)
 
・地域包括支援センターも病院も、頼りにはなるが丸投げはできない。
(家族が方向性を決め、主体的に行動しなければならない)
 
・認知症で激昂したり暴言を吐いたりする行動は、薬で落ち着く……こともある。
(だが、ある程度落ち着いたとして、それが自宅で生活できる状態かどうかは人による)
 
・口下手な人は、話すことを書き出しておこう。
 

あらすじ。

2025年12月26日(金)
 母と私、父を連れて県立精神衛生病院を受診。即日、医療保護入院が決まる。
(前回の記事ここまで)
  
2026年1月11日(日)
 はてなブログに書く。
「早く施設探しをした方がいい」とのコメントが多数あり、確かにその通りだと焦る。
 
1月14日(水)
 病院の保護室内で、要介護認定調査。
 
1月15日(木)~1月19日(月)
 病院から母や私に電話連絡。
「経過は順調で落ち着いている」
「すでに保護室からは出ている」
「本人の希望が優先で、自宅退院がゴール」
 
1月27日(火)
 病院で5者面談。(主治医・ソーシャルワーカー・母・父・私)
 父は終始穏やか。
 父の退席後、主治医より
「自宅退院は困難。自宅以外の帰住先を探す必要がある」
「ソーシャルワーカーが、今のうちにケアマネジャーとグループホームを探す」
 との判断を伝えられる。
 
2月9日(月)
 要介護1の判定が出る。
 父、急性期病棟から慢性期病棟へ移動になる。
 それに伴い、主治医、ソーシャルワーカー、担当看護師が交代する。
 
3月13日(金)
 病院で7者面談。(医療保護入院者退院支援委員会)。
(主治医・看護師・ソーシャルワーカー・社会福祉士(地域包括支援センター)・母・父・私)
 主治医より、
「症状は落ち着いており、現状、医療保護入院の継続はできない」
 との判断を伝えられる。
「高齢者施設への入居という方向性はあるが、本人の同意が必要。
 仮に本人が施設への入居に同意しなかったとして、『同意するまで入院させる』ということは人道上できない」
 とも。
 父曰く、
「とにかく家に帰りたい。施設への入居は絶対に拒否する」
 主治医の説得により、ひとまず任意入院に切り替え。
(この記事ここまで)
 
3月16日(月)・3月26日(木)
 母と、高齢者施設を3ヶ所見学する。
 
3月27日(金)
 病院で6者面談。
(主治医・ソーシャルワーカー・社会福祉士・母・父・私)
 施設への入居について、私が説得にあたる。
 説得が成功し、父が施設への入居に同意。
 同日中に、施設に入居申込書を提出。
 

くわしく。

入院から面談まで。

 2025年12月26日、認知症*1で荒れ狂う父が入院し、一息ついた母と私ですが、不安もありました。
 
「いつ退院になるのか?」
 ということです。
 
 医療保護入院の際の告知では、
「期間は最大3ヶ月。2026年3月26日までです」
 とのことでした。
 
 入院の後にSWさん(ソーシャルワーカーさん。退院後生活環境相談員。父が入院した日、我々が廊下に出たらもうそこにいた人)から受けた説明では、
「3ヶ月より長くなることもあるし短くなることもある」
 とのことでした。
 
 地域包括支援センターで、
「父個人については見通せないとしても、一般論として、こういうケースではどうなることが多いのでしょうか?」
 と尋ねたのですが、
「色々なケースがあるので……」
 と、言葉を濁されてしまいました。
 
 まあ、無責任なことは言えない、というのは、担当者として当然のことだろうと思います。
「ご家族の考えに反して無理矢理退院させる、ということは、ないとは思うのですが……」
 とも言われたのですが。
  
 一方、病院では、父の主治医は、診察では関わらなかった男性医師、高橋先生(仮名)になりました。*2
 
 入院以後、母は毎週1回病院に行って、汚れ物を受け取ったり、衣類の換えや私物を届けたりしていましたが、それを受け取るのは看護師で、父本人とは会っていません。
 主治医の高橋医師とも、面談まで顔を合わせることはありませんでした。
 
 しかし、入院してからの一ヶ月間、病院からは、様々な理由で母や私に連絡がありました。
 病状の説明だとか面談の日程調整だとか着替えの追加が必要だとか眼鏡を欲しがっているとか。
 
