語源俗解いい話はもういい。

 放送大学で免許更新の講義を受けてるんですが。
(深く考えずに4つ受講することにしたら大変なことに。20日間で全部視聴して試験を受けなきゃならないので)
 
 ……しかし、どうして教育関係の人って、
 
「教育とは“教え育てる”と書きますが……」
「教師とは、教員の“教”に、師匠の“師”と書きます」
「情報とは“情けに報いる”と書くように……」
 
 ……とかいう話が好きかね。
 
 同じ科目の講義でも色んな講師が入れ替わり立ち替わりするんですが、なんか毎回のようにそういうのを聞かされてる気がします。
 
 実際のところ、言葉ってのは意味が変化するものだから、語源などに依拠した議論でその内実やあるべき姿を語ることはできないわけですよ。
「お金」の“金”とは“金属”という意味ですが、千円札が金属でできてるわけではない。
「学校」の“校”は、(諸説ありますが)足かせのことだと言われますが(だから木偏がつくのです)、だからと言って……。

 

 いいか、みんな
        (゚д゚ )
        (| y |)

 小五とロリでは単なる犯罪だが
     小五  ( ゚д゚)  ロリ
       \/| y |\/

 二つ合わされば悟りとなる
        ( ゚д゚)  悟り
        (\/\/

 
 金八先生かよ、と思うけど、ああいう話が好きなのは実際の教育関係者の一般的な姿だ、ということなんでしょうかね。