世界史履修漏れについて思うこと。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061025-00000118-mai-soci
教育問題ということで、触れねばなりますまい。
私は小学校教員だけどなー。
 
私の出身校の、世界史担当の先生は、
「君ら、『受験に世界史いらないしー』みたいな人は、自習してていいよ? 私は無理に授業受けろとか注意しないから、自分で必要だと思う勉強をしてください」
とか言ってました。
 
私自身はセンター試験で世界史を受ける立場でしたから、授業は聞いていましたが、この先生は結構好きでした。
 
年輩の古文の先生なんかは、授業中の自習は許せない人で、
「これまでの受験生を見ていると、たとえ受験に関係がなくても、古文なんかもきちんと勉強している人がランクの高い大学に合格している」
とかのたまっていました。
 
うむ。
 
私は古文も受験に必要でしたが(国語科ですから)、
「それって、高いランクの学校に合格できる人は、古文なんかも勉強する余裕がある、ってだけなんじゃないの?」
とか、ひねくれたことを考えていましたが。
 
今回の履修不足
「ルールを守ることを教えるべき教師がルールを破ったのでは教育者としての資格がない」
……といった意見は、大変もっともと思います。
 
ただ、なぜそのようなことが起きたのか、背景にも目を向けるべきです。
 
実施すべき授業が実施されず、別の教科に振り向けられていた、という背景には、言わずもがな、受験対策があります。
 
私は小学校の教員で、それも卒業生が100%公立中に進学する地方の小学校ですから、受験というのはあまり切迫感がないのですが、中高では切実です。
 
特に、高校は、中学と違って、生徒が来るかどうかの時点で他校との競争にさらされています。
進学率が低ければ、学生はよそに行ってしまいます。
そうなれば学校そのものの危機です。
 
「生徒の要望があったから」
というのはまあ下手な言い訳にしても、進学率を上げるために、という面が当然あったのでしょう。
 
そう考えると、今回の問題は、学校間で競争原理が働いた一つの結果、ということができるわけですね。
 
もちろん、競争原理=諸悪の根源、というわけではないんですが、今回の場合、競争の場にチェック機能が働いていなかったという事情があります。
不正な行為を監視していなければ、企業活動だって不正が横行するはずで。
 
とはいえ、授業を実際に実施しているかどうかなんて、チェックするのは不可能です。
 
実際に確認するような人手はないし、生徒に聞いたって、今月世界史の授業を何時間実施したかなんてまず覚えてませんし。
結局、学校の自己申告に任せるしかない、というのが、これまでの実状だったでしょうし、それはたぶんこれからも同じでしょう。
 
現実問題として、例えば小学校でも、運動会の練習のために他の授業がつぶれてしまったりします。
理論的には、それは全部「体育」であって、後でその分体育を削って他の授業をやらないとならないんですが、そもそも体育は週に2時間くらいしかありませんから、それを取り返そうとすると運動会の後何ヶ月も体育の授業がなくなる計算になったりします。
それで、実際には運動会の練習をしていたにもかかわらず、帳簿上は社会とか図工とかをやった扱いにしてしまう……なんてことも、時としてあります。
 
学校行事の精選が叫ばれるのも当然ですね。
今回の問題も、ゆとり教育が始まって授業時間が削減されてから授業数の操作を始めた学校が多いとか。
授業数が足りないのです。
 
思うに、必修科目でありながら、受験教科に含まれていない、という制度自体が歪んでいるのだと思います。
「授業は受けなさい、でも評価はしませんよ」
という状況では、偽装工作をやった方が有利になるわけですから。
これでは不正を奨励しているようなものです。
 
もし本当に、世界史なども人間としてバランスの取れた教養を身に付けるために必須だ、というのであれば、受験でもその重要性に見合った程度の配点をすべきでしょう。
そうすれば、世界史の授業を実施しない、みたいな偏ったカリキュラムを組む学校は自然になくなるはずです。
 
私の通った高校では、受験が近い時期、自分の受験に関係ない授業が始まると、勝手に図書室に移動して自習をする生徒が多数いました。
つまりは生徒が自発的に「不正なカリキュラム」を組んでいたわけで、学校に対してどれだけ指導をしても、こういったことまで防ぐのは不可能だと思います。
 
今は、制度の歪みを正し、本当に望ましいバランスの取れた教養を身に付けた受験生が正しく評価されるようにするのが第一だと思います。
 
問題の学校の受験生たちに対する対応がどうなるのか気になっているんですが、
「単位が足りないのは君らの責任ではないから仕方ないよ」
……っていう温情主義で報いるのは、逆に、正当なカリキュラムを受けてきた生徒が馬鹿を見ることになるわけで、よくないと思います。
 
そう考えると、
「受験前に補習を受けてこい」
……っていうのは、つらいとは思うけれどやむを得ない措置なんじゃないでしょうか。
 
「受験の後でもいいから補習を受けること。 その後、世界史の試験で赤点を取ったら卒業できない」
とかでも適正でしょうか? (ほとんど全員単位を認定されることになるんでしょうけど)
 
「補習なんか受ける必要はない。 世界史についてレポートでも出させて、それで単位を認定したらいい」
森喜朗元総理大臣)
 
あんたは黙ってろ。
 
それはそうと、
「今の高校には、校長の不当な指示に反対する気骨のある教師はいないのか」
みたいな非難もありますが。
 
正当なカリキュラムを実施していた学校もある、という事実がどうも忘れられているようです。
そういう学校の先生・校長先生たちを正しく評価してあげることも大事だと思いますね。