 その都度、父の様子を聞いたのですが、病院側の説明は、
「以前は、部屋を開けた時に飛び出そうとする行動が見られたのですが、今は見られなくなりました」
「食事の時間に限って保護室から出るようにしました(なので普段着が追加で必要です)」
「他の方ともトラブルなく過ごすことができています」
 など、一貫して
「経過は良好です」
 というものでした。
 加えて
「本人の意思が一番大切なので、治療のゴールとしては自宅退院です」
「近く、ご家族と面談し、退院に向けた話し合いを持ちたいと思います
 というので、家族としては不安が募りました。
 
「経過が良好」と聞いて不安になるのも親不孝な話ではあります。
 
 しかし、あれほど支離滅裂な興奮状態にあった父です。
 いくら病院内では落ち着いてきたとは言っても、ほんの一ヶ月で、家庭や地域で安定して生活できる状態になるとは、私にも母にも到底思えなかったのです。
 
 そんな状態の中、第1回の面談を迎えました。

・第1回面談。1月27日(火)

 この面談が何だったのか。いまだによくわかりません。
 
 面談の参加者は、高橋先生と父と母と私。
 場所は病棟内の一室、食堂のような大きなテーブルがいくつか置かれた、広いオープンスペースでした。
 ドアに「OT室」とありました。*3
 
 面談の開始時点では父は同席せず、まず医師から家族への説明があり、その後、父が呼ばれる形でした。
(これは以後の面談でも共通でした)
 
 高橋先生の説明を要約すると、
 
・人格の変化(易怒性、脱抑制的、同じ行動を取りやすい)がある。
・病識には乏しい。
・現在、開放観察で問題なくなってきた。
・会話に脈絡がなく、コミュニケーションは困難。
・ある程度症状を改善して退院することが治療の目的。
・落ち着いた様子をご家族に見ていただいて、それを元に今後の方向性を相談したい。
・今日は、ご家族がいる状況で、普段と違う反応が見られるかを確認する。
 
 ……といった内容で、病院としてはっきりと「早期退院を目指している」ということが感じられました。
 
 一通り説明と質疑応答が済んだところで、内線電話で父が呼ばれ、看護師2名に付き添われて父がやって来ました。
 
 ちょっとぎょっとしました。
 
 入院直前の父は、黙っている時でもいつも目が据わっていて、「いつ爆発してもおかしくない」という、ピリピリした雰囲気が漂っていました。
 それが、この時の父は、そういう危険な気配がすっかり消えて、まるで針を全部抜かれたハリセンボンみたいな、むしろしょぼくれた雰囲気だったのです。
 2回りくらい小さくなったようでした。
 
 一方、話に脈絡がないのは相変わらずで、私が
「調子はどう?」
 と聞くと、
「やっぱり、リウマチが元だと思うんだよな」*4
 から始まり、自分が少年院勤務時代に、逃走した少年を「とっ捕まえた」話などを延々と続けました。
 女子少年院で、入院していた女子が「すり寄ってきた」話や、女子2人が逃走した話(タチがどうとか)など、ちょっと際どい話も。
 そこから、
「医療少年院には行ったことがないんだけれども……」
 から、唐突に
「今回のこともそうなんだよな」
 と、年末に自分が引き起こした近隣トラブルの数々に話が飛びます。
「俺は、みんなに喜んでもらおうと思ってやったんだけども」
「あの時は、Aさんの家の~」
「Sさんが~」
 などと、とりとめもなく話を続けました。
 
 なお、「Aさん」などの近所の人のイニシャルは、私が伏せて書いているのではなく、父が実際にイニシャルトークをしていました。
 何の配慮なんだ。
 
 後で母が語ったところによると、
「あれ、本当のご近所さんのイニシャルと全然違うから、聞きながら誰のこと話してるのか混乱しちゃった」
 とのこと。
 何の配慮なんだ……?
 
 父の話を聞いていると、どうも、自分が入院することになったのは近隣トラブルが原因で、今いる場所を、医療刑務所のような刑事施設だと考えているらしい節がありました。
 
 だから、自分の法務教官時代の功績を強調しつつ、自分が引き起こしたトラブルについても、「自分は善意でやった」と、自己正当化を図ろうとしているのでは、と感じました。
 
 ……「正当化」と言っても、例えば、よその家の呼び鈴を早朝に連打して大騒ぎしたのは、
「あの家は昼夜逆転の生活なんじゃないかと思ったから」
 といった感じで、だいぶ話に無理がありましたが。
 
 とはいえ、自分が起こしたトラブルをちゃんと記憶していて、そこに理屈をこじつけられるだけの認知能力があることに驚きました。
 前頭側頭型認知症は、衝動的な発言・行動が増える一方で、記憶力などの認知機能はあまり衰えないのだそうです。
 
 また、かねてからトラブルの元だった庭先の焼却炉について尋ねると、
「ああ……でも、あれはもう1ヶ月くらい使ってないはずなんだけど」
 そりゃそうです。1ヶ月入院してるんだから。
 
 加えて、父は、自宅のサボテン等について、あの棚にはこれを置け、あれは水をやってもいいがあれはダメだ……等、母に事細かな指示をしました。
 
 そして、
「もう1ヶ月とちょっと経つし、そろそろここを出たいよな」
「次の連休は家で迎えたいな」
 などと勝手なことを言うのでしたが、そのあたりで高橋医師が
「なかなか、今、この場であれもこれも言ってもキリがないでしょうから……」
 と、話をさえぎり、面会は終わりました。
 
 この時、私としては、
「なるほど、相変わらず会話のキャッチボールはできないし自分勝手だけれど、確かに高橋医師の言うとおり、全然興奮することはなかった。これは退院決定か……」
 と感じ、今後の苦労を思って暗澹としました。
 
 すると、高橋医師が、面会前とはうってかわって沈痛な面持ちで、
「これは、今、病院では落ち着いていますが、自宅に戻ると、また、焼却炉だとか近所のビニールハウス(後述)だとかが目に入って、脱抑制が行動化してしまうおそれがありますね」
「現状では元の環境には戻れないので、自宅以外の帰住先として、グループホームを検討する必要があると思います」
 
 そして、同じく沈痛な面持ちのSWさんが、母に
「今のうちからケアマネジャーを探してもいいですか?」
 と尋ね、母は「ぜひお願いします」と答えました。
 
 それから、医師とSWさんは、
「グループホームについては、本人の意向を無視できないので、説得が課題になると思いますが」
 と苦笑しました。
「それと、医療保護入院では外出ができません。
 入院が長期化する可能性もあるので、眼科の受診(緑内障)をどうするかは今後検討が必要ですね」
 
 入院期間が3ヶ月を過ぎたらどうなるのか、と尋ねると、
「まだ今の段階では明確にはお答えできませんが、この病棟は急性期病棟なので、3ヶ月でいったん出る形になります。
 その後は、当院の慢性期病棟に空きがあればそちらに移っていただき、空きがなければ、他の病院に転院する形になります」
とのこと。
 
 私が、
「それでは、SWさんの方でケアマネジャーを探して、入居可能なグループホームも探してくださり、見つかるまでは、4月以降も、こちらの病院か、あるいは転院先の病院で父を見ていただけるということですか?」
 と確認すると、
「そうなります」
との回答でした。
 
 高橋医師より、
「今日、ご家族と面談できて本当に良かったです」
 と言われました。
 
 まとめると、高橋医師の判断として、
 
・自宅退院は困難。
・退院先はグループホーム。
・長期入院になる可能性が高い。
・3月末以降も、県立精神衛生病院、もしくは他院で様子をみてくれる。
・ケアマネジャー探し、施設探しはSWさんがしてくれる。
 
 ということで、つまり何もかも病院に丸投げ。
 心配事は一気に片付いたわけです。
 母と私は非常に安堵して病院を後にしました。
 
 この時は。
 
 ……それにしても、面談時の父の様子は、面談前に高橋医師が説明した通りの状況だったと思います。
 なのに、面談後、医師もSWさんも方向性が180度変わったのは、一体何が理由だったのか。
 いまだに謎です。


ビニールハウスの話。

 実家の近所、放棄された敷地に、小さなガラス温室が置いてありました。
 
 ものは違いますが、こんなイメージです。
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 すると、それを見かけた父は、それが欲しくなってしまい、譲ってもらおうと持ち主を探し始めたのです。
 
 それだけ聞くと何の問題もないのですが、そのために、
 
・その敷地の隣の家に早朝から押しかけて、「あれは誰の温室なのか」等と聞く。
・しかも、筋道立てて話せず、何を言っているのかよくわからない。
・住人(独居の高齢女性です)に怖がられると激昂する。
・呼ばれた町内会長さんに諭されて激昂する。
・警官にも「あれは誰の温室なのか」と尋ね、わからないと激昂する。
・その後、ガラス温室がある敷地に通い、勝手に草むしりなどをする。
 
 といった行動が見られました。
 動機はともかく、いちいち近隣の方に激昂して、支離滅裂な暴言を吐くのが、母としては胸の痛いところだったようです。
 
 さらに、実家の向かいの家には、放棄されて骨組みだけになったビニールハウス(ガレージくらいの大きさ)があるのを見つけると、そこでも同じようなことを繰り返した上、生えていた木を勝手にのこぎりで切るなどしました。
(入院後の父は、これらのことを
「きれいにしてみんなに喜んでもらおうと思っただけで、悪気はなかった」
 と話しています)
 
 しかし、別な記事でも書いた通り、実家の庭は、すでに放棄された園芸植物で埋め尽くされています。
 温室をもらったところで置く場所がありません。ビニールハウスなんてなおさらです。
 どうするつもりなのか……と思っていたら、どうも、父としては、他人の家の温室に、自分の植物を勝手に置くつもりだったようです。
 
 そんなの無理に決まっているのですが、父は、
「管理規約にも使っていいと書いてある」
 と主張します。
 
 使われていない地所や設備は近隣住民が切り取り放題、なんて、そんな戦国時代みたいな管理規約があるわけがありません。
 念のため私も読んで確認しましたが、おそらく、
「入居者は、自分の所有する区画を適切に管理しなければならない」
 あたりを曲解しているのだと思います。
 
 ともあれ、入院中は落ち着いてはいるものの、退院して、向かいの家にビニールハウスがあるのが目に入ったら、また同じ行動に出る可能性がある、というのが、高橋医師の判断で、これには母も私も同意見でした。
 
 結局、趣味の園芸が、数々の問題行動の原因になっているように思います。
 庭先の焼却炉を違法に使い続けてきたこと、さらにはよその家の庭から剪定した枝を持ち去って勝手に燃やしたことも、園芸で使う灰を作るのが目的でした。
(草木灰なんかホームセンターで安く売っているのですが)
 

第2回面談まで。

 2月9日(月)には、「要介護1」の判定が出ました。
 認知症はともかく身体的には元気で、身の回りのことは全部自分でできるので、そんなものなのかも知れません。
 
 地域包括支援センターの方から、
「要介護1でも、老健やサービス付き高齢者住宅、グループホームなどに入れる可能性があるので、病院のSWさんとよく相談してはどうでしょう」
 と言われました。
 
 しかし、何しろそのSWさんから、ケアマネジャーもグループホームも探してくれる、という話があった直後です。
 母も私も、施設探しについてはすっかり油断していました。
 
 母と私が実家の庭の片付けを始めたのはこの頃です。
実家の庭が、渡り鳥の餌場になりました。 - 小学校笑いぐさ日記
 
2月10日(火)
 父が慢性期病棟に移りました。
「なるほど慢性なんだな」
 と思いました。
 
 他院に移らずに済んだのは幸いです。
 
 ただ、少し心配だったのは、それに伴って、担当医師、担当看護師、さらにSWさんも別の人になったことです。
 同時期に地域包括支援センターの担当者も交代し、つまり関係者全員が入れ替わりです。
 
 新しい主治医は精神保健指定医の鈴木先生……つまり、父が受診した時に
「残念ですが本日入院していただきます」
 という決定をした先生でした。
 
2月17日(火)
 新たに担当になったSWさんと電話で話しました。
 主たる内容は、次の面談をいつにするか。
 しかし、SWさんがしきりに
「今後の方針を話し合う」
 というので私は心配になりました。
 
「今後の方針」は、前回の面談で決まったのではなかったのでしょうか。
 
 その点を確認したものの、明確な回答がありません。
「地域包括支援センターは、自宅で生活しながら介護する方のサポートがメインなので」
「ご本人の同意がないまま入居させても、勝手に自宅に戻ってしまう事があるので」
 など話を逸らされます。
 
 にわかに先行きが不安になった中で、母と私は第2回の面談(医療保護入院者退院支援委員会*5)を迎えることになりました。

・第2回面談。(医療保護入院者退院支援委員会)3月13日(金)

 実は、この日のことはあまり正確に書くことができません。
 
 父の認知症への対応が始まってから、関係する出来事はメモに残してきました。
 ですが、この日は衝撃が大きく、当日家に戻っても、翌日になっても、あったことを思い出して書く気が起きず、結局そのままになってしまったのです。
 そんなわけで、話の前後関係などには誤りがあるかも知れません。
 
 ともあれ、この日の参加者は、鈴木医師、看護師、SWさん、社会福祉士さん(地域包括支援センターより)・父・母・私の7名でした。
 
 まず、鈴木医師からは、入院までの経緯の整理がありました。
 年末の近隣トラブルの事情に加え、父が40代で精神科の受診歴があることなどまで把握されていて驚きました。
 
 そして、現状として、
 
・病棟を移ってからは特に症状が軽快し、穏やかで問題なく過ごしている。
・場所を間違える、徘徊するといった様子もない。
・あまり周囲と関わらず、自室で過ごしている。困ったことがあると医療スタッフに相談している。
 
 次いで、看護師からも、
・食事は問題なく食べている。
・薬も忘れずに服用している。
 
 以上を総合して、鈴木医師より、
「現在の状態を見る限り、医療保護入院の継続は難しいと考えます」
 と宣告されました。
 
 続けて、
「すでに薬剤調整をする段階は終わっており、今後は環境調整の段階です。
 要介護1なので、退院後は、サービス付き高齢者住宅への入居は可能だと思います。
 ただ、医療保護入院とは異なり、介護施設は、本人の同意が必要になります。
 本人が『どうしても家に帰りたい』と言った場合、施設側としては帰さざるを得ません。
 また、本人に入居の意思がない場合、施設側としてはそもそも受け入れができません」
 ……と言われました。
 
 なお、この面談までに、母と私は父と2回面会しています。
 いずれも、(とりとめもない話とともに)
「早く家に帰りたいんだよな」
「植物が全部枯れちまうんじゃないかと心配でな」
 といった話を、繰り返し繰り返ししており、本人に帰宅への希望が強いことはよくわかっていました。
 
 それから、SWさんから、
「施設への入居ではなく、基本はデイサービスを活用して、そこにショートステイを織り交ぜて、例えば週末だけでも、お母さんの時間を確保していく、という方向性ではどうでしょうか」
 
 というご提案がありました。
 
 客観的に見れば、これは非常に妥当なアドバイスだと思います。
 本人が施設への入居を希望しないのであれば、デイサービス→ショートステイ→ロングステイ……という段階を踏んで、少しずつ施設に慣れ、いずれ入居を目指す、というのは合理的な対応です。
 
 とはいえ。
 
 認知症の行動心理症状が、周囲の接し方で改善する、というのは、私もその後ネットで調べて知っていました。
www.minnanokaigo.com
「環境調整」というのも、つまり周囲の配慮などの話です。*6
 
 しかし、家族だけが接するならともかく、父の場合、足腰は元気です。
 家に戻れば、どこへでも出かけて、また近隣の人とも接することになります。
 
 家族だけなら認知症に配慮した対応もできますが、近隣の人にまでそれを要求するのは不可能です。
 
 また、入院前、私が父の様子を見ていた時のことです。
 庭で土いじりをしていた父が、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまいました。
 あわてて探すと、向かいの家のビニールハウスに入り込み、勝手に草むしりをしていたのです。
 
 それに、早朝によその家の呼び鈴を連打した事件は、母が寝ている間のことでした。
 文字通り、一瞬も気が抜けません。
 
 複数のスタッフがシフトを組んで対応するならともかく、一対一の自宅介護では、母は「環境調整」のために、文字通り24時間警戒し続ける必要があります。
 およそ現実的ではなく、「週末だけでも時間を確保していく」というのは救いになりません。
 
 ……と、私は鈴木先生に説明しましたし、母も、
「昔から頑固な人だし、ショートステイとか行かないと思うんです。ご近所の方の目もあるし……」
 などと、退院すると困る事情を訴えるのですが、先生にもSWさんにもあまり響いた様子がありません。
 
鈴木医師「ともかく旦那さんを呼んで相談してみましょう」
 ということで、父が呼ばれました。
 
 まず、鈴木先生が質問し、父がぼそぼそと答えました。

医師「体調はいかがですか?」
父「あの、だいぶいいと思うんですね」
医師「どうしてこちらに入院になったか、おわかりですか?」
父「感情的になったこと……だと思います。
 自分としては、いい方に、うまくやっていこうと思ってやっていたことが裏目に出てしまったと思います」
医師「退院したらどうされたいですか?」
父「退院したら、これまで通り、平穏な生活をしたいと思います」
医師「病院には?」
父「月一回通院して、薬もちゃんと飲みたいと思います」
 
 ……などと、たいへん模範的な回答でした。
 
 あまりに模範的な一問一答だったので、「よく訓練されている」感がないでもありませんでした。
 もちろん、受け答えを事前に練習していた、というのはさすがに邪推に過ぎると思います。
 ただ、家族との面会の時、父は、鈴木先生のことを「おっかねえ先生」と評していました(母や私の印象とはだいぶ異なります)。
 この時も、先生の顔色を窺って模範解答をしているのでは、という気がしました。
 
 このような、退院を勧められる事態に、私は事前に対応を考えていました。
 
 それは、父に、年末の近隣トラブルについての所感や、焼却炉の処遇、ビニールハウス等について尋ねる、というものです。
 要は、父の「自宅帰住は困難」な様子を見てもらうという、前回の高橋医師との面談の再現を図ったのです。
 
 すると、私の質問に、父は、数々の近隣トラブルについて、
「悪気はなかった」
「それは認識の違いなんだよ」
「何が悪かったかわからないんだけれども」
 等と繰り返しました。
 決して、「自分の行動にも問題があった」「今後は気をつける」といったことは言わないのでした。
 
 そして父が、
「また今までみたいに暮らせたら……」
 と言うと、母が、
「今までのように生活するのは無理だよ!」
 と割って入りました。
「物質的なことではないんだよ。近所の人だって……」
 と言いながら、涙声になって言葉を詰まらせたので、私はびっくりしました。
 
 こう書くと、なんだか母が感情的な人だと思われるかも知れません。
 でも実際のところ、私は四十何年生きてきて、これまで母が泣くところなんて見たことがありませんでした。
 
 母は、これまで、対人能力の乏しい父に代わって、近所づきあいを一手に担い、自治会の会合や、地域の清掃ボランティアなども全て引き受けてきました。
 認知症の父が近所で問題を起こし始めた当初、「K村さんの旦那さん」ではなく、「正体不明の高齢男性」として通報されてしまったのも、それまで父が近所づきあいに関わってこなかったためです。
 父が起こしたトラブルの尻拭いも、(認知症以前から)全て母の役目でした。
 父が入院した後も、菓子折を持って近所を回り、頭を下げていたのは母です。
 
 それだけに、「今までのように暮らしたい」という父の発言に感情的になってしまったのだろうと思います。
 あるいは、「世間体」というものに対する意識の違いもあるのかも知れませんが。
 
 それを見たSWさんが、
「ご家族としては、すぐにお家に迎え入れるのは難しい様子ですし、退院してからお家に帰るまでの中間段階として、どこか施設に入居する、というのはいかがですか?」
 と提案してくれたのですが、父は、
「それは、絶対に、拒否します」
 と、きっぱりと断ります。
 
 そして、
「家に戻る、条件は何なの」
 と母に尋ねるのですが、母は
「条件とかじゃないよ……」
 と言うばかり。
 
 ここで、鈴木先生が父に、
「それではですね、退院のご希望があるのはよくわかっているのですが、ご家族としては、受け入れられる状態にないご様子ですよね。
 そうすると、退院してもホームレス、ということになってしまいますし、それでは困りますよね?
 そこで、ひとまず、今日で医療保護入院は終了しますが、受け入れ先が決まるまでの間、任意入院という形に切り替えてはどうでしょうか?
 病院内での生活は今までと大きく変わりませんが、外出・外泊がやりやすくなります」
 と伝えると、父は、渋々といった様子でそれを承諾し、鈴木先生が出した書面にサインしました。
 
 鈴木先生が、
「では、本日15時をもって、医療保護入院は終了、任意入院に切り替えになります」
 と宣言しました。
 今回は、家族には書類は渡されませんでした。
 
 父は、
「家族が一番の障害だとわかりました」
 という一言を残し、看護師とともに退出。
 
 残された家族が、先生やSWさんから追加の説明を受けることになりました。
 
「認知症の症状は軽快しています。
 実は、先日実施した検査(長谷川式)では、以前より認知機能が向上しており、軽度認知障害……認知症の『前段階』という判定になっています。
 この状態ですと、6ヶ月後の更新では、要介護ではなく要支援2になる可能性があります。
 そうなると、利用可能な介護施設の選択肢がさらに狭まる可能性があります」
 
 すると、地域包括支援センターの介護福祉士から、
「現在、小多機(小規模多機能型居宅介護)の空きがないんですね……。ショートステイのみの利用だと、計算上、月に20日程度、要支援になるともっと少なくなるので……」
 
 母が、
「あの状態で、治ってるんですか?」
 と聞くのですが、先生は、
「病院はあくまで治療の場で、本人の特性、性格の問題は、治療の対象にならないんです」
 と答えます。
 
 母はさらに、
「夫は、自分では、ちゃんと薬を飲むと言ってましたけど、入院してから部屋を整理したら、飲み残しの漢方薬が何ヶ月分も出てきたんです。
 今は、薬は病院の方に飲ませてもらってるから大丈夫だと思うんですけれど、家に帰ってきたら、自分ではちゃんと薬は飲まないだろうし、私が言っても聞かないし、そうすると薬が切れてまたあんなことになるんじゃないかと……」
 と言うのですが、先生は取り合いませんでした。
 
 思うに、先生の、
「性格の問題は治療できないので入院の理由にはならない」
「長期入院を避けるのは国の方針でもある」
「施設への入居には本人の同意が必要だが、本人が同意するまで入院を継続する、ということは人道上できない」
 といった話は、きわめてまっとうなものだと思います。
 
 私としても、これに正面から反論することはできませんでした。
 むしろ、
「やっぱり、あれは認知症の症状ではなかったのだ」
 という納得感がありました。 
 
 前の記事を読んだ方も、あるいはお気づきだったかも知れません。
 
 父は、母が止めるのも聞かず、庭先の焼却炉で落ち葉などを燃やすのをずっと続けてきました。
(他人の家のものを燃やしたのが最近だっただけです)
 しかし、野焼きが法律で禁止されたのは2001年のこと。
 それ以後もずっと続けてきたのは、明らかに認知症の症状ではないのです。
 
 庭先が朽ち果てたプラ鉢で埋め尽くされているのも、拾ってきたゴミで物置が満杯になっているのも、会話のキャッチボールができず、自分の好きなことを延々と話し続けるのも(最近その傾向が激しくなったとはいえ)ずっと昔からでした。
 
 問題行動の数々を全て「認知症の症状」と見なした高橋先生の判断は、ある意味ありがたいものでしたが、正しくはなかったのだと思います。
  
 しかし、鈴木先生の「正論パンチ」は、母にとって救いではありませんでした。
 
「失礼ですが、お家の名義はどなたですか?」
「夫です」
「なるほど……。
 もし、お家が奥様の名義でしたら、最悪の場合、旦那さんの立ち入りを拒否することもできるかと思うのですが……」
 
 SWさんからは、
「どうしても同居が難しいということでしたら、むしろ、別居されるというのはいかがですか?」
 という提案もありました。
 しかし、母は、
「あの人に一人暮らしはとても無理だと思います」
 と答えます。
 
 父は、一人暮らしの経験がありません。
 掃除も炊事も洗濯もやったことがないのです。
 
 そして、もう数十年来のペーパードライバーで、どこかに行くときはいつも母の車に同乗していました。
 一方、実家は、山を切り開いた分譲住宅地にあり、最寄りのスーパー、コンビニまでおよそ3km。
 そのほとんどが、自転車ではきつい坂道です。
 
 父が車を運転できないことは、認知症の介護をする上では数少ない安心材料でした。
 しかし、それは実家での独居生活が困難だということでもあるのです。
 
 まあ……私としては正直、
「無理でも何でも放っておいたらいいんじゃないの?」
 と思わぬでもなかったのですが*7、母としてはそれは忍びない、ということのようでした。
 
 父本人も心配ながら、実家に父を一人置いて放り出したら、ご近所さんにもどんな迷惑がかかるかわかりません。
 最悪の場合、焼却炉などから出火して、自宅はもとより近隣に延焼する可能性もあります。
 
 ……もっとも、後に、妻(市役所職員)にこの話をしたところ、
「でも、お義父さんとお義母さんが離婚したら、責任が全部ダーリンに来るよ。
 夫婦の縁は切れるけど、親子の縁は切れないから。
 そういうのいっぱい見るよ」
 と脅されたので、母の判断は私にもありがたいことなのかも知れません。
 
 私も、「正論パンチ」を黙って受け入れたわけではなく、地域トラブル再発の可能性や、自宅介護の困難さを訴えたり、クレーマーしぐさとは知りながら、「前の担当者と話が違う」と主張してみたりしたのですが、鈴木先生の判断は覆りませんでした。
 
 というか、面談が始まる前から、結論は九分通り決まっていたのでは、という感触がありました。
 任意入院に切り替えるまでの流れがあまりにスムーズだったことに加え、前回はいなかった地域包括支援センターの社会福祉士さんが今回出席しているのも、地域(=自宅)への退院を見越したものだったのでは、と思えます。
 
 社会福祉士さんから、
「こちら、近隣の高齢者介護施設のリストなんですけれど、K村さんの場合、このあたりが利用可能な範囲かと思いますね」
 と、鉛筆で印を付けたリストをいただき。
 
SWさん「やっぱり、近隣の施設をご希望ですか?」
母「いや……あまり近くて、勝手に帰ってきちゃっても困るので……」
社会福祉士さん「でもねえ、抜け出しちゃう人はいくら遠くても帰っちゃいますよ」
SWさん「それはよくあるんですか?」
社会福祉士さん「いや……そういう事例もある、という話で……。
 ともあれ、地域包括支援センターは、あくまで近隣の施設が担当なんです。
 離れた施設を探す場合は、老人ホーム紹介センターに相談するという道もありますね」
 
鈴木医師「私たちとしても、ご家族に全て押しつけるわけではありません。
 施設への入居に同意していただけるよう、説得のお手伝いをしていきます。
 ただ、そのためには、ご家族から、『自宅退院は絶対に無理だ』ということをはっきりと伝えていただく必要があります。
 私たちから伝えても、ご本人に信じていただけないので」
 
 わりとはっきり伝えたと思うのですが……。
 
鈴木医師「ご本人が同意するまで何ヶ月も入院させる、ということはできません。
 今後の面談で説得が不調に終わった場合、そのまま自宅退院、という可能性もあります」
 
 鈴木医師の、まことに筋の通ったお話に、もはや返す言葉もなく。
 母と私は打ちのめされて病院を後にしました。
 
私「……とにもかくにも、何とかして、父さんが施設に入居するよう説得しなければ何も始まらないってことだね」
母「説得できると思う? 父さん、家に帰って植物の世話をすることしか考えてないのに」
私「大丈夫、きっとなんとかなるよ」
 
 ……と、何の根拠もない励ましをすることしか私にはできませんでした。
 
 母がその晩、激しい胃の痛みに襲われて七転八倒した、と聞いたのは後日のことです。
 
(後編に続く)
父の介護がたぶん本当に終わった。(施設探し~本人の説得まで) - 小学校笑いぐさ日記

*1:後に、「前頭側頭型認知症に伴う行動心理症状(BPSD)」と診断されます。

*2:入院時にもらった告知書には、医療保護入院の判断をした鈴木先生(精神保健指定医)の名前が「主治医」として書かれていました。

*3:「作業療法室」のことらしい。

*4:母によると、小学生の頃に患っていた小児リウマチのことだそうです。

*5:医療保護入院の期限が来る直前に開かれる会合。入院期間を延長するか否かもここで判断される。精神保健福祉法施行規則により開催が定められている。

*6:発達障害児への配慮、環境作りと共通する点が多いな、と思います。

*7:父が介護施設に入るより、母がアパートを借りる方が圧倒的に安いのです